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世界の果てで、永遠の友に ~古代ローマ・ティベリウスの物語、第三弾~  作者: 東道安利
第三章 ヒスパニアのティベリウス
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第三章 -4



 4



「こんにちは、お兄ちゃん」

 ルキリウスが顔を上げると、格子窓に小さな膝小僧が二つ見えた。

 ルキリウスは手元に視線を戻した。祖父からの手紙があり、ようやく船が完成したのでいよいよミュオス・ホルモスから出発すると書いてあった。これで永遠の別れだろうか。

「こんにちは! こんにちはったら、お兄ちゃん!」

 手紙をにらんだまま、ルキリウスはうめいた。とうとう子どもにまで冷やかされる日が来たらしかった。じっとしておらず、やたら砂を落としてくるので、ルキリウスは仕方なくもう一度顔を上げた。

 今度は一対の丸い目と、それからやけに色とりどりの石が並んでいるのが見えた。

「お兄ちゃん!」

 ルキリウスと目が合って、子どもはうれしそうだった。

「ぼくはトオリスガリの大占い師だよ」

 その子どもは知らせた。ギリシア語で、通りすがりという言葉の意味はわかっていない調子だった。

「こんなところは通りすがらなくていいよ」ルキリウスもギリシア語で応じた。「それから、ぼくは最近占い師が大嫌いになって──」

「ぼくがお兄ちゃんを占ってあげる!」

 やっぱりその大占い師は宣言した。ルキリウスの言い分を少しも聞く気はないようだ。

「だからお兄ちゃんの誕生日を教えて!」

「いや、結構。ぼくは占ってほしくない」ルキリウスはすでに辛抱強さを心がけて言った。

「え? なんで?」

「坊や、押し売りって知ってる?」

「知らない」

「通りすがりの人に、いらないものを無理矢理買わせようとする人のことなんだけど」

「お金はいらないよ」なんだそんなことかとばかりに、子どもは目を細めた。「タダでいいんだよ。でもお兄ちゃんはお金を持っているんでしょ? つよーい剣闘士だから」

 ルキリウスは顔を思いきりしかめた。「君みたいな小さい子どもが見るようなものじゃないよ。どういう教育してるの、君の親は」

「ぼくの父さんは、ムセイオンで研究してるんだよ」子どもは誇らしげに教えた。「母さんはここの王宮でお仕事しているよ。前はクレオパトラ女王にもお仕えしていたんだよ」

 それが事実ならば、子どもの家柄はなかなかであるらしかったが、教育は放任主義と言うほかない。両親が目を離した隙に、子どもは剣闘士試合を覗き見し、牢獄の住人に話しかけて、やりたい放題だ。

「ぼくの占いは、父さんから学んだんだよ。すっごく当たるよ」

 おまけに運命の押し売りだ。子どもの全貌は見えないが、十歳未満だろうと思われ、占いにしろ天文学にしろ学ぶには早すぎる。父親の真似をして遊びたいだけなのだろう。

「ぼくは今日で七十歳だよ」

「嘘言わないで、お兄ちゃん。次の試合のときの運勢と、もっと先の運命について知りたくないの?」

「知りたくないよ」ルキリウスはむくれ気味に言った。「どうせろくなことを言いやしない。こうすれば幸い、ああすれば不吉とか、余計な気がかりを増やして、かえって試合に集中できなくなる」

「ふふふ、お兄ちゃん、それはお兄ちゃんが占いを信じちゃっている証拠だな」

 いかにもにんまりとした子どもの指摘に、ルキリウスはつい頭にきた。

「あっち行けよ! 誕生日なんて教えないからな!」

「お兄ちゃん、ローマ人でしょ?」子どもは平然と確かめてきた。「あのね、ぼくが生まれて初めて占いをした人も、きっとローマ人なんだ。そのときぼくはまだ小さくてわからなかったけど、あとで父さんが教えてくれた。一緒にいた怖い二人が、ラテン語を話してたからきっとローマ兵で、ぼくが占ってあげたお兄ちゃんは、きらきらした首飾りを下げてた。それはたぶんローマの子どもが持つブッラっていうお守りだろうって、父さんが言ってたんだ」

 眉をしかめて、ルキリウスは格子窓を見つめた。

「ぼくはあの時の星位図をしっかり覚えてる」一対の黒目が輝いていた。「もう一度占えば、あのお兄ちゃんがわかる。今頃どうしているか知りたい! ぼくの占いは当たりそうかなって」

「当たりそうかなって?」

「ぼくはあのお兄ちゃんの、ずっと先の未来まで占ったんだ」

 その言葉で、ルキリウスは胸に鋭い痛みを覚えた気がした。

 ずっと先の未来。

「どうやったかは忘れたけど、占った内容は覚えてる」子どもは自信満々に続けていた。「ぼくはあのお兄ちゃんにまた会いたい」

 ──ああ、畜生。こん畜生! 

 ルキリウスは大きくかぶりを振った。それから乾いた笑い声を上げる。「ぼくがそのお兄ちゃんに見えた?」

「いや、全然」子どもはあっさり否定した。「でも、今頃のあのお兄ちゃんと同じくらいの年に見えるよ。だからお兄ちゃんのことも占ってあげる」

「……いや、なにが『だから』なのかさっぱりわからないんだけど」ルキリウスはほとほと弱り果てる思いで抗議した。「さっきも言ったように、ぼくは占い師が大嫌いなんだ。君があの連中の仲間入りをするのに手を貸すつもりはないよ。天文学はお父さんに任せて、なんかほかの勉強をしたらいいよ。地理学とか」

「いいから」子どもはなにやらカチカチと音を立てた。「そんなこと言わないでいいから」色とりどりの石を紐に通した首飾り。それを外そうとしているらしかった。

「ぼくは良いことしか言わないから」

「それじゃ、なおさら信用できないんだけど」

「信じる信じないはお兄ちゃんの自由だから」

「だからその自由を奪われたくないからやめてくれって頼んでるんだけど。……あ」

 子どもが手を滑らせた。色とりどりの石が飛び散り、格子窓から降ってきた。

 子どもが泣き出した。ルキリウスは思わずあわあわと両手を振りまわした。一つも受け止められなかったが、結局祖父の手紙を退け、寝台をひっくり返すなどして、そこらじゅう探しまわった。結果、六個の石を見つけた。ところが子どもは、もう一つ黄色い石があるはずだから、まだ探せと言い張った。ルキリウスはもう部屋の隅々まで見たと言い返したが、納得してもらえなかった。ますます子どもは大声を上げた。

 ルキリウスは結局牢獄を出た。

「ほら見ろ!」雑草の蔭から黄色い石をつまみ上げ、子どもの鼻先に突き出した。七、八歳くらいに見えた。黒髪を長くして切りそろえているのは、この国のレリーフによく出てくる人物と同じだ。

「ちゃんと探していないのは君のほうだぞ、ドジな坊やめ!」

 すると子どもは、たちまちにんまりと笑った。すでに乾かしたのか、そもそも一滴も流していなかったのか、涙の跡もない頬だ。あ然として口をぱくぱく動かすばかりのルキリウスを尻目に、子どもはベルトに下げていたペンを手に、自分を軸にぐるりと地面に円を描いた。それからそれを器用に十二分割した。

 星位図のつもりらしい。

「お兄ちゃん、誕生日」

 子どもは要求した。断ればまた大声で泣くのは明らかだった。

 ルキリウスにはまったく信じられなかった。

「……君、どっか他所で教育を受けなよ。とんでもない大人になるぞ」

「ローマがいいかな?」子どもは思ったよりも大人びた笑みができた。

「ぼくが怖くないの? 剣闘士だぞ」

「全然。とってもかわいく見える」

「うるさい。君は全然かわいくない……」

 根負けして、ルキリウスは結局誕生日を教えた。ところが、この即席星位図は使われないまま終わった。石をそれぞれ太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星に準えて並べようとしたはいいが、子どもは星位の計算方法をまったくわかっていなかったのだ。太陽の次の石を手にした瞬間、それに気づいたらしかった。

 ルキリウスは呆れて気を失うところだった。

「お兄ちゃん」子どもは少しもめげていなかった。「これからムセイオンに行こ。父さんが使っている本があるから。それに毎年の星の動きが書いてあるから」

「やだよ。ぼくの勉強場所はセラピス神殿の図書館って決まってるんだ。庶民らしく」

「いいから。いいから」

 子どもはルキリウスの手を引いて歩き出した。まるでとうとう処刑台に引かれていく罪人になったように、ルキリウスはわめいた。

「たった二ヶ月前だぞ! そのくらい適当にずらしてみなよ!」

 子どもは名をトラシュルスと言った。ここから東のメンデスという町の出身だそうだ。





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