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GLITTERS2 -霧降る山と夕暮の竜-  作者: 黒崎江治
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エピローグ 故郷

 千年の間、他者を寄せ付けず、また自らも豊かさを望まず、ネウェルの地と夕暮の竜を守り続けてきた守り人たちは、野望を抱いた為政者たちと、レザリアから蘇ったオヴェリウスの魔術、その成果であるアンデッドたちに敗北した。


 カダーヴ砦から出撃した勢力だけでなく、キエス側、グランゾール側からも兵が侵入し、集落を焼いた。山岳騎兵たちの善戦にも関わらず、それらは容赦なく守り人たちを駆逐していった。


 戦士や住民は一部が捕らえられ、一部がネウェルのさらに奥地へと逃げ込み、一部がポート公国やグランゾール西部の所領に落ちのびた。


 道中、ハキムたちに追いついてきた若い守り人は、故郷の状況をそのように語った。片目を負傷した彼は氏族の仲間と共に戦ったが、多くが討死し、散り散りになってしまったとのことだった。その守り人は疲れ果てた様子で馬に乗り、ハキムたちに先行して、街道を進んでいった。


 ハキムたちはネウェル山地の麓から徒歩で一日行ったところにある、フェリアという町を目指していた。


 敵による追撃はなかった。なぜなら、領の境でポート公国の兵が大規模に展開し、防衛線を張っていたからだ。


 彼らの司令官は詳しい理由を話さなかったが、ハキムたちを含む、ネウェルからの避難民に対して、領内の通過を許可した。あまつさえ、フェリアに行き庇護を求めよ、とまで勧めてくれた。


 ポートの兵が国境を警備している理由は分かりやすい。敵を追うという目的があったとしても、何の取り決めもない他国の兵が領内に侵入するのは、為政者にとって好ましくない。


 しかしそれは、守り人たちに対しても同じはずだ。虐げられた人々に対する慈悲か、あるいは複雑な政治の思惑か。どちらにせよ今の状況では、何かが分かるはずもない。


 今夜こそベッドで眠りたい、という欲求を支えにしながら、ハキムたちは麓から一日半ほどを掛けて草原の街道を進み、フェリアの町に到着した。


 フェリアは人口二千ほどの町だが、その郊外には既に数百人規模の居住地ができていた。立ち並んでいるテントは、逃げてきた守り人たちが建てたものだ。周囲を領主の兵が警備しているものの、捕虜という風ではない。居住地の中心には、物売りの屋台さえ立っている。


 テントの周囲には遊ぶ子供たちの姿や、炊事のために立ち働く女性があった。しかし怪我をしている若者や、甲高い声で泣き続ける赤ん坊、ネウェルの峰々を悲しげに眺める老人もいた。そこには戦争が残した、決して浅くはない傷跡が見て取れた。


 さすがに市街に入るのは許可されなかったので、ハキムたちは離れた場所に見える宿屋に恨みのこもった目を向けながら、居住地の一角で野営することにした。


 一昨日とは違う心持ちで夕暮を眺め、小さな火を焚いてスープを作る。屋台で購入した新鮮な果物を噛むと、改めて旅の疲労が意識された。


 今後の方針を考えるのは、ひとまず明日の自分に任せよう。ハキムたちはほんの少し遠くなった星空を眺めながら、やがて深い眠りに落ちていった。



 翌日の午前中。ハキムたちは街道の東からやってくる、意外な人影を見た。


「あれ、メサ導師?」


 彼女は避難してきた何人かと一緒に、馬の手綱を引いて歩いてきた。その馬の上にはマリウスの姿があった。しかし彼は憔悴しきっていて、身体のあちこちを負傷していた。特に右腕は、ほとんど付け根から失われていた。


「叔父さん!」


 それでもソニアが駆け寄ると、マリウスは笑顔を見せた。馬から降り、彼女を抱き上げられない代わりに、左手をソニアの頭に乗せ、その頬を寄せた。


「君たちが守ってくれたのか。……ありがとう。本当に」


「そっちも命があったようで何よりだ、マリウス。師匠も」


「ええ。ですが多くの命が失われ、ネウェルは征服されました。……学院の賢者が一人、死んだようですが」


「それはコイツが」

 ハキムは親指でリズを示した。


「あの、メサ導師、夕暮の竜は……」

 言いかけたリズを、導師は手で制した。


「ここでは目立ちます。向こうでゆっくり話を聞きましょう」


 ハキムたちは目立たない一角に移動し、こっそりと荷物を広げた。メサ導師はまた臭い煎じ薬を作り、マリウスに飲ませている。


「集落の人たちはどうなりました」

 マリウスの傷に目を遣りながら、トーヤは尋ねた。


「……勇敢に戦ったよ。ヴァンドルに手傷を与えるところまで食い下がった。勝つところまでは行かなかったが」


 マリウスは失われた右腕の付け根をさすった。その奮闘が、軍の進行を遅滞させたのは確実だ。ハキムたちが扉を開け、秘儀書を持ち出すまでのわずかな時間は、彼らによって稼がれたのだ。


「それでも、多くが死んだ。……我々の戦いに意味はあったのだろうか?」


 マリウスは左手で顔を覆った。彼は戦士たちの死を回避しようとしたが、結局それは叶わなかった。


「俺たちは夕暮の竜を見つけた。アンタが見たかどうかは分からないが」


 ハキムは石扉の向こうで見たものを、石棺の中で見つけたものを、そしてリコ王と語ったことを、マリウスに話して聞かせた。


「そうか」


 聞き終わった彼はそれだけ呟いて長い間沈黙し、顔を覆ったまま、数滴の涙をこぼした。


「我々は務めを果たしたのだな」


 ソニアが慰めるように、マリウスの背をさすった。


「で、手に入れたのがこれだ」


 ハキムは荷物から秘儀書を取り出し、メサ導師の目の前に置く。茶色い革で装丁された、大判の本。一見するとただの古書で、特別なものには見えない。


「中は当然古代語だった。でも多分、オヴェリウスの魔術に関することとか、それへの対抗策とかが書いてあると思うんだよな。だから、学院の連中も必死になって手に入れようとした。ヤツら、中身を知ってると思うか?」


「どうでしょうね。しかし強大な力を持つ者ほど、小さな穴を塞ぎたがる」

 メサ導師は秘儀書の表面を指でなぞった。


「それから、これは約束の品だ」

 ハキムはほんの少し迷ってから、竜の瞳を地面に置いた。


「夕暮の竜……こっちの秘儀書は貰いたい。竜の瞳は約束通り、アンタらに返す。もう一つはおまけだ」


「すんなり返すなんて意外」

 リズが茶化した。


「見くびるなよ。契約はちゃんと守るぜ」


「ありがとう。しかし、もう我々には意味のないものだ……」


 マリウスはうなだれたまま、二つの瞳をハキムに返そうとした。


「はああ?」


 その様子を見たハキムは、思わず腰を浮かせて大きな声を出してしまった。ソニアがびくりと肩を震わせる。


「ふざけんなよ。トパーズに、アメジストだぞ! この大きさで! この純度で! それを俺が返してやるっつってんのに――」


「ハキム、落ち着いて。落ち着いて」


 リズになだめられて少し冷静さを取り戻し、ハキムは再び地面に腰を下ろした。


「……守る意味は別に無くなったっていいだろ。でも宝石としての価値が無くなったわけじゃない。売れば金貨五千枚とか、一万枚になるかもしれない。


 ここの連中が持ってる食料はいつまでもつ? それからの暮らしはどうするんだ? 夕暮の竜を守る使命が無くなっても、人はメシを食わなきゃいけない。生き残ったら、生きて行かなきゃいけないんだ」


 ハキムはトパーズをマリウスに、アメジストをソニアに、無理やり手渡して握らせた。


「ちゃんと返したぞ」


 マリウスはそれを見つめて、ゆっくりと頷いた。


「分かった。厚意を無駄にはするまい。しかし、どうやってこれに報いればいいか……」


「約束通りなんだから礼は……いや、そうだな」


 ここは無理やりにでもこじつけて納得させてやるのが、むしろ人情というものだろう。


「俺は盗賊だ。だからもし盗みに失敗して、怪我をして戻ってきたら、匿ってくれよ。あったかい寝床と、うまいメシを頼む。俺は優秀だから、そうそうないとは思うが……」


 ハキムが冗談めかして言うと、マリウスはようやく表情を和らげた。


「ああ、約束しよう」


「また遊びに来てくれる? トーヤも、リズも?」


「約束するよ」

 トーヤが言って、ソニアの頭に手を置いた。


 そのときは願わくば、ネウェルの地で。故郷を追われた守り人たちは、これから多くの苦難を経験するだろう。そのとき彼らは、故郷を想いながら耐えるのだろうか? 夕暮の竜を守る意味はなくなったが、愛する人々と生きた場所を。


 今のマリウスたちを前にして思うのは不謹慎かもしれないが、帰る家があるというのはいいものだ。いつか自分にもそんな場所ができるだろうか。できるとしても、当分先にはなるだろうが。


 自分たちには、まだ色々と解決しなければならない課題がある。秘儀書の解読とか、学院との因縁とか、ガラス球のこととか、当面の生活費のこととか。


 しかしひとまずは、ゆっくり休息するとしよう。肩の傷も完全に癒えてはいない。リズも体力を消耗している。トーヤにもだいぶ無理をさせてしまった。


 晴天の下、草原を吹き抜ける風が心地よい。ベッドで寝たいと愚痴をこぼすリズをなだめながら、ハキムたちはそれからの数日を過ごした。

第三部、盟約の国と星渦の玻璃球(仮)に続きます。

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