転移
「……」
扉を抜けると、そこは何も変わらない見慣れた場所だった。いつもと変わらず、静かで、閉ざされた空間。ケンと一緒に暮らしていなければ、きっと早いうちに気を病んでいただろう。庭の東屋が懐かしい。
「誰も居ませんね」
グレースも扉を抜けてきた様だ。
「ああ、だが、気を引き締めていろ」
「はい」
声のトーンを落としているのに、静閑なフロアへ響いてしまっている。
「ラミアは?」
「先に来てしまったもので……」
「そうか」
辺りを警戒しながらラミアを待つ。グレースの後に続き、すぐ出てきてもおかしくはないのだが、ラミアは一向に姿を見せなかった。
以前なら、心安らぐお気に入りの庭なのだが、風情を嗜む状況ではない。ここはかつて、一万もの異世界の兵士を葬った戦場でもある。気を抜けば、グレースを失いかねない。
「まだか……」
焦る気持ちとは裏腹に、ラミアは姿を見せなかった。
「ア……アムルタート様!」
「なんだ」
グレースが驚いた様に呼びかけてきたので、敵かと思い後ろを振り向く。しかし、そこには特に何も無かった。何も変わらず静閑なままだ。
いったい何に驚いたのか? 敵ではないと分かると、少し落ち着いたのかグレースの目線を気にする余裕が生まれる。彼女は一点を見つめ続けていた。
「なっ!」
グレースが見つめる先、そこは俺たちが出てきた場所だ。そう……無かった、そこには何も。俺たちが通って来た扉が跡形もなく消えていた。
俺は警戒していた通路ではなく、周辺を大きく見回す。もしかしたら、ラミアはもう扉を通ってきているんじゃないかと淡い期待を込めて。
しかし、どこを見てもラミアの姿を見つける事は叶わなかった。
——姐さん! 扉が消えた! まだ、ラミアが来てないのに!
……念波への反応は無い。ラミアがいないからか? 単純に遠すぎるのだろうか?
「アムルタート様……どういたしますか?」
「……」
グレースから投げかけられた言葉……それは、困った時に、俺がいつもレノやケンに使っている言葉だった。選択肢が与えられる事に慣れすぎていて、自分の意思で行動を決断しなければならなくなるなんて、考えてもいなかった。
本来当たり前なのだが、先の見えない状況での決断とは、こんなにも困難であったのかと改めて焦燥にかられる。決めるにしても何をどうすればいいのか? ……そういえば、レノも言っていたっけ……わからない時は情報収集だって。そもそも情報収集に来たんじゃないか。アローの現状を調査するために来たのだ。扉消失とか、ラミアが居ないとか、姐さんと念波が通じないとか色々あるけど、今、出来ることはアローの調査だ。
「仕方ない……。任務開始だ。この地の現状を把握しなければ帰れないと思え」
「はっ!」
アクシデントは仕方がない。扉が無くなったとしても、アローの現状を把握したら飛んで帰れば済む話だ。
グレースについて来いと手で合図して通路を進む。行き先は中島の部屋だ。このフロア内で、行かなければいけない所は最初に行っておきたい。いつ何時、何が起きてもおかしくはないのだから。
最後に残ってる中島との記憶はパーティだったか……あれからヒルデとはうまくいっているのだろうか? できれば、ずっと近くで苦難を乗り越えていければという、そんな些細な願いも許されない突飛な現状で、せめて中島には良い人生をと思っていたが、一大決心してシューゼに向かったすぐ後に、アローを猫が襲うなど考えもしなかった。
「ここだ……」
「ここは?」
中島の部屋の前で立ち止まる。
「ここは前の調査の時、おまえに話してあった中島の部屋だ」
「そうでしたか」
ノブに手をかけようと伸ばした手を止める。いきなり開けるのは失礼だろうと思い直し、律儀にもノックする。プライバシーを侵されすぎたせいで、敏感になっているのかもしれない。もしくは、自分で扉を開けることに躊躇いを感じているのかもしれないが……。
コンコン
「はーい」
扉の向こう側から、女性の声がした。
「今の声……」
グレースが何か引っかかったように呟く。
「聞き覚えがあるのか?」
「はい、ヒルデの声に似ているようなのですが……少し印象が……」
確かに、言われてみればヒルデの声のような気がする。グレースの言う通り、似ているのだが少し低いような……。
「では、おまえが対応しろ。俺は少し離れる」
「はい」
ガチャ
ドアが開く。俺は扉の前にグレースを立たせ、自分は少し離れた場所から見守ることにした。きっと感動の再会を前に、離れた所にいる俺など気付かないだろう。
しかし、問題は扉の向こう側が見えない事だ。グレースがどう対応するかで判断しなければならない。
扉が開かれた後、グレースは誰かと話しているようだった。特に変な行動をしているようには見えない。うまく行ったようだ。そのうち、部屋の住人が通路へと姿を表す。
「ヒルデじゃ……ない?」
今の体になって、視力は非常に向上していた。少々遠いが、ハッキリとわかる。出てきた住人の姿は、若くて綺麗だったヒルデではなく、落ち着いた大人の女性だった。しかし、驚いたのはそこじゃない。
ヒルデなのだ。間違いなく、その人はヒルデだった。かなり、老いた……と言っては失礼かもしれないが、成熟したヒルデに見える。
ヒルデは頬に涙を浮かべ、グレースを抱擁していた。
「まさか……姐さん……」
おもむろに悟ってしまう。自分が犯してしまった、とんでもない過ちに。おそらく、この世界は、扉を抜ける前から十年以上過ぎてしまった世界なのだと。いくら考えたところで、それ以外、納得のいく答えなど何もなかった。
「あ……」
無情にも、それはやってきた。
言うまでもなく、部屋からもう一人出てきたのだ。
面影が物語る真実は、実に残酷なものだった。
そう、彼もまた、歳を重ねていた。
その顔は、柔和な表情を数多く刻んだとわかるくらい優しいものになっていた。
「中島……」
友人の名を呼び、よろよろと前へ出る。
「中島……中島……」
一歩、一歩が重い。話しかけても良いのだろうか? グレースとヒルデの感動の再会を邪魔してしまうんじゃないだろうか? そんなくだらない考えが、受け入れがたい現実から逃げ出す口実のように、頭の中を駆け巡る。
しかし、歩みは止まらない。唯一の友人を求める心を、受け入れがたい現実なんかで止められるはずがなかった。
たとえ見てくれが変わってしまっても、自分を覚えていてくれているであろう存在を求めて。
重たいはずのその一歩は、二律背反な感情をよそに、確実に歩みを進める。
そして……感情も、思考も、自分の理性では止められないほど、無意識に吐き出されていく。
俺は……
置いてきぼりにされてしまった現実を、
後悔するほど選択肢の無かった一本道を、
戻ることのない時間を、
クソみたいな異世界転移を
……呪った
二年くらいなら、まだ許せた。気にしなければ問題ないレベルだ。しかし、おそらく十年以上経っている。あまり詳しくはわからないが、二人の姿が、長い時の流れを予感させている。なぜ俺がこんな目に会わなければならないのか? 何がヒーローだ。俺は何も出来ていないじゃないか! ただ、何も出来ずに時が過ぎただけだ。なんで……なんで俺ばかり……何が異世界転移……こんなの……どうすれば良いんだよ……。誰か……誰か助けてくれよ……。
タラレバなんて言葉は無い。この結果は必然であり、回避など不可能だった。いったいどうすれば良かったのか? 考えた所で、より良い答えなど見つかるはずもない。今の現状を変えたかもしれない唯一の方法は、姐さんを怒らせての死が、唯一の選択肢だ。
『そうだ……もし、俺が諦めていればこんな事にはならなかった』
絞り出した答えの虚しさが、希望のように光り始めていた。現実を受け入れられるほど、心に余裕は残っていなかった。何もかも、終わりにしてしまいたいという衝動が、マグマのように溢れ出していた。
『姐さんを裏切り、この星ごと消しさってもらえば……』
「パパー! この人誰?」
『!』
自暴自棄な考えを遮り、少女の声が響き渡る。いつのまにか、声が聞こえる程近くに来ていたようだ。俺は、驚いて歩みを止めた。
「ああ、ユキ、この人は、ママの大事な人なんだよ。ご挨拶しなさい」
「はい! はじめまして。ユキです」
「ああ、私はグレースだ」
みんなで自己紹介をしているようだ。ヒルデと中島の子だろうか? ほぼ間違いなくそうなのだろう。ヒルデに似た可愛い子だ。
キョロキョロと周りを伺う仕草が、幼く可愛らしかった。
「パパ。あの人は?」
「ん?」
子供に気を取られていたら、どうやら見つかってしまったようだ。ユキの両親がこちらを向いた。
「誰だ!」
中島は子供を隠すように後ろへ下げ、こちらへ向かって構える。ヒルデも戦闘態勢だ。二人の目から敵意が溢れていた。
「魔王……」
ヒルデがこちらを睨みつけながら呟やく。ヒルデはこの姿の俺を知っている。殺したいほど恨んでいる相手だ。忘れるはずがないだろう。
「……魔王? まさか……涼介か?」
ヒルでのつぶやきで、中島が俺の存在に気づく。中島には、俺が魔王と呼ばれていた事を話していた。
「中島……よく、覚えていたな」
か細い声が、喉を通る。マグマのように湧き上がっていた負の感情は、幼い少女に抑えられ、中島が気づいてくれたことへの喜びによって上書きされた。これでヒーローを語っていたのだから笑える。こんなにも不安定な感情を持ち、星の行く末を左右できるヒーローなんて迷惑極まりないだろう。
「やっぱり……涼介! おまえ、いままでどうしていたんだ!」
もっともな質問だ。だが、信じてもらえるように話すには、順序立てて話さないと難しい。落ち着いて話をしたいのだが、もう駆けつけて来てもおかしくないアンドロイド達が一体も出てきていないのが気になる。
「簡単に説明は難しい。それより、アローは今どうなっているんだ? 侵入者がいるのに、アンドロイドが一体も駆けつけて来ないなんておかしいだろう?」
中島の顔つきが、急に怪訝なものへと変わる。そして、何かを悟ったかのように目をつぶり、体の緊張を解いた。
「おまえ……わかった。とりあえず、中に入ってくれ。ユキもヒルデもグレースも、みんな中へ来てくれ」
何か変な事を言ってしまったらしい。今の世に生きていれば絶対にしない質問でもしたのだろう。俺は、おとなしく情報収集の場を提供してくれる中島の後について部屋に入った。
これから告げられるであろう真実に、不安を感じずにはいられない……が、しかし、俺はそんなことよりも、こうしてまた中島と再会できたことが嬉しくてたまらなかった。これから語られる知りたくもない真実なんて、むしろどうでも良かった。
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