第二十話 暗夜の襲撃 -2-
アンデッドヤギは一体一体を取ってみれば、さほどの難敵ではなかった。大きさの割に力は強いが、動きが直線的で、牙も爪も持っていない。ハキムたちは突進をモロに喰らわないよう気を付けながら、身体の側面を突き刺し、脚を斬り落とし。気味の悪い頭を焼いていった。
しかしいかんせん明かりが足りず、相手の数も知れない。テントを燃やすことも思いついたが、突進を受けて転ぶと人間松明になりかねない。
避けては斃し、残骸に躓いては互いに助け起こす。
やがて敵の攻撃がやや落ち着くと、夜霧の中、男たちが数人で槍を持ち、アンデッドヤギを駆逐していく姿が見られた。
気付けば、集落は混乱と恐慌から徐々に立ち直りつつあった。ハキムたちのもとにも松明を持った男が、息を切らしながら無事を確認しに来た。
「女性と子供はこっちへ」
ハキムたちはソニアを男に預け、残敵の掃討に当たった。一体このアンデッドヤギたちは、どこからやってきたのだろう?
新たな篝火が灯され、集落は一種異様な雰囲気に包まれていた。あたりは興奮した囁きに溢れ、弓と槍を持ち出した男たちが、ぎらついた目つきであたりを見回していた。
「……なんでアンデッドがここにいるんだ」
ハキムはテントの布で短剣にこびりついた腐汁を拭った。
「考えられるのは、学院の魔術師が関わってるってことだ。クリード、だったっけ」
トーヤはアンデッドヤギの残骸を確かめている。このような生物が、自然に発生することはあり得ない。
「クリードは別に、アンデッドの創造が得意ってわけじゃない。それに、これは学院で見たことのあるアンデッドとは違う。それよりもやっぱり、レザリアで見たものに近いと思う」
リズが言った。
「そうなると、やっぱりレザリアの知識が持ち出されたってことか」
誰によって? リズもトーヤも、同じ名前を思い浮かべただろう。レザリアの真実に到達した探索者が、自分たちの他に何人もいるとは思えない。ましてその禁断の知識を、なんの躊躇いもなく利用できるような人間は。
「オヴェリウス……」
やがてリズが低い声で呟いた。
レザリアの深奥、黄金の天象儀があった空間で邂逅したオヴェリウス。天象儀を破壊し、ガラス球を取り出したときに姿を消したものの、あれで存在が消滅したとは思えない。
彼がヘザーの肉体を借りたまま、レザリアを脱出して地上に戻り、自らの血を継ぐ者が集う学院に、知識を携えて帰還したとしても不思議ではない。
しかしオヴェリウスはなぜ、夕暮の竜を狙うのだろう。自分が持つ知識では不足なのだろうか。
そのとき、ハキムの思考を遮るように、荒々しい咆哮が響いた。
「おいおいおい今度は何だ」
咆哮は複数あった。何か図体の大きなものが、足を踏み鳴らして迫ってくる音がした。
「リズ、まだいけるか」
「大丈夫」
「ハキム、リズ、少し下がって」
アンデッドヤギを掃討し、気が緩みかけていた集落は、新手の出現によって再び混乱に陥った。警戒の口笛で連携を取る間もなく、あちこちで悲鳴が上がる。
トーヤが濃霧の先に刃を向け、襲撃に備えた。こちらに近づく間隔の広い足音が一つ。ハキムは地面を伝う振動で距離を測る。あと三歩。二歩、一歩。
次の瞬間、闇に翻る乳白の帳を引き裂くようにして、およそ人間ではありえない巨躯の異形が襲い掛かってきた。
常人の二倍はある背丈。不気味に黒ずみ、肥大した上半身。ハキムの脳裏で、レザリアでの戦いが蘇る。
死者の都を徘徊していたそれは、グランデと呼ばれていた。
グランデが丸太のような腕で振るうのは、建物を打ち壊すときにでも使いそうな金属の大槌だった。異形の膂力は、それを端材かなにかのように持ち上げ、振り下ろす。
攻撃の威力は尋常でなく、身を躱したハキムの足元で地面が震え、土が爆ぜるように飛び散った。こんなものが直撃すれば、まず即死は免れない。
「頭を下げろ!」
警告したハキムの頭上を、今度は振り回されたハンマーの先端が通り過ぎた。レザリアで遭遇したものよりも、一段機敏なように思える。多分、造りたてだからだろう。
距離を取ったリズが高温のプラズマ塊を放ち、それがグランデの腹部に命中して大きな焦げ跡を作った。ダメージは大きいが、致命傷には至らず。
後退するのは下策と判断したハキムは、逆に相手の懐へと飛び込んだ。トーヤが脇腹に刃を突き立て、ハキムが短剣で膝の皿を抉り取る。
バランスを崩したグランデが膝をつき、その首がトーヤの間合いに入った。脇腹から刃を引き抜いたトーヤが、返す刀で一閃する。柱のような太い首が八割まで断ち切られ、残りの肉は頭の重さでぶちぶちとちぎれた。
まず一体。しかし、どれだけの数が侵入してきている?
遠くで叩き壊された篝火の器が飛んできて、ハキムたちの足元に赤く焼けた炭をまき散らした。その方向から、今度はグランデが二体。
「ああクソ。マジかよ」
苦戦を覚悟したハキムだが、そのとき意外なことが起こった。
グランデ二体の足が止まり、縛り付けられたように動かなくなったのだ。霧でぼやけた輪郭が奇妙に歪む。
強い風が吹き、一瞬霧が晴れた。そこには黒い蛇のようなものに絡みつかれた異形の姿があった。
やがて黒い蛇が染み込むようにして消えると、グランデは糸が切れた人形のように倒れ、動かなくなった。一片の焦げ跡も、一滴の血も流さずに。
そして残骸の向こうから、メサ導師が姿を現した。
「厄介なことになりましたね」
気づけば脅威は終息しつつあった。混乱さえ乗り越えれば、殺すことのできない敵ではない。どうやら集落に殴り込んできたグランデは、それほど多くなかったようだ。
「こちらが嫌がらせをしたので、向こうも同じことをしてきたのでしょう。これはほんの前触れに過ぎません」
メサ導師は不穏に呟き、足元に転がるグランデの残骸を見下ろした。
「これがレザリアにいた異形ですか。なんともおぞましく、恐ろしい。弱ったアルテナムが急速に滅びたのも頷けます。こんなものを操る文明は、一片たりとも地上に残したくないのが人情というもの」
「メサさん。ソニアは、皆は無事なんですか」
トーヤが尋ねた。
「女性と子供はおそらく無事です。しかし戦士たちには死傷者が出ました。何にせよこれが続くのであれば、安心して寝られる夜は、当分の間来ないでしょうね」
◇
それから夜明けまで、新たな襲撃はなかった。不気味に漂う濃霧の中で、誰もが神経を昂らせ、一睡もせずに朝を迎えた。明るくなった集落には、胸の悪くなるような臭気を放つアンデッドの残骸と、いくつか原形を留めない守り人たちの死体が転がっていた。
「なんということだ」
あちらこちらで動揺の囁き声が聞こえた。集落の人々は恐怖に支配されつつあり、守り人たちの士気は明らかに萎えていた。敵は得体の知れない怪物。襲撃はいつあるとも知れない。神経をすり減らせる戦いを、一体どれだけ続ければいいのか。
ハキムが落ち着かぬ休息を取り、朝食を受け取りにテントから出ると、死者の安置された広場で、マリウスが人々に語りかけているのを見かけた。
「私は彼らの友人だった。皆が勇敢で誇り高い戦士だった。私だけではない。それぞれに親があり、妻があり、子供がいた。彼らの死には名誉がある。しかしそれでもなお、私は悲しい」
彼はいつも守り人たちの前で見せるような、勇猛な指揮官として風采を保ちつつも、その言葉には元来の思慮と繊細さがにじみ出ていた。
「敵は我々に恐怖と混乱をもたらした。しかしそれでもなお、我々は克服しなければならない。恐れと躊躇いと、戸惑いを乗り越えなくてはならない。
あのような異形に故郷を蹂躙されるのを。見過ごすことはできない。夕暮の竜を奪われるのを、見過ごすことはできない。この場所こそが防壁で、我々こそが守り人なのだから」
それは悲壮が感じられる演説だった。聞く者は皆こうべを垂れ、彼の哀悼と鼓舞に対して尊敬の思いを示していた。
「私がこの集落を離れる、最後の守り人となろう」
横たえられ、全身に布がかけられた三人の死者は、担架でどこかに運ばれていった。それを見届けたマリウスがこちらを振り向いたので、ハキムは軽く手を挙げて挨拶をした。
なんと声を掛ければいいものか。ハキムが迷っていると、マリウスからこちらに歩てきて、心底疲労したような顔で首を振った。
「始まってしまったな」
彼はハキムの肩を叩き、そのまま自分のテントへ戻っていった。




