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GLITTERS2 -霧降る山と夕暮の竜-  作者: 黒崎江治
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第十二話 夜に駆ける者 -1-

 夜が明けた。ハキムは朝の冷気を嗅ぎながら、毛布から這い出す。幕をめくってテントの外を覗くと、早朝から忙しく立ち働く、守り人たちの姿が目に入った。


 両腕をさすりながら外に出る。いくつもあるテントの中では、炊事の火が焚かれているのだろう。円錐の上部から、薄い煙がゆっくりと空へ昇っていく。女性や子供たちがどこかにある水源から水を運んだり、ヤギの乳を搾ったりしている。


 ひとまずこの場所では、まだ日常生活が回っている。しかし三、四日後にどうなっているかは分からない。


〈たとえ大地冷たく貧しくとも、己が天命忘れるなかれ〉


 ハキムは昨日ソニアが歌った一節を思い起こした。父祖の罪業だかなんだか知らないが、その天命には後生大事に守り、氏族全体の存亡を賭けるほどの価値があるのだろうか?


 ハキムは愛着も湧かない汚らしいスラムで、いつかこんなところは出て行ってやると思いながら育った。見知らぬ街に入っては盗みを繰り返し、また別の街へ移動する。


 宿屋や廃墟や樹木の下で寝起きし、一時的で油断ならない人間関係を築く。守るべきものはなけなしの銀貨と、自分の命一つだけ。


 土地や誇りのために命を賭ける、という考えは、どうにも理解しがたい。しかし帰るべきところ、拠り所とするものがあることへの憧憬が自分の内にあることは、完全には否定し辛かった。もちろん、安心と不自由さを天秤にかけると、無条件に手に入れたいものではないのだが。


「おはよう。ごはん、持ってきたよ」


 ハキムがぼんやり佇んでいると、ソニアが朝食を持ってやってきた。彼女をテントに招き、昨晩と同じような食事を摂る。


「遺跡の話、もっと聞かせて」


 ソニアは昨日ハキムが話した、レザリア探索行の続きを聞きたがった。同じ年代の子供に語って聞かせるのだという。彼女の中でハキムは名の知れた義賊であり、リズは偉大な魔術師であり、トーヤは無双の剣士なのだった。


 ラルコーの兵による襲撃という脅威も、この英雄的なパーティーが跳ね除けてくれるのではないか、と期待しているようにも思えた。


「そのガラス球、見せてくれる?」


 請われるまま、ハキムはソニアにガラス球を見せた。彼女はそれをくるくると回し、上に掲げてまじまじと眺めた。


「これは星空ね」


「綺麗でしょ。星みたいで」


「ううん。これは本物の星だと思う。星の道だって見えるもの。ほら」


 ソニアはリズにガラス球を手渡し、ある角度から眺めるように言う。ハキムもトーヤも、それを見せてもらった。


 上から見れば渦を巻いているような光の粒は、横から見れば帯状になる。確かにそれは、夜に天空を横切る星の道と似ていた。天に近く空気も澄んだネウェルでは、星の道も地上に比べてはっきりと見える。


 そういえばレザリアの宮殿にあった天象儀も、同じような光景を映してはいなかったか。もしかするとそれは天象儀の構造によるものではなく、このガラス球によるものだったのかもしれない。



 皆で代わる代わるガラス球を眺めていると、テントの幕を開いてマリウスが入ってきた。


「起きているか」


 彼はソニアの頭を優しく撫でると、叔母さんを手伝っておいで、とテントの外に出るよう促した。ソニアは素直に従った。


「昨日の話の続きをしにきた」


 敷物代わりのヤギ皮の上にどっかりと座り、彼は濃い金色の顎髭をさする。ハキムはグリュの薄焼きが乗っていた木の盆を脇に除け、器から冷めた乳茶を一口飲んだ。


「まず、竜の瞳がどこにあるか、だな。一番可能性が高いのはヴァンドルの城館か」


 その推測に対して、リズが口を挟んだ。


「学院の魔術師がいれば、そいつが持ってるかも」


「もうキエスに渡ってる……ってことはないか。ヴァンドルも学院の部下ってわけじゃない。渡すにしても、自分の得になるよう、慎重に取引をするはずだ」


「正面から突破、は当然無理だけど、どれくらいの兵隊がいるのかっていうのは……」

 リズはマリウスに尋ねた。


「分からないが、襲撃のときは少なくとも百人以上いたようだ」


 当然、それくらいはいるだろう。全員が固まっていればリズの魔術で打撃を与えられるかもしれないが、そう都合よくはいかない。


 ハキムはトーヤの意見を聞いてみることにした。彼は武門の出なので、軍事には比較的明るい。


「ラルコーと周辺の人口が三万だとして、動員可能な兵力は大体千五百ぐらいだと思う。都市の守備に三百割くと、残りが千二百。一つの戦場に投入可能なのが最大でその半分。ネウェルは広いから、いくつかの前哨基地に兵を分散しないといけない」


「あとは傭兵だな。二百か三百ぐらいか?」


 傭兵を都市の警備に当てることはしないだろう。となればラルコーにいる鎮護の兵は三百人。警戒は外に向いているだろうから、一旦忍び込んでしまえば、城館まで侵入するのはそれほど難しくないかもしれない。


「なんにせよ、まずは様子を見に行こう。マリウスは髪の毛を見せない方がいいな。ネウェル人だと一目で分かるのはまずい」


「では、ラルコーへ?」

 マリウスが自分の髪をかき上げながら言った。


「ああ。早いとこ済ませよう」




 ハキムたちは準備を整えて馬に乗り、ラルコーを目指す。トーヤは守り人たちの弓を借り、装備に加えた。


「昔使ってたものとはかなり違うけど、なんとかなりそうだ」


 トーヤが六、七本試射してみると、百歩先の的にもかなりの精度で命中した。


「氏族でも、これほどうまく扱える者は少ないだろう」


 その腕前にはマリウスも感心し、しきりに褒めちぎった。


 ほかはいつもと同じ、使い慣れた得物を帯びる。もっとも、武器を使うような事態は、可能な限り避けなければならない。


 ハキムたちは馬を借り受け、集落を出発した。


 ここからラルコーまで、徒歩ならほとんど丸一日かかるが、馬に乗っていればずっと早い。ネウェルの馬は比較的扱いやすく、重心も安定していた。しかし乗馬に慣れないハキムとリズは、悪路をなんとか遅れないよう、マリウスについていくのがやっとだ。


「そういえば、守り人は合図に口笛を使うのか?」


 起伏が少し落ち着いてきた道中、ハキムはマリウスに尋ねた。


「これか」


 マリウスは指を曲げて口に咥え、器用に鳴らした


「氏族ごとに違うが、我々は二十ほどを使い分ける。組み合わせることでも意味が変わる。普段は家畜や獲物の位置を知らせるために使うんだ」


 昨日集落に立ち入ったときに聞いたのは、ハキムたちの侵入を知らせ、騎兵でうまく包囲するための合図だったとのことだ。


 ハキムたちも指南を受けて挑戦してみたが、空気の抜けた微妙な音が鳴るだけだった。


 そのようにしてしばらく進んで行くと、先日襲われた集落を南に望む地点までやってきた。


「ねえ、なんかできてない?」


 集落の全貌を窺えるほど近くはないが、確かによく見ると、何か新しいものが建てられているようにも見える。


「あれは物見櫓ものみやぐらだ。さっそく前哨基地を作ってるんだよ」


 トーヤが言った。物見櫓は高い位置から周囲を偵察する軍事施設だ。おそらくラルコーの領主はあの場所を拠点化して、ネウェル攻略の足掛かりにしようとしているのだろう。


 好き放題されている集落を苦々しい表情で眺めながら、マリウスは口を開いた。


「警戒すべきはあそこだけじゃない。ここから北東には〝カダーヴ峠〟がある。そこにも兵の駐屯する砦があるんだ。あそこはキエス王国との国境にもなっているから、キエスの兵もいる」


「キエスも攻めてくる可能性はあるな」


 学院が夕暮の竜を欲しているのだとすれば、その見込みは十分に大きい。


「そうなれば、全氏族が厳しい戦いを強いられるだろう」


 懸念は尽きないが、今はやるべきことをやるしかない。ハキムたちは手綱を握り直し、ラルコーへの山道を下っていった。


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