アミ
「アムルさん……大丈夫ですか?」
アミが俺の顔を心配そうに覗き込む。
「ああ、問題ない」
俺はアンドロイド達との戦いを終え、拠点に戻った後、誰とも会わずに寝てしまっていた。そしてまた、いつものようにラミアが贄を連れて起こしに来てくれた感じだ。
別に、勝利の余韻に浸っていたわけではない。ここに着いてからは、なぜか、誰とも会話をしたくなかった。四百体ものアンドロイド相手に勝利を掴み、夢だった魔法も使えるようになって言うことなしなのだが、魂が抜けてしまったかのように何もする気が起きなかったのだ。
「そういえば、アミは初めてだったな」
「そうですよ! 私だけなにもしないでどっか行っちゃったじゃないですか。みんなは経験済みだから、その話になると、私だけ話の輪に入れなくてちょっと悲しかったです!」
アミが少し怒った様に、強い口調で俺を責める。表情も少し怒っていた。
「まあそう言うな。いろいろあったんだ。悪かった」
「それで……何があったんですか? 一月以上も外出して、帰って来たと思ったら、今度はグレースがどこか行ったみたいだし……」
好奇心ではない様だ。少し不安そうな面持ちで、少し俯きながら話している。
「心配するな。もうすぐシューゼの機能は回復する。いや、もしかしたら、もう復旧しているかもしれないな」
「本当ですか!? じゃあ……」
アミは俺の話を聞くと、人差し指と中指を立て、三回折り曲げる。すると、アミの目の前に赤い蝶が舞い降りた。
「あ……本当だ。直ったんだ……」
「そうみたいだな」
アミは、少しの間ぼーっとその蝶を眺めると、何か気づいた様に俺を見る。そして、また同じ動作をして蝶を戻した。
「ごめんなさい。途中でしたね」
「いや、いい。良かったな。長かったシステムダウンも、これで終わりだ。
……アミは、帰りたいか? 帰って何かやりたい事はないのか?」
俺の質問に、少し考える風に装うアミ。しかし、そんな思考もすぐに終わった様で、笑顔でこちらを向き直す。
「いえ、むしろこれで、両親や友人とも連絡が取れるので、安心してここにいられます! アムルさんの助けになるなら、ここは楽しいのでずっといたいです!」
「そうか、わかった。じゃあ、心置きなくアミからも助力を乞うとしよう。
では、いくぞ」
「はい!」
アミの笑顔が消える前に、俺は触手を突き刺し、エネルギーを吸収する。驚いたアミが触手を握っている。
「……本当に、痛くないんですね……」
「皆最初は同じ感想だ」
「えへへ。 これでみんなと同じですね! あ! そうだ、私はどんな味ですか?」
にへらと笑みを隠せないアミが、女子会の話題のためか、自分の味を聞いてくる。この話題に置いてけぼりの様な感覚を覚えていたのだろう。何故だか、俺は全員に感覚を話していたしな。
「アミは……清涼感のある感じだ。スッキリと爽快な心地よさだ」
少し塞ぎ込んでいた俺の心を癒す様に、アミのエネルギーが心地よく作用する。思考が前向きになる様な感じだ。
「えへへ。そうなんですか? やっとみんなと話が出来ると思うと、なんだか嬉しいです」
ニヤニヤと今後のことを思いながら、俺の触手を撫で回すアミ。触手を触られていると、なんとも言えない感情が俺を襲う。これはちょっとやばいかもしれない。大変な事になる前に、アミには触手から手を離してもらおう。
「アミ……ちょっと、触手から手を離せ」
「え? あ、ごめんなさい。つい……」
「いや、謝る事じゃない。触られていると、どうもおかしな感情が疼いてくる様だ」
「それって……」
アミが不安な表情で聞き返す。自分がしてしまったことで、何かいけないことでもしたんじゃないかと不安になっているのだろう。
「大丈夫だ。何も心配しなくていい。離してからは落ち着いた様だ。だが、もう触らないでくれ」
「……わかりました」
思いがけず、気まずい感じになってしまったので、ここはフォローを入れる事にする。
「あまり気にやまないでくれ。アミは私にとって大事な存在だ。それに、気分が悪くなったから言ったんじゃない。むしろ、高揚したから止めたのだ。あのままじゃ……」
どこまで話す気なのか……口が滑るにも程がある。思わず口をつぐんでしまったが、これではアミに不快な思いをさせてしまうかもしれない。
「あのままじゃ? どうなってしまうんですか?」
俺の失言に、好奇心からなのか、アミが追求をしてきた。本当に失言だった。
「そう責めるな。もういいだろう?」
笑顔を作り、アミに追求をさせないようはぐらかす。
「えへへ。じゃあ、触って欲しい時は言ってくださいね!」
「どうなっても知らないぞ」
「アムルさんは、私をどうかしてしまうんですか?」
元気が良いのは結構だが、好奇心を抑えられないイタズラっ子だった様だ。嫌いじゃない。
「アミに、私がどうなってしまうのか確認する覚悟と、勇気があるなら、私の触手を愛でるといい。
私にも、どうなってしまうかはわからないがな」
俺もイタズラっぽく笑ってみせる。アミがどこまでついてこれるのか試してみたくなった。
「えー。じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
アミはまた、なんの躊躇もなく俺の触手に手を伸ばした。こんなあっさりと行動に移せる様な言い方はしていないつもりだったのだが……アミの無邪気さが怖い。
「アミ、良いのか? どうなっても知らないぞ? 私は人間ではない。アミに何かあっても、何もできないかもしれないんだぞ?」
慌ててアミに忠告するという情けない結果になってしまったが、正直な話、さっきの高揚感を抑え切れそうにないのはわかっていた。アミに心ゆくまで触れられていたら、本当に何かしでかしてしまうだろう。
こういうのは、男が先に折れるのが正しいんだと心に言い聞かせ、ジェントルマンを気取るというプライドのための負け惜しみさえ情けなかった。
そんな情けない言い訳を、アミは俯きながら聞いていたのだが、少し様子がおかしい。なんというか、本当にがっかりしている様な……思い過ごしなら良いのだが。
「あの……」
「なんだ?」
「アムルさんの触手に触っている時、私も……なんだかとても心地よくて……その……高揚していた? かもしれません。
だから、ダメと言われても……触れていたいという思いが……その……止められなくて……」
緊急事態発生! 危険! 危険! 危険!
どうやら、俺の感じていた高揚感を、アミも感じていたらしい。あれは、一度癖になってしまえば、止めようと思っても、止められるようなものじゃない。危ない薬のような依存性を含んでいる。高揚は反比例的に高まっていき、ものの数十秒で、取り返しの効かない快感が全身を襲うだろう。そうなってしまえば、文字通り、何をしでかすかわかったもんじゃない。
俺はアミの告白を聞き、急いで触手を抜いた。危うくアミの両手は、もう少しで触手を掴んでしまいそうだった。
「あ……」
アミが突然の事に対処できず、名残惜しそうに触手を見つめていた。もう、半分中毒患者だ。
「アミ、すまない。知らなかったとは言え、アミに申し訳ない事をした」
「え? あ……。いや、いいの! 私も何か変だったみたい。今は……もう大丈夫」
「触手を抜いたから、高揚感は収まったか?」
「え? ……ええ。そう……みたい。自分でも、どうかしていたって思うわ」
触手を抜いて、症状は少し治ったようだ。一過性の症状なのだろうか? しかし、まだ安易な決断は危険だろう。
「そうか。今度は気をつけるよ。他のみんなが触らないようにな」
「そう……そうね! 絶対ダメ! 他の人には触らせちゃダメよ!」
「ああ。わかった」
「ええ。わかってくれて……良かった」
「……アミ、本当に大丈夫か?」
さっきから挙動不審にも程があるほど、機敏な動きでキョロキョロとしている。俺の顔を見ようとはせず、目のやり場に困っているようだった。
「大丈夫! 大丈夫! 心配しないで」
「……まあいい。ラミア、アミを頼む。様子を見ていてくれ。アミは大丈夫だと言っているが、心配だ」
「かしこまりました。では、行きましょう」
アミは聞こえていないのか、うつむいたまま動かない。
「おい、本当に大丈夫か? アミ、もう休め。本気で心配になってきたぞ」
「え? あっ、うん」
「ほら、ラミアに連れて行ってもらえ、部屋でゆっくりすると良い」
「あー。そうね! そうさせてもらうわ! じゃ、また今度ね」
「ああ。その時はよろしく頼む」
「うん。任せて!」
「ああ」
アミは作り笑いを浮かべ、ラミアと去っていった。アミの態度が心配になり、俺は姐さんに相談する。
——姐さん! アミ大丈夫か? 触手触られると麻薬でも出るの?
帰って来てから何も話していなかったので、気まずいかなーなんて事を思う余裕は無かった。
——帰ってきて最初の言葉がそれか。お前は本当に興味深いな。
——あー、ごめんなさい。昨日アンドロイド達を倒してきました。もう大丈夫です。
——知っている。
形式的な作法を強要してはみるものの、ばっさりと捨ててしまう姐さんは男らしい。
——ですよねー。んで、アミは大丈夫なのか? なんかしなきゃまずい? 俺、なんかまずい事しちゃった?
——うるさい奴だ。問題ない。触られたからといって、お前の触手からは何も出ない。あれはアミの嘘だ。
最後の文が無ければ、ほっと胸を撫で下ろし、じゃ! って言って、念話を切っていたのに、姐さんが聞いてもいない真実を付け加える。
——え? そうなの? なんで? あれ、じゃあ、俺、めっちゃ気を使われたわけ? ……へこむわー。……マジへこむわー。
——くっくっく。そうだな。
俺をやり込めて笑っているにだろうか? もし、見ていたのであれば、俺の死んだふり作戦は、実に楽しんでくれた事だろう。
——姐さん……俺がへこんでんのに笑うことないじゃん! でも、俺は麻薬でも入れられているかのように高揚感がヤバかったよ! なんなんあれ! 実は、俺の方がヤバくない?
——それは、私がやった。お前の感情が、普段の倍以上になるように操作したのだ。
——……姐さん。そんな事できるなんて聞いてない!
——何を言っている。そもそも、口調を制限しているのも私だ。
驚きの新事実。姐さんはいつも小出しだ。そもそも、口調が変になって戻せない時点で、なんらかの操作をしているとわかってもおかしくはないはずなのに、何も考えてなかった。
——……確かに。
——お前は、私のおもちゃだという事を忘れないようにな。はっはっは!
——すげー悪役っぽい。
——そうだな、悪役ついでに……アミは、お前が抱いてやれば治ると思うぞ?
——え? それってどういう……。
——ふっ……。それくらい自分で考えろ。私は忙しいのでな。それと、あとでラミアを向かわせる。出る用意をしておけ。ではな。
——あ……え? 抱く? あー、え? また戦うの? あれ? 姐さん!? 姐さん!?
その後、いくら呼びかけても姐さんは応答してくれなかった。アミも心配だが、最後に言われた不穏な一言が俺の心に重くのしかかる。
また、昨日の戦闘のような事をするのだろうか? 次は勝てるだろうか? アンドロイド達を逃してしまったわけじゃないから、俺の対策なんかはしていないだろうけど……。
現金な僕の心は、もうアミの心配はしていなかった。もちろん、姐さんが問題無いと言ったからであって、戦争が怖いからではない。