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世界の果てで、永遠の友に ~古代ローマ・ティベリウスの物語、第三弾~  作者: 東道安利
第四章 アラビアのルキリウス
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第四章 アラビアのルキリウス -1

第四章 アラビアのルキリウス



 1



 年が明けて二月になった。堅固に築いた堡塁内で、ティベリウスは冬を過ごしていた。春分まであとひと月余りだ。温暖なカンタブリアの冬とはいえ、夜の冷え込みは厳しい。それでも長い闇が少しずつ短くなっていく実感を覚えはじめたところだった。

 寝台を使うことはやめていた。テント内にぎっしりと厚く寝具を敷いて、ティベリウスは横たわっていた。まだ夜明け前、ふと目を覚ましてしまったのは、馬のいななきが聞こえたためだった。昼間の興奮が醒めないのか、腹を空かせているのか、とにかく眠れない馬がいるらしい。

 それともドルーススに蹴飛ばされたせいだろうか。剥き出しの足を兄の顎に当て、ドルーススはぐっすり眠っていた。家にいるときと変わらない寝相だ。もうすぐ十三歳になるのだから、寝ているときくらいもう少し大人しくしてほしいものだ。

 弟の体勢を大幅に直し、毛布の中にかき寄せる。寒いに違いないと思っていたのに、ドルーススの体はぽかぽかだった。ティベリウスも寒さに強く、体は常にあたたかいほうではあるのだが、思わずぬくぬくと抱きしめて離したくなくなる誘惑だ。それではまず重かろうからと、ティベリウスは苦心して弟と適切な間隔を置いた。ほどなく顎へ、今度は拳が突き上げられた。毛布も蹴り飛ばされた。

 常に暑がる者もいれば、季節に適って寒がる者もいる。反対隣りでは、マルケルスがほとんどティベリウスにぴたりとくっついて、暖を取っていた。自分の足指を、ティベリウスのふくらはぎにいつでも当てていたがった。

 その向こう側では、コルネリウス・レントゥルスがこの世になにも悩みなどないと言わんばかりの寝顔で仰向けになり、少しばかりいびきをかいていた。ドルーススの向こう側では、ユルス・アントニウスが苛々とうなりながら、邪魔な足を蹴り返すところだった。

 ユルスとレントゥルスが到着したのは、ほんの三日前だった。それぞれマルケルスとティベリウスの後任の軍団副官として赴任したのだ。

「やっほーっ! ぼくの可愛いティベリウス! レントゥルスお兄さんが交代に来たよ~~!」

 手を振り振り、堡塁の南口から現れたということは、タラゴーナから山道を進んできたということなのだろう。さほど積雪はないにしろ、なかなかに強引な旅だった。

「早かったな、こんなところへまで」

 それでティベリウスは驚いたのだったが、両腕を広げて真ん前まで来たレントゥルスもまた、あ然と固まったのだった。彼はティベリウスではなく、その傍らのルキウス・ピソへ言った。

「なんでこんなにまたたくましくなってるの! もう大きくならなくていいって言ったのに!」

 まるでピソのせいだと言わんばかりだった。

「あきらめろ、レントゥルス」ピソは厳粛なふざけ顔で言った。「これがぼくらの可愛いティベリウスだ。辛いだろうが、よく見ろ。顔にだけはまだ面影がある」

「ああっ、ティベリウスっ……とにかく無事でよかった!」

 なんとか気を取り直し、レントゥルスはティベリウスを抱きしめた。ティベリウスがにやりと笑い、とうとう身長を追い抜いたようだと指摘すると、彼は背伸びをし、金槌で殴るような接吻を降らせてきた。

 ユルスのほうは、マルケルスに母と妹たちからの山のような贈り物を引き渡した後、ドルーススによって歓迎の組打ち(レスリング)を仕掛けられていた。マルケルスには対抗心を露わにするドルーススだが、ユルスのことは割合好んでいるのだった。次男同士、なにか通じ合うものがあるのかもしれない。

「こっちは疲れているんだぞ! ひどい道をどれだけ歩いてきたと思ってる!」

 と、ユルスは文句たらたらだったが。

 泥まみれになった気の毒なユルスは、レントゥルスとともに陣営内の入浴設備に案内されていった。熱い風呂で体を癒した後、夕方からは後任の歓迎会が催された。ティベリウスとマルケルスは、これで晴れて軍団副官としての任務を終えた。

 とはいえ、二人が帰国の途に着くのは、春を迎えてからだった。後任への引継ぎもあるし、アウグストゥスからは手紙で、カンタブリアでの最後の任務を言い渡されていた。

 帰国する前に、二人の連名で、軍団兵をねぎらう競技会を開催するように、と。

 相談の末、ティベリウスとマルケルスは、戦車競走を種目に選んだ。二人とも捕虜を使っての剣闘士試合など考えたくもなかった。戦車競走ならば、内輪だけで腕を競える。軍団兵自身が出場者となって楽しめるし、身内の応援もできる。怪我の危険もあるにはあるが、命のやり取りをせず、節度ある熱狂になるだろう。

 各軍団内で予選を行い、代表を決める。決勝は五個軍団から五組と、退役兵から二組、補助軍からも三組の、計十組で競う。無論、贅沢な賞品が用意される。

 そのような告知を出したので、ここのところ軍団兵も補助兵も、うきうきと準備に余念がなかった。馬を選んで訓練したり、こだわりの戦車をこしらえたり。本番は来月であるのだから、気の早いことではあるが、一日おきに陣営内の大通りを通行止めにして、戦車に試し乗りしているのだった。

 道路敷設や水道工事等、ローマ軍は冬営期でも決して手持無沙汰ではない。しかしせっかく戦を終えたのだから、息抜きが必要だった。辺境の山岳民が相手だったゆえに、戦利品はさしてないのだが、アウグストゥスは報償も奮発するとした。彼らを凱旋式という形で迎えないのだから、なおさらだった。

 アウグストゥスはまだタラゴーナに滞在しているが、すでに首都へはカンタブリアでの戦果を報告していた。元老院は凱旋式の挙行を許可したそうだが、アウグストゥスはこれを辞退したという。

 その意図はどうあれ、アウグストゥスはだからこそ兵たちには別の祝いと息抜きの場を用意すべきと考えた。そして彼の大切な甥マルケルスを、改めて兵たちに印象づける場も必要だった。無事立派に初陣を飾ったのだ。凱旋式の代わりの晴れ舞台だ。

 マルケルスが凱旋将軍として首都を行進する姿は、いずれ遠くない将来に見られる。アウグストゥスもローマ市民もそう考えたに違いない。

 ティベリウスはマルケルスの補佐として動いた。一方マルケルスも、戦争が終わってからは表情がとても明るくなった。寒い冬ではあるが、体調も良さそうで、軍団兵たちを日々ねぎらいながら、自身も競技会を楽しみにしていた。

 この夜は、初めて自分で四頭立て戦車を御してみたあとの休息だった。ティベリウスと競い、ピソとグネウスと競い、ユルスとレントゥルスにも試させ、ぼくにもやらせろとせがむドルーススを全員でなだめて過ごした。ほとんど首都ローマにいる時と変わらない、友人たちとの屈託なくにぎやかなひとときだった。

 ところがこの夜、静穏はとたんに破られたのだった。馬のいななきばかりでなく、その足音までが慌ただしくなった。まもなく急を知らせる使いが、軍団副官のテントに届いた。総司令部に集まるようにとのことだった。勤務三日目にして、ユルスとレントゥルスは叩き起こされた。

「私も行っていいよな?」

 ティベリウスはすでに身支度を済ませていた。迷ったが、マルケルスも起こすことにした。寝かせたままでは、後で不安がるに違いない。一方ドルーススのことは奴隷に任せた。

「アストゥレス族がすぐそこまで迫っているとのことだ。我らの冬営地三ヶ所を、同時に襲撃する目論見だ」

 若者らが白い息を吐きながら司令部のテントをくぐるや否や、アンティスティウスが短く説明した。ティトゥス・カリシウスからの急報で、彼は第六軍団を率い、ここよりも西で冬営していたところだった。

 ここには第二軍団と、退役兵ばかりの第九軍団が詰め、またすぐ北にはアグリッパが率いる第二十軍団の艦隊が停泊していた。ほかには南に第四、第十軍団がいる。

 カンタブリ族よりも狡猾とされるアストゥレス族は、大規模な奇襲作戦を密かに展開していた。軍団基地を一斉に攻撃し、大混乱に陥れようというのだ。ローマ側は二個軍団を移動させて戦力が減ったうえ、今は冬季で油断しているとの見立てに依った。それが計画どおりに実行されたとて思惑どおりになったかはさておき、カリシウスの下に警告する者が現れた。アストゥレス族側から寝返った者らしいが、ローマ側が働きかけた密偵であったのかもしれない。いずれ確かな情報とのことだ。

 各所に急報を走らせた後、カリシウスはすでにアストゥレス族へ打って出たという。アグリッパも艦隊を西へ動かし、海上封鎖に取りかかるはずだ。

 第四、第十軍団も、彼らを狙う敵の先手を取るだろう。片づき次第、カリシウスの第六軍団を追うだろう。ここ第二軍団もそうするところだ。まだ二月で、思ったより早く戦端が開かれてしまったが、相手から仕掛けられたのではやむを得ない。アストゥレス族がヒスパニア制覇の最後に立ちはだかるというのなら、望むところだ。

 せっかく戦争が終わったと思ったのに──と嘆く間もなく支度が進められた。眠っていたところを起こされたうえのこの事態に、マルケルスはとても悲しそうだった。君はここで待機していてかまわないのだぞ、もう任務は終わったのだからとティベリウスは言った。言いながら自分は、たちまちにして武装し、騎乗していた。

 後任のレントゥルスは二度目の軍団副官であるが、ユルスは初めてである。しかも着任して四日目の朝を待たずにこのようになったのだから、戸惑わないほうがおかしい。まだ仕事も覚えていない。ティベリウスは彼らに同行しながら、まさに戦場で引継ぎを行うことにした。ピソとグネウスも、退役兵らにもうひと頑張りを願って、堡塁の外へ連れ出した。

 戦役二年目の始まりだ。






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