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GLITTERS2 -霧降る山と夕暮の竜-  作者: 黒崎江治
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第二十四話 仔竜の道にて -4-

 青白い蝶の群は霧を纏い、乾いた空気を奇妙に歪める。


 ハキムはそれを見て直観した。冷気だ。


 道を歩く集団に一人、魔術師らしき人物がいた。今目の前にしている現象と併せて考えれば、彼が〝眠り蝶〟のクリードであるのは間違いない。


 殺到する冷気の蝶を、ハキムたちは間一髪で避けた。二人や三人ならば、一度に巻き込んでしまえるような広範囲の攻撃だった。


 ハキムは蝶の直撃を受けなかったが、息を吸った瞬間、喉の奥に氷柱を挿し込まれたような苦痛を覚えた。一瞬遅れて、それが極低温の冷気を吸ったことによるものだと理解した。


「受けるな! 心臓が止まるぞ!」

 そう警告するも、どう対処していいか咄嗟には分からない。


「みんな下がって!」


 リズに指示され、彼女を覗く全員が、魔術師の視界から外れようと後退した。


「この……っ」


 殺到した蝶の群に拮抗しようとして、リズはプラズマを乱舞させた。超高温と極低温が混濁し、互いを散らせ、溶け、爆ぜる。しかしエネルギーの総量に明らかな差があるようで、リズの周りを徐々に蝶が覆っていく。まずい。


 ハキムとトーヤはリズに駆け寄ると、蝶の群に腕を突っ込んでローブの端を掴んだ。熱いのか冷たいのかよく分からない層を通り抜けて、なんとか彼女の身体をこちら側に引き戻す。そのまま三人で転がるように、崖際から避難する。


 しかしそれで安心、とはならなかった。纏まっていた蝶が今度は散開し、吹雪のような激しさで辺り一帯を乱舞し始めた。


 これでは避けようがない。蝶が一匹身体に触れるたび、痺れるような冷たさが襲ってくる。それ単独で致死的というわけではないが、そう長く耐えられるものでないのは明らかだった。


 幸い、蝶たちに知覚はなく、ただ命じられるままに舞っているだけであるようだ。ハキムは地面にうずくまり、蝶が触れる部分を少なくしようとした、ソニアにも同じようにしろと身振りで指示する。


 しばらくすると敵も少しは息切れしたようで、蝶の群は文字通り霧散した。あたりの地面は、いつのまにか一面の霜に覆われている。


「そこにいるのは〝灰燼〟のエリザベスか! 同胞殺しの異端者め!」

 クリードの野太い声が崖下から響いてきた。


「黙れ! オヴェリウスの尖兵め!」


 リズも負けじと崖下に向かって言い返す。そこ目がけて小さな氷塊が飛んできたので、彼女は慌てて身を隠した。


「どうするトーヤ。手強そうだぞ」


 すっかり冷たくなった手を首で温めながら、ハキムは言った。手近にあった荷物から火鼠の手袋を取り出して、身に着ける。肘までしか守れないが、何もないよりはましだ。


「弓で何とかならないか?」


「見えてれば狙える。でも、さっきみたい広範囲の攻撃がきたら、正確に撃てるかどうか自信がない。それに、岩か死体に隠れられると厄介だ」


 となると、他にも策を寝るべきか。ハキムが考えを巡らせていると、用意したまま使っていなかった油の壺が目に入った。


「そんなに賢者の位が欲しかったのか! 俗物! 凡人!」


「黙れ、小娘が!」


 罵倒の応酬が続いている。ただしリズの方は、意識して時間を稼いでいる風でもあった。


「……よし。トーヤ、ソニア、弓の準備をしといてくれ」


「ハキムは?」

「考えがある」


 ハキムは壺の蓋を取り、中身を両腕に掛ける。粘性のある黒い鉱物油が、手袋の上からべったりと付着した。そのままリズの傍らに行く。


「火をくれ」

「え? でも」

「いいから火をくれ。援護は任せた」


 リズが指先でハキムの腕に触れると、付着した油に引火して燃え始めた。


「あっつ!」


 手袋で覆われた部分は平気だが、それより上を炎が舐める。火傷が酷くなる前に、ハキムは崖際に立ち、縁の外に踏み出した。


「ちょっと?!」


 リズの叫びを背に、ハキムは斜面を滑り降りる。高さとしては、失敗して死ぬほどのものではない。


 クリードがこちらに気付き、蝶を放つべく手をかざす。しかしそれとほぼ同時に、リズのプラズマが直上から襲い掛かった。


 防御と攻撃に分散したクリードの蝶を、ハキムは顔の前で交差した両腕の炎で受け止めた。冷気全てを相殺するには不足だが、致死的なダメージを防ぎつつ、崖下への到達に成功した。服が一部凍って動きにくい。


 目前では、リズの魔術をクリードが力押しで跳ね除けた。しかしその時点で、ハキムは彼から三、四歩の距離まで迫っていた。


 地面を蹴り、炎が消えた両腕を広げて飛びかかる。クリードの目が驚きで見開かれた。その焦げ茶のローブを掴み、地面に引き倒す。


 頭を打ち付けたクリードは苦痛に喘ぎながらも、手近な石を掴んで反撃してきた。馬乗りになろうとしたところで負傷した左肩を強打され、今度はハキムが呻き声を上げる。勢いのまま転がって追撃を避けるが、敵にも時間を与えてしまった。


 態勢を整えたクリードが手をかざすと、その周囲で不可視のエーテルが渦を巻き始める。この距離で冷気の直撃を受けるのは非常にまずい。


 しかし蝶が顕現する直前。高所から二本の矢が飛来した。そのうち一本がクリードの左人差し指を切断し、もう一本とともに、音を立てて地面に突き刺さった。


「うっ」


 クリードが苦痛に呻き、魔術が中断される。負傷した手を押さえ、崖の上に目を遣った魔術師は、不利を悟ってさらに表情を歪めた。


 優れた射手が使えば、弓の連射速度と精度はかなりの脅威になる。すぐ前にいるハキムを魔術で殺したとして、高所の二名に隙を与えれば、致命的な一矢を受けかねない。


 結局、クリードは逃走を選択した。彼はいかなる方法によってか、その身体を水か泥のような、黒い不定形の何かに変え、べしゃりと地面に落ちた。不定形はほんの少し表面をざわめかせると、乾いた空気に溶けるようにして消えてしまった。


「おいおいおい」


 あとに残ったのは、かつてハキムも見たことがあるものだった。アルムで戦ったヘザーが消えたときと同じ、黄金のキューブ。ハキムはそれを拾い上げ、無事に敵を撃退した安堵と、重要人物を逃がした悔しさの両方を感じていた。


〈皇帝オヴェリウスの偉業を讃えよ。一千年続くレザリアの繁栄を讃えよ〉


 キューブの表面に刻まれた文字。そして四つの弧が背中合わせになったような、オヴェリウスのシンボル。ハキムがそれを見つめていると、崖上からロープを伝って三人が降りてきた。


「ハキム、大丈夫か」


「ああ、とりあえずはな。でもクリードを逃がした」


 ハキムは左肩をさすりながら答える。改めて周囲に目を向けると、一定の範囲が霜に覆われている。それと砕けた岩。死体。


 落石の罠は想定よりも大きな効果を発揮し、クリード以外四人のうち三人に命中していた。兵士二人は頭と胴体に直撃を受けてほぼ即死。一人も脚が折れていた。彼はおそらく生きていただろうが、無傷だったもう一人と一緒に、クリードの魔術で死んでしまったようだ。


 咄嗟に放たれた無数の蝶は敵味方を区別せず、白い彫像のように凍り付かせてしまった。うまく溶かせばあるいは蘇生するのかもしれないが、すぐに湯が用意できるわけもなく、見込みは薄いように思われた。


 周囲にはまた、網の残骸も転がっていた。ハキムたちがせっせと作った網はがちがちに凍り、一部は落下の衝撃で砕けてしまっていた。こうなるとただの木枠と大して変わらず、敵を絡めとることはできない。


 状況を見ると、〝眠り蝶〟のクリードがどれだけ恐ろしい敵であったかが分かる。多少離れた距離で戦いが始まったからよかったが、接近戦であの蝶を放たれたら、今頃は全員、氷の彫像になっていたかもしれない。


「いきなり火とか言うからびっくりしちゃった。ほら、腕見せて」


 ハキムは煤で汚れた火鼠の手袋を外した。肘の部分までは綺麗なものだが、それより上に軽い火傷があった。


「適当に軟膏でも塗っときゃ治る。それよりも、相手の持ち物だ。ソニア。お兄ちゃんたちは今から悪いことするからな。あっちでちょっと待ってろ」


「……うん」


 遺品を漁るという行為を抜きしても、頭の潰れた死体は、子供に長く見せておきたいものではない。


 ハキムたちはソニアを目の届く位置で待機させ、残された死体の所持品を漁った。


 水と食料。これはいらない。ロープや金属の杭。これも特に持っていく必要はない。銀貨が合計で十二枚。これは捕虜として連行するとしよう。ラルコーの牢獄で金貨を失ってから、ハキムたちはほとんど金銭を持っていなかった。


「ハキム、リズ。これ、なんだと思う?」


 トーヤが何かを発見したようだ。それは向こう側が透けて見えるほどに薄い油紙だった。そこには絵か記号のようなものが、一つの円で覆われている。


「文字じゃないよな?」


「こんな言葉は知らない。なんかこう……特殊な液体に漬けると模様が浮かび上がるとか」


 三人で首を傾げるが、結局よく分からない。


 一旦保留にして死体漁りを続行していると、同じような紙がもう一枚見つかった。こちらに描かれているものもまた、よく分からない。ただ、全く同じものでないのはすぐに分かった。


 この二つはおそらく対応関係にあるはずだ。しかし、なぜ油紙に描いてあるのだろう。摩耗に強い羊皮紙では都合が悪いのか。


「……あ、そういうことか」


 ハキムはあることを思いつき、それをすぐ実行に移した。二枚の油紙を重ね合わせ、何度か回して位置を合わせる。


 すると、それぞれに描かれた模様は互いの空白を埋め、意味のある形を成した。


「おい、みんなこれ見てみろ」


 ソニアも含め、全員で紙を覗き込む。紙に写っていたのはまさしく地図だった。その中の一点には、小さな竜が描き込まれている。


 これこそが、竜の両眼で見た景色。すなわち、夕暮の竜がある場所を示す地図だった。


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