第十一話 ネウェルの歌う少女 -4-
氏族長との面会を終えてハキムたちが休んでいると、そのうちソニアが食事を運んできた。客人たちをもてなす係を仰せつかったようだ。
出てきたのはグリュの薄焼き、ヤギのチーズと肉を蒸したもの。
「これを、こう、巻いて食べる」
それにキイチゴで作った甘酸っぱいソースと、薄茶色の飲み物が付いた。茶葉を乳で煮出したものらしい。
ソニアも相伴に預かり、四人でもりもりとそれを食べた。
薄焼きは多少ぼそぼそしているが、グランゾールのパンより香ばしい。ヤギのチーズや肉はやや臭みが強いものの、普段食べているものより柔らかく、味が濃かった。料理はどれもあまり食べ慣れないものだったが、ハキムはそれらが中々に気に入った。
食事が終わると、ソニアは親族が待つらしいテントに戻っていった。彼女の母は早くに亡くなっていたが、叔母や従妹が何人かいるらしい。
日は既に暮れている。皆身を休めているのか、息をひそめているのか、集落には焚火の音も話す声もなく、ひっそりとした闇だけが横たわっていた。
ハキムも早々に寝てしまおうかと思っていると、先ほど予告した通り、マリウスがテントを訪れた。ランプを腰に帯び、鍋に入れた白い汁と、いくつかの椀を持ってきた。
「乳酒だ」
ハキムは椀に注がれた乳酒を一口飲んだ。酒といってもそれほど強いものではない。どろりとしていて、甘みがあった。
「で、話っていうのは?」
「……さっき、夕暮の竜について話していただろう」
マリウス自身も乳酒を飲み、椀に目を落としながら話し始めた。
「襲われた集落には、大体二百人ぐらいがいた。女、子供、老人の多くは逃げることができた。だが、男たちはほとんど戻ってきていない」
「集落を守ったんだろ?」
「それはもちろん真実だが、氏族長が言っていないこともある。〝竜の瞳〟についてだ」
「竜の瞳、ってのがつまり夕暮の竜か?」
ハキムは尋ねた。
「いや、違う。竜の瞳は、夕暮の竜そのものではない。しかしそれは我々のみならず、他の氏族全体にとって極めて重要な品なのだ。先の襲撃では、それが奪われた」
「だから、集落の男たちは、それを奪われまいとして、全滅するまで戦った……」
トーヤが呟くように言った。
「おそらくそうだ」
「その竜の瞳っていうのは、どういうものなんです?」
リズが乳酒で唇を湿らせてから尋ねた。
「夕暮と同じ色をした、これくらいの宝石だ」
マリウスは顔の前で握り拳を作った。夕暮が濃い黄色から茜色だとするならば、宝石は琥珀か、トパーズか、ガーネットか。サファイアやダイヤモンドにも似た色のものがある。何にせよその大きさならば、金銭的な価値は計り知れない。
「我々はそれをはるか昔から保持してきた。十の氏族が代わる代わる瞳を守り、三年に一度、別の氏族へ受け渡される」
「夕暮の竜とどんな関係が?」
リズが前のめりに質問を重ねる。好奇心を抑えられない、といった様子だった。
「詳しくは分からない。しかし瞳は夕暮の竜に至る手がかりである、とされている。だから守り人として、それを奪われるわけにはいかなかった」
「そして瞳を奪われれば、他の氏族から責められる、と」
ハキムの言葉に対して、マリウスは唇を噛んだ。
「いや、それは問題ではない。屈辱にはいくらでも耐えられる。問題なのは、それを奪い返さなければならなくなる、ということだ。守り人たちの誇りをかけて、そうせざるを得なくなる、ということだ」
「つまり、ラルコーとの全面戦争……。いや、ラルコーを奪うところまでいかないとダメか」
ラルコーの兵を戦場で敗走させたとしても、そこに竜の瞳がなければ意味はない。領主ヴァンドルの城館にそれがあるのだとしたら、そこまで攻め入らなければ、瞳を奪い返すことはできない。
「私は将軍じゃないが、それでも無謀だというのは分かる。全氏族を束ねても、頭数はたかが知れている。地の利を活かせるネウェルで戦うのならまだしも、あの守りの固い都市を攻めるほどの戦力も戦略もない。
もしそうなれば騎兵たちが、若い男たちが大勢死ぬだろう。……若い男の大半を失えば、氏族は滅びる」
それを語るマリウスの顔は、氏族長が兄の死に言及したときよりも悲痛だった。
「立場上、その意見を表立って主張することはできない。私が臆病者として追放されるだけならいいが、それで守り人たちが止まるはずもない」
ハキムは話の流れが不穏になってくるのを感じた。次にマリウスが言ったことは、ハキムが予想した通りのことだった。
「竜の瞳を取り戻すのを、手伝って欲しい。もちろん、戦争に依らない方法で」
マリウスは両手の拳を地面につけ、深く頭を下げた。
氏族の宝を奪還する。ただの旅人に頼むこととしては、いくらなんでも重大すぎた。多分ソニアがハキムたちのことをマリウスに吹き込んだのだろう。自分の活躍を、少し誇張して伝えたのが裏目に出たようだ。
「自分たちの仲間には危険を冒させず、外の人間にそれをさせるって?」
「ハキム」
とげとげしい言葉に抗議の声を上げたトーヤを、ハキムは手で制する。ここはさすがに、同情心で安請け合いをしていい場面ではない。
マリウスは反論せず、黙っていた。彼も、これが無茶な頼みだということは分かっているのだ。
「アンタが恥を忍んで頼んでるのは分かる。でも俺だって仲間は大事だ。アンデッドだらけの廃墟で、お互い協力してなんとか生き残ったんだ。そりゃ、盗賊だから覚悟はしてるさ。けど、同情で捨てられるほど、安い命じゃないんだ」
「……」
「だからアンタも、せめて天秤が釣り合うだけのものを用意してくれ。安い頼み事じゃないと保証してくれ」
「しかし……何を?」
「夕暮の竜だよ」
マリウスは眉をひそめた。
「それをくれと言ってるわけじゃない。そもそも何なのかも分からないしな。けど、俺らはさっき言ったアンデッドだらけの廃墟で、この世界をひっくり返しかねないような存在と出会ったんだ。価値があるかもしれないお宝とも。
夕暮の竜はそれに関係があるかもしれない。だからその秘密が明らかになりそうなとき、俺たちがそれを知るために協力してほしい。氏族を敵に回しそうになったら、今度はアンタが命を賭けるんだ。それなら公平だ」
それは氏族への裏切りをも示唆するもので、聞いたマリウスの顔には強い苦悩が浮かんだ。
「ラルコーで同胞が無駄死にしてくのを見届けるか、氏族の裏切り者になるかもしれない道を選ぶか。これを約束してもらわないと、俺たちは手を貸さない」
彼はうなだれたまま長い間沈黙していた。しかしやがて決意を宿した顔を上げ、はっきりと宣言した。
「君たちが夕暮の竜の真実を知れるよう、協力すると約束する。守り人としてではなく、私自身の誇りと命に賭けて約束する。だからどうか、私に力を貸してほしい」
ハキムは頷いた。
「分かった。でもこれは契約だ。どっちが上も下もない。アンタが俺たちを裏切らない限り、俺たちもアンタを裏切らない」
「……分かった」
「ということでどうだ? リズ、トーヤ」
「僕もそれでいい」
「異存なし」
少々紛糾したが、結局はそういうことになった。
「具体的な話は、悪いけど明日にしてくれ、今は死ぬほど疲れてる」
「そうした方がよさそうだ。だが、あまり時間はない。私の予想では、四、五日のうちに本格的な戦闘が始まるだろう」
「戦闘はどのみち始まるさ。それをラルコーでやるかネウェルでやるかの違いだ。けど、俺は将軍じゃないからな。そっちは手に負えない」
「ああ、その通りだな。しかし竜の瞳さえ奪還できれば、状況は随分違うだろう。くれぐれも、よろしく頼む」
「まあ、せいぜい頑張るさ」
マリウスは幾分さっぱりとした顔で、テントを出て行った。ハキムは大きく息をつき、手足を投げ出して仰向けになった。
「これでいいか? トーヤ」
「うん。……ありがとう。僕の意を汲んでくれて」
「……」
「仲間が大事ってくだりは、私ちょっとグッときたよ」
「うるせえ」
ハキムは寝転がったまま毛布をたぐり寄せ、それに包まった。やがて毛布の温もりと全身を覆う疲労が、ハキムを深い眠りへと引きずり込んでいった。




