第二十二話 仔竜の道にて -2-
ソニアの案内で、ハキムたちはネウェルの山地を西に向かっていた。先程までいた集落がある場所は既にかなりの高地で、上に登る必要がないという意味で、旅は多少なりとも楽になっているはずだった。
しかし山である以上起伏は如何ともしがたく、道の未整備も相まって、慣れないハキムたちはまた苦労を強いられた。
道中、雲が浮かんでいる高さと地面の高さが同じくらいになったときは、あたりが濃い霧に包まれたようになり、遠くまで視界が利かないことも多かった。霧で陽射しが遮られるので気温は低くなり、また小さな水粒で衣服が湿る。
それは地面も同様で、岩が露出しているような場所はかなり滑りやすくなっていた。そんなときは二、三歩先の地面を見つめて小股で歩き、足を踏み外さないようにするのだ、とソニアはハキムたちに助言した。
いつ敵と遭遇してもいいよう、こまめに体力を回復しながら慎重に進む。ハキムはふと休息の間、リズが口の中でもごもごと何かを呟いているのが気になった。
「どうした?」
ハキムが尋ねると、リズはもごもごを中断して口を開いた。
「夕暮の竜がどこにあるか、考えてたんだけど」
そう言うと、彼女は以前ソニアが歌っていた一節を口ずさんだ。
「〈哀しみの波が引いたのち、夕暮の竜は西に啼く〉」
「……それが?」
「なぜ夕暮の竜は西に啼くのか?」
「夕暮だからじゃねえの」
ハキムは深く考えずに言った。
「そもそもなんで夕暮なのかって話よ。別に朝焼けの竜でもいいじゃない」
「レザリアがあるから?」
トーヤが答えると、リズは満足したように頷いた。
「そう。夕暮の竜がオヴェリウスと関係のある何かであるのは明白。なら、竜も西方が望める場所にいるはず。他の山で眺めが遮られるネウェルの東部に、夕暮の竜はない」
「レザリアって、ハキムたちが冒険したところだよね?」
ソニアが言った。
「そうそう。そのオヴェリウスが悪いヤツで、一旦は消えたんだけど、本当に消えたの? っていうのがこれまでのお話」
「西にあるんだろうっていうのはいいけど、西っつっても広いぞ」
そもそもネウェル山地からして、グランゾールの端から端までとほとんど同じ幅がある。それを東西に分けたところで、手がかりなどないも同じだ。
「あとは見晴らしのいい高い場所にあるとか……」
「ソニア、何かいい案はないかな?」
トーヤが尋ねると、ソニアは西の峰々を眺めながら考え込む。
「私も全部知ってるわけじゃないけど、全部が入れる場所じゃないし、通る場所もだいたい決まってる。ここを通らなきゃ西に行けない、っていう場所もあると思う」
例えば橋。例えば峡谷。広大な山地といっても、平原とは違う。夕暮の竜がある場所はともかく、人間が通る経路は大体決まってくる、ということだ。
「なら、そういう場所を探して、待ち伏せするのが一つの方法だね。ハキム、どう思う?」
「罠は掛けるより掛けられる立場なんだけどな……。まあ、やってみよう。砦に忍び込むよりは簡単そうだ」
ハキムたちは休憩を終え、地形を確認しながらさらに西を目指した。
◇
やがて日没が近くなったので、ハキムたちは野営に適した場所を探し、そこで小さな火を起こした。炎が遠くから見えると敵を招き寄せてしまうかもしれないので、へこんだようになっている沢の近くで休息を取る。
ハキムとリズは水を汲みがてら、近くの尾根まで歩いた。強い風に吹かれながら北側の麓を見下ろすと、遠くに野営している集団が灯す、篝火の群が見えた。守り人ではなさそうだ。
「キエスの兵が入ってきてるみたいだな」
カダーヴ峠に集結したキエスの兵がおよそ千人。キエス王国がネウェルにどれだけの兵を差し向けているのかは分からないが、この近くにも兵を駐屯させているようだ。
「ねえハキム。レザリアでオヴェリウスが言ったこと、覚えてる?」
「何を」
「アルテナムを復活させるって。もしオヴェリウスが地上に戻って、学院に入ってるんだとしたら、もうそれに手を着けてるのかもしれない」
ハキムがリズの横顔を見ると、遠くを眺めるその灰色の瞳はかすかに揺れていた。
「なんとなく言いたいことは分かる。戦争になったら、一人ひとりでできることは少ない。でも俺らには、俺らなりのやり方があるだろ。盗賊と魔術師と剣士で、黄金の天象儀にも手が届いた」
ハキムは元気づけるように、リズの尻をはたいた。
「土壇場で気弱になるのがお前の悪い癖だ」
「お尻叩かないで」
ハキムとリズは尾根を下り、焚き火で粥を煮ているトーヤとソニアに合流した。
「今、話してたんだけどね」
トーヤが器に盛った粥を、ソニアがふうふうと吹きながら食べる。
「守り人の集落がここから一刻半。そこから少しのところに、〝仔竜の道〟って呼ばれる場所があるらしい」
「どんな場所なんだ」
「水のない谷で、底は三人が並んで歩けるくらいの地面になってるの。前に連れて行ってもらったとき、ここは子供の竜しか通れないから、仔竜の道って呼ぶんだ、って」
ソニアが説明した。名前がついているからには、よく使われる道なのだろう。
「その先には何がある?」
「峠があって、分かれ道がある。もっと先には行ったことないから、分からない」
ハキムのぼんやりした土地勘によると、そのまま北西に向かえばポート公国、南西に向かえばグランゾール西部に行き当たる。人里近い場所に夕暮の竜があるとは考えにくいから、あまり先まで行く必要はなさそうだ。
ならば、夕暮の竜を探す者が、仔竜の道を通る可能性は高い。
「そこで待ち伏せるか。集落が近いなら、補給もできそうだ」
ハキムははふはふと粥を口に運びながら、焚き火の煙が行く先を眺める。晴れた夜空に浮かぶ星々は冷たく光り、戦の臭いが漂い始めたネウェルの地を、平時と同じように見下ろしていた。
◇
わずかに朝靄が浮かぶ晴天の朝。ハキムたちは野営の始末をし、荷物を背負い直して出発した。尾根に登り、麓の方角を見る。敵が近くにいる様子はない。今日明日で敵の視界に捕捉される恐れは、それほど大きくないだろう。
雄大ではあるが、相変わらず味気ない山道を進んで行くと、やがて峡谷に落ち込んでいく道と、高地に上っていく道の分岐に差し掛かった。
「こっちが仔竜の道。こっちが集落」
集落に向かう道には、多くの人々が通った痕跡が残されていた。昨日、あるいは今日の早くに避難してきた人々だろう。
「どっち先に行く?」
リズが言った。
「とりあえず谷の方に行ってみるか。どこで待ち伏せるかが決まらないとどうしようもない」
そう決めて、ハキムたちは峡谷への道を下っていく。左右に切り立つ崖は徐々に高さを増し、ゆるくうねった回廊を形成していた。それは巨大な生物の長い首のようにも見え、瞳を閉じ、牙を隠した竜の頭へ至るのに似合いの道だと言えた。
前後、左右、上方への見通しは、転がる大小の岩や土塊に阻まれて良くない。そういう点では待ち伏せに適しているが、相手も危険は意識するはずだ。奇襲の方法については、よく考える必要がある。
仔竜の道に入って少し進むと、左右の崖が風化によって崩れ、大小の岩が多く転がる地帯に差し掛かった。道の先にも崖の中腹にも、隠れる場所は多い。
「ここを待ち伏せの場所にしよう。見張りのための拠点を作って、罠を張る」
ハキムはそう提案した。
「作るのはいいけど、私罠とか全然分からないからね」
「そこはなんとか考える……。まあ、どうとでもなるだろ。襲うのはこっちだ。気楽にいこうぜ」
それからハキムたちは全員で辺りを見て回り、ああだこうだと今後の行動を話し合った。




