不思議ちゃんと初日の出
『初夢で普通さんを見ました』
電話口で彼女様は、挨拶をすっ飛ばしていつも通りよくわからないことを言い始めた。
「……クイズです」
寝転がって、明かりの消えた電灯をぼんやりと見ながら、スマホを耳にあてている。
まだ頭が寝ていることは自分でもわかる。てか、さっきまで寝ていたんだから当然だ。
『はい、なんでしょう』
「今は何時でしょうか?」
不思議ちゃんが電話の向こうで首をかしげたのがなぜかわかった。それのどこがクイズなんだと言いたいんだと思う。
でも、どうしても確認しておきたかった。
『四時です』
「そう、午前四時です」
あくまで『午前』という部分をとても強調して言った。ただ、それで伝わる不思議ちゃんではなかったようで「そうですね」なんて相槌をうってくる。
それにイラッとして、声をあげる。
「私が朝弱いの知ってるでしょ!」
電話の向こうで彼女が黙った。やばい、怒りすぎたかなと思って、フォローを入れようと思った瞬間だった。
『初怒りですか?』
「……えぇ、ええ! 本当にね!」
この不思議ちゃんがそんなナイーブなはずないのはわかってたのに!
『ところでですね』
「……はい」
『初日の出を見に行きませんか?』
「不思議ちゃん、私は朝が弱いし、寒いのが嫌い。知ってるよね?」
『もちろん。だからよくベッドで抱きつい――』
「年明け早々そんなことを言わなくていいの!」
『今日の普通さんは元気ですね』
とてつもなくマイペースに話しをしてくる不思議ちゃんに、頭が痛くなってきた。
「とにかく! 私は初日の出には行かない!」
『そうですか』
誘いを断られたはずなのに、彼女の声はいつも通りのものだった。
「どうせお昼から初詣行く約束してたんだし、それでいいじゃん」
そう、私だって新年の一日目は恋人と過ごしたい。でも、本当に朝が無理だから、そういう約束をしていた。
不思議ちゃんだって、それでいいって言ってくれたのに、急にどうしたんだろう。
「とにかく私はまた寝るから」
『では、初日の出は一人で向かいますね。あ、ここからだと●●丘は、どう行くんでしたっけ?』
「ああ、あそこ? あそこならねえ」
地元で朝日がよく見えると有名なところだった。だから、説明しようとしたところで「うん?」と、何かが頭の中で引っかかった。
「不思議ちゃん」
『なんでしょうか、普通さん』
「今どこ?」
彼女はなんてことないとでも言うように「ああ」と前置きをした。
『あなたのマンションの前です』
すぐさま飛び起きた。
2
クラスに必ずいる変わり種の生徒。
彼女はまさにそういう存在だった。口数は少なくて、いつもぼうっと、どこか遠くを見てる。話しかけたら答えてくれるけど、なんというか、答えが思ってたのと違う。
だから私は彼女のことを「不思議ちゃん」と呼んでいた。
それはもちろん、当人には聞こえないようにしていたんだけど、ある日、彼女に話しかけるときについ言ってしまった。
「不思議ちゃん」
名前を呼ぶつもりが、いつもの癖でそう言ってしまっていた。あ、やばいと思ったときにはもう遅くて、私は固まってしまった。
ただ、彼女はそう呼びかけられても顔色一つ変えなかった。
それどころか、ちょこんと首をかしげて、こんなことを訊いてきた。
「私が不思議ちゃんなら、あなたは普通さんですか?」
それが面白くて、あははと笑うと彼女はまた不思議そうにしていた。
でも、そこから不思議ちゃんとはよく話すようになって、いつの間にか大切な存在になっていた。
「あのね、来るなら来るって言ってよ」
「はあ」
たたき起こされた挙げ句、結局私は初日の出に付き合うことになった。
だって、まさかマンションの前にもう来てるなんて思わないし、それを知ってなお、一人で行かすとか、さすがに恋人のやることじゃない。
ただ、そんな突飛な行動をした本人は、反省してないどころか、何が悪いのかもわかってない様子だった。
のれんに腕押しだから、それ以上は言わない。
不思議ちゃんはそんな厚手じゃない服装なのに、平然と薄暗い道を歩いていた。その隣でこれ以上ないほどの防寒対策をした結果、もこもことなった私が並んでいる。
「あけおめですね」
「今言うの?」
「電話で言い忘れてました」
そういうことじゃないんだけどなあと頭を掻くけど、もういいや。
「そうだね。あけおめ、ことよろ」
「コトヨロ」
なぜかカタコトで返された。
こんな時間だけど、出歩いてる人はたくさんいた。つい数時間前に新年を迎えたばかりで、夜通しの宴会や初詣の帰りだと思う。
そんな人たちとは逆行して、私たちは丘へ向かっていた。
「どうして急に初日の出なわけ?」
「そうですね。それはとても難しい質問です」
「いや、理由を答えてくれたらいいんだけど」
それでも不思議ちゃんはしばらく「うーん」と言葉を探していた。こうなったら長いから、はあとため息をついて、答えを待つことにした。
私のため息が真っ白に染まるほど、夜明け前の街は寒かった。ぶるっと震えてしまう。
「さっき言いました。普通さんが初夢に出てきたと」
「ああ、そうだったね」
それは素直に嬉しい。だってこの変な恋人は、夢で見るほどに私を想ってくれてるってことだから。鼻が高い。
「これは何かの啓示ではと心配になり、普通さんに会った方がいいだろうと思いました。時間がまだ夜明けだったので、初日の出にちょうど良かったんです」
「心配? どんな夢だったの?」
「富士山の山頂でナスの着ぐるみを着た普通さんが鷹に食べられてました」
彼女の頭をすぱーんっと叩いた。といっても、私は厚手の手袋をしてるし、彼女もニット帽をかぶっているので、全然痛くないはず。
「元旦からどんな夢を見てるのよ、信じらんない」
腰に手をあてて怒ってみせるけど、彼女は真顔だった。
「そう言われましても、夢なので。でも初夢で見たらいいとされるものが全て出てきました。素晴らしい夢です。きっと、いい年になります」
「彼女が食べられた夢を素晴らしい夢とか言うな!」
まともに相手をしていたら、新年早々疲れてしまう。
「でも普通さんは食べられていませんでしたし、こうして初日の出にも付き合ってくれたので、やっぱりいい年だと思います」
前半はともかく、後半は言われて嬉しい。もっと笑顔で、できれば照れたりしてくれた方が可愛いのに、不思議ちゃんは真顔のままだった。
「もっと普通の夢を見てよ」
「善処します」
「よろしい」
そんな馬鹿な会話をしている最中、不思議ちゃんは寒そうにしていた私の右手を握ってくれた。
びっくりする私をよそに、彼女は平然としていた。
夢の件は許してあげよう。そう思った。
3
朝日がよく見えることで、それなりに有名な丘なのに、私と不思議ちゃんしかいなかった。
向こう側の空が、少し明るくなっていたけど、まだ太陽は見えない。
「そういえば、初日の出って初めて見るかも」
「そうなんですか?」
「だって、朝が無理だもん。それにお正月とか関係ないから」
子供みたいな体質だと思うけど、私は基本的に日付が変わる前に絶対に寝てしまう。そして朝はゆっくりと起きる。だから、年越しのカウントダウンもしない。
「私はよく家族で見ましたよ」
「そうなんだ」
「はい。両親が好きだったので、よく妹と四人で行きました」
「え、今年は?」
「両親は仕事で海外です。妹は友達の家で遊んでいるようです」
うわ、全然そんなこと知らなかった。じゃあ、不思議ちゃんは今日、一人だったんだ。
彼女として、かなり気遣いが足りなかったことをした気がして、罪悪感に胸が締め付けられる。
ただ不思議ちゃんは気にしてないようで、のんきにスマホで時間を確認すると「そろそろ時間のはずです」とアナウンスしてくれた。
二人並んで、向こう側に見える空を眺めていると、ゆっくりと太陽が姿を現した。
思った以上に眩しかったけど、オレンジ色の朝日は神々しくて、見とれてしまった。でも、隣の不思議ちゃんが手を合わせて拝んでいるので、私もそれに習う。
今年もいい年でありますように!
そう祈って、目をあけるとまだ不思議ちゃんは手を合わせていた。
その横顔は真剣そのもので、声をかけることができなかった。それどころか、その凜々しい顔つきに見とれてしまう。
いつもはぼうっとしているけど、やっぱりこの恋人のことが好きだ。
一分ほど何かを祈った不思議ちゃんは、ゆっくりと目を開けた。
「何を祈ってたの?」
「無業息災、商売繁盛です」
おおよそ十代の女の子とは思えない回答で、やっぱり不思議ちゃんだと思った。
「ねえ、不思議ちゃん」
彼女が祈ってる間に、私はあることに気づいた。それはとても面白いことで、訊かずにはいられない。
「なんでしょうか?」
「初夢の話しって嘘でしょ? 私だって知ってるよ。初夢って元日の夜に見る夢だって。不思議ちゃんが知らないとは思えない」
この不思議ちゃんは、暇があれば教科書を読んでいるという変わり者で、成績はすごくいい。そんな彼女が私でも知ってることを、知らないなんてあり得ない。
ただ、不思議ちゃんは表情を変えない。相変わらずの真顔。
そのポーカーフェイスに、ぐいっと顔を近づける。そしてニッと笑う。
「そんなに私と一緒にいたかった?」
あの夢は、家族がみんな出かけて、寂しくなった彼女が無理矢理作った口実に決まってる。
意地悪にそう質問すると、彼女は少しだけ表情を和らげた。優しく微笑む姿に、ちょっとだけ顔が赤くなる。
「やっぱり、普通さんには適いませんね」
白状したと思ったら、急に腰に手を回されて、そのままキスをされた。
そんなことされるなんて思ってなかった私は、心の準備ができてなくて、びっくりしたまま、目を大きくしているだけだった。
ただ彼女の口づけは優しくて、柔らかくて、ずっとこうしていたいものだった。
「……ずるい」
キスから解放された私は、顔を真っ赤にしながら、そう負け惜しみを言った。でも、不思議ちゃんは優しい笑顔のままだ。
「普通さんが可愛いのがいけないんです」
また、そういうことをさらっと言ってくるのが、ずるい。
「……家に行くから」
今更隠しても仕方ない顔を俯かせて、彼女にそう迫ると「そうですね」と同意してくれた。
「家族もいないですし、ちょうどいいです」
初日の出を目の前にして、とっても不埒な会話をしながらも、私たちは確かに幸せだった。
手を繋ぎながら、来た道を帰っていく。
隣の不思議ちゃんをちらちらと見ながら、私は認めたくない事実を認めた。
わかってる。こんな彼女を好きになってしまった私が、誰よりも不思議ちゃんなんだ。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。