宿る筈のない心
「——フレアストーム!」
ヒルデが爆炎流を繰り出す。
今度のはプチじゃない。中島の半分程度の規模だった。
「あ……」
飛び上がって喜ぶヒルデと一緒に、微笑んで喜ぶ中島が眩しい。
頭をなでなでしてる。あのヒルデを。そういうのは画面の向こうでしか起きないはずじゃなかったのか……。
「ケン……」
「なでなでしてあげようか?」
そう言い始める前に、俺の頭を撫でるケン。
「やめろ気色悪い! 男に撫でられても嬉しくもなんともないわ!」
「クロエだったら良かったかい?」
一瞬クロエさんだったら……などと想像をしてみるが、どうしようもなく虚しくなった。
「……もういい。レノ、スクロールの改良型のこと、詳しく聞かせてくれ」
「かしこまりました」
すっかり毒気を抜かれて、やらなきゃいけないことに逃げる。
こんな俺に、色っぽいことなんて始まるわけがなかった。
にゃーん
「……!」
全身の血の気が引く。声のする方に目を向けると、悠然と顔を洗うあの猫がいた。
『ケン! レノ! 中島達をどこかへ連れていけ! 急げ!』
『オーケー! もう誘導しておいたよ。二十秒で訓練場を出る予定さ! それまで時間を稼がなきゃね』
中島の方を見ると、他のアンドロイドが連れ出していた。
何か急用とでも言ったのだろう。駆け足で出口に向かっている。
「……」
にゃ?
白々しく首を傾げるしまっちゃう猫。
俺は気づかれていないかもしれない可能性を考えて、ポーカーフェイスで猫に接する。
「ケン、訓練場に猫は危ない。連れ出してくれ」
「オーケー!」
ケンも意図を的確に理解して、アンドロイドに猫を追い出すよう指示する。
すると、猫が宙に浮き、アンドロイドが顕現する。
どうやら捕まえたようだ。
「そのまま、建物の外に出しておいて!」
「かしこまりました」
アンドロイドはそう言うと、中島達が出て言った出口じゃない方から猫を連れて行った。
「っふー! 焦った……」
猫の退出を確認すると、緊張の糸がほぐれ、その場にヘタリ込む。
「レノ、あいつは何処から来たんだ?」
「おそらく、扉からでしょう。あの猫がここに現れる数秒前、あの扉が少し開きました」
「また扉か……もう外じゃなくて扉に放り込んでくれ」
「かしこまりました」
「あの猫は一体なんなんだい?」
ケンが不思議そうに質問する。そういえば、こいつも知らないのか。
「……レノ、ケンはアマテラスの管轄じゃないのか?」
「ケンは事実上どこにも属しておりません」
「じゃあ良い?」
「今この時より、ケンをアマテラスの管轄に変更いたしました。もう構いません」
「ケン、あれ、やばい奴だから、ぜっったいにケンカ売るなよ! 手も出したらダメだからな!」
「何がなんだかわからないけど、オーケー! 理解したよ」
「……今はそれでいいや。あと、扉を開かないように蓋しといてくれ」
「オーケー!」
「今はまだ、訪問者を相手にできるような次元じゃないからな……」
色恋などと、うつつを抜かしている場合ではなかった。
いきなり真打のご登場だ。魔王を前座扱いするわけではないが、その魔王すらも凌駕するやばい奴には変わりない。
「では、私でしたら宜しいでしょうか?」
聞き覚えのある声に、満ちて来た血の気がまたもや引いていく。
もう、声のする方を見たくは無かった。
「……どちら様でしょうか?」
「惚けなくても結構です」
「…………いやぁ、そう言われましても」
「アムルタート様」
決定的な一言を放たれ、言い逃れは不可能だと悟る。
「……ラミアさんですか」
「あの猫を監視しておりましたところ、アムルタート様をお見かけいたしましたので、お声を掛けさせていただきました」
俺は一つ疑念が浮かんだが、気づかない風を装う事にする。
今はその時じゃないだろう。
「……そっちはどうなっているんだ?」
「はい、贄は私の分体に任せております。また、アムルタート様のお身体には、まだ依代を宿しておりません、いつでもお戻りいただけます」
ラミアの神出鬼没の謎が解けた。ラミアはいっぱいいるらしい。
しかし、今はどうでもいい情報だ。
「いやぁ、それはちょっと……」
「お戻りいただけないのであれば、ほかの依代を探すまでです。では」
「ちょっ、ちょちょちょっと待て! ラミアさん、落ち着いて!」
「お戻りいただけるのですか?」
「え? いや、えーっと、ちょっと考えさせてくれないかな?」
「そうですか……では、明日またお伺いいたします」
「え? あ……はい。お手数お掛けして申し訳ありません」
「では」
ラミアが植物と同化して消えていく。
俺は、同時に起きた二つの出会いに、魂が抜け落ちたかのように仰向けに寝転がる。
「……」
「あのローブの人は、涼介の知り合い?」
無邪気にケンが質問する。
「レノ、もう全部いいだろう?」
「かしこまりました」
「うわぁ。涼介、大変だったねぇ」
ケンが一瞬で理解する。かくかくしかじかな省略すら要らない一瞬で終わる説明。
「わかってくれるか?」
「そうだね……でも……涼介、もしかして……」
「……腹は決まっているさ」
「……」
「また、リースさんのお誘いに顔出せなかったな」
「……」
ケンがだんまりなんて初めてかもしれない。
きっと、処理が追いついていないのだろう。
そういえば、ベットで締め上げられた時もだんまり決め込んでたな……そのせいでレノにぶっ飛ばされてたっけ。
……なんで今になってそんな事を思い出してしまうのだろうか?
「レノ、どうしたらいいと思う?」
「今、アマテラスの全システムを使って総当たりをしております。……少々お待ちください」
アマテラスの全システムを使って総当たり? いつもそういった計算をしているわけじゃないのか。
最適化じゃなく、最善を目指すのだろう。効率を度外視したアマテラスの全力というわけか。
「涼介……涼介が勝ち取った数時間の猶予は、このシステムが出来て初めて、総当たり計算をする程のターニングポイントみたいだね」
「俺が来た時から、そんなんばっかじゃねぇか」
「言われてみればそうかもね」
この世界に来てから、とんでもない事続きだった。
八百年も平穏無事に過ごしていたこの世界の人達にとって、俺はどう見えていたのだろうか?
感謝しているなんて、上っ面の社交辞令に過ぎないだろう。
こうも不幸続きでは……
「……悪りぃな、この世界の疫病神みたいになっちゃったな……」
「ダメだよ。そんな事言っちゃ。初めから言ってるけど、この世界は涼介に感謝しているんだ。
この際だから、ハッキリと言わせて貰うけど、今だって涼介は、この世界のために……」
俺はケンに向けて手を伸ばす。
もう片方の手の平は、自然と目を覆っていた。
「いい……。これは、俺の勝手な感情だ。俺が来たせいでこんな事になるなんて、自惚れてるわけじゃないよ」
「そう言う事を言いたいんじゃ!」
「やめろ」
ケンの言葉を遮る。感情の起伏が激しすぎて泣きそうだ。
落ち着いて感傷に浸る時間すら無かった。
今だって、流れに任せて決意した気持ちが揺らいでしまいそうなのに。
「向こうには、俺を思ってくれている美女たちの愛で溢れているんだ。そう悲観することもないさ」
「そうかもしれないけど! じゃあ、涼介は、なんのためにこの世界を救おうと頑張るんだよ!」
「んー、考えたことも無いけど……。どうしてだろ? そんなこと、ヒーローは考えないものなんじゃないの?」
「ヒーローじゃ無いくせに!」
「バカ、これからなるんだよ」
「カッコつけちゃって……本当は怖いくせに!」
「真のヒーローってのは怖がりなんだよ!」
「もう、めちゃくちゃだよ……」
「そうだな」
どう考えたって、俺がアムルタートを演じるのが、一番の最善策だろう。
人生を棒に振るかもしれないが、新たな植物の王としての再出発だ。
人として生きられなくなる。
死ねないかもしれない。
ここではない異世界に飛ばされるかもしれない。
・
・
・
リスクを上げればきりが無い。なんたって相手は、限りなく神に近い存在だ。
人間の想像力なんて遠く及ばない。
そんな、未知の恐怖に耐えて生きていく決意なんて、考えたって無意味だ。
「今日は……一日この世界を楽しもうかな……じゃあ……」
「計算結果が出ました」
「お?」
アマテラスの総当たりが終わったらしい。こんなに時間が掛かるなんて、どんな途方も無い計算をしたのだろう。
だからって、そうそうこの最善策の上を行く最善策なんて無いだろう。
「明日のラミア様との会合は、私とケンも同席させてください。
それ以上は何も申し上げられませんが、涼介様がアマテラスに行動を委ねていただけるなら、この最善の結果を導き出せる確率は非常に高いです」
「アマテラス任せで、俺はどうすればいい?」
「成り行きに任せていただければ結構です」
「おいおい。未来は予知できないんだろ? 口裏合わせもしないんじゃ……」
「問題ありません」
あんなに未来予知は出来ないと言っていたアマテラスが、問題無いと断言する。
もしかしたら、アムルタートになった時、記憶を抜き取られるという事を気にして、情報を制限しているのかもしれない。
嘘がつけない俺を計算に入れているのかもしれない。
理由はわからないが、アマテラスが……レノが断言したんだ。
この世界のシステムは、いつだって俺の想像を遥かに超える答えを導き出して来た。
そんなシステムが、効率度外視の全力で、俺のために尽力してくれたみたいだ。
人としての死の瀬戸際に、こんな面白そうな事が待っているとは……。
ラクライマ教の教えなんてクソ喰らえだ!
俺は、この世界の解を信じてみたい……騙されたってんなら、俺なりの方法でこの世界を支配してやる!
「ふっ……ふふふ、ククッ……」
「涼介、大丈夫?」
「いや……ああ、大丈夫だ。ケン、おまえからは言わせないが、俺から言ってやるよ!
俺はこの世界に来て、めちゃくちゃ驚いたし、心踊るような経験もいっぱい出来た。
感謝してるのは俺の方だ……だから、この世界の解を見届けたいと思う。
それがどんな結末だって構わないさ!
連れてってくれ。度肝を抜かすような未来にさ!」
「任せてよ!」
「お任せください!」
二人同時に頼もしい返事が返って来た。
感情の無いAIの癖に……随分と熱い……胸を締め付けるような……優しさ、暖かさ、思いを、感じずにはいられなかった。
そんな二人に、俺は返事を返せない……今、声を出したらきっと震えていただろう……俺は……上を向いて、目をつぶる事しか出来なかった。