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GLITTERS2 -霧降る山と夕暮の竜-  作者: 黒崎江治
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第十四話 夜に駆ける者 -3-

 明けの鐘まであと一刻半ほどになった。傭兵たちのキャンプでは、昼から夕方にかけて聞こえたような酒盛りの騒ぎや娼婦の嬌声もなく、乾いた風がときおり、ハタハタとテントを揺らす音だけがする。


 空を見上げれば、澄んだ夜空に細い月が浮かび、無数の星々が冷たい光を投げかけていた。


 ハキムは人気の少ないウィロウ川の岸辺に立っていた。キャンプの篝火を離れれば、辺りはほとんど真の闇である。暗い水面は静かに流れ、南に位置するラルコー市街へと流れ込んでいる。


 ラルコーに忍び込むためにジョウイと話し合った計画は、次のようなものだ。


 まず前提として、ハキムは領主の兵に顔が割れている可能性が高い。いかなる方法であれ、門を通過しようとするのは危険だ。市街に侵入するためには、他の場所を検討する必要がある。


 防壁を登る場合は、歩哨の目を気にしなければならない。中から外に出る分にはまだいいが、外から中に入る時点で発覚した場合、市街を追い回される羽目になり、これもリスクが高い。


 そこで考え出した三つ目の方法。市街に流れ込むウィロウ川を通じて、防壁の内側に侵入するというものだ。


 ウィロウ川は防壁の下をくぐり、市街の中央付近を通る。そして途中で二股に分岐し、防壁の南側へ流れていく。


 当然、防壁の下には狼や安易な侵入者を防ぐための鉄柵がある。しかしこれは内側からであれば、比較的簡単な手順で取り外すことができるのだ。もちろん歩哨はいるが、防壁の上に比べれば、警戒の度合ははるかに低い。


 宵の鐘が鳴ったあと、門を通って防壁の内側に入ったジョウイが、鉄柵を外しておくことになっている。この計画にまずい点があるとすれば、ネウェルから流れてくる冷たい水に、身体を浸さなければならないことぐらいだ。


 今立っている地点から防壁までは、だいたい五十歩ほど。ハキムは邪魔な服を脱ぎ、常に肌身離さず持っている貴重なアーティファクト三種、鍵開けの道具と鉤付きロープだけを携えて、水に入る用意をした。


「よし」


 頬を張って気合いを入れ、一気に肩まで沈む。


 川の水は皮膚が痺れるような冷たさで、ハキムは思わずひゅう、と息を吐いた。あまり長い時間浸かっていると、心臓が止まってしまいそうだった。強張る身体を水流に身を任せ、なるべく水面に波紋を立てないよう、ゆっくりと防壁に近づいていく。


 そして防壁の近く、歩哨の視界に入りそうなところまで来た時点で、息を吸って水中に潜った。これがまた冷たい。


 地上から投げかけられた篝火の光が、ちらちらと水面で光る。ハキムは水を手で掻いて前に進み、防壁下の鉄柵に取り付いた。


 鉄棒と鉄棒の間は狭いが、そのうち一本を外せば、小柄な人間がなんとか通れるくらいの広さになる。ハキムは鉄柵が広くなっているところを手で探り当て、そこに身体をねじ込んだ。


 なんとか引っ掛かることなく、防壁の向こう側に通り抜ける。


 と、ハキムが安心したとき、左の手首が何かに掴まれた。


「!?」


 しかしそれはハキムの勘違いだった。鉄柵に引っ掛かっていた縄か何かが、ハキムの手首に絡みついたのだ。


 それでも、危険なことに変わりはない。呼吸が苦しくなる中、力任せに引いても、縄は外れない。


 パニックになるのを抑えて、ハキムは腰から不壊の短剣を抜く。切れ味の悪い刃に焦りつつも、なんとか縄を断ち切った。


 慌てて水中から浮かび上がれば音を不審に思われる。落ち着け。


 ゆっくり息を吐き、流されるままに三つ数えてから、ハキムは水面から顔を出した。盗みは始まったばかりなのに、うっかり溺れ死ぬところだった。


 新鮮な夜の空気を胸に吸い込むと、また水の冷たさが意識される。火に当たりたい、と思っていると、水路の端でランプを掲げたジョウイらしき男の姿が目に入った。泳いで行くと、さりげなくこちらに腕を差し出して来た。


 ハキムはそれを掴み、引き上げてもらう。頭を横にして、耳から水を抜いた。


「ようこそ、泥棒の墓場へ」

「いいから早く、替えの服をくれ」


 身体を拭いて、その場で手渡された服を身に着ける。


「おい、もっと普通の服はなかったのか」


 それは男娼が着るようなきわどい衣装だった。薄いフードとマスクで顔は隠れるが、胸元と脚の部分がはだけていて気持ちが悪い。


「こんな夜中に男が二人でいたら、悪だくみをしてますと喧伝してるようなもんだ。それに、結構似合ってるぜ」

「殺すぞ」


 とはいえ、言い分自体は理にかなっている。その組み合わせならば、気安く話しかけてくる者もいまい。


「冗談冗談。でも、お前がその気なら、俺はどっちでもイケるぜ」


 ハキムは拳を固め、目の前でふざけている優男の鳩尾を殴った。




 ハキムとジョウイは歩哨の多い防壁の近くを離れ、市街のやや内側までやってきていた。静まり返った商店の軒先でランプを掲げ、広げた羊皮紙に目を落とす。


「これがラルコーの地図だ」

 ジョウイが言った。


「ここから兵舎通りを東に行ってから、荷馬車通りを南に進もう。そうすれば城館の裏あたりに出る」


 都市の通りというのは、大抵の場合かなり安直に名が付けられる。兵舎通りには文字通り兵舎があり、荷馬車通りというのは商品を積んだ荷馬車の通り路なのだ。鍛冶屋通りなら鍛冶屋があるし、仕立て屋通りなら服を売る店がある。


「ここの監視は?」


 ハキムは地図上の兵舎通りを指でなぞった。


「明けの鐘までは心配ないだろう」


 三交代で見張りをする場合は、明けの鐘、正午の鐘、宵の鐘で交代するのが普通だ。交代のタイミングで何か騒ぎを起こせば、通常の二倍の人数を相手にすることになる。だからこそ、鐘の半刻前を行動開始とした。


 宵の鐘から明けの鐘までは泥棒の時間。人々はしっかりと戸締りをして家に籠る。この時間に外をうろつけば、老若男女誰であろうと、襲われたところで文句は言えない。


 しかしこのラルコーでは厳格な統治が行き届いているため、同規模の都市に比べて犯罪は少ない。だからその慢心を突き、戦時下の混乱を狙って仕事をしに来たのだ、とジョウイは語った。


 そうかいそうかい、と話を聞き流し、ハキムは行動を開始した。乾いた夜の風が吹き抜ける兵舎通り。石畳の上を、音がしないよう慎重に歩いていく。少し進むと、ジョウイの言葉に反して、焚かれた篝火と、その隣にいる歩哨が見えてきた。


「隠れろ」


 ハキムはそう警告して、一旦路地に身をひそめた。顔を少しだけ出して様子を窺う。


「何を監視してる?」

 ジョウイが路地の奥から尋ねた。


 ハキムがよくよく観察してみると、槍を持った兵士の近くには、大きな箱型の檻がいくつかある。大きいとは言っても、大人が立ち上がることはできず、身体を伸ばして寝ることもできない。普段は罪人を晒すために使われるのだろう。


 檻は三つ。入っているのは十人ほどか。


 火に照らされるその姿を見るまでもなく、中にいるのは守り人たちであると分かった。昼間にリズが言っていた捕虜たちだ。


 今、ハキムに彼らを解放してやる余裕はない。それに、守り人たちは竜の瞳を奪われまいとして戦ったのだから、瞳を奪還するという目的をおろそかにしては、本末転倒というものだ。


「行こう、あっちは任せてある」

「はい、はい」


 ハキムは歩哨の目に留まらないよう、路地の裏から裏へと移動していった。


 兵舎通りを途中で折れ、南西へ伸びる荷馬車通りに入る。ラルコーにある通りの中でも道幅が広く、舗装もしっかりしている。ここを進めば、城館の裏手に出るはずだ。


 通りではときおり、巡回の兵を見かける。彼らは普段、犯罪者への威嚇ぐらいしか役割を持たないが、発見されれば笛かなにかで合図され、周囲から増援が集まってくる。しかしランプを持っているので、遠目からでもその存在がすぐ分かった。


 それらのささいな障害を回避しながら、ハキムたちは荷馬車通りを進む。やがて複数の篝火に照らされた、ヴァンドルの城館までやってきた。都市の壁もなかなかのものだが、城館もまた、これ自体が堅固な防御施設であるように思えた。


 闇の中で全貌を窺うことはできないが、四隅に見張り塔を備えた、ほとんど真四角の建物だ。例えば政争に敗れた王族が幽閉されていそうな、そんな印象を与える建物でもある。


 ハキムたちは近くの軒先に潜み、再び羊皮紙を広げた。


「これは大まかな間取り図だ。城館は四階建てになってる」

 明かりを抑えたランプで羊皮紙を照らしながら、ジョウイが言った。


「一、二階に大きな窓はない。壁を登って入るのは難しいだろうな」

「おい」


「なんだ?」

「お前、最初から盗みに入るつもりだっただろ」


 鉄柵のことといい、市街や城館の見取り図といい、ハキムと組んでから調べたにしては、やけに詳細で入念だ。


「ふふ。でも、お前に損があるわけじゃないだろ?」


 ジョウイは悪びれもせず、にやりと笑った。釈然としないが、言う通りではある。もちろん、彼もラルコーへ遊びに来たわけではないのだから、盗みの準備をしているのは当然といえば当然だ。


「執務室やら寝室やらがあるのは三階か四階だろう。一階二階は兵士や役人が出入りするから、お宝を置いておくはずがない」


「宝物庫はどこだ?」

「分からん。一つ一つ調べるしかない」


 さすがに、そこまでの横着はできないようだ。警備の兵を締め上げるという手もあるが、ひとまずは地道に頑張るとしよう。


 城館の一階には、正面玄関と裏口がある。ハキムたちに近いのは裏口だ。当然鍵は掛けられているだろうが、それはハキムにとって障害にならない。


 問題なのは、二人組の見張りだ。装備は革鎧と短槍。視界を確保するためか、兜は身に着けていない。


「俺が片方やる。殺すなよ」

 ハキムは言った。


 残虐な盗賊行為を繰り返せば、領主は血眼になって犯人を追う。新しく懸賞金が掛けられたり、金額が高くなったりする。そうなるとあちこちに手配書が回り、段々と仕事がしにくくなるのだ。それに安易な殺人を犯す盗賊は、仲間内でもあまり尊敬されない。


 だから良心を抜きにしても、なるべく殺しはしないに限る。華麗に獲物を盗んでこそ一流の盗賊。それがハキムに似た種類の盗賊が持つ、一種の哲学だった。


「安心しろ。俺も殺しは嫌いさ」


 ジョウイが闇に消えるのを待ってから、ハキムは見張りたちの視界に踏み出す。


「止まれ」


 十歩の距離まで近づいたところで、二人の見張りが短槍をこちらに向ける。ハキムは逃げるでもなく、何か言うでもなく、黙って立っている。


 ハキムの格好は男娼のそれであり、手に武器は持っていない。兵士たちは怪訝な顔をしながらも、警戒の度合を一段階緩めた。


 そのまま何も言わずにいると、二人は顔を見合わせてから構えを解く。一人がこちらへ歩いてきた。


「こっちは仕事中だ。商売なら余所でやれよ」


 退屈な仕事の途中に出くわした、ささやかな刺激。兵士たちの目には、好奇と侮りの色が浮かんでいる。しかし彼らの背後からは、砂利を入れた革袋を持ったジョウイが、音もなく忍び寄っていた。


 ジョウイは革袋を振りかぶり、扉の近くにいた一人の後頭部を打った。


 殴られた兵が小さな呻き声を上げ、昏倒して崩れ落ちる。異変に気付いたもう一人が振り返る。その隙に、ハキムが背中に飛びかかった。素早く首に腕を回し、くびの血管を圧迫する。兵は少しだけ抵抗したが、すぐに気絶し、力なく地面に倒れた。


 彼らがいつ目を覚ますか分からないので、ここからは可能な限り急がなくてはならない。城館の扉は鉄製の分厚いもので、人力で破るのはまず不可能だ。しかしハキムは鍵開けの器具を取り出して、三度呼吸する間に錠を突破した。


「お見事」


 ジョウイは内部を警戒しつつ、扉の内側に滑り込んだ。ハキムもそれに続き、城館への侵入を果たした。


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