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GLITTERS2 -霧降る山と夕暮の竜-  作者: 黒崎江治
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第九話 ネウェルの歌う少女 -2-

 ソニアは道中黙りがちだったが、トーヤは彼女が先ほどの出来事を反芻し、沈み込んでしまわないよう、根気強く話しかけた。彼は守り人たちの暮らしについて尋ね、ソニアはそれに答えた。


「私たちはいつも〝グリュ〟を食べるの。臼で挽いて粉にして、お湯で練って、薄く焼くの」


 グリュというのは、グランゾールでよく栽培されるものとは違う、黒っぽい麦であるらしい。ハキムたちがメサ導師の庵で食べた、ほろ苦いパンの原料もおそらくそれだ。


「雨が少なくても、寒くてもよく育つんだって。薄く焼いたものに、ヤギの肉とかチーズを挟んで食べる」


 グランゾールにおいて、ヤギはあまり一般的な家畜ではない。しかし病気に強く、大量の餌を用意する必要もないので、貧しい農家で飼われることはよくある。


「私たちの生活はヤギがないとダメなの。黒いヤギは肉がおいしくて、白いヤギは乳を出すの。皮も、骨も、内臓も全部使う。肝を生で食べると、病気にも効くし、疲れも早く治る。みんなが食べさせてもらえるよう、頼んでみるね」


「生肝かあ……」


 トーヤが苦笑いする。よほど飢えた状況でもなければ、御免被りたい食事だった。


「ねえ、ソニア。一つ聞いてもいい?」

 小さな沢に沿って山を登りながら、リズが尋ねた。


「なに?」

「夕暮の竜、って知ってる?」


 ソニアは事実を言うべきかどうか、少し思案する様子を見せてから頷いた。


「歌に出てくる」

「歌?」

「そう。昔からある歌なんだって。おばあちゃんから教えてもらった」


 彼女はそう言うと、少女らしからぬ力強い、澄んだ声で歌いはじめた。


〈哀しみの波が引いたのち、夕暮の竜は西に啼く〉


〈残りし山羊や子供や麦が、次の季節に育つを祈り〉


〈瞳を開き口を閉じて、霧の内に牙を隠す〉


〈父祖の罪をその身に宿し、我等は夕暮の竜の守り人〉


〈星霜の雪と鋼に耐えて、目覚めの時を待つ守り人〉


〈瞳を開き口を閉じて、心の内に火を灯すべし〉


〈たとえ大地冷たく貧しくとも、己が天命忘れるなかれ〉


 ソニアの歌には迷いがなく、声は身体の深いところから響いてきているように思えた。詩や歌というものに明るくないハキムにも、彼女が非凡な歌い手であることが分かった。


「へぇ、なんかすごいな」


 ハキムが率直な感想を述べると、ソニアは照れたように顔をそむけた。


童歌わらべうたにしては、結構示唆に富んでるよね。罪とか、鋼とか、天命とか」


 リズはその歌詞に興味を持ったようだ。もう一度歌ってくれとソニアにせがみ、自分でも歌詞を覚えようとしていた。


「でも、もう歌う人はほとんどいなくなったって。大事な歌なのに残念だって、おばあちゃんが言ってたよ」



 壊滅した集落から、沢沿いの山肌を行くこと一刻半。ソニアによれば、今目指している別の集落まで、あと半刻の距離に来ているらしい。


 さらに歩を進めると、やがて道は斜面になった黒い岩肌を流れる、長い滝に行き当たった。その周囲には、大きな岩がごろごろと転がっている。


 垂直でない斜面とはいえ、水の流れる岩壁を登っていくのは危険だ。ハキムたちは周囲の岩によじ登り、飛び越え、渡りながら滝を迂回して、再び沢に合流することにした。平坦な道を歩くことに慣れたハキムたちにとっては、居住地の間を移動するだけでも一苦労だ。


 手や膝をすりむきながらも、なんとか滝の上部に辿り着く。


 これまでもそうだったが、ネウェルにおいて道という言葉には、足で踏破することができる場所、という程度の意味しかないようだ。ともすればその定義も怪しく、両手で岩や土や草を掴みながら、なんとか登らなければならないような地帯も多くある。


 そのような行程での疲労もあり、やや注意散漫になっていたハキムだったが、集落が近くなったところで、再び周囲を警戒しておこうと思い立った。


 沢で水を汲むついでに、ハキムは斜面の下から見つからないよう、低い姿勢で今まで通ってきた辺りを眺めた。視界に数体見えるのは、主のいなくなった牧草地から逃げ出した、白や黒のはぐれヤギだ。


 しかし山肌を丹念に観察していると、地面の色に馴染むよう衣服に気を使った、三、四の人影を発見した。四半刻前にハキムたちが通過してきたあたりを、注意深く進んで来る。


「うっかり集落に敵を連れ込むところだった」


 彼らは鹿や狼の毛皮を、フード付きマントのように纏っている。多分、ネウェルの麓に広がる森で生活している狩人が、斥候代わりに軍へと組み入れられたのだろう。


 未整備の道を歩くことが日常の狩人たち対し、こちらは慣れない山歩きで、原住民とはいえ子供連れ。追いつかれるのにそれほど時間はかからないだろう。


「また、兵隊が来るの?」

「まあ、間違いなく」


「……」

ソニアが怯えた顔を見せた。


「安心しろ。お前はちゃんと村まで連れて行ってやるから」

 ハキムは取り繕うように言った。


 またじっくりと追手を観察しつつ、ハキムは考える。彼らが狩人だとして、何を狙い、どう攻撃してくるだろう?


 狩りを生業にしている者なら、獲物の動きには敏感でなければならない。獲物が自分たちに感づいているかどうか、必ず気にするはずだ。ハキムたちが不自然に動きを止めたならば、向こうも警戒するだろう。


 こちらはお前たちに気付いたぞ、と威嚇するのも一つの手だ。しかしそれで相手が諦めてくれるならいいが、無駄に不意打ちの機会を逸してしまう可能性もある。


 注意深く撒くべきか、それとも戦うべきか。前者は地形を熟知していなければ難しいし、後者は言わずもがな死傷の危険がある。


 ハキムが首のうしろをこすりながら悩んでいるうちに、追手が二百歩ほどの距離まで近づいてきた。


 彼らはそれぞれ、やや小振りの弓を持っている。兵士がよく使う長弓ではない。狩猟に使う強力な複合弓コンパウンドボウだった。取り扱いには熟練を要するが、一つの目標を狙うのに適し、連射も利く。


 それは持ち主が優秀な射手であることの証左であって、ハキムたちにとっては、相手が厄介な存在であることを意味していた。


「うーん、面倒だ。リズ、あそこまで届くか?」

「遠すぎて無理。熱が散っちゃう」


 このまま待ってこちらの射程外から攻撃されれば、為す術がない。狩人に追われ、獣のように逃げるのはあまりに不利で、かつ極めて不愉快な状況だ。


「煙玉は?」

「使い切っちゃった。でも水があれば、目くらましはできそう」


 リズの言う通り、熱で沢の水を蒸発させれば、それが冷えて霧になる。さほど濃いものでなくても、狙撃されないようにすれば十分だ。今回は、珍しくリズが防御に回ることになった。


「僕が斬り込む。ハキム、ソニアの傍にいてくれないか」

「……気をつけろよ」


 相手は四人。一対一の白兵戦でトーヤに敵う人間はまずいないが、速射の利く弓は近距離でも十分な脅威だ。奇襲に対して相手が混乱している間に、壊滅させなければならない。


 トーヤは言うが早いが、先ほど迂回に使った道を戻り、敵を側面から奇襲できるよう、大きな岩の陰に隠れた。


「リズ、ソニア。頭を低くしてろ。矢に当たっても、俺は運んでやれないからな」


 ハキムはソニアの安全を確保する一方で、狩人たちの気を逸らしてやろうと思っていた。沢の近くをぐるりと見渡して、斜面に近い手ごろな岩に目を付ける。


 それは二抱えほどもありそうな、球形に近い大岩だった。少し動かせば斜面から転がり落ちそうだが、ただ押すだけでは難しい。


 狩人たちが滝の下に近づいてきた。既にハキムたちは、弓の有効射程に入っている。


 ハキムたちを全員殺してしまうと、集落までは案内させられない。しかし全員生かしておく必要もない。ならば、一人二人死んだところでどうということはなく、彼らがこちらへの攻撃を躊躇う理由はない。


 狩人たちが滝の上にいるハキムたちを見て、弓に矢をつがえた。ハキムは姿勢を低くしながらも、こちらに注意が向くよう、狩人たちを睨み返した。


「リズ」


 そしてハキムが合図すると同時に、水の流れる斜面から大量の霧が発生する。それは見る間に白い壁となり、ハキムたちと狩人たちを隔てた。


 直後、二本の矢が壁を抜け、ハキムたちの頭上を通過した。


 ハキムはソニアを呼び寄せ、岩の移動を手伝わせた。その根本に不壊の短剣を差し込み、梃子の要領で掘り起こすように力をこめる。木材やただの短剣ならば折れてしまうだろうが、この特別な短剣は、たとえ竜が踏んでも曲がらない。


 ソニアが岩の上部を押し、二人がかりでそれを斜面から落とす。


 固い音を立てながら、巨大な質量が霧の向こうに転がっていった。斜面の終わりで盛大に砕け、破片をまき散らす。それらのいくつかは狩人たちの方まで飛んでいくが、当たったかどうかまでは確認できない。しかし、動揺を誘ったのは間違いないだろう。


 また矢が数本飛んできたので、ハキムたちは斜面の上からやや後退した。しかしその直後、仲間に警戒を呼び掛ける鋭い声がした。一瞬あとには断末魔の叫びが響き、少しするとあたりはすっかり静かになった。


 やがて、リズが発生させていた霧が晴れていく。ハキムが下を覗くと、そこには血まみれで地面に倒れ伏した四人の狩人たちと、彼らの服で刀の血を拭うトーヤの姿があった。首尾よく奇襲に成功したようだ。


 トーヤは少しの間、相手を悼むようにこうべを垂れたあと、こちらに戻ってくるべく再び岩陰に戻っていった。


 ハキムの傍らで、ソニアが複雑な表情をしている。何かを守るとは、往々にして別の何かを傷つけることなのだ。トーヤを擁護するため、ソニアをそう諭したい気持ちになったが、十歳やそこらの少女にこれを納得させるのは難しいだろうと思い、ハキムは何も言わないでいた。


 風は相変わらず山の上から吹いてきている。血の臭いがこちらに流れてこないのは、ソニアにとってまだしも幸運だったかもしれない。


 合流したハキムたちは、改めてコモ氏族の集落を目指した。トーヤの恐ろしい一面を見たはずのソニアだったが、彼女はトーヤと並んで歩き、彼の手を握っていた。


 それは彼が奪った命の重さを共に負おうとしているようにも見えたし、自分から遠い存在になってしまわないよう、繋ぎとめているようにも見えた。


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