帰還
真の勇者はその後も動けずに女の側にいた。
魔王が与えた呪いと、真の勇者が神託を遂行するために与えられた終わらない永遠の痛みと苦しみ。
神託を遂行した事により、真の勇者は許されたはずだ。
その女はどんな形であれ尊い犠牲なのだ。
許されたはずの真の勇者は、どこにも行かず、女の側で虚ろな表情をしていた。
「勝利の余韻に浸り、高らかに喜びを表現されてはいかがでしょうか?」
「……誰だ?」
「あなたが魔王と罵り、殺したお方に仕えるラミアと申します」
真の勇者が虚ろな顔を上げる。
「私も殺しては頂けないでしょうか? 仕える主人を殺され、一人では生きていけないのです。
このまま飢えを待ち、苦しみ果てるのであれば、貴方を恨みながらこの世を去りたいのです。
魔王の仲間をいくら殺そうと、神はお許しになるのではないですか?」
「っ!!」
「 その勇ましい聖剣で私をお突きください。私の様な下級の生物であれば、王の様な再生は出来ません。
何度も御手を煩わせる事はありません。
私を殺していただきたいのです。
勇者様。神の裁きを御与えください」
真の勇者は何も言わない。信じて疑わないはずの神の御心に反して、神の裁きを与える事を躊躇っている。
「できない……」
「ならば聖剣をお貸しください」
「ダメだ!」
真の勇者は後ずさる。ラミアが差し伸べた手を振り払い、聖剣を鞘に仕舞い両手でしっかりと握っていた。
「何故ですか! 私の王を殺し、この女もこの様な姿になるまで痛めつけたではないですか!
私は貴方に生きる希望を蹂躙されたのです。
貴方を恨みながら、貴方に殺されたいのです。
私の望みを叶えることを、貴方がたの神はお許しになっているはずでしょう?
神の代弁者である真の勇者……貴方ならそれが正義として執行出来るではないですか!!
神託を受けて選ばれ、偉業を成し遂げた真の勇者の貴方であれば!!」
真の勇者は聖剣を力強く握りしめ、ふるふると震えていた。
ダン!!……ダン!!
真の勇者は大きな音に驚くと、顔を上げラミアを見た。
ラミアはなぜか女の足を力いっぱい踏みつけている。
女の足が骨を剥き出しにしてぐちゃぐちゃと音を立てている。
ダン!!……ダン!!
「やめろぉ!!」
真の勇者はラミアを抱えて女から引き剥がす。
真の勇者は張り詰めた糸が切れる様に脱力し、ラミアにもたれかかる。
「殺してくれ……」
「貴方が私を殺すのです」
「俺を……殺してくれ……」
「貴方に安らかに眠る資格があるのですか?」
「あぁ……あ……」
「私の仕える王を……返してください。私の全てであった……王を返して……」
「うっ……うぅ……。すまない……。すまない」
真の勇者は、ラミアを抱えていた腕の力が抜け、屍の様に崩れ落ちる。
両膝をつき、ラミアの足に縋り付いていた真の勇者は、ラミアが後に動いたため、そのまま前のめりに崩れる。
「すまない……。すまない……。申し訳ない……。ごめん……なさい……」
謝罪の言葉を連呼する真の勇者。
その姿はとても惨めで、汚く、どうしようもない弱者のそれだった。
しかし、その謝罪は真の勇者が今まで経験したことのないであろう、心からの謝罪だった。
「顔を上げよ」
「!!」
真の勇者の心は恐怖に凍りつく。
静寂を打ち破るありえないはずの声の主に思考が止まる。
恐怖を押し殺し、ゆっくり顔を上げると、いるはずのない魔王がいた。
「あっ……」
声にならない。驚きを抑えきれない。目の前の魔王が目に焼きついて離れない。
魔王の隣で跪くラミアに気付かない程に。
「最初からそうしていれば良かったのだ。真の愚者め。……おっと、魔王倒した真の勇者だったな」
愚弄された。勇者の称号を愚弄されたのだ。
しかし、真の勇者の心にはもう沸き立つ物は何もなかった。
魔王から目が離せないでいた真の勇者は、ゆっくりと動き出す。
その称号通り、勇気を振り絞る。
上げていた顔を下げ、額を床につける。
「助けて……ください」
「……」
「お願いします……。この女性を助けてください……」
「その女は死んでいないぞ?」
「痛みでもがき苦しんでおります……。私の力では、彼女を癒す事も、終わらせる事も出来ません。魔王様……助けてください」
「神の神託による尊い犠牲なのではないのか? お前が達成した偉業の礎ではないか」
「……私は……私の信じていた神は……私ごときが耐えられるものではありませんでした……。私は……神に……」
「神に?」
「神に……仕える事が出来そうにありません……」
「でもお前にとって私は私怨の対象……人類の敵なのだろう?」
「私の知る魔王はこの様な恩情をいたしません。私は……貴方を……罪の無い貴方を殺そうとしました。……申し訳ありません!!」
真の勇者は額を力強く床に擦りつける。
「良い。全てを許そう。顔を上げよ」
真の勇者は言われた通り顔を上げる。泣き腫らした目は赤く虚ろで……涙は枯れていた。
地面に擦りつけ、汚した面は生気を失っている。
「その様な状態でこの私に懇願するなど……なるほど、勇者の称号は紛い物では無かったようだな」
「……過ぎた賞賛でございます」
「クックック……。あーっはっはっはー! ならば誓え! お前の全てを捧げよ!」
真の勇者は再び頭を下げる。
「私は今日この時をもって……魔王様に全てを捧げます!」
「良い。ならばそなたの願いを叶えよう。」
鮮血を撒き散らし、ビクビクと痙攣している女に触手を突き刺す。
「見よ」
魔王の所有物となって真の勇者は女を見つめる。
女は魔王の所有物の目の前で、雑草が枯れる様に呆気なく萎んだ。
「な!……あ……ああぁぁ!!!」
魔王の所有物は崩れ落ちる。
「どうした? お前の願いを叶えてやったぞ?」
「……あ……あり……がとうございます……」
「ああ。そうだそうだ。言い忘れていた事があった。
今お前が助けて欲しいと願った女は、先ほどの戦闘の最中に植物で作成した偽物だ。
我ら同胞を救うためにそこまで懇願してくれた事には少しばかり心が動いたぞ。
これからも私の所有物として、一生を過ごす事を許可する。
それと、今は特に何かして欲しい事が無い。
ここを去り、命を落とす事なくこの世界で生き延びて見せよ。
そのうち、お前に役目を与えられる日も来るだろう」
「……かしこ……まりました。……御用命頂けるまで、生き延びてみせます……」
「去れ!」
魔王の所有物は薄っすらと笑みとも言えない表情でふらふらと祭壇を去っていった。
——殺さずに、家畜としたか。
『お? お前が持ち込んだ厄介事終わったぞ!』
——厄介事と言う割にはお前も楽しんでいたようだが?
『あの勇者くんは逸材だったからね! もうあんな勘違い野郎は滅多にお目にかかった事がないよ!』
——浮かれるのも良いが、この世界は些か面倒だ。早々に準備に取り掛からなければ面倒な事になる。
『最初に言っていたやつか? こんだけ強いなら問題無くすぐ終わるだろ? 敗北条件はどんな感じなんだ?』
——私は消滅した事がないからわからんな。
『何歳?』
——数えた事などない。
『ってか、あの勇者の魔法食らってなんで死んでないの?』
——植物さえ存在すれば、私は不滅だ。その星が滅びようとも、異世界に転移して存在を維持できる。
『……ああ。そうなんだ。』
次元を超える植物同位体は、人類から魔王と恐れられ、星が消滅するまで問題無いらしい。
勇者くんを適当に罵ってみたけど、こいつの話を聞いてみると、神ってなんだろうなぁって考えさせられてしまった。
人間にとって都合の良い神を想像する事が、人間にとっての限界なのだろう。
神様は信仰……って言うか、願望を吐露する掃き溜めの様な存在でしかないのだろう。
人が争いを避けて生きる上で、世論調査や、世論操作のために使う道具でしかないのかもしれない。
今となっては、その存在意義が薄れて……今? あれ? なんだっけ? ……思い出せない……まあ良いや……。
ちょっとチート過ぎたかな……。