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GLITTERS2 -霧降る山と夕暮の竜-  作者: 黒崎江治
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第十九話 暗夜の襲撃 -1-

 二日経っても、カダーヴ砦に大きな動きはなかった。兵は少し増え、物資の集積は進んでいるようだったが、積極的な攻勢を掛けてくることは、まだなかった。


 一方、集落には徐々に人が集まりつつあった。コモ氏族の他集落から来た者や、コモ氏族以外の居住地から来た者が、いくつかの集団に別れて次々と到着した。


 彼らは全て青年から壮年にあたる男たちで、どこか覚悟を決めたような立ち居振る舞いから、戦のために来たのだということが分かった。


 ハキムたちがソニアを連れてこの集落に来たとき、元の住民と避難民を合わせた集落の規模は、大体三百人といったところだった。そこに戦士たちが集まってきた結果、集落の人数はさらに倍となった。


 人が増えれば、物の行き来も多くなる。集落の中心にある広場は、ちょっとした町のそれと同じほどの活気があった。とはいえ、そこに漂う雰囲気は平時の穏やかさと程遠く、用意される品も馬具や弓、槍の穂先など物騒なものばかりだった。


 数日の休息を経て、リズはすっかり元気になり、トーヤも自分なりに、ある程度までは気持ちを整理できたようだった。ハキムの傷も、メサ導師特製の湿布と煎じ薬によって、驚くべき速度で回復していた。まだ痛みはあるが、岩山を登れと言われても、ほとんど支障なくそれができるほどだった。


 ソニアはといえば、ハキムたちのテントにいる時間が長くなった。


 その前まで彼女が過ごしていたテントには、叔父のマリウスとその家族もいた。ここ二、三日、マリウスは戦の準備で思い悩んだり、神経質になったりしているので、なんとなく居づらいのだという。 徐々に変質していく集落の空気も、彼女を不安にさせているのだろう。


 ある日の午後、近ごろあまり姿を見せていなかったマリウスが、珍しくハキムたちのテントを訪れた。


「……戦況はどうなんです」

 早々、トーヤが尋ねる。


「砦に大きな動きはない。こちらもまだ威力偵察までしかしていないが、その成果は悪くない。敵は苛立ち、士気は下がっているように見える。砦から打って出てくれれば、多少ましな戦いができるだろう。あるいは、冬が来るまでの持久戦か……」


 マリウスが説明した守り人たちの戦術は、弓を持つ山岳騎兵による、長距離からの一撃離脱だった。相手の弓が届かない場所から矢を射かけ、敵の騎兵や歩兵が接近してくる前に離脱する。砦に籠る敵への効果は今一つだが、野営している部隊に対してはそれなりの戦果があるようだ。


 ハキムは敵の動きに対して何か引っかかるものを感じたが、それが具体的な考えとなる前に、トーヤが口を開いた。


「ただ、竜の瞳を奪い返すのなら、早めに砦を落とさないといけない」


「そういうことだ。あと二日もすれば、総攻撃の準備が整うだろう。……君たちはどうする」


「待つさ。あてもなく探し回って、目的のものが手に入る見込みもなし。もちろん、ヤバくなれば逃げるけどな」


 ハキムは言った。


「……そうか」


 マリウスは傍らで居心地悪そうにしているソニアを見遣る。


「もし余裕があれば、ソニアのことも気にかけてやってくれ。父親同様に勇敢だが、まだ子供だし、ときおり無茶をする」


 子供、という言葉に対して、ソニアはやや不服そうな顔をした。


「ああ、頼まれた。いいな、トーヤ」


「もちろんだ」

 トーヤは力強く頷いた。


「あの、メサ導師はどうするつもりか聞いてますか」

 それまで黙っていたリズがおずおずと尋ねる。


「導師は自分の意志で残るようだ。彼女には世話になっているから、危険に晒すのは心苦しいが……。もし交渉の場面になれば、学院と渡りをつけなければならない。それに、医術の心得がある者も少ないから、正直に言えば非常に助かっている」


「医術なら、私も多少は知識があります。できる範囲で手伝いましょう」


「ありがたい。しかし、無理はしないでくれ」


 その生真面目な口調に、ハキムは思わず苦笑いした。


「それはこっちの言うことだ」

「……ああ、心配り感謝する」


 テントの外から呼ばれたマリウスは、またそそくさと出て行った。確かにこの様子を見れば、ソニアが寛ぎ辛いのも納得できる。リズもそのことを察したのか、彼女に優しい言葉をかける。


「今日は一緒に寝ようか、ソニア。ハキムがまたお話を聞かせてくれるって」


「……うん」


「やめろ。もうストックがない」



 集落では、夕刻になると狩りやヤギ追いに行った人々が戻ってきて、広場あたりがまた一段と賑やかになる。新しく集まってきた男たちも、朝から午後にかけて偵察に出かけ、日暮れ前には戻ってくる。


 しかしこの日は午後から異様に濃い霧が立ち込めていて、五十歩先も見通せないような有様だった。だから集落の外に出ていた人々も早くに戻り、そそくさとテントの内側に籠ってしまった。


 夕刻、そして宵になっても、乳汁のような霧は晴れなかった。集落は静寂に包まれ、何か所かに立っている篝火の爆ぜる音だけが、ほんのときおり聞こえてくるだけになった。ハキムたちも夜の冷気と霧が忍び込まないよう、テントの入口をしっかりと閉じ、分厚い毛布に包まった。


 リズも、トーヤも、ソニアも寝息を立てる中、ハキムはテントの暗い天井を見上げながら、マリウスの話を聞いたときに抱いた、微かな違和感について考えていた。


 学院は夕暮の竜を手に入れたい。そのために、ヴァンドルを焚きつけて兵を出させ、竜の瞳を奪った。もとから影響下にあったキエスからも兵を繰り出して、砦に兵力を集結させた。手元には、夕暮の竜に至るための瞳が二つ。


 しかし彼らは動かない。なにかまだ準備をしているのだろうか。


 ヤギ皮に重ねた毛布を肩まで引き上げると、大きな欠伸が出る。ハキムがこのまま寝てしまおうと思ったとき、荷物の中にあるガラス球が、ぼんやりと光ったような気がした。


 ハキムがそれを確かめようとしたとき、遠くで起こる騒ぎの音が耳に届いた。


 身を起こし、感覚を研ぎ澄ませる。ソニアも目を覚まして、慣れない手つきでランプを灯した。


 かすかに口笛のような音が聞こえてくる。合図の内容は分からないが、不穏さを感じさせる響きだった。


「なにか来る……!」


 口笛の意味を解するソニアが、不安に掠れた囁き声で言った。ハキムは急いで、リズとトーヤを蹴り起こす。


「おい、敵だ」


 夜明けまでは随分あるが、ラルコーかキエスの兵が夜襲を掛けてきたのだろうか。


 武器を帯びたハキムたちはテントから飛び出して、濃霧に包まれた集落の様子を窺った。ぼやけた炎の光が、何かの影でちらちらと遮られるのが見える。そして悲鳴。ヤギが遠くで騒ぐ声。兵士が上げる鬨の声は聞こえない。警戒の口笛はまだ鳴り続いている。


「何が起こってるの?」


 リズが長い金髪をざわめかせ、身体の周囲に渦巻くエーテルを纏う。しかし敵が見えず、正体も分からないとあっては、無暗に高熱を振りまくわけにもいかない。


 ハキムはどこかで味方と合流すべきかどうか迷ったが、状況を把握しなければどうしようもないと思い直した。下手に動き回れば、同士討ちの危険すらある。


 まずハキムは武器を持たないソニアを下がらせ、テントを背にして短剣を構えた。


 ごうごう、ぎゅうぎゅうと、辺りから名状しがたい獣の鳴き声が響いてくる。馬でも牛でもない。しかしどこかで聞いたような気もする。


 やがて霧の向こうから猛然と、一つの黒い影がハキムの方に駆けてきた。それはあまりに直線的に、あまりに迷いなく突っ込んできたので、ハキムは両腕を交差して姿勢を低くし、衝突に備えるのが精一杯だった。


 防御した腕の骨が軋むほどの突進によって、後ろに吹き飛ばされる。そして分厚いテントの幕に押し付けられるような姿勢で、ハキムは突っ込んできたものの正体を見た。


 それは四足の獣だった。体高は人間の腰まで。巻いた角と蹄はヤギに似ている。


 しかしそれはヤギではなかった。あるいはもともとヤギだったのかもしれないが、もはやヤギではなかった。


 まだらに黒ずんだ毛皮は、所々不気味な腫瘍のように膨満していた。四肢は協調を欠いていたが、驚くべき力でハキムを押さえつけようとしている。眼窩には目玉の代わりに、黄色い泥土に似た何かが詰まっていた。


 大きく裂けた口が開かれ、腐臭と獣臭を放ちながら喰らいつこうとする。ハキムは咄嗟に左腕を出し、それを噛ませた。ぎりり、と肉に歯が食い込む。鋭利な牙がないのは幸いだった。


 ハキムはこれに似たものを、レザリアで見たことがある。


 アンデッドだ。これはヤギのアンデッドだ。


「ハキム!」


 トーヤが声を上げるが、彼もまたアンデッドの奇襲を受けているようだ。ハキムはほとんど仰向けのまま、辛うじて自由な右手で短剣を握り直した。不気味に唸るアンデッドヤギの眼を狙って、叩きつけるようにして刃先で突き刺し、抉る。


 一瞬、敵の身体から力が抜けた。ハキムは身体をねじり、敵の心臓あたりを下から突く。黒く腐敗した血液が噴き出して、ハキムの衣服に飛び散った。


 痙攣を繰り返すアンデッドヤギを押しのけて、ハキムは立ち上がる。鼻先を高温のエーテルが通り抜け、接近してきた一匹が焼けた。


「ハキム、こいつらアンデッド?!」

 リズがアンデッドを消し炭にしながら叫ぶ。


「俺に聞くな! ソニアはどこにいる?!」


「僕の後ろだ!」


 ちらりと目を遣ると、彼女も木の棒を振り回しながら戦っている。


 集落はすっかり混乱に陥っていた。アンデッドヤギが何匹いるのか分からないが、それらは肉体的な脅威以上に、正体不明の恐怖を撒き散らしていた。


 思いがけない暗夜の襲撃。日の出はまだ遠い。


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