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GLITTERS2 -霧降る山と夕暮の竜-  作者: 黒崎江治
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第五話 隠者の庵 -1-

 ラルコー付近に広がる平地には大抵、丈の低い草しか生えておらず、追手がかかれば遠くからでも発見されやすい。それを警戒したハキムたちは、できるだけ山地のへりに沿って移動することにした。


 まばらにある針葉樹の林を背後にすれば見つかりにくく、いざというときにはそこに逃げ込むこともできる。野生動物と遭遇する危険はあるが、そのときはリズの魔術で焼いてしまえばいい。


 道中には小川や湧き水がいくつもあったので、飲み水には困らなかった。リズが鑑定した野イチゴなどを口に入れながら、ハキムたちはメサ導師の庵を目指す。


 馬車での旅に比べて脚は疲れるが、一日ぐらいならこういうのも悪くない。


 北と西の方角には、広大なネウェル山地が広がっている。天空を削るが如くそびえる山々が、霧の中からハキムたちを見下ろしていた。


 夏が近づくこの季節でさえ、最も高い峰の近くには、冬に積もったと思われる雪が残っている。それより標高の低い場所を覆うのは、茶色い、荒れた山肌だ。ところどころ見える植生は貧弱で、お世辞にも緑豊かとはいえない。


 ネウェル人がいつからこの山地に住み始めたのか、ハキムは知らない。内向的で排外主義。しかし誇り高く慎み深い。それが一般に共有されている、ネウェル人のイメージだった。


「ネウェル人っていうのは、どういう人たちなんだ?」


 立ち止まり、植物の名前をアヤメに教えていたトーヤが不意に尋ねた。彼にはハキムのような偏見がないらしい。


「キエス人とも、グランゾール人とも違うんだよね。両方の混血ってわけでもないと思う」


「あんな岩だらけの山で、何喰って生きてるんだよ」


「……ヤギとかじゃない? 人口は多分一万とか、二万とか。それがいくつかの氏族に別れて生活してるって感じかな」


 国家と国家に挟まれながら、寒さも厳しく痩せた土地で、細々と暮らす少数民族というところか。


「もし戦争が起こったら、彼らは……」


 トーヤはまだ見ぬネウェル人を気遣うような表情で、荒涼とした山肌を見上げた。


「ネウェル人の山岳騎兵は、険しい土地を自在に動き回るって言うけど、実際はどうなんだろうね」


 軍事に疎いリズは、そう言って肩をすくめた。

 


 太陽が西の山々に沈むころ、ハキムたちは予定よりも早く、目的地付近に到着した。そこはせいぜい十数軒の家々が散らばる、小規模な農村だった。


畑には収穫を待つ麦の穂が、山地から吹く涼しい風に揺れている。グランゾールでよく見る麦とは、少し品種が異なるようだ。


 ハキムたちは適当な家を訪ね、メサという人物の住居はどこかと質問する。そういう名前の人物ならば、村はずれに住んでいる。家の前に薬草園を作っているから、外から見てすぐに分かるはずだ。


 食事の準備中だった朴訥な農民は、ハキムたちに物珍しげな視線を投げかけながらも、そう教えてくれた。


 学院の魔術師というのがどれくらい偉いのかよく分からないが、農民に混じって生活しているようなのはさすがに少数派だろう。学院を追われた、ということと関係があるのだろうか。


 村の辺縁部まで歩いて行くと、遠く窓から明かりの漏れる、小さな家が見えてきた。村で見た他の家屋と同様、外壁は黒っぽい木材で、屋根は藁で葺かれている。全体的に重たい印象を与えるシルエットの家だった。


 先程教えられた通り、前庭には薬草畑がある。そこで植えられている様々な植物が放つにおいが混じりあい、家屋周辺には一種名状しがたい雰囲気が醸成されていた。これで住人が魔術師だというのだから、怪しげなこと限りない。よく村民や領主に排斥されないものだ。


 とはいえ、尻ごみしてはいられない。ハキムたちは植えられた薬草を踏まないよう前庭を横切り、重たそうな木の扉を叩いた。


「メサ導師。いらっしゃいますか。書簡を受け取りました。エリザベスです」


 リズが呼びかけると、すぐに反応があった。


「入りなさい」


 扉を開くと、そこは二、三のランプに照らされた一つの部屋だった。手前には土間とかまど、中央にテーブル、奥にはベッド。しかし部屋にあるのはそれだけではなかった。


 壁際に並んだ大小いくつもの棚。そこにはよく分からない液体や粉、干した薬草などが置かれている。かまどでは鍋に入った正体不明のスープが、とろ火で煮こまれていた。


 家の主はあまりに存在感が希薄だったので、ハキムは一瞬、声を出した人間はどこに消えたのか、と探してしまった。彼女はテーブルについていた。


「よく来ましたね、エリザベス」


 メサ導師は、分厚い灰色のローブに身を包んだ細面の女性だった。ハキムは一目見て、その若さを意外に思った。年齢はリズより少し上か、どう高く見積もっても三十四、五にしか見えない。最高位の魔術師というからには、鉤鼻の老婆を想像していたのだが。


「お久しぶりです、メサ導師。相変わらず………お若い」


 リズはそう言って、うやうやしく一礼した。どこか含みのある口振りからすると、どうもメサ導師の見た目と年齢には食い違いがあるようだ。彼女が扱う魔術が関係しているのかもしれないが、さすがに初対面でそれを尋ねるのは憚られた。


「お世辞は結構。ともあれ長旅ご苦労様です。まずは座りなさい。お友達も一緒に」


 灰色の魔術師はおもむろに椅子から立ち上がり、鍋に追加の水と具材を投入した。ハキムたちは言われるまま扉を閉め、テーブルの傍に座る。部屋の中に椅子は二つしかなかったので、ハキムとトーヤは床に腰を下ろした。


「さて。エリザベスから聞いているかもしれませんが」


 メサ導師は煮える鍋からこちらに振り向き、穏やかな表情でハキムたちに微笑みかけた。改めて見てみると、その髪も瞳も、虚ろさを感じさせるほどの深い黒である。


「私の名はメサ。かつてキエスの学院にいましたが、今はただの老人です。エリザベスが迷惑をおかけしませんでしたか」


「かけたはかけたが、それほどじゃない」


 ハキムの答えに対して、リズが不満げな顔をしたのが分かった。それを黙殺しつつ自己紹介する。トーヤもそれに続いたが、メサ導師は彼がアヤメの名前を出しても、眉一つ動かさなかった。


「随分と変わった出自のパーティーですね。けどだからこそ、弱点をうまく補い合えるのかもしれません」


 メサ導師はそう感想を述べてから椅子に戻る。足を組み、両手の指を胸の前で合わせて、レザリアでの探索行について話を聞きたがった。


 話の合間に供された食事は、ヤギと思しき肉の入ったスープだった。塩気は薄かったがその分香草が多く使われていて、食べ終わったあとには薬効なのか身体がぽかぽかした。


 レザリアでの冒険やそこで見たものについては、まずリズが語り、やがてハキムやトーヤも話に加わった。その中ではリズが学院を出てからアルムに辿り着くまでの旅が述懐されたが、思えばそれはハキムが初めて聞くエピソードだった。


 アルムへの旅は探索行に直接関係がないので、かなりの部分が省略されていた。


 しかし今まで生まれた国を遠く離れたことのなかったリズが、反抗心と不安の間で葛藤した末に学院を出奔し、慣れない世間に苦労し、追手の脅威に晒されて恐怖しながらも、やっとの思いで目的地にたどり着いたことが、その話し振りから感じられた。


 そして仲間を得てアンデッドの蔓延る地下に潜り、僅かばかりの黄金を拾い、魔術師ヘザーに襲われ、図書館で古代の生き残りと出会い、無法者に攫われ……。


 やがて話は宮殿の最上部に辿り着き、黄金の天象儀にまみえ、オヴェリウスと対決し、崩れ行くレザリアから逃げ出すところまで及んだ。


 探索行の終わりが語られるころにはすっかり夜が更け、丸一日歩き詰めだったハキムは、その時点で強い眠気を感じ始めていた。


「質問や考察は、明日にした方が良さそうですね。ところで、今日の寝床ですが……」


 三人の疲労を感じ取ったのか、メサ導師が会話を切り上げた。


 部屋にベッド一つしかない。ハキムたちは必然的に床で寝ることになるが、それは初めから分かっていたことだ。


「お気遣いなく、師匠。自前のがあるから大丈夫だ」


 ハキムは欠伸をしながら言った。ベッドが使えなかったとしても、獣や虫の心配がなく、風雨を凌げるだけでもありがたい。


 久しぶりに安全な寝床で寛ぎながら、ハキムは毛布にくるまった。外では風が吹いているようで、分厚い扉がわずかに揺れる音がする。それを子守歌代わりにし、嗅ぎ慣れない薬草のにおいに包まれて、ハキムは深い眠りに落ちていった。


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