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GLITTERS2 -霧降る山と夕暮の竜-  作者: 黒崎江治
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第八話 ネウェルの歌う少女 -1-

 ハキムたちは朝靄に濡れた山肌を踏みしめ、メサ導師に教えられたネウェル人の集落へと向かっていた。空は晴天。陽気は穏やかだったが、それでも起伏のある山地を進むのは、中々に骨の折れる行為だった。


 もし今が冬であれば、起伏と疲労に加え、雪と氷と厳しい寒さへの対処を迫られただろう。そうなれば移動に苦労するどころか、山に入って数刻で、生きるか死ぬかの状態になっていたはずだ。


 環境の過酷さという点で、この季節に旅ができたのは幸運だった。しかし基本的に平地の民であるハキムたちは、夏のネウェルにさえ苦戦した。


 険しい道のりは徐々に下半身を重くさせ、味気ない景色がやる気を削いでいく。延々と同じ場所を歩かされているような気分になり、ハキムは思わずため息をついた。


 周囲を眺めたところで、山肌の半分以上が、岩や土を露出させた寒々しい地面である。わずかな植物も旺盛に繁茂しているとは言い難く、ちくちくした葉の低木や地味な草花が、這うようにして生えている程度に過ぎなかった。


 背後を振り返っても、見える光景は寂しげである。眼下には先ほど離れた村の家々があり、その向こうにはグランゾール中央部に比べて貧しい、ただただ広大な平野があるだけだ。およそ街と呼べる規模のものは、東の方角にぽつんと見える、ラルコーだけだった。


 しかし、たとえ大して肥沃でなかったとしても、このような荒涼とした山岳に住むより、平地で住む方がよほど楽には違いない。なぜネウェル人たちは、あの広大な土地を目指さず、ネウェルに引きこもっているのだろうか。


 ハキムは向き直り、目線を上げる。霧に包まれた山の頂ははるかに高い。その左右にも同じく高い峰々がある。それらがさらに連なり、すそ野を伸ばし、広大なネウェル山地を形成している。


 ただ横切るだけでも並大抵ではない。この辺りに夕暮の竜なるものがあるとして、一体どうやって探すつもりなのだろうか。


「で、集落はどっちの方だ?」


 ハキムは目に眩しい日光を手で遮り、改めて辺りを見回した。


「確か、あの尾根を越えた向こうって言われたような」


 トーヤが北東方向を指差した。近くの集落といっても、ハキムの基準で言えば十分遠い。辺境へ行くにつれ、こういった距離の尺度は大雑把になっていくようだ。


 集落の方向が分かったところで、道と呼べるものはないに等しく、辛うじて歩きやすい山肌を選んで進むことになる。外部の人間を招くつもりがないなら、道や標がないのも、当然といえば当然か。


「リズ、遅れるな」


 早くも弱音を吐きつつあるリズを叱咤しながら、ハキムたちは近くに見える尾根を目指した。



 ごつごつした尾根まであと百歩ほどの距離に近づいたとき、ハキムは景色の違和感に気付いた。


「ありゃ煙か」


 尾根に遮られた向こう側はまだ見えないが、低い空、雲や霧ではない灰色の煙が上空へと昇っていく。焚き火や炊事よりも、もっと大規模なものだ。


 集落から上がる大量の煙、ということになれば、何が起きたか大体の予想はつく。ましてハキムたちが離れた時点で、ラルコーは戦争の準備中。ハキムは不穏な状況にいくらかの焦りを感じながら、尾根への山肌を登り切った。


 すぐにトーヤが大股で続き、遅れてリズも尾根に立つ。


 そこは教えられたコモ氏族の集落で間違いなかった。規模はハキムが思っていたよりも、ずいぶんと大きかった。山の斜面は切り開かれ、麦の植えられた段々畑になっていた。


 それより低い場所には、畑や放牧地に挟まれるようにして、石で造られた数十の住居がある。人口は大体、二百人といったところか。


 しかし集落は明らかに破壊され、略奪され、方々に火が放たれていた。木や藁でできた構造物は、既に燃え尽きて炭や灰になり、あるいはまだ小さな炎を上げていた。


 その様子を見るに、集落を壊滅させた大規模な襲撃は、今から一、二刻以内にあったようだ。見下ろす景色の惨憺たる様子に、ハキムは思わず眉をひそめた。


「誰がこんな……」


 トーヤはそれ以上言葉が継げなかった。集落には、散らばった豆粒のように死体が転がっていた。ある者は住居の近くで、ある者は逃げようとしたのか、少し離れたところで。動く影もいくつか見えたが、どれもヤギだった。


「もしかして、ラルコーの兵が?」

 荒い息を吐きながら、リズが言った。


「それ以外にないだろ。今は麓に撤退したか、山奥に進んだか」


 少なくとも、集落の周りにまとまった人間の集団はいなかった。兵士もそうだが、ハキムは生き残りの所在も気になった。捕虜として連行されたか、山地の奥に逃れたか。


 ともあれ、ハキムたちは集落に近づいてみることにした。生き残りがいるにせよ、敵がいるにせよ、これからの行動を決めるにあたって、現状を把握する手がかりを得る必要があった。


 集落の辺縁に近づき、収穫前の麦が揺れる段々畑の畝を進むと、少し離れた場所で動く人影が見えた。それは濃い金色の髪を短く切りそろえた、小柄な少女だった。


 ネウェル人だ。彼女は慌てた様子で、こちらの方に走ってくる。


 その背後からは、二人の男が追ってきていた。こちらはネウェル人ではなさそうだ。抜き身の剣で武装した彼らは、風体からして傭兵であるように見えた。臨時の兵力として、ラルコーの領主に雇われたのだろう。


「ハキム、行ってくる」


 トーヤはそう言って、ハキム返事をする間もなく飛び出していった。もう少し様子を見ようと思ったが、これでは忍ぶこともできない。トーヤは斜面を駆け下り、少女のもとへ向かう。


「……しょうがない。まあ二人ぐらいなら大丈夫だろ」


 ハキムとリズも、遅れてそれを追った。


 少女はトーヤに気づくと一瞬身を固くして、男たちとトーヤを見比べた。歩いてそれを追うハキムは、荒事に備えて腰から投げナイフを抜く。


 少女を追う男たちと、そこに駆け付けたトーヤは、やがて二十歩ほどの距離で向かい合った。両者の間には、息を切らせてしゃがみ込んでしまった少女がいる。


「なんだァ、てめぇ」

 傭兵の一人が、下品な言葉遣いで誰何する。


「僕らはただの旅人だ。集落を襲ったのはお前らか」


「俺たちはラルコーの兵だぞ。お前には関係ねえ」


「誰の兵かはどうでもいい。略奪も虐殺も暴行も、目の前で起きれば見過ごせない」


 トーヤが傭兵たちを責めると、彼らも聞き捨てならないとばかりに気色ばんだ。


「英雄気取りか、えェ?」


「おいおいおい。勝手にヒートアップするな」


 追いついたハキムは口を挟んだ。傭兵たちは、また面倒なのが絡んできた、というように顔をしかめた。


「お前ら、夕暮の竜を探してるのか?」


 ハキムは尋ねた。しかし傭兵たちは一瞬きょとんとして、互いに顔を見合わせるだけだった。


「夕暮の竜? なんだそりゃ」


 知らないらしい。


「そうかい。じゃあ、あとでこのお嬢ちゃんに聞こうかな。おい、立てるか」


 ハキムが少女に声を掛けると、彼女は不安そうな目でハキムたちを見上げた。


「オイ、勝手に決めるんじゃねぇよ」


 傭兵たちが不快感を示し、怒気を孕んだ声で凄んだ。ハキムは持ったナイフを手の中でくるりと回し、その足元に投げつける。ナイフは少女の傍をすり抜けて地面に突き刺さり、傭兵の一人をたじろがせた。


「もうお前らに用はない。どっか行け」


「てめぇ……」


 傭兵たちが感情を昂らせ、足元に刺さった短剣を蹴り飛ばした。しかし彼らが剣を構え、ハキムたちの方に踏み出そうとしたとき、その爪先がぶすぶすと焦げ、煙を上げ始めた。


「やっと休めると思ったのに……」


 ハキムに追いついてきたリズが、苛立ち半分、落胆半分の声で言った。やがて傭兵たちが履く長靴ブーツから、小さな火が上がる。足を焼かれた彼らは、悲鳴を上げて地面に転がった。


「このお姉さんを怒らせると消し炭にされるぞ。帰れ帰れ」


 ハキムがそう告げると、彼らは悪態をつき、憎悪を顔に浮かべたまま、靴を脱ぎ捨ててふもとの方角へ撤退していった。ハキムは周囲を見回した。他に敵はいないようだ。


 彼らはどうやら、略奪の残りを浚おう、という特別に強欲な人間だったようだ。もしかすると戦ってすらいない、ただの火事場泥棒かもしれない。考えなしに出てきてしまったが、結果としては大事おおごとにならずに済んだ。


 トーヤは少女の傍に跪き、怪我の有無を確認する。彼女は一瞬びくりとしたが、緊張の糸が切れたからか、やがて声を上げて泣き始めた。その背をさするトーヤの姿からは、なにか特別な慈悲が感じられた。


 リズは逃げていく傭兵たちを見て、ふん、と鼻息を立てる。


「二度と来るな」


 少女はもともと気丈なのか、少し時間を置くと泣くのをやめた。彼女は助けてくれた礼を丁寧に述べ、自らをソニアと名乗った。


「そうか、ソニア。僕はトーヤだ」


 ハキムもリズも、それぞれ簡単に名乗った。


 ソニアは小柄なハキムより、さらに頭一つ分以上小さい。白いヤギの皮で造ったと思しきチュニックを纏い、足にはこれまた革のサンダルを履いていた。チュニックにはところどころ血が付いていたが、彼女のものではないようだった。


「少し、着いて来てくれる? ……お父さんを、埋葬するから」


 襲撃に遭ったと分かった時点で予想はできたことだが、いざ関わってみるとなんとも重苦しい気分になる。しかし目の前で少女にそう言われては、断れるはずもない。ハキムたちはソニアに招かれるまま、集落の中心部分に立ち入った。


 この集落は、ある広場を中心にしているようだった。背丈ほどの高さに積まれた石の塚の周りを囲むように、比較的大きな家々が建っている。それらは山地に転がる岩の形を整えて積み重ね、粘土か漆喰に似た何かで隙間を埋めた、実に丈夫そうな建物だった。


 多分、広場では普段から人が行き交い、物々交換や祭事がおこなわれていたのだろう。今はこびりついた血と、いくつかの死体だけがその場所を装飾していて、爆ぜる残り火と、寂しげな風だけが音楽だった。


 少女は広場を通り抜け、集落の南へ向かった。そこには成人男性の死体が多く、馬の死骸もいくつかあった。ここでは激しい戦闘が発生したらしく、折れた槍や壊れた弓矢が転がっていた。


 一際死体が多く転がる場所に、ソニアの父はいた。たくましい肉体を持つその男はうつ伏せに倒れ、既にこと切れていた。全身は血まみれで、胴体を貫通するような傷も複数あった。


 彼は死んでなお槍を強く握りしめていて、その最期の瞬間まで、集落と家族を守るために、必死で戦ったのだということが分かった。


 ソニアがそれを見ていたのか、定かではない。彼女は集落のどこかに隠れて難を逃れたのかもしれないし、避難先から、あるいは避難する途中で集落に戻ったのかもしれない。どちらにせよ彼女は死体の中、懸命に父を探したのだろう。そして運悪く、傭兵たちに見つかったというわけだ。


 先ほど彼女が泣いたのは、殺されるかもしれなかったという恐怖からではなく、この場で彼らに復讐できない、自らの無力に対する悔しさからだったのかもしれない。


「さすがに、全部埋葬するのは無理だな。また今度、戻ってきたときにしようぜ」


 ハキムたちは父親の姿勢を整え、周囲から石を集めてその近くに積んだ。これがネウェル人の作法に適うかどうかは知らないが、何もしないよりましなはずだ。


「ありがとう」


 ソニアは作った石塚の傍でこうべを垂れ、しばらく父親の死を悼んでいた。


「行こうか、ソニア。さっきの連中が戻ってくるかもしれないから、ここを離れた方がいい」

 トーヤは彼女に優しく声をかけた。


「うん……。ここからもっと奥に、叔父さんたちが住んでるところがある。逃げた人たちは、そこにいると思う」


 コモ氏族の別集落が、離れたところにあるようだ。ハキムたちには休息が必要だったし、今のところ、他に行くべき場所も思い浮かばなかった。ひとまず、そこへ向かってみることにしよう。


「……ラルコーの兵は、撤退したと思う?」


 先行するトーヤとソニアの後ろで、リズはハキムに話しかけた。


「どうかな。撤退したにしても、これで終わりってことはないだろ」


 ソニアなら知っているかもしれないが、今の彼女に色々と尋ねるのは残酷だ。別集落に辿り着いたら、そこで生き残りに聞くとしよう。


 こうしてハキムたちは安全な休息地に向かうべく、ソニアの案内を得てネウェル山地の奥を目指すことにした。


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