第四章 -5
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《日付は四月二十六日》
親愛なるティベリウス・ネロ
どうにかこうにか輸送船ができたので、ぼくらはようやくアラビアへ出航するよ。風向きが良ければ、明日。
ぼくの祖父さんたちがそろそろ帰ってくるころだ。生きて復路についたなら。すれ違うかもしれないな、紅海の真ん中らへんで。でもまさかぼくがローマ軍に参加しているだなんて、知りようもない。
君とマルケルスが開いた競技会の話が、こんな東の片隅にも届いた。戦車競走だって? 君好みで良いなぁ。元気ならよかったよ。
君と同じ日に成人式を挙げてから、もう二年になったね。
あの時の君の顔が恋しいよ。来年にはまた見に行くからね。
このタラゴーナで、ティベリウスは思いがけない仕事をアウグストゥスから任された。カッパドキア王アルケラオスが、領民に告訴されたというので、彼を弁護するようにとのことだった。カッパドキアは遠くアジアにあるローマの同盟国だ。王はアントニウスの友人だったが、アクティウムの海戦の後、アウグストゥスに許されて王位を保持していた。
なぜティベリウスに弁護の仕事がまわってきたかと言えば、アルケラオス王本人の指名であるそうだった。確かにネロ家は、属州アジアにクリエンテスがいる。そのだれかが、王にティベリウスを紹介したのだろう。カッパドキアと属州アジアは、色々な小国を挟みつつも、ほぼ隣接している。
弁護の仕事とは、軍団副官としての任務と同じように、若者の立身出世の道である。その名手となれば、あの比類なきキケロのように新人議員、執政官、そしてローマ史に永遠に名を残す大人物にまで登りつめ得る。
マルケルスより先に弁護の仕事がまわってくるとは思わなかったが、良い機会だとティベリウスは考えた。将来弁論家として名を上げるかはさておき、公の場で演説する機会とは、いずれ必ずやってくるのだ。その意味で、マルケルスはすでに先ごろ競技会後の戦士たちを前にして、心のこもった演説を成し得ていた。
ティベリウスは九歳の頃、実父の葬儀に臨んで、中央広場の演壇に立ったことがあった。しかしあの時の原稿は、メッサラ・コルヴィヌスが入念に書き上げてくれたものだ。あれから八年、彼を師として学び続けてきた成果を見せるべき時だ。
ところで、裁決を下すのは、ほかでもないアウグストゥスだ。
「ちゃんと私を納得させてみせるんだぞ。お前相手とはいえ、私は公平な判断を期すからな」
継父もまた、軍務以外でのティベリウスの学びの段階を見たがっていた。喜んで受けて立つという思いで、ティベリウスは仕事に取りかかった。まずは事実確認からだ。
ところが陳情書を読み、当事者たちから言い分を聞き、ほか諸々の文書資料に目を通しているうち、ティベリウスはやがてふつふつと複雑な思いが湧いて出るのを感じた。
「顔に出ているぞ、ティベリウス」ピソがにやりと指摘した。
「結局はカエサルがあの王をどうしたいかだろう」とグネウスは鼻を鳴らした。
「私もしっかりしなければ……」ユバはすっかり身を縮こまらせていた。ティベリウスとアルケラオスの口論が聞こえていたらしい。
裁判の結果、アルケラオスは王位を保つことができた。原告の国民とは、話し合いの末に和解した。
判決後、ティベリウスはアウグストゥスに呼び出され、評価を聞くことになった。継父の私室で二人だけになった。
「お前の論述は優れていた」継父はまずそれを認めた。「事前によく調べてもいた。結論も結末も、見事に収まった。私としては助かったし、満足している」
満足しているが──とアウグストゥスは、苦笑せずにはいられない様子だった。
「お前は嘘がつけない男だ。顔にも言葉の端々にも、本心がくっきり表れる。私は途中、アルケラオスがなんだか気の毒になってきたぞ。弁護人とその依頼人であるのに、まるで告訴人とその被告にも見えた。お前の気持ちはわかる。もっともだと思う。だがもう少し言い方に気をつけたほうがいい。あまりにもっともな言葉で相手を痛めつけてやるな」
むっつりとした顔で、ティベリウスはなんとかうなずいた。
事前調査をするうち、アルケラオスが住民に訴えられるのももっともだと、ティベリウスは思わざるを得なかったのだ。だが王が悪事を働いたわけではない。国民から集めた富を、湯水のごとく浪費したわけでもない。怠慢だ。ただどこかの島に築いた宮殿にこもり、なにもしないでいただけだ。他国民とのいざこざも自国民同士のいざこざも、自分に実害がないと思えば無視し続けてきたのだ。やる気があるのかと思われても仕方がなかった。
アルケラオスは決して無能な人ではなかった。自らの力で王位を、実力主義の東方世界と覇者ローマとの狭間で守り抜いてきた男だ。能力があるからこそ、アントニウスに気に入られ、アウグストゥスにも認められたのだ。
だからこそティベリウスは苛立ったのだ。実力があり、三十代半ばの男盛りであり、まして病気でもないのに、王の責務を上手いこと放棄していた。これはカッパドキア国民、そしてローマ市民への裏切りだ。それにこの王がうかうかしていては、アジアはたちまちパルティアやアルメニアに侵略される恐れがあるのだ。
ただ、アルケラオスが統治の姿勢を改めるならば、王位を奪うほどの事態ではないと思った。怠慢以外、彼はまともに見えた。
ティベリウスの弁論は、このような思いがありありとにじむものとなった。結果はこれで良かった。ただ、継父に言わせれば、ティベリウスの口調は厳しすぎた。昔から言われていたことだ。かつての家庭教師からは「君はいばらで滅多打ちにするような言葉を使う」と注意されていた。
「事実よりもその場の同情で票を決める人間は多い。世の中のほとんど全員と言っていい」継父もまたそのように続けるのだった。「だからティベリウス、どんな正義であれ、あまりやりすぎると有罪が無罪に、無罪が有罪になってしまうことが起こり得るんだぞ。逃げ道を作ってやれ。優しく、寛大に」
そういう継父とは、演説がわかりにくいだのさっぱり要領を得ないだのと、元老院でたびたび野次を受けている人だった。あの人たちのなんと無礼なことかと、傍聴しながらティベリウスは、片っ端から水をかけたくなるほど腹を立てたものだ。寛大にするとつけ上がる。組みしやすしと侮る。そういう人間だって大勢いる──。
こうして弁論家としての初仕事は、釈然としない感をティベリウスの腹に残して終わった。初陣の終わりと違い、人が死んでいないだけまだ良いことなのだろう。
継父の教えがもっともなのはわかるが、自分が間違った主張をしたとは思っていないし、真実より感情を重視する人々の移り気こそ問題ではないか──そう考えてしまうのだ。
──だから君は傲慢って言われるんだよ。
そんなだれかの声が聞こえた気がした。
「きっと君は、人々に強く期待しているんだと思う」
あとになって、メッサラにはそう評された。
(二作目『ピュートドリスとティベリウス』で、この時のブーメランが突き刺さることに。それはアルケラオス王に嫌われますって)