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第五章 別れ -1

第五章 別れ





親愛なるティベリウス

 こうしてぼくは、もう君に手紙を書く必要がなくなった。でもぼくの個人的な手紙はもう少し続く。申し訳ないが、もう少し。

 あの年は、君の人生における悲しみの始まりだった。





 1



 アウグストゥスがとうとう首都に帰ってきたのは、年が終わる間際だった。三年四ヶ月ぶりの帰還を、ローマ市民は歓呼で迎えた。けれども先に辞退したとおり、凱旋式は行われなかった。アウグストゥスはその代わりとして、市民に四百セステルティウスずつを配り、平和の祝いとした。

 なんとかこの帰還に間に合って、ティベリウスとルキリウスはローマに戻っていた。

 ティベリウスはルキリウスを連れ帰ることだけを考えていたので、彼にまつわる諸々の問題を、本土に戻り着くまで忘れていた。ルキリウス自身もそうだったらしい。彼が我に返ったのは、ローマのだれもいない自宅に入った瞬間だった。

「ティベリウス」ルキリウスは青い顔をして振り返ってきた。「ひょっとしてぼくは、またも牢屋行きかな? 最悪、処刑かな」

 陸路と海路を駆使し、強引に帰途を進んだ二人だったが、一方ルキリウスの家族は春を待ってから帰国するそうだ。当たり前だ。軍団副官としての仕事を終えたとしても、ローマに戻っているには少しばかり早すぎる時期だ。

 ティベリウスは目玉を上向けた。

「カエサルが帰ったら、謝りに行け。私も同行する」

 すると、ルキリウスはしばし想像を巡らせたようだ。それから重々しく首を振った。

「……だめだ、ティベリウス。いや、麗しき友情からご遠慮申し上げているわけじゃない。君がカエサルに嘘をつき通せるなんて思えない」

 嘘をつくのが不得手であることに、ティベリウスはすでに定評がある。問題そのものは、ティベリウスに直接関係がない。しかしルキリウスの弁明の場に立ち合えば、自らエジプトまで飛んでいったことを、アウグストゥスに感づかれかねない。

 ルキリウスはティベリウスに嘘をつかせたくないとも考えているらしかった。とりわけアウグストゥスに対しては。

 ティベリウスは継父に相談したことを悔やんだ。

「私が話を大ごとにしたな」

「違う。そもそもコルネリアが、カエサルやヴェルギリウス殿の管理下から逃げたんだ。弁解はしなきゃいけないよ。ローマで暮らすなら」

 謝罪は早いほうがいいと考えたが、早すぎるのも問題だ。ルキリウスは結局、コルネリアが戻って来たなら、一緒にカエサルに頭を下げに行くと決めた。三人で。

「現実的に考えると、本国追放かな。カエサルがガルスに下したのも、その処分でしょ?」

「お前はガルスではない」ティベリウスはむっつりと指摘した。「それは困る」

 ルキリウスはティベリウスを横目で見て、それから指先で鼻をかいた。

「ティベリウス、その『以降は常に全力で』みたいな思いのかけ方は、心臓に悪いよ。うれしいんだけど……」

 ところが、ティベリウスが継父と再会するや否や、そのような問題どころではないことが明らかになった。輿の中のアウグストゥスは、ここ数年見たことがないほど具合の悪い様子でいた。帰還したというより担ぎ込まれたというべき状態だった。

 すでにマルケルスが、半ば泣きながら叔父に付き添っていた。

「叔父上、どうしてこんなお体になっておられるのですか!」

「マルケルス、そんな顔をするな。久しぶりに会えたのに」

 アウグストゥスは微笑もうとしたようだった。けれども青白い顔には冷汗が吹き、これまでになく痩せた体をずっと震わせていた。

 これでよく帰ってこられたものだ。

 首都帰還したその日のみ、アウグストゥスは市民に姿を見せ、手を振りさえして歓呼に応えた。そしてカエサル邸に入るなり、寝台に伏せった。

 病状は良くなり悪くなりをくり返した。調子の良いときを見計らって仕事をしたせいか、次に寝込んだ時にはさらに具合が悪くなっている状態だった。マルケルスは毎日叔父の下へ見舞いに来て、その無理を止めんとした。

「しばらくゆっくり休んでください、叔父上! 仕事のことは忘れてください!」

「マルケルス、そうはいかないんだよ。これは責務だ。第一人者に選ばれたこの私、アウグストゥスのな」

「それでお体を悪くしたら元も子もないではありませんか!」

「私が休めば、それだけローマの統治が滞る。国家の安定が揺らいでしまう」

「どうして叔父上ばかり……」マルケルスは悔しそうに涙ぐむのだった。「だれか、叔父上に代わって仕事を引き受けてくれる人はいないのですか? ぼくにだって、できることがあるはずです! 叔父上、ぼくにやらせてください! なんでもします!」

「ありがとう、マルケルス」彼の叔父は弱々しく微笑んだ。「もちろん、近々お前にも仕事を託すつもりだ。だがお前こそ気をつけるように。外では、病が猛威を振るっているからな」

 それは、ティベリウスも帰国してまもなく気づいた。毎年冬には病が流行るが、この年は特に広がりが速いように感じられた。そのうえ重篤になる者が多い。老人や幼子ばかりでなく、若い世代も苦しみ出している。いつもとは違う病であるようだ。

 よくこの状況で継父は帰ってきたものだが、すでに病気に冒されたならば、首都の優秀な医者の下で治療するのが最善との判断だったのか。ティベリウスの目には、医者たちの打つ手空しく、病死者の数がいつになく増えていっているように見えた。

 世界各地で戦争が行われた。その参加者が次々帰国した。どこかから病が持ち込まれたのかもしれない。もっとも、交易ならば毎年世界じゅうと行っているのだが。

 このように、帰国を果たしたアウグストゥスを心配しながら、年は明けた(前二十三年)。一月一日、元老院会議に、アウグストゥスはなんとか体を押して出席した。十一度目の執政官に就任し、その同僚をテレンティウス・ヴァッロとした。

 それからわずか半月足らずだった。病が執政官を襲い、その命を永遠に奪い去った。

 ヴァッロはまだ三十六歳だった。






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