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男女の嗜好の差異の傾向は生物学的なものか、文化的なものか

作者: 上田謡子

 以前たまたま見かけたTwitterの呟きで、次のような内容のものがあった。曰く、自分には息子と娘が1人ずついて、息子は仮面ライダーが好きだが娘は全く興味を示さない。親である自分がそうなるように仕向けたわけでもなく、生まれついての差だ。世の中には男女の嗜好の差異は文化的なもの――生まれ育った社会の文化によって生まれるもの――と言う人がいるが、私の息子と娘を見る限り、生まれついての嗜好の性差は存在する、と。


 二児の母親と思しきこの女性は、特に深く思考を巡らせたわけではなく、自身の経験と実感のままにこう述べたのだろう。彼女を浅はかだとか著しく差別的だとかと非難することはできない。しかしながら、彼女の意見をそのまま肯定することもできない。


 問題点は2つある。


 まず1つはサンプル数の少なさだ。彼女の見解は自分の子ども2人――そして言及されていはいないが、恐らくは彼女自身が少女だった頃の嗜好の記憶――のみに基づいている。しかし当然ながら、世の中の子どもは彼女が知っている子どもが全てではない。たとえば私の母親――弟と一緒になって仮面ライダーの活躍に釘付けになり、チャンバラごっこに興じる娘を持った母親――であれば、「男兄弟と育った女の子は男っぽくなる」と言うだろう。


 さまざまな個性を持った子どもがいる中で、たった2人の子どものサンプルを基に「生まれついての嗜好の性差は存在する」と断言するのは、やや短絡的だ。


 もう1つの問題点は「彼女の子どもは文化的な影響を本当に受けていないのか」ということである。


 彼女が自分の子どもにどのように接し、どのようなものを与えているのかは知りようがない。しかし彼女の対応が、目の前の子どもが男の子であるか女の子であるかによって無意識のうちに変わっている可能性はある。たとえば息子が大泣きしたときについ「男の子でしょ、泣かないの」と口に出したことがあるかもしれないし、鼻くそをほじる娘を「女の子でしょ、みっともないよ」とたしなめたことがあるかもしれない。子どもの衣服を選ぶとき、息子には青いシンプルな服を、娘にはピンクの可愛らしい服を選んでいるかもしれない。これらは些末なことに見えるかもしれないが、間違いなく「文化的な影響」だ。


 それでは結局、男女の嗜好の差異の傾向は生物学的なものなのか、文化的なものなのか? 


 無責任となじる人もいるかもしれないが、私は、この問いの答えは出ないのではないかと思っている。その理由は、この問いの答えを追及するための実験は実行不可能だからだ。


 男女の嗜好の差異の傾向の根源を探ろうと思ったら、一定数以上の男女を、乳児の段階から文化的影響を受けない環境で育て生育過程を観察するのが確実だ。差異の傾向が生物学的なものであれば、そのような環境であっても差が生まれるはずである。逆に男女の嗜好の差異が文化的なものであれば、文化的な影響を受け得ない環境下では差異は生じない。


 もう少し具体的に実験内容を記述すれば次のようになるだろう。被験者となる乳児を男と女でそれぞれ三桁以上ずつの人数を集め、男女を分け隔てなく扱うための訓練を受けた家庭、幼稚園や学校などの教育機関において成人まで育てる。その間、男性だからという理由で戦場に出ることや力仕事を当然とされたり、女だからという理由で家事や育児を強制されたりするような世界観のメディアや娯楽作品に触れさせない。子どもたちの目に入る店には、「男性向け」「女性向け」などの表記が一切存在しない。


 これは非常に極端な実験の例だが、実行不可能であることは明白だろう。男女に分け隔てなく接する家庭や教育機関も、男性向けか女性向けかで商品を分類しない店舗も、意図的にすぐ用意できる代物ではない。それにこの実験は、子どもたちやその肉親の人権をことごとく無視している。実験のために数百人の乳児を肉親から引き離し、特殊な環境で隔離して育てるなど、極めて非人道的な行為だ。


 男女の嗜好の差異の根源を探るには、文化的な影響を受けることない環境での生育過程の観察実験が確実だが、それを実行に移すのは不可能であるため、確実な答えを探ることはできない。これが現段階における私の結論である。


 そして差異の根源が不明である以上、「生物学的なものだ」と決めつけて「男らしくない男」や「女らしくない女」を抑圧するのも、「文化的なものだ」と豪語して「男らしい男」や「女らしい女」を「自覚のない社会の抑圧の被害者」としてしか認識しないのも、どちらも正当な理由が存在しない不当なものといえるだろう。




この記事では性別を「男女」に分けていますが、性別は本来男女に分けられるものではありません。しかしながら現在まで長く「性別は男女で分けられること」を前提として各国の文化が発展してきたこと、そして現在もなおその影響が多分に残っていることを理由に、今回の記事においては敢えて性別を「男女」に区分けしました。ご不快に思われた方もいるかと存じますが、どうかご容赦願います。


ジェンダーに関してはさまざまな意見があり、私もまだ不勉強の身の上ですので、批判は甘んじて受け入れる覚悟です。しかし批判の1つ1つに丁寧に返答するのは私の負荷が重いため、お断りさせて頂きます。

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― 新着の感想 ―
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[一言] 私は姉二人がいて一応女ですし、恋愛対象も男性です。が、性格は完全に男寄りですね。女の子向けよりも男の子向けの方が好きですし、今は髪型もショートで服装も男っぽいです。色も漫画も発言も、殆ど男。…
2018/09/09 15:10 退会済み
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