第二章 -3
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リヨンはローマ人が造った都市だ。ティベリウスが生まれる一年前にできたのから非常に新しい。ローマ人はこの地を全ガリアの中心にせんとして、現在も整備を進めている。ローマ街道は、このリヨンを要に各地へ延ばされているという。
けれども先代カエサルは、ガリア遠征の後、地元部族のすべてを温存した。敵対した部族であっても根絶やしにせず、風俗や慣習、言語、宗教儀式も存続させた。したがって彼らが暮らす主要な町も、多くが残っている。それもそのままではなく、昔を凌ぐ繁栄を見せている。
リ ヨンには年に一度、そのガリアじゅう部族長が集まる。取り仕切るのは、神君カエサルに任された、四大部族の長である。
神君カエサルは彼らから指導者の権威を奪わなかった。権力さえほとんど損なっていない。ローマから属州総督が派遣されるものの、ローマの地方都市がそうであるように、生活の上では地元民の自治に委ねられている。ローマの支配下に入って十七年にもなるが、今もガリア人の生活をまとめ上げているのは各部族長たち、そして彼らを指導する四大部族長である。彼らの多くがローマ市民権を持ち、先ごろ一部喪失したが、元老院議員の議席を持つ者もいた。子息をローマに留学させている長もいて、少しずつ、無理強いをしないやり方で、ガリア土着の文化にローマの文化と技術が入り込み、双方が享受できる繁栄と平和を造り上げている。
ティベリウスは神君カエサルの統治に感服する。ローマは長くアルプスの向こう側の部族から国を防衛するのに頭を悩ませてきた。小競り合いか、それを超える規模の戦が頻発した。神君カエサルはその先の見えなかった争いを終わらせた。あまりの多くの血が流れたことは事実だろう。しかし今は、ローマとガリアが手を取り合う時代が訪れている。
反乱もなく、ここまで順調に平穏を保っているのは、神君カエサルの卓越した判断力に依るのだろう。しかし一方で、ガリア人の性質も少なからず寄与しているのだろう。ごく一部であれ、ガリア人は昔からローマやギリシア世界と接点を持ってきた。若き日、神君カエサルがギリシア語を学んだ家庭教師は、ガリア人だったという。同じアルプスの向こう側の民族でも、ゲルマニア人に関してはこういった話を聞かない。深い森の奥に棲む不気味な蛮族のままだ。そういった性質を見抜いていた神君カエサルは、やはり途方もなく冷徹な指導者だ。
リヨンへの船上、ティベリウスは『ガリア戦記』を常に傍らに置いていた。東のアルプス山脈、西のケヴェンナ山脈、さらに果てなく見える平原を眺めながら、まだ帰るつもりのないユバと、飽きることもなく読み合わせをした。いよいよかの空前の著作の現地に来ているのだ。ドルーススはヴォレヌスとプッロの活躍の舞台はどこだと騒いでいた。戦記の名場面だ。
母リヴィアと弟ドルースス、それにもちろんマルケルスが同行していた。オクタヴィアたちは、ガイウス・アンティスティウスに護衛されて、アルルで待っている。しかし妹のアントニアだけは、なぜか今ドルーススと「ヴォレヌスとプッロごっこ」をして甲板を走りまわっている。苦笑する継父によれば、いつの間にか積荷と一緒に乗り込んでいたそうだ。わんぱく娘で、たぶん自分を男だと思っている、とオクタヴィアからの嘆きの手紙が届けられた。
アウグストゥスは先代のガリア統治を引き継ぐ考えでいた。
リヨンの街は、ローヌ川の両岸に広がっていた。街のほうがずっと後にできたのに、川のほうがその上をぐねぐねと這い出したように見える。
新しいだけに、整然として美しい都市だ。とはいえすでにガリアじゅうから人々が集まっている。部族長会議があるためばかりでなく、普段から交易の中心地なのだろう。船着き場ではヒスパニア、シチリア、そしてアフリカからの商人も、積荷の上げ下ろしに忙しくしている。
ティベリウスとマルケルスは、部族長会議の傍聴を許可された。アウグストゥスは、テレンティウス・ヴァッロと、マルクス・ヴィニキウスという元老院議員を従えて議場に入った。すでにヘドゥイ、アルヴェルニ、セクアニ、リンゴネスの四大部族の長と会談を済ませていた。
まずガリアは五つの属州として再編されることになった。第一はガリア・ナルボネンシスで、このときまではガリア・トランサルピーナと呼ばれていた。アルプスの向こう側のガリアという意味だ。つまりはアルプスのローマがある側はキサルピーナと呼ばれ、ほんの十六年前まではガリアであったのだ。いずれもローマ化が著しく進んでいる豊かな土地だ。
第二にガリア・ルグドゥネンシス。このリヨンが州都となり、おおむねソーヌ川、ロアール川、セーヌ川に囲われた一帯となる。
第三にガリア・アクィターニア。ガリアの西部の、ピレネー山脈からロアール川までを占める。
第四にガリア・ベルギカ。ソーヌ川の上流、セーヌ川の東、すなわちガリアの北東部になる。
第五がゲルマニア。ただしライン川の西岸一帯であり、東岸より先はローマ人の支配域ではない。神君カエサルは、ライン川をゲルマニア人に対する防衛線とした。ガリア人とローマ人を守るため、アウグストゥスはこの属州にローマ軍団を配置するという。この場ではその規模を明言しなかったが、事前にアグリッパから訊いたところ、八個軍団で考えているとのことだった。
属州ゲルマニアのみローマ軍の統治下となるが、残りはこれまでどおり部族長による自治が認められる。無論、統治の責任はローマの総督にあり、裁判を行うが、実務の大半は地元民に担われる。ガリアはそこに住む人々のものであり続ける。
こうした決定はおおむね歓迎とともに承認されたが、次の議題は少しもめた。ガリア人への税の問題だ。
属州税として、ローマは収入の一割を民に課している。しかしガリアはまだ経済力が不十分であるとして、全体で四千万セステルティウスを払うと定められていた。支配下に入って間もないので、反乱を防ぐという意図も当然あり、民衆は属州化前よりも負担が軽くなったと考えたはずだ。そうでなければ支配を受容する利点がない。
ところが数年前、アウグストゥスが解放奴隷を派遣して、ガリアの税率を変えようとした。世界のほかの属州と同じ、一割の負担を求めたのだ。ガリアの民衆は一斉に不満顔になった。低い税率のおかげで裕福になっていたので、族長たちも不服を表明した。
属州化以来の不穏な雰囲気を、アウグストゥスは今、直接の交渉で解決せんとした。
まずは前年の人口統計の結果を見せ、この十七年間におけるガリアの繁栄を知らしめた。人口が増え、平和なために農業生産も増え、安全であるために交易も増えた。この格段に向上した経済力であれば、年四千万セステルティウスの属州税では不平等であることを、族長たちは認めざるを得なかった。かつてより裕福で快適になった日々の暮らしにも思いを馳せただろう。アウグストゥスはさらに関税を、通常の五分に引き上げるどころか、一・五分にまで下げると宣言し、ガリア人に一割の属州税を呑ませたのだった。
見守っていたティベリウスとマルケルスは、ほっと息をついた。安堵の吐息であり、感嘆のそれでもあった。生活感に根づいた論拠を示し、ガリア人とローマ人双方を利する結果を出すアウグストゥスもまた、きわめて優れた統治者である。大規模な人口統計は、絶好の切り札となった。
会議中、アウグストゥスをよく助けていたのは、テレンティウス・ヴァッロだった。政策は見事であっても、それを上手く伝えられるかはまた別問題で、アウグストゥスは何度か族長たちに、話がわかりにくいと詰め寄られていた。そんな時ヴァッロは滑らかに、しばしば通訳も介さずに、アウグストゥスの主張を代弁した。明瞭で説得力のある弁論を、言葉を同じくしない人々に対して成功させるのは至難の業だ。もしかするとローマ人側が理解しているよりもわかりやすく、ガリア人に伝え得ていたかもしれない。そのうえガリア人側の主張も、通訳が正しく伝えるが、ヴァッロのほうも求められればアウグストゥスにささやいて、教えたり相談に乗ったりしている様子だった。若いのに、まるでマエケナスの代わりのようだ。実際にその役目を期待され、この遠征へ同行しているのだろう。
これにマルクス・ヴィニキウスという、ずんぐりとした軍事畑であるらしい男が、意外にも機知に富んだ発言を加えて、場をなごませるのだった。ひょうきんに振舞って、族長たちを笑わせるまでしていた。
会議が成功裏に終わると、マルケルスがすかさず二人にお礼を述べにいった。
「いえいえ、アウグストゥスの優れた知性があってこそです」
と控え目に笑顔を返すヴァッロに対し、ヴィニキウスは自身の丸い腹を陽気に叩いた。
「さて、晩飯はガリアじゅうの名物をたらふくいただくぞ」
夕方からは、族長たちとの盛大な宴となった。ガリアの平和と繁栄は今後も長く続きそうだ。これまで流した血を思えば、報いとなるにはまだまだ足りないだろう。豊かさをますます享受すべきだ。それがローマによる平和の一翼を担うのだ。
翌日、アウグストゥスは疲労のために床に伏せっていたが、ティベリウスたちは街の見学に出かけた。高台に上ると、発展を続けるリヨンの街並みが一望できた。ローヌ川とソーヌ川が視野の彼方まで伸び、そして建設途中のローマ街道があちらにもこちらにも見えた。
「全部がアグリッパ街道になるんだよ」
と、王になる前と変わらない気さくさで、ユバが教えてくれた。並んで芝生に腰を下ろし、ティベリウスは目をしばたたいた。
「アグリッパはこちらに来ていないのに?」
「実は以前に来たことがあるんだ。ガリア・アクィターニアでちょっとした暴動沙汰が起こってね。すぐに鎮圧されたらしいけど」
「そうだ、そんなことがあった……」
ティベリウスは思い出した。十年も前だと思うが、アグリッパがガリアに出かけているあいだ、継父がセクストゥス・ポンペイウスの海兵に手酷くやられてしまい、ひどく心配したのだった。
「そのときにね、ガリアの道路整備について計画を練り始めたようなんだけど」
「ユバが忠言をしたのか? どこへどのように道路を敷くべきか」
なぜならユバは、地理学の専門家だからだ。あらゆる学問に秀でて、もう哲学者を名乗れるほどだが、中でも地理にはきわめて詳しかった。その土地の風習と合わせて、いつだって目の色を変えて情報を集めている。
「いいや」ユバは微笑んでかぶりを振った。「あの当時の私では若すぎる。まして行ったことのない土地だよ。でもすばらしい資料があって、アグリッパ殿に紹介した。今日も持ってきているよ。見るかい?」
その資料の写しを、ユバは牛革の鞄から取り出し、ティベリウスに手渡した。
「その当時、ローマに留学していた東方の人の手になるものでね。残念ながら私ときたら知るのが遅くて、当時はお会いする機会がなかったよ。いずれその機会に恵まれるといいんだけどね。私の偉大なる先輩だ」
資料に目を落としたまま、ティベリウスは固まっていた。ユバはそのパピルス紙の端をつついた。
「此度はこの資料に基づいて、私もこの目で現地を見、アグリッパ殿に報告するつもりだ。近々ものすごい速さで、街道が敷設されると思うね」
「ひょっとしてアグリッパはここに来るつもりだろうか?」
それは一国の王の仕事だろうかという疑問は呑み込みつつ、ティベリウスは尋ねていた。
「そうなるとしても来年だろうね」ユバが推測した。「ゲルマニアの軍団兵を呼ぶか、あるいはガリア人の補助兵を募集しがてら、工事を指揮するのかもしれない」
そうなるとしても、いずれ道路工事の監督として来るのであって、戦場の指揮官とはならないのだろう。
アグリッパの指揮下で初陣とならないことを、ティベリウスは残念に思っていた。けれども先の従軍で、将軍としてのかの人を間近で見た。この遠征に出る前も、頻繁に話を聞いて、できるかぎりのことを学んだつもりだ。ティベリウスはアグリッパの弟子だ。上々と認められる働きをしたうえで再会することを望んでいる。
もう守られるばかりの存在ではない。
振り向くとそこでは、ドルーススとアントニアが木登りをしてはしゃいでいた。そこから華麗に飛び下りて、ヴォレヌスとプッロの名場面に突入する算段であるようだ。マルケルスは苦笑して見守っていたが、グネウス・ピソが厳しい声で二人を制止せんとしていた。傍らには彼の弟ルキウスがいた。本当のところはドルーススと一緒に木登りしたいのに、アントニアのおてんばぶりに押しやられているらしかった。
かつて従軍の折、マルケルスにティベリウスがついたように、ドルーススにはルキウスがつくことになっていた。