第三章 -12
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八月中旬、ローマ軍はカンタブリア西のメドゥルス山を包囲した。最後の抵抗勢力がその地に固まっていた。包囲網の西方を担当していた第五、第六軍団と合流し、ローマ軍はこの年の戦役の総仕上げに取りかかった。
しかしカンタブリ族は決してあきらめていなかった。追い立てられながらも選んで立てこもった場所だった。彼らの山を存分に生かし、苛烈な反撃でもって、ローマに屈することを拒否した。
ひと月が経過した。メドゥルス山以外の場所では、すでに戦の後始末が始まっていた。
戦をしている最中以上に、戦後処理とは酷なことがあると、ティベリウスは考えるようになっていた。アクティウムのときもそうだった。取り返しのつかない味方の犠牲に直面する。そのうえで、さらに悲惨な状態にある敗者をどう処遇するか決めなければならない。暴力を振るうだけ振るってあとはくつろいでいられるならば楽だ。目を背けていることもできなくはない。しかし後始末をしないままでは、それこそただの暴力だ。いずれ手酷くやり返されるのだ。いったん起こった戦を無駄にせず、今後復讐と暴力の連鎖を生まないために、正しい処置を講じなければならない。
むしろこの後処理をするために、ローマはカンタブリ族と戦争をしたのではなかったか。イベリア半島全土を平和にし、ローマ人もヒスパニア人もその恩恵を長く享受できるよう、血を流し合ったのではなかったか。正当化は決してできない暴力の、それこそが大義名分だ。生き残った人々には、必ずや過去を越える繁栄をもたらさねばならない。
けれどもそれはローマ側の大義であって、カンタブリ族の願望ではない。彼らはそもそもまだ敗北してもいない。
カンタブリ族の不屈には、ローマ軍も音を上げたくなるほどだった。彼らこそ無駄な戦いをしなかった。永遠に終わらないような待ち伏せ作戦に始まり、時に応じ場所に応じ、小規模な戦いをくり返した。ヴェリカでは最高司令官の不在を侮ったために結集し、結果敗走したが、それでも壊滅的痛手を被るずっと前に退いたのだ。その後は山岳地帯のあちこちへ散り、断固たる抵抗を続けた。ローマもそれを見越して先回りし、包囲網を形成したのだが、疲労と兵糧不足、それに流行り病まで重なり、あわや衰弱して果てるところだった。
カンタブリ族の抵抗は老若男女を問わなかった。燃える柱に熱した石、毒塗りの矢、そして見張り台まで下に落とし、ついに自ら根城に火を放ったヴィンディウス山での戦いぶりも壮絶だったが、アラケルムの町ではさらに恐るべき執念を見せた。女人までが武器を手に立ち向かい、「あれほど勇猛な女は、ガリアでもゲルマニアでも見たことがない」とベテラン兵を戦慄せしめた。多くが捕虜になるよりも死を選んだ。陥落後、ティベリウスは沿岸へ向かったので、直接その光景を見たわけではないが、母親は我が子を殺し、少年もまた捕虜になった家族を皆殺しにしたという。それより前、ローマ軍は見せしめに捕虜の男らを磔にしたのだが、彼らは痛めつけられて瀕死になって、それでもなお陽気に大声で歌い続けたという。あれは彼らの勝利の歌だと、ローマの補助兵たちが教えた。もはや常軌を逸していると、ローマ兵らはぞっとした。そして彼らが野蛮であるからそんな振る舞いができるのだと、自らを納得させんとした。
今、メドゥルス山包囲網の内側でも、同じことが起ころうとしている気配だった。
戦士の磔刑の例はあるが、基本的にローマ軍は敵側の市民を虐殺することない。たとえ武器を取って反抗したとしても、降服したならば、命までは取らない。捕虜として許すか、賠償金を課すか、奴隷として売る。最後の選択肢は非情ではあるが、処刑するよりはましであるはずだ。それにローマも、奴隷という人材は常に必要としている。
まして今は、海路ガリアから補給もたっぷり届いていた。したがってよほど凶悪でないかぎり、投降した敵を殺す理由はない。
しかしメドゥルス山にこもるカンタブリ族は、ひと月が過ぎてなお降服しなかった。いくら夏の勝手知ったる山であれ、もう食糧が尽きているはずだ。包囲網脱出の試みもなされたが、ほとんどローマ軍に撃退された。かろうじて逃げのびた者は、さらに西のアストゥレス族に支援を求めたようだが、そのアストゥレス族とて、今や陸と海に七個軍団が勢ぞろいしているローマ軍に挑んではこないだろう。
もはや時間の問題だった。
「叔父上の誕生日には、良い報告ができないかな……」
マルケルスがつぶやいていた。彼もまた遠目にでもメドゥルス山を眺めながら、そこで起こっている悲惨に心を痛めている様子だった。
「カエサルはすでに、君の立派な初陣を伝え聞いて喜んでおられると思うよ」テレンティウス・ヴァッロが微笑んで言った。「少しばかり遅くなるかもしれないが、勝利の報告はもうじきだ」
九月二十三日、カエサル・アウグストゥス三十七歳の誕生日、ローマ各軍団はそれぞれ祝いの犠牲獣を捧げた。「最高司令官、万歳!」との歓呼は、戦に勝利した将軍へ兵たちが送るものであるが、この日ばかりは特別に先取りされた。
ローマ軍の特別な高揚を、カンタブリ族は見て取っただろうか。この場におらず、戦が始まって早々に引き返してしまった最高司令官などなぜ讃えるのかと、軽蔑しているのだろうか。いずれ彼らはなおも降伏しなかった。
山は、十月を目前に動いた。もはや餓死寸前に追い込まれたカンタブリ族は、日没とともに、メドゥルス山の全方向から一斉に下りてきた。ローマ軍もまた全方向から迎え撃った。
「臆病者の、ローマ人!」
第二軍団が張る網の前で、黒装束の大柄な男が叫んでいた。黄金の冠らしきものを戴いていた。
おそらくあえて、この男は第二軍団の本営そばへ下りてきたのだ。
「強欲! 侵略者! 我らの自由の敵!」
つたないラテン語で、彼は怒鳴った。巨大な槍を振りかざす姿は、荒々しくもさすがにやつれて見えた。首領でありながら、仲間たちと一緒に飢餓を耐え忍んできたのだろう。
カンタブリ族の指導者コロコッタ。ローマ補助兵たちが口々に声を上げる。彼らにとっても地元の英雄であることに変わりはない。
コロコッタはササモンまでの待ち伏せ作戦を指揮し、ヴェリカでも大勢の仲間をまとめ上げた。アラケルム蜂起も彼の手腕に依ったとのことだ。
彼だけが指導者だったわけではない。だがばらばらの山賊団も同然だったカンタブリ族を、このコロコッタがローマへの最後の抵抗勢力にした。
ティベリウスはようやく敵総大将を目にすることになった。
「一騎打ち!」
残るわずかな側近を背に、コロコッタはなおも怒鳴っていた。
「カエサル、どこだ! いないのだろう、腰抜けが!」
ティベリウスは、背後でマルケルスが震える気配を感じた。
「出てこい!」それが見えているかのように、コロコッタは主張した。「カエサルの息子! 後継ぎ! この俺の武具を取ってみろ! 代わりもいないのか、臆病者が! 恥知らずが!」
震えながら、まるで背中を押しやられたかのように一歩、マルケルスが前に出る。ティベリウスはそれを腕で制する。
コロコッタは知っているのだろうか。マルケルスの先祖「ローマの剣」とは、敵将と一騎打ちをし、勝利の証である敵の武具をユピテル神殿に納めた、現時点で最後のローマ人だ。
加えてマルケルスは、これ以上叔父アウグストゥスへの侮辱も許しておけないのだろう。彼の甥として。後継者として。
コロコッタは二人の動きに気づいたようだ。
「お前か!」
と、穂先を突き出してきたからだ。マルケルスとティベリウス、どちらを指していたのかはわからない。ティベリウスはコロコッタをまともに見つめた。黄金の冠以外、大きな人型の影に見えた。
「ティベリウス!」
腕と肩に、マルケルスがしがみつく。
「行かないで!」
思いがけない言葉だったが、ティベリウスはそれで気づいた。マルケルスへ振り返った。
そうだ。余計なことを思い出させた。
もしもここでティベリウスが決闘に応じたらどうなる。マルケルスの気負いを軽くしたいと願い、一騎打ちを待ち望むドルーススをたびたび制してきた、そんな男が躍り出るとは、あまりに信がない。
それに約束した。破れば、今度こそ死ぬほど殴られて絶交されるのだろう。あるいは心臓を一突きにしてくるかもしれない。
無論、軍団副官としても勝手な行動を取ってはならなかった。
「大丈夫だ、マルケルス」ティベリウスは請け合った。「私はどこへも行かない」
第二軍団の百人隊長らが、雄叫びを上げてコロコッタに飛びかかった。矢を放ち、槍も投げた。
コロコッタは罵りながら、側近らと奮戦した。ティベリウスはマルケルスを背に下がり、戦闘に加わらなかった。
驚いたことにコロコッタは、側近らを犠牲にしながら、夜闇に紛れて包囲網をかいくぐったようだ。夜が明けてどこにも、彼の亡骸がなかったのだ。
だがカンタブリ族はすべての幸運を彼にかけるしかなかった。包囲網を突破できた者はほとんどいなかった。難所ではあったが、このひと月半のあいだに揃えた攻城機器を掛け、ローマ軍は一気に山肌を上った。頂上で、カンタブリ族の多くが自害した。我が首を剣刃で裂き、あるいはそれまで矢尻に塗っていた毒を舐めたのだった。
この惨状を眼前にして、ティベリウスとマルケルスは初陣を終えた。わずかな捕虜だけを連行して、メドゥルス山を下った。
後味の悪くない戦というものがあるのだろうかとティベリウスは思うのだが、せめて双方の流した血を無駄にしてはならないと、肝に銘じるしかない。
カンタブリ族との戦は、こうして終わった。そしてこの時にこそ、ローマとヒスパニア間の長い戦争に終止符が打たれた──そうであればいいのだがと、ティベリウスばかりでなくすべてのローマ人が願ったに違いない。
ローマによるヒスパニア制覇、そして西方制覇の完成。
しかしながら、そうすんなりと事は終わらなかった。
ルキリウスがアレクサンドリアの剣闘士試合で敗北した。その知らせを、ティベリウスは第二軍団の冬営地で受け取った。十月の下旬、戦いは終わったが、軍団副官としての仕事はまだ残っていた。この年が終わり、翌年に後任の者が着き次第交代となるのだ。各所での戦後処理が進む傍ら、軍団兵たちの身の振り方の手配に忙しくしていたところだった。目立った活躍をした者には褒美を与える。退役する者には土地や現金を用意する。これらは司令官や各軍団長の仕事であるが、副官は現場で彼らの補佐を務めなければならない。
テントで手紙を書き殴ってから、ティベリウスはこの日の仕事に出かけた。
外では今こそと、カエサル・アウグストゥスの本当の出番が始まっていた。戦は不得手であるが、統治者としては史上比類ない。そうでなければ今覇者ローマの第一人者ではないし、世界の大部分も平穏ではない。
降伏したカンタブリ族の多くが、奴隷として売られた。ローマに人質を差し出すことで、これまでの暮らしの継続を認められた一族もいた。無論のことその人質たちは、ユバやクレオパトラの子どもたちのように、首都で手厚い教育を受け、ゆくゆくはローマの同盟者になるように育てられるのだ。
逃亡したコロコッタには、多額の賞金をかけられた。アストゥレス族の土地へ向かったとの情報が有力だが、山々に一人身を隠しているかぎり、見つけ出すのは困難だろう。
アウグストゥスはガリアを五属州に分けたのと同様に、ヒスパニアを再編した。以前は南部のみをヒスパニア・ウテリオルとキテリオルとして東西に分けていたのだが、今イベリア半島全体をローマの属州とした。
第一がヒスパニア・タラコネンシスで、ピレネー山脈以南、半島の東から北の全域を含む。州都は当然タラゴーナとなり、ガリアにおけるリヨンと同様、ヒスパニア全体の中心となる。カンタブリ族とアストゥレス族の土地も、この属州に編入される。第二が、ヒスパニア・ルシタニアで、大洋オケアノスに面する半島西部となる。州都は、来年退役兵を入植させて整備する予定で、名をアウグスタ・メリダとする。第三の、ローマ化して久しい、最も繁栄している半島南部一帯は、ヒスパニア・バエティカとされ、州都をコルドバに置く。
三属州のうち、バエティカだけが元老院属州となり、ほか二属州はアウグストゥスが統治を担う。やはりガリアと同様、アウグストゥスは、裕福で安全な属州を元老院に任せ、自身は統治困難で経済力の劣る地方を選んだ。今後はローマ軍団とその退役兵が、二属州内に留まり、安全を担う。御し難い部族、険しく複雑な大地、内陸のとりわけ極端な気候──これらから人々を守り、これらとともに繁栄していく。今この年から、ローマがこの世界最果ての地に、ローマによる平和を打ち立てるのだ。
そのための現場での営み、ないし闘いは、メドゥルス山が陥落したその日からすでに始まっていた。新しいヒスパニアが一日一日を歩んでいく。けれどもそれは、決して現地民の文化・慣習をないがしろにしたり、撲滅したりして続いていくものではない。これまでの歴史の存在を記憶したうえで、共に進む。
十一月、冬営期でありながら、ローマ軍団は少しばかり慌ただしくなった。戦争終結後、しばしの休息を取った後、第五軍団と第九軍団が移動を始めた。ヒスパニアでなにかが起こったのではない。北イタリアで、アルプスの山岳民族の動きが不穏だというのだ。アグリッパが連れてきた艦隊の半分を使い、冬の海を十分に警戒しながら、ヴァッロは第五軍団をガリア・アクィターニアに渡した。ヴィニキウスは陸路をタラゴーナへまた戻り、アウグストゥスの顔を見てから、第九軍団をアルプスへ移すとのことだった。ルキウス・ピソも同行するかと思われたが、例によって彼は軍団長代理として、少なくはない予定退役兵とともに、冬営地に残された。年明け次第、半島を南下し、入植地メリダへ連れていくようにとのことだった。第九軍団どころか、ついでとばかりに第五軍団の退役兵も託された。
「君たちと一緒にいられるのはうれしいんだけどな」ティベリウスとマルケルスを前に、ピソは苦笑していたが、いく分ぴきぴきとこめかみを引きつらせていた。「ヴィニキウス将軍めが、カエサルとの賽の目遊びでぼろ負けしてくださいますように」
グネウスのほうのピソは、苛々とため息をついただけで、黙々と任務を続けた。彼も弟がドルーススと従軍しているがために居残りだ。この移動のために、兵たちへのねぎらいの手配がいっそう急がれたのだ。しかしアルプスが危険だというのなら致し方ない。
マルケルスは、内心ヴィニキウスと一緒にタラゴーナへ戻り、叔父に早く会いたかったに違いない。しかし軍団副官の仕事はまだ終わっていないし、実のところは、カンタブリ族を一応のこと打倒したとはいえ、まだサラゴサに至るまでの山間の道は、アウグストゥスの甥を同行させて絶対に大丈夫と見なせるほど、安心安全ではなかったのだ。さみしげな顔を健気に引き締め、叔父と家族への手紙を託し、マルケルスはヴィニキウスを見送った。
こうしてカンタブリア地方では、四個軍団とその退役兵、それにアグリッパの連れる海の一個軍団が越冬することになった。
十二月、ティベリウスはルキリウスからの手紙を受け取った。少なくとも生きていて、直筆で文字を綴れるらしく、昨年と同じように、遅ればせながらティベリウスの誕生日を祝う言葉が添えられていた。
そして昨年と同じように、聞き捨てならない話も書かれていた。
日付は、もちろんとばかりに、十一月十六日。
親愛なるティベリウス・ネロ──。