下着泥棒
(あのカーテンの色……女の一人暮らしだな……)
暗い住宅街で俺はアパートの窓を見ながら思った。
(遮光なら大丈夫だろうと思ってるんだろうけど、隙間から洩れる光が、カーテンの色に反射してピンクになってるんだよな……)
男モノの下着を一緒に干したり、バスタオルで隠す女もいるが、俺たちのようなプロの下着泥棒はすぐ見破る。
だが、今日の標的はその部屋ではない。
俺は別の二階建てのアパートの前で足を止め、辺りに人気がないのを確認し、手すりをスルスルとよじ登り、ベランダに忍び込む。
(狙うなら二階だ。一階より警戒していない女が多いからな……)
ペンライトで夜干しされている下着を照らす。肩から斜め掛けしたバッグにショーツやブラを入れ、素早くその場を退散する。
自宅のアパートに戻った俺は、その夜の戦利品を得意げに眺めた。
(へへへ、今日も大漁だったな……)
40代独身、一人暮らしの男の部屋の壁は、半透明の収納ボックスで埋まっていた。
下調べした女性の名前、推定年齢、洗濯済みか洗濯前のモノか……など細かくラベルが貼られたボックスに丁寧にしまっていく。
◇
「野村さーん、お荷物です」
俺はインターホンのカメラに告げた。
その家は、閑静な住宅街の中にある豪邸だった。俺の本業は配達の仕事だ。制服姿なら住宅街をウロウロしても怪しまれない。日中は下見を兼ねて仕事にいそしんでいた。
しばらくして三十年配の女性が応対に出てくる。けっこう雰囲気のある美人だった。
「ハンコ、ここにいただけますか?」
俺の視線は彼女の胸の谷間に目を引き寄せられ、そのときにもう次のターゲットに決めていた。
まずは下調べをすることにした。女は毎晩、黒塗りのハイヤーに迎えられ、着飾った格好でどこかへ消えていく。
(けっこう遊んでる女なのか……旦那は何も言わないのかな?)
配達がてら近所の住人に聞き込みをしたところ、夫は金貸しをしていて、彼女は後妻らしい。夫は外にも女を作って派手に遊んでるらしい。
(似た者夫婦ってことか……旦那も家に寄りつかないなら都合がいい……)
その夜、俺は豪邸の前にいた。さっと壁を登り、敷地の中に侵入し、庭に回った。夜干しをしている衣類はなかった。
リビングの窓の向こうは真っ暗だった。女はいつものように夜遊びに出かけている。
(家の中から失敬するか……)
ピッキングの準備を始めた俺の手が止まる。窓の鍵が開いていた。俺はそっと窓を開け、暗い室内に足を踏み入れた。
家は高い壁で外からの視線は遮られている。明かりをつけても大丈夫だろう。俺は壁のスイッチを押した。
(なんだこりゃ……)
床にビールの空き缶や弁当の空容器が散乱していた。まるでゴミ屋敷だ。
(あんなに澄ました美人がゴミ屋敷の主かよ……)
見た目と中身のギャップに失望した。
(まあ、いい。下着だけいただいていこう……)
脱衣場に行くと、大きな洗濯カゴの中に衣類が山盛りになっていた。入りきらない服がこぼれて床に落ちている。
(ひでえなこりゃ……)
とはいえ下着泥棒にとって洗濯前の下着はダイヤに等しい価値がある。俺はカゴの中を漁り、ショーツを顔の前で広げた。
(シルクか……やっぱり金持ちは穿いてるもんも違うねえ……)
俺は肩掛けしたバッグにブラやショーツを入れ、脱衣場を出た。リビングに戻ろうとしたとき、廊下で足を止めた。
(?…………)
部屋の中から人の気配がした。とっさに逃げだそうとしたが、どうにも様子がおかしい。俺はそっとドアを開け、ペンライトで中を照らした。
(子供?……)
4歳か5歳ぐらいだろうか。痩せ細った男の子が床にぐったりと横たわっていた。明らかに様子が変だった。
俺は壁のスイッチで明かりをつけ、子供に駆け寄った。膝をつき、小さな身体を抱え起こす。
「おい――大丈夫か、おい?」
唇は干からびて、目はうつろだった。ほとんど何も食べていないかのようにガリガリに痩せている。豪邸の子供と思えないほど衣服は薄汚れていた。
俺は男の子を抱き上げ(びっくりするほど軽かった)、ベッドの上に寝かせた。部屋を出てリビングに行き、キッチンでコップに水を入れて戻ってくる。
「飲めるか?」
男の子はゴクゴクと水を飲み干した。
「……おじさん、誰?」
かすれ声で子供が訊ねてくる。
「俺か? えーと……まあ、ヘルパーみたいなもんだ。お手伝いさん、わかるか? 何かして欲しいことはあるか?」
「……おなか減った」
「ちょっと待ってろ」
俺は部屋を出て、キッチンに戻る。冷蔵庫のドアを開ける。すっからかんの庫内に缶ビールが並んでいた。
(酒しかねえじゃないか!……)
戸棚を漁ると、ようやく米が見つかった。炊飯ジャーを開け、うっ、と顔を背ける。ジャーに残った米に紫色のカビが生えていた。
(くそ、腐ってやがる……)
俺は釜を取り出し、タワシでゴシゴシと洗った。それから米を研ぎ、早炊きにしてスイッチを入れる。
(何やってんだ、俺は……)
自分でも呆れたが、あんなに衰弱した子供を放っておくわけにはいかない。
炊き上がったご飯を器に入れ、パックのカツオを降りかけ、醤油を垂らし、お盆に載せて男の子ところに持っていく。
身体を起こし、スプーンでご飯を口に運んでやる。
「ゆっくり食べろよ。焦って食べなくてもいいんだから……」
よっぽどお腹が減っていたのだろう。やがて自分でスプーンを手にし、貪るように食べはじめた。
(ちくしょう、なんて母親だ……子供にメシも食べさせてないのか……)
母親は夜遊び、父親もおおかた外に愛人でも作り、家に寄りつかないのだろう。
怒りは覚えたが、俺はただの下着泥棒だ。してやれるのはこのくらいだ。俺は子供がご飯を食べ終えるのを見届けると、後ろ髪を引かれるように家を後にした。
◇
ネグレクト(育児放棄)――食事や衣服を与えない、などが代表的な例で、しばし虐待も伴う。最悪の場合は死にも至る、幼児虐待の一種。
俺は自宅でスマホを見ていた。ネグレクトについて解説した記事を見ながら息をつく。
(どうすりゃいいんだ……あのガキ、このままじゃ死んじまうぞ……)
悩んだ末、俺は児童相談所に通報することにした。だが、スマホで電話番号を押す指が止まる。
(だめだ……どうして気づいたのかを訊かれるに決まってる……下着泥棒に入ったら、虐待されている子供を見つけました、なんて言えるか)
あの豪邸は塀も高く、外からは家の中の様子が見えない。だから母親の悪行がバレなかったのだ。
(誰だって思わないよな……あんなの金持ちの家で子供が虐待されてるなんて……)
結局、俺は再び家に忍び込むことにした。
夜、いつものように女が出迎えの車に乗って出かけるのを見計らい、壁を乗り越え、敷地に忍び込む。庭に回り、無施錠の窓から侵入した。
子供部屋に行くと、男の子がベッドの隅でうずくまっていた。
「ヘルパーのおじさん?」
「腹減ってるだろ。メシ、持ってきてやったぞ」
俺は斜め掛けしたバッグから買ってきた弁当を二つ取り出した。床にあぐらをかき、一緒に食べた。
「坊主、名前は?」
「しょうた」
男の子はガツガツとご飯をかき込みながら答える。
「いくつだ?」
「5歳」
「幼稚園は行ってないのか?」
「……行かせてもらえない」
ひどい親だった。5歳の子供を家に閉じ込め、満足に食事や着替えも与えないなんて。
「父ちゃんはどうしたんだ?」
少年は「知らない」と首を振った。一、二週前ぐらいから家に帰ってきていないらしい。どうせ外で女でも作って遊び歩いているのだろう。
「食べたいものはないか?」
「お母さんが作ってくれた唐揚げ」
「あの母ちゃんか?」
少年がううん、と首を振る。
「本当のお母さんじゃない」
少年の実の母親は一年ほど前、病気で亡くなったらしい。あの女がネグレクトをするのは継子だからかもしれない。なおさら少年が不憫だった。
結局、俺はその家に通うようになった。夜になると、水や食料を家に運び入れ、少年だけにわかる場所に隠した。
ある日、宅配便の荷物をその家に届けることになった。呼び鈴を押すと、あの女が応対に出てきた。相変わらず美人だった。
「あの……」
伝票を渡しながら俺は遠慮がちに声を出した。
「何か?」
「い、いえ……その、お子さん、いらっしゃるんですか?」
女が怪訝そうな顔をする。当然だろう、自分はただの宅配業者なのだから。
「すいません。あの……自分も子供がいるものですから……」
俺は伝票を受け取り、逃げるようにその場を離れた。宅配車に戻って、息をつく。
(子供か……)
スマホを出して、画像フォルダを開く。そこには小さな女の子が写っていた。
俺には別れた妻との間に娘がいた。子供は妻が引き取って育てている。別れた理由は俺のギャンブル癖だ。
下着泥棒に走ったのは、仕事がうまくいかずにギャンブルに溺れ、妻と別れ、子供と引き離されたストレスが原因だった。
娘はちょうど翔太と同い年ぐらいだ。ずっと会えていない。だから翔太を放っておけなかった。
◇
(坊主どうしてるかな……一週間も行ってないからな……)
その夜、俺はバッグに翔太の好きな唐揚げを入れ、豪邸に忍び込もうとしていた。一週間ほど体調を崩して寝込んでいた。
いつものように壁を乗り越え、窓から家の中に入る。翔太は子供部屋にいなかった。家中を探したが姿が見えない。
「おーい、翔太」
声を掛けながら家の中を歩いていると、洗面所から人の気配がした。ドアを開けて中に入る。奥の浴室のドアが半分開き、床に横たわる子供の姿が見えた。
「翔太!」
半裸でぐったりと倒れていた。肌は濡れ、身体中に青アザがある。
「どうした、翔太。何があった?」
「……お母さんが……男の人を連れてきて……」
母親の連れに暴行を受けたらしい。額に手をあてた。熱があった。
(ちくしょう……なんてやつらだ……)
俺は浴室を飛び出すと、寝室から毛布を手にして戻った。翔太の身体を包み、抱えたまま立ち上がる。
家の外に出ると、外に停めてあった自分の車の後部シートに寝かせる。
エンジンをかけ、急発進させた。信号で停まり、後ろを振り返る。翔太は真っ青な顔で身体をブルブル震わせている。
(翔太……死ぬなよ……)
病院の救急窓口に飛び込んで叫んだ。
「すいません! この子を助けてください! お願いします」
看護師がストレッチャーを持ってきて、翔太の身体をのせた。
「翔太! しっかりしろ、翔太!」
運ばれるストレッチャーに併走しながら叫ぶ。白衣の医者にすがるように言った。
「先生、お願いします。この子を助けてやってください! 俺にできることなら何でもします」
処置室の前で俺は看護師に制止された。
「後はこちらに任せてください」
俺はその場に立ち止まり、荒い息をつきながら、カーテンの向こうに連れて行かれる少年の姿を見送った。
◇
警察の取調室に俺はいた。
病院で俺は未成年者略取罪で逮捕された。家宅捜索をされ、盗んだ下着が見つかり、窃盗も余罪として追加された。
「おまえ、なんで病院から逃げなかったんだ?」
刑事に訊かれ、俺はぼそっと言った。
「……翔太が心配だったんで……」
俺は家に忍び込んだ経緯や子供の虐待のことを正直に伝えた。
刑事から翔太は無事であることを伝えられた。
「ホストにさんざん殴られた後、何時間もシャワーで冷たい水を浴びせられたらしい。先生の話じゃ、病院に来るのが遅れていたら、どうなっていたかわからなかったってよ」
ある日、取り調べで刑事から言われた。
「後妻と愛人のホストを逮捕したぞ」
二人は共謀して少年の父親を殺害し、山に埋めたらしい。時期的には俺が虐待されていた翔太を発見した一週間ほど前だという。
「おまえの盗んだ下着のおかげだよ」
刑事が苦笑いしながら言った。
「あの女、自分の乳首に睡眠薬を塗って、旦那に吸わせて眠らせて、愛人に絞殺させたんだとよ。おまえの盗んだ彼女のブラジャーに睡眠薬の成分が残っていた」
もし俺が下着を盗まなければ、彼女はブラジャーを洗濯してしまい、証拠も洗い流されていた可能性があったという。
俺は疲れたように笑い、刑事に訊いた。
「……翔太はどうなるんですか?」
父親を殺され、母親を早くに亡くし、今、育ての親も失った。
「安心しろ。実母の祖父母が引き取るそうだ」
「そうですか……」
刑事がポケットからカードを取り出し、「あの子からだ」と俺に渡した。カードには色鉛筆で俺の顔が描かれ、メッセージが綴られていた。
『ヘルパーのおじさん、また来てね! しょうた』
俺の顔に笑みがこぼれる。
宅配便の仕事はクビになった。これから裁判や刑務所暮らしが待っている。
ただ、もう決めていた。出所したら下着泥棒からは足を洗う。娘や翔太に恥ずかしくないまっとうな生き方をする。
そう――ヘルパーの仕事をめざすのもいいかもしれない。
(完)