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GLITTERS2 -霧降る山と夕暮の竜-  作者: 黒崎江治
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第十五話 夜に駆ける者 -4-

 一般に城館というものは、領主の居住地であり、統治の拠点であり、内乱時の防御施設である。役人はここに住むわけではないから、今この城館にいるのは、領主と少数の警備兵だけということになる。


 裏口を少し入ると、そこは回廊になっていた。おそらく、フロアをぐるりと一周しているのだろう。重厚な石壁には所々窪みが造られ、置かれたランプのゆらゆらとした灯が、周囲にわずかな光を投げかけていた。


 現在、城館は沈黙のうちにある。これが続くうちに、仕事を終えるのが最上だ。


 一階、二階はひとまず無視する。回廊を進んで館の正面に回ると、そこはホールになっていた。脇に階段がある。周囲に敵の影はなし。


 ランプの光が、ハキムたちの姿を壁に映す。そのぼんやりした、冷たい影に触れながら、ハキムは一歩一歩階段を上る。


 二階のフロアに顔を出し、周囲を警戒する。こちらの回廊にも人はいない。フロアの構造はおおむね同じだが、三階への階段はフロアの反対側にある。敵に攻められても、一気に駆け上がれない構造になっているのだ。


 亡霊の指輪を使えば、姿は見えない。盗みは格段にやりやすくなる。しかし、これは奥の手と決めていた。


 ハキムは以前、指輪を手に入れた際のことを思い出す。


 指輪を盗んだとき、それは人間の指に嵌った状態で置かれていた。乾いて萎んだ、透明な手首。指輪は虚空に浮いているように見えた。


 その手首は、もとの指輪の持ち主のものだ。指輪を嵌めたまま手を斬り落とされ、今もまだ透明のまま、誰にも気づかれず、あるいは亡霊として追い払われ、姿を取り戻せないまま、どこかを彷徨っているのだとか。


 これはあくまで逸話であるが、ハキムには重要な教訓であるように思われた。アーティファクトの魔力に頼り切り、盗賊としての繊細さを失った愚者の、当然ではあるが哀れな末路。この逸話を知ってなお同じ轍を踏むようであれば、元の持ち主以上の愚か者だろう。


 それに自分だけ透明になり、一時の関係とはいえ仲間だけを危険を冒させるのは、盗賊としても到底公正とは言えない。


 だからハキムは、今も姿を晒している。敵が弓や弩を持ち出してこないのなら、透明になるのは見つかってからでも遅くない。


 ゆっくりと、二階フロアの回廊を歩く。その途中、ハキムは一室の扉から漏れる、わずかな光に気づいた。おそらくは警備兵の詰所。ジョウイに仕草だけで注意を促すと、彼は神妙な顔で頷いた。


 忍び足でその前を通過し、今度は三階に上る。フロアは一、二階に比べ、さらにひっそりとしているように感じられた。回廊に窓はなく、風の音さえ聞こえない。


 さて、ここからが本番だ。ハキムとジョウイは回廊に並ぶ扉を、一つ一つ確かめていく。鍵がかかっていれば重要な部屋、そうでないものはひとまず放っておく。


 二、三の扉を開けたあと、ハキムは当たりを引いた。ジョウイを呼び寄せ、見張りを頼む。


 扉越しに聞き耳を立てる。中は無人か、いても寝入っているだろう。先程と同じ手順で鍵を開ける。難しいことは何もない。


 音を立てずに扉を押し開け、室内に滑り込み、ゆっくりと扉を閉める。中はわずかに埃とカビ、そして金属の臭い。息をひそめ、ジョウイがランプを灯した。


 ひゅう、と音を出さずに口笛を吹く。ここは倉庫か。室内を見て回ると、木箱や棚に、価値のありそうなものがいくつか置いてある。


「こういうのは、俺が貰っても構わないんだよな?」


 ジョウイが囁く。城館で何が手に入ろうとも、竜の瞳はハキムのもの。それ以外の宝物はジョウイが取る。そういう風に決めてあった。


「ああ。約束通りだ」


 まず目につくのは、儀礼用の剣や旗、錫杖、金属鎧、盾といった武器防具だ。造りは質実剛健といった風で、ヴァンドルの人柄が窺える。持ち出しが容易で価値がありそうなものは、小さな宝石の嵌った古いメダルや、銀の延べ棒(インゴット)、黄金で装飾された革ベルトなど。


 ハキムは竜の瞳と思しき宝石を丹念に探すが、どうもそれらしいものはない。


「上々、上々」


 ジョウイはほくほく顔で、見つけた財宝を回収していく。


 しかし、自身の目的を達成したという気の緩みが、ほんの少し動きの繊細さを損なった。ジョウイが掴み上げた複数のインゴットのうち、一つが手からこぼれる。


 偶然近くにいたハキムは咄嗟に手を伸ばし、床に落ちる直前のインゴットを掴んだ。


 だが、結果的にそれがまずかった。


 急な動きに翻ったハキムの衣装が、木箱の上にあった燭台に引っ掛かった。金属製の重いそれはぐらりと揺れ、止める間もなく地面に落ちた。


 静かな城館に、カァン、という高い音が響く。


「やっちまった」


 ハキムは歯噛みした。下の人間は音に気付いただろうか?


 この部屋には窓がない。鉤付きロープを使って外に出るのは不可能だ。


「落ち着いて様子を見よう」


 ジョウイは文句を言うでもなく、ハキムからインゴットを受け取った。一旦ランプの灯を消し、扉の傍で聞き耳を立てる。


 先ほど気絶させた兵士が覚醒するまでの時間を考えると、あまり長い間待ってはいられない。幸か不幸か少しすると、足音が一つ、こちらに真っ直ぐ近付いてくる。


 ハキムは距離を推し量る。十歩、八歩、六歩……。


 扉が開けられた。そのタイミングを計って、ジョウイが蝶番の側から把手ノブを引く。


 不意を突かれた相手が体勢を崩した隙に、ハキムは相手の襟首を掴み、足を払いながら引き倒す。


 大声で叫ばれては困るので、床に押し付けるようにして首を絞めた。口から細く息を吐いて、沈黙を促す。


「騒げば殺す」


 ジョウイがその首筋に短剣を突きつける。ハキムはゆっくりと男の首から手を外し、頭を掴んだ。馬乗りになって動きを封じる。


「仲間はいるか?」


 ハキムは尋ねる。兵士は荒い呼吸を繰り返すが、答えない。


「もうラルコーについてから三人殺してるんだ。安い給料で頑張るもんじゃないぜ」


 ジョウイが低い声で囁いた。少々演技がかっているが、ここでダメ出しするわけにはいかない。


「もう一度だけ聞く。城館の中に他の兵士はいるか?」


「し、下に一人だ」


「竜の瞳はどこにある?」


「知らない」


 ジョウイが切っ先をさりさりと首筋に這わせる。


「本当だ、本当だ……! それが貴重な物なら、ヴァンドル様の執務室か、寝室だと思う。それぞれこの階と、四階の奥にある。南東だ」


 城館の警備を任されるだけあって、要領よく喋る。極端に怯えたり混乱したりする臆病者は、尋問するにも一苦労だ。


「そうかい。礼を言うぜ」


 縛っておいてもいいのだが、それには道具も時間が要るし、意識があるまま放置されると、彼も言い訳が立ち辛いだろう。慣れた手つきで兵士を気絶させ、ハキムたちは倉庫を出た。


 二階にはまだ兵士が一人いる。仲間が戻らないことに気付くのは、時間の問題だろう。十分なお宝は手に入れたことだし、ここからは竜の瞳だけを目的として、今までよりも迅速にやらなければならない。


「奥だな……」


 執務室があるらしい南東は、最初に入ってきた裏口の方向だ。竜の瞳がただ単純に高価な装飾品ではなく、戦略上意味のある何かなら、寝室ではなく執務室に置かれている可能性も高い。


 焦る気持ちを抑えながら回廊を進む。聴覚を尖らせるが、まだ近づいてくる足音はない。


 執務室の扉をランプで照らすと、岩山に留まる猛禽の彫刻が浮かび上がる。ハキムにはその瞳が、鋭くこちらを見据えているような気がした。多分、この扉の前に立ったヴァンドルの部下も、毎度同じような思いをしているのだろう。


 本日三度目の解錠を手早く済ませ、ハキムたちはラルコーの中枢に立ち入った。


 執務室は意外にも質素だった。左右に並んだ書架には、本や巻物が数えきれないほど置かれている。ハキムは室内をぐるりと見回した。部屋の中に瞳があるとすれば、奥にある机の引き出しぐらいか。


「ハズレじゃないか」


 ジョウイが言うのにも構わず、ハキムは執務机の奥に回り、椅子の脇から手を伸ばして引き出しを開ける。残念ながら、中には筆記具と巻物しかなかった。


 しかしハキムは、目についた巻物が気になった。開いてみると、それは封のされていない、書き損じの書簡だ。クリード、という人物に宛てられている。


〈竜の右眼はこちらの手にあり。カダーヴ砦で落ち合いたい〉


「右眼……?」


 流麗な文字で書簡に記されていたのは、ほんの短い文章だった。しかしそこには非常に重要な意味を持つ言葉がいくつもあった。


 第一に、竜には二つ眼があるかもしれない、ということ。生き物としてみれば当たり前だが、竜の右眼という言葉が使われているなら、きっと左眼もあるという推測が立つ。


 第二に、ヴァンドルが現在居る場所。右眼を手に入れた彼がカダーヴ砦に向かったのだとすれば、この城館を探索する意味はない、ということになる。


 第三に、落ち合うという言葉。言葉遣いからすると、宛名にあるクリードは、ヴァンドルと同格かそれ以上の相手だろう。状況から考えれば、彼が学院と組んでいるのは明白だった。


「どうした?」


「クソ。瞳はもうここにない」


「そいつは残念」


 となれば、さっさと脱出するに限る。ハキムがそう判断したとき、屋外に面した背後のガラス窓から、わずかに人の声が聞こえてきた。


「気づかれたな。潮時か」


 分厚いガラスから下を見て、ジョウイが言う。ハキムは荷物から鉤つきロープを取り出し、重たい執務机の脚に結び付けた。


 書簡の内容は頭に入れておく。わざわざ持っていくほどのものではない。


「瞳はなかったが、収穫はあった。今日の仕事はこれで終わりだ」


 あとはなんとか、ラルコーの外まで脱出すればいい。ハキムは負傷者に気付いた兵士たちが城館に入るのを見届けてから、窓枠に足をかけた。


 ハキムは手の中でロープを滑らせ、三階の窓から身を躍らせた。直下にいた一人の頭を勢いのまま蹴り飛ばし、よろめきながらも着地する。痛みに呻く兵士にもう一撃喰らわせてから、続いて下りてきたジョウイと城館を離れる。


 ここからラルコーを脱出するならば、南西の鍛冶屋通りに合流し、そのまま西に行けばいい。門の守りが固ければ、また水路を通ることもできる。


 遠くで警戒を知らせる高い鐘の音がした。先程までいた城館ではない。おそらく兵舎通りのあたりか。ハキムがそちらの方に目を向けると、北東の闇夜に一瞬、火柱の先端が見えた。これで誰が騒ぎを起こしたのか、大体の推測はつく。


「仲間が敵を攪乱してる。この隙にとっとと出よう」


 ハキムたちは監視を気にしつつ、通りを進む。眠りを妨げられたラルコーの闇が、不穏な緊張を帯び始めた。


 鍛冶屋通りが屑鉄通りに名前を変え、西の門が近づくころ、ハキムは背後から迫る馬蹄の音を聞いた。振り返れば、ランプに浮かび上がる二つの陰。石畳を踏む馬は背の高い平地のそれだが、乗っている人物にはどこか見覚えがあった。


 騎手がそれぞれ、ハキムたちに向けて弓を構える。


「待て、待て。俺だ。ハキムだ」


 ハキムはフードを脱ぎ、両手を振って騎手を制止する。予想通り、馬に乗っていたのはマリウスとトーヤ。トーヤの顔は緊張しているのか、青ざめているようにも見える。


「お前らもこっち来ちゃったのかよ」


「ごめん。けど、北はもう塞がれちゃったから」


 トーヤの後ろに便乗しているリズが言った。


 騎馬から少し遅れて、大勢の足音が聞こえてくる。ハキムは反射的に腰の短剣を抜いた。


「あれは同胞たちだ。先程檻から解放した。……もうここまで来たら進むしかない。西の門を抜ける」


 マリウスが言った。


「しょうがねえなあ。ジョウイ、行くぞ」


「なんとも騒がしいね」

 ジョウイは肩をすくめた。



 ハキムたち五人。それから解放した捕虜が十一人。弓は持ってきたものが二つと、兵士から奪ったものが四つ。


 一方、逃げた捕虜たちを追っている兵士は、全部集まるとおそらく五十か六十になるだろう。とてもまともに戦える相手ではない。


 だから兵士たちが集結し、態勢を整える前に門を突破しなくてはならない。


 ゆっくり考える間もなく、ラルコーの西門が近づく。背後からは敵兵の気配。


「ハキム。我々がったら閂を外してくれ」


 マリウスが慣れた様子で指揮を執る。門を守っている四、五人の兵士は、突然現れた襲撃者に浮足立っていた。


 しかし守り人たちが弓を放つ前に、突出する影が一つ。篝火が作る明かりの輪に飛び込んでいったのは、トーヤだった。兵士たちの向ける槍を物ともせず、長刀を抜いて襲い掛かる。


「おいおいおい」


 ハキムたちが援護する間もなく、トーヤは敵に肉薄した。間合いの長さで優る兵士たちの短槍を跳ね上げては首を刎ね、穂先を叩き斬っては胸を貫き、柄に刃を滑らせては胴を薙ぐ。


 その鬼気迫る姿は異様なほどだったが、ハキムは同じような状態の彼を、一度だけ見たことがあった。かつてアルムの街で戦った魔術師ヘザーが、トーヤの妹を侮辱したときに見せた姿だ。


「……上だ、防壁の上を狙え!」


 マリウスがやや戸惑った様子で、目標の変更を指示した。敵味方の放つ矢が闇の中で交錯し、鋼の矢じりが炎を反射して煌めく。歩哨の喉や胴体に矢が突き刺さり、二人が防壁の外側に落ちていった。


 しかし、門付近の異常を察知した別の兵士たちが、次々に集まってくる。当然、ハキムたちの背後からも兵士が迫ってきている。悠長にしていれば、状況はまずくなっていくばかりだ。とはいえ、トーヤのように無理攻めすればいい、というものでもない。


「後ろは私が」


 リズは追手の足止めを買って出た。馬体で防壁からの矢を防ぎながら、ローブを翻して通りの真ん中に立つ。


「全員、消し炭にしてやる」


 先ほどまではスマートにいっていたのに、合流した途端にこれだ。戦士や魔術師は騒がしくていけない。しかし今は愚痴を言う余裕もない。ハキムとジョウイは矢の雨をくぐり抜けるようにして、城門へと走った。トーヤが半ば茫然とした様子だったので、その肩を叩いて正気に戻す。


 爆ぜる空気と膨らむ熱量を背中で感じながら、ハキムたち三人は閂を押し上げるようにして外した。しかし三人で開けるには、門が重すぎる。


「こっちも頼む!」


 ハキムが声を掛けると、歩哨たちを排除した守り人たちが、一斉に門に取り付いた。絶食と尋問で弱った身体に鞭を打って、それを押す。やがてギリギリと音を立てて門が動き、人が通れるほどの隙間ができた。


「リズ、早くしろ! リズ!」


 リズの向こうには、今さっき彼女が創り出した炎が渦巻いている。馬は既に射倒されていた。ハキムが呼ぶと、リズも振り返ってこちらに駆けてきた。追手が遠くから放った矢が、幾本も近くの地面に突き刺さる。


 あと少し。しかし門まで二十歩の距離で、リズが大きくよろめいた。前のめりに転び、中々起き上がれない。度重なる魔術の使用で、心身が激しく消耗しているのだ。


 ハキムは考えるよりも早く門から離れ、リズのもとに駆け付ける。その身体を助け起こそうとする瞬間、高く上がった矢が、危険な放物線を描いて飛んできた。


「クソが」


 ハキムはリズに覆いかぶさるようにして、その背を庇った。次の瞬間、左肩の付け根に、ハンマーで殴られたような衝撃が襲ってきた。胸の側から突き出す、血濡れの矢じりが視界に映る。ハキムはそのまま倒れそうになるが、なんとか膝をついてこらえた。


「なにやってんだ、バカ!」


 走りくるジョウイとマリウスの気配がする。ハキムは彼らに助け起こされ、よろけながらも再び立ち上がった。


 大丈夫だ。自分もリズもまだ死んではいない。


 飛び交う矢に当たらないよう祈りながら、ハキムは門をくぐる。リズも多少ふらついてはいるが、なんとか自分の足で歩けている。しかし、ここまで来て一歩一歩非常に重い。


 痛みで意識が朦朧とする中、ハキムはほとんど担がれるようにして馬に乗せられた。蹄の音。矢の風音。敵味方が上げる怒号を聞きながら、ハキムはぐったりと誰かの背に寄りかかった。


 夜明け前の冷えた風が平原を吹き抜ける。それがハキムの汗を蒸発させ、急速に体温を奪っていった。


「スマートじゃないなあ……」


 ハキムはそう自嘲しつつも、なんとかラルコーを脱出した安堵に浸っていた。


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