表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
GLITTERS2 -霧降る山と夕暮の竜-  作者: 黒崎江治
25/29

第二十五話 夕暮の竜 -1-

「瞳の透かしを光に当てて、図柄を投映したものかな」


 ハキムたちが手に入れた油紙について、リズが推測を述べる。真偽は定かでないが、当たらずとも遠からずだろう。


 透かしに何か意味があるとは分かっても、一つだけでは役に立たない。二つ揃ってはじめて、夕暮の竜へ至る手がかりとなるのだ。それはもしかすると、片方が奪われたときの備えだったのかもしれない。


 ともあれハキムたちは、夕暮の竜がある場所を示す地図を手に入れた。さらに注意深く見ていくと、今いる仔竜の道と同じような回廊が、地図の上にも存在する。縮尺としても、それほど広域を示すものではないように思われた。


「どう思う?」

 ハキムは重ねた油紙を地面に置き、全員に意見を求めた。


「どこか見晴らしのいいところに行って、地形を確かめた方がいいかも」

 ソニアが言った。


「ところで、ここの印は?」

 トーヤが地図の一点を指し示した。竜の近くに描かれたバツ印だ。


「分かりやすい目印ランドマークとか? でもそんなのがあれば、夕暮の竜もすぐ見つかりそうだよね」


 ハキムは首のうしろをごしごしとこすり、次にするべきことを考える。


「まず、集落に戻ろう。それから地形を把握する。夕暮の竜はそんなに遠くないと思うが、敵がここまで戻ってくるのも時間の問題だ。のんびりしちゃいられない」



 数日振りに仔竜の道近くの集落に戻ると、ハキムたちは雰囲気の変化を強く感じた。集落には東の前線から運ばれてきた思われる負傷者が、十人、二十人といった単位で増えており、人々は誰もが不安そうな表情で囁き合っていた。


 話を聞いてみると、ラルコー=キエス連合軍、およびアンデッド兵による襲撃が昼夜を問わずおこなわれ、守り人たちは苦戦を強いられているらしい。


「叔父さん……」


 守り人たちの兵力も、士気も、体力も限界に近く、もはやどれだけ保つか分からない、というのが率直な状況であるようだ。


 そして現在、おそらくは敵の本拠に戻ったクリードは、ハキムたちの行為を軍に伝えただろう。竜の瞳によって得た手がかりを奪われたとなれば、敵は無理やりにでも攻勢をかけ、夕暮の竜を目指すはずだ。


 ハキムたちは休息もそこそこに補給を済ませ、集落を出た。溶け残った万年雪を横目に見ながら、強行軍で近くの峰に上り、地形を観察する。


 東西に連なる霧を冠した峰々は、なるほどごつごつした竜の背に似ていなくもない。夕暮の竜とはこの地のどこかにある何かではあるのだろうが、もしかすると守り人たちは、この地をこそ夕暮の竜とみなしていたのかもしれない。


 それはすなわち愛する家族がいる地であり、ときに厳しいが美しい故郷であり、先祖代々が生きて、死んでいった場所なのだ。竜の瞳と夕暮の竜が何であるかは関係なく、それはこの地と守り人たちの象徴だったのだろう。


 しかし今やそれのおかげで、守り人たちは全滅の危機に瀕している。彼らの犠牲を無駄にしないためにも、夕暮の竜を確保しなければならない。


「この山は多分、あそこだと思う。だとすると今私たちがいるのは、このあたり」

 ソニアが地図と景色を見比べて、現在位置を推定する。


「そうすると、竜まではどれくらいかかる?」


「多分、丸一日ぐらい……」


 やはり、それほど遠くはなかった。ネウェルの尺度で言えば、目と鼻の先だと言ってもいい。クリードたちは、夕暮の竜の目前まで迫っていたということだ。


「もう行くの? 少し休もうよ」

「気合い入れろ、リズ。置いてくぞ」



 途中で一度の野営を挟み、ハキムたちは先を急ぐ。尾根を越え、沢を渡り、谷を進んでいく。道なき道の険しさもさることながら、いつ敵が背後に迫ってくるかと思うと、嫌が応にも焦りが募り、それが疲労を増幅させる。


 カダーヴ砦から夕暮の竜まで、馬で進めば二日程度で到達できる。守り人たちがどれだけそれを食い止められるかはわからない以上、一刻たりとも無駄にはできない。


 全員の足が砂袋のように重くなり、歩みが目に見えて鈍りはじめたころ、ハキムたちはようやく目的地周辺に到達した。


 そこは比較的平坦な土地だったが、集落も畑もなく、また植物も生えていなかった。大小の石だけが転がる、ひたすらに不毛な場所だった。少し離れた場所は崖になっていて、遠く西方を見渡すことができる。


「妙な臭いがする」


 その場所に立ち入ったハキムは鼻を鳴らした。腐った肉か卵に似た臭いが、風に混じって漂っていた。


「硫黄のガスだ。近くに噴出口があるんだと思う」


 リズが言った。よくよく景色を見てみれば、少し高くなった場所に、黄色く結晶化した硫黄の塊を見ることができた。魔術師や医師、錬金術師が何かの材料として使うようなことはあるらしいが、市井ではあまり見かけない代物だ。削って持ち帰れば、いくらかのカネになるだろうか?


「あんまり……近付いちゃいけない気がする」


 ソニアが不安そうに言った。確かに長居はしたくない場所だが、夕暮の竜を探すためには仕方がない。地図に描いてあるバツ印は、ガスの噴出口を示していたのだ。


「大丈夫だ、ソニア。進もう」


 トーヤが先導し、ハキムたちは崖の近くまで歩いて行く。高所から崖下へ重いガスの流れができているようで、風が吹いてもガスは去らない。こんな場所では放牧も耕作もできず、定住などもってのほかだ。だからこそ夕暮の竜を隠すのに好適、ということなのだろう。


 地図が示すのはここで間違いない。ハキムたちは苔の一片も生えていない、乾いた地面を丹念に捜索していく。夕暮の竜がオヴェリウスと同じ時代の遺物なら、千年の時間が経っているのだ。埋もれてしまっていても不思議ではない。


 一度、二度と休憩を挟み、広い地面を舐めるように探す。やがてソニアが、砂利の下にある、黒い板のようなものを発見した。彼女に呼ばれ、全員が集まる。


「ソニア、よくやった」


 ハキムがぐしゃぐしゃと頭をなでると、ソニアは得意げな笑顔を見せた。


 改めて見ると、黒い板の材質は黒曜石であるようだ。人間の手による細工が施されており、意図的にここに配置されたことは明らかだった。


 興奮を抑え、全員で時間をかけて砂利を除けていくと、それは縦横五歩ほどの大きさがある石扉の一部だった。黒曜石の板と思しきものは、巨大な竜の浮彫レリーフだ。


「これが、夕暮の竜か……」


 ハキムは感慨を持ってそれを見下ろした。これが扉ならば、その奥には空間がある。あるいはその中に収められたものこそが、竜と呼ばれているのかもしれない。


 しかし何にせよ、ハキムたちは探索の目的を達成したのだ。


 レリーフの周りは白い大理石でできていた。千年近くの時を経てなお、その形は一片たりとも損なわれていなかった。


「これ、開くと思う?」


 石や砂利をすっかり除けたとき、リズが言った。内開きなのか外開きなのか、はたまた引き戸なのかは分からないが、まずもって人力で動かすのは不可能なように思われた。梃子でこじ開けようにも石の扉は分厚く、そもそもナイフを挿し込めそうな隙間もない。


「もしかすると、この眼は……」


 トーヤが黒竜のレリーフにしゃがみこみ、その虚ろな眼窩をなでる。眼窩には深い窪みがあって、ちょうど何かを嵌め込むような形をしている。


「防護の魔術は……かかってる。まさか、瞳がないと開かない?」


 おそらくはそのまさかだ。竜の両眼は、夕暮の竜の場所を示すだけのものではなかった。実のところそれは、重厚な扉を開くための鍵でもあったのだ。


 しかしハキムは、この状況を手づまりとは考えなかった。


「俺が開ける」

 レリーフに触れながらハキムが言うと、リズが怪訝な顔をした。


「どうやって?」


「これは壁じゃない。扉だ。そんでもって、この窪みは錠だ。俺の二つ名を思い出せ。今まで、俺に開けられない扉があったか?」


「でも、これ多分魔術的な鍵だよ」


「それでもだ。水や油の力で開く扉もある。どんな種類であれ、仕組みなしに動くものはない。どのみちこれを開けなければそれまでだ。俺たちはどこにも行けない。俺を信じろ。開けてみせる」


 そうしなければ〝マスターキー〟の名折れだろう。ハキムは腹を括り、改めて扉を調べ始めた。


 硫黄ガスの臭い手で払い、黒竜が彫刻された扉に這いつくばる。強度はどうなっているか。構造はどうか。レリーフの中に仕掛けが隠されていないか。


 扉は山肌にへばりつくように、少し斜めに傾いている。扉の外側には扉よりもややくすんだ色の石壁があった。おそらく箱か、それに似た形の何かが地面に埋まっていて、扉はその最上部なのだろう。


「……どうだい? ハキム」


「ちょっと扉の上に、そこの石を落としてみてくれ」


 隠された構造は目で見えず、手で触れることもできないが、鋭敏な盗賊や鍵師はそれを耳で看破する。ハキムがまず試したのは、隠し扉や隠し部屋、手の込んだ罠などを見つけるための方法だった。扉の中央部分に片耳をくっつけ、石が落ちた反響を注意深く聞き取る。


 トーヤがリンゴほどの石を落とすと、ハキムの耳にコォン、と固い音が届く。


「もう一回」


 少しずつ位置を変えて、響き方の違いを確かめる。


「もう一回だ」


 それを何十回も繰り返していると、喉と目がしぱしぱしてきた。


「クソ、ガスのせいか」


「一度休憩しよう、ハキム。夜まではまだ時間がある」


「まだ大丈夫だ。それに夜でも作業はできる」


「そうかもしれないけど、無茶はしちゃだめだ。君が倒れたら、誰も扉を開けられない」


 仕方ない、とハキムは石扉から耳を離した。


「……分かったよ。鍵と聞いて少し興奮しすぎた」


 ハキムたちはガスが届かない場所まで後退し、水で眼と喉を洗った。短時間いる分には問題ないが、硫黄のガスは目や呼吸器を冒すようだ。


 半刻ほど休憩して食事を摂り、ハキムは再び調査を始める。今度はリズに手伝ってもらい、トーヤとソニアは周辺の偵察に出てもらった。


 コォン、コォン、と石を打つ音が周囲に響く。


 辛く地道な作業の後、ハキムは石扉の下に在る、何らかの構造を探り当てた。


「ここだ。ここの下に何かある」


「あるのはいいけど、どうやってそれをこじ開けるの? 防護の魔術が掛かってるから、物理的な手段じゃ……」


 ハキムは持ち物の中から不壊の短剣を取り出し、その刃先を爪で弾いた。


「壊れないのはこっちも同じ。挑戦する価値はある」


 壊れない石扉と、壊れない鋼の短剣。傷つきにくさや砕けにくさはよく分からないが、強くひっかけば確かに傷がつく。短剣をノミのようにして、上から石で強く叩くと、ほんのわずかに扉の石材が欠けた。


 しかしこの調子では、指先程の深さを掘るのにも、何刻かかるか分かったものではない。


「リズ、火だ」


「今度はなに?」


「刃先を熱くしてくれ。鋼が溶けるぐらいの温度で頼む」

 ハキムは火鼠の手袋を着けて、刃先を石扉に当てた。


「私、そういう繊細なの苦手なんだけど」

「いいから」


 リズがしぶしぶ頷いて、エーテルを操り始める。それはくるくると小さな渦を形成し、短剣の刃先に集中する。しかし長時間それを保つのは中々難しいようだ。


「あつ、熱っ! おい、靴が焼ける」

「黙ってて」


 練り上げる、練り上げる、とリズが口の中で呟く。彼女の集中力が高まるにつれ、刃先に溜まる熱量も多くなっていく。不壊の鋼は赤熱を通り越して白熱し、激しい光を放つ。ハキムがそれを石扉に突き立てると、ずぐりと刃先が埋まった。


「……よし」


 手先で抉るように短剣を動かすと、刃の太さと同じくらいの穴が開く。しかし石扉がすぐに熱を吸収してしまうため、一度では奥まで至らなかった。


「もう一度だ」


 ハキムとリズは、同じ作業を何度も繰り返した。火鼠の手袋を着けているので、持ち手を火傷することはないが、焼けた鋼は周囲の温度を急上昇させる。二人の顔は熱で茹だったように赤く火照り、落ちた汗は高温になった石でじゅうじゅうと蒸発した。眼は光と硫黄ガスでちかちかと痛む。


「もう少し。がんばれ」


 ハキムは流れる汗を腕でぬぐい、リズを叱咤した。既に夕刻。日暮れまでには作業の目途をつけておきたいところだ。


 ふとリズが何かの音に気付き、顔を上げた。ハキムがそれに釣られて振り返ると、トーヤとリズが小走りで戻ってくるところだった。


「大変だ。ハキム、リズ。敵が迫ってきてる」


 距離と移動速度からして、もはや半刻ほどしか猶予はないとのことだ。


「クリードはいたか?」


「分からないけど、得体の知れない敵もいる。アンデッドかもしれない」


 クリードの撤退後、すぐに駆けつけてきたか。それはハキムが予想していたよりも、かなり早い到着だった。


「大丈夫だ。間に合わせる。リズ、もう一度火を」


 音の反響からして、石扉の半分近くは掘り進んだはずだ。もう少し。刃先を熱し、掘る。熱で頭がくらくらする。ガスの溶けた汗が目に入り、開けていられないほどに沁みる。


 やがてハキムの指先が、わずかな違和感を捉えた。刃先を穴から引き抜き、覗いてみると、わずかに煌めく何かが見える。


「金の……、なんだこりゃ。導管か?」


 もう一度刃先で触れる。チリッ、と音がして火花が散った。それと同時に、ハキムたちの乗っていた石扉が震えた。ハキムは顔を上げ、その場にいる面々を得意げに見まわす。


「どうだ?」

「いいから早くして」

「はい、はい」


 穴に入れた短剣の刃先に力を籠める。ジリジリバチバチと火花は大きくなり、ついに扉が開き始めた。


 周囲の砂利が機構に巻き込まれ、砕ける音が辺りに響く。石扉が、黒竜が、左右の壁へと収納され、秘められた内部が露わになった。ハキムが慌てて短剣を抜いて石扉から飛び去ると、ぽっかりと空いた四角い空隙くうげきの中、地下へと続く階段があった。


「すごい……」


 ソニアが感嘆と、少しの畏怖が混じった声で呟いた。


 ハキムたちは興奮を抑えて、一旦荷物のところに戻った。顔を洗い、持ち物を整理して、再び扉の前に立つ。


「さて、おとぎ話の竜は、金銀財宝を蓄えてるって言うが……」


 千年間閉ざされていた竜の体内。果たして何が待ち受けるのか。ハキムは先頭で松明を持ち、暗い地下空間へ、ゆっくりと足を踏み入れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ