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第二話 悪夢の始まり

 

 ——アマテラス——


 ——>> 異常を検知しました

 ——>> ハードの欠損確認しました

 ——>> 一部ユニットとの通信確率に失敗しました

 ——>> 修復作業開始します

 ——>> 管理外人類を検知しました

 ——>>  アロー法国に緊急調査を依頼しました

 ——>> ハード欠損修復不可

 ——>> アマテラスシステムを子機から切断

 ——>> 非常時プログラムにて運行開始

 ——>> ハード欠損の原因を確認

 ——>> 解析不能

 ——>> 第一次敵対者防御体制構築

 ——>> 未知解析プログラム開始

 ——>> ビット放出(アース全域監視)

 ・

 ・

 ・

 ・



 ***



「くっ……。あぁ……。なん……だ」


 暗転した意識がじわじわと戻り始める。

 意識を取り戻すと同時に立ちくらみの様な気持ち悪さが全身を襲った。

 体調が優れていなくても二度寝を決め込む様な心境ではない。

 無理してでも目を開けなければならない……どこからともなく湧き上がる焦燥感が全身に適度な緊張を与え、無意識に体を動かしていた。

 そして、おぼつかない瞼を押しやり、引きつった顔で目を開ければ、その先に広がる世界がぼんやりと目に飛び込んでくる。


「あれ……トイレじゃない……」


 サラサラとした心地よい音が聞こえる。

 四月にしては少し肌寒い風が吹いていた。

 見渡せばそこは、地平線まで緑一色で埋め尽くされた、とてつもなく広大な草原だった。


「草……。腰の高さまでありやがる……。ここはどこだ? ……あ。中島ー!」


 意識を失う前まで中島といたことを思い出すと、誰もいないのに少し小声で中島を呼ぶ。


「いない……。俺……一人か。なんなんだよ……いったいどうなってんだよ」


 声に出してみるも、見渡す限り地平線しか見えない。人どころか虫すらいない。

 これが旅行であれば大声出してこの絶景にはしゃいでいただろう。

 しかし、今は、ゴッホの絵に引きづりこまれてしまったかのような不安を感じている。

 個室の壁には絵など飾られてはいなかったはずだ。


「誰かー! いませんかー!」


 大声で叫んでも、誰も、生き物の鳴き声も無い。風と、草と、大地と、空と、太陽と……。


「雲が……無い」


 確認できるものが五本の指で止まってしまった。

 それ以外何もなかった。

 不安を押し殺し、身の回りを確認する。まずは身体的異常……なし、持ち物……なし、身につけているもの……チノパン、Tシャツ、長袖のシャツ、オシャレ登山靴……。


「あれ? 俺、なんも持ってねぇ!?︎ どっか落としたのか?」


 近くに落ちていないか確認するため、手当たり次第に周辺の草をかき分けてみる。

 しかし、腰まで伸びた草がどこまでも隙間なく生えているだけで、必死にかき分けても荷物は見つからなかった。


「……歩くか」


 はぁ……こんな訳わかんねぇ所で荷物も無いのかよ。せめてスマホさえあればなんとかなったのに……。


 持ち物の損失は、見知らぬ土地において想像以上に心的負担をかけた。お金と、通信手段の無い状況が、無力さ故の焦燥と行先の不安を駆り立てる。

 だいたいの現状を把握して、今やれる事を考えるも特に名案は浮かばない。

 何を考えても移動にしか希望がないと帰結する。

 仕方なく歩きだすしかなかった。

 地平線しか見えないので方角は適当だ。辺りを見回しながら草をかき分けて進む。


 一人黙々と前を目指して進んだ。

 地平線の向こう……一体どのくらい歩いたら辿り着くのだろうか?

 一歩、一歩が、草に遮られてやけに遅い。

 歩かなくてはいけない距離もそうだが、辿り着くまでの時間も途方もない長さになりそうだ。

 歩けども、歩けども、目がくらむほど遠くの彼方に見える地平線。

 いくら歩いても見える景色は変わらない。

 そして、どうでもいいような……今の自分にはとても大きなことを地平線を見ていて気づいてしまう。

 そもそも、地平線までの距離なんて変わるわけがないのだ。

 歩けば、歩いた分だけ遠ざかる。

 だから、目指さなければいけないのは地平線ではない。その先にある何かだ。

 そんなどうでもいいことでも、今は何かを考えていた方が楽だった。


 しかし、それも長くは続かない。

 無意味な思考は疲労によって塗りつぶされ、なにも考えられない時間が増えていく。

 そして、だんだんと大きくなる不安を払拭するように、不思議と意味もなく声が漏れた。


「ははっ……地平線しか見えねぇや。もう一時間くらい歩いたか? こりゃヤバイね……。俺……ここで……こんな訳の分からないまま死んじゃうのかな……?」


 不安を吐き出すために漏らした声は、反響と共に耳へと還る。

 冗談っぽく言ってはみたが、声に出してはいけなかった。

「死んじゃうのかな?」なんて、本気で思ったことは一度もない。

 いくら冗談だと言い聞かせても状況がそれを否定しない。

 意識したことのない恐怖が心にへばりつき、剥ぎ取れない侵食が始まる。

 そんな割り切れない思いを積もらせながらも、やることは決まっている。

 草をかき分け歩き続けるしかない。


 草かき分けて進むの……意外と辛いな


 地味で先の見えない単純労働が、延々と終わることなく体力を奪う。


 草、かき分ける、踏みしめる、進む

 草、かき分ける、踏みしめる、進む……


 歩いても、歩いても、地平線と草の風景は変わらない。


 草、かき分ける……踏みしめる……草……誰か……いないのかよ……。


 静かに、そしてゆったり、ぼんやりと纏わり付いてくるような……

 一滴……また一滴と「死」が、心の器を満たしていく。



 一時間……。



 二時間……。



 三時間……。



 と過ぎ、ふと、違和感に気づいてしまった。


「太陽の位置が……変わってない……」


 デタラメなスケールに心と体力は限界だった。

 時が止まったかのような現実に絶望が心を埋め尽くす。

 足が重くなり動けなくなる。

 もう辺りを見回す余裕もない。

 全身の力が抜けていくのを止めることができず、吸い込まれるように地面に引き寄せられてしまった。

 このあり得ない現実に精神は黒く塗りつぶされていく。


「……」


 言葉が出てこない。

 緊張の糸が切れ、目の前の草をぼーっと眺める。

 次に何をしたらいいのか……考えては消え……考えては消えを無意識に繰り返していた。


 地平線に変化はないし、草だって、いくら踏みしめても元気よく元どおりになっちまう。

 もう、どこを歩いて来たかさえわかんねぇよ……どうしよう……

 数十分くらい経っただろうか? もう何も妙案は思い浮かばない。

 もし時が止まっているのだとしたら……


 俺は……死ねないのだろうか?


 ……ぞっと背中に悪寒が走った。


 ……中島どうしてるかな? 突然俺がいなくなって怒ってるかな? 

 クソ! 中島に嫌がらせするために、隣の個室なんか選ばなきゃよかった! 普通は間隔開けて入るだろ! 

 そうすれば今頃は……あっ!


 緊張のため忘れていた便意が突然肛門に襲いかかる。


「あぁーうぅぅくっ。ヤバ……イ。ヤバイぞコレは! 俺はまだ……お外で済ませた事なんて一度も……一度だってないのに! 

 クソ あっ……くっ。もう……あぁ。ああああぁぁぁ! いーやーだー! お腹いたーいー!」


 時は止まっているわけではなかった。

 ちゃんと動いていた。

 けど、全然嬉しくなかった。

 時が止まっていて欲しかった。

 お腹を押さえながらゴロゴロとのたうちまわる。


「大丈夫?」


 自分以外の声がした。


 数時間無意味に歩き続け、精神、体力、共にボロボロになり、さらに急な便意に襲われたため幻聴が聞こえたようだ。

 薄ぼんやりと涙目になった目を凝らすと、目の前に待ち望んでいた変化があった。

 綺麗な黒髪で愛らしくも整った顔立ちの女性。

 白いブラウスに黒い簡素なドレス。その飾らない身なりが彼女自身をとても良く引き立てていた。


 その変化があまりに突然過ぎて、なにも考えることができなかった。

 危機を感じて構えるわけでもなく、やっと出会えた人に助けを求めるでもなく、綺麗なお姉さんに見惚れていたわけでもない。

 ただただ、ぼーっと、お姉さんを眺めてしまっていた。


 彼女は膝に左手を置き、腰を曲げた姿勢で、這いつくばる自分に手を差し伸べてくれた。

 ……香水だろうか? 女性からほのかにラベンダーの香りがする……。


「……」

「大丈夫? 立てる?」


 お姉さんは、至って普通に僕を心配してくれた。

 幻聴ではない。お姉さんの口が動いているのを確認した。それは、間違いなく僕へと向けられた言葉だった。

 その優しい声を聞いた途端、どこかへ行っていた意識が戻り、腹の底から何かが込み上げてくる。

 大草原で致命的な便意に襲われ、呻き声を上げてのたうち回っていたというのに、恥ずかしさなんてこれっぽっちも浮かばなかった。

 自然と……涙が溢れてくる。


 何度も死を覚悟した。

 一人ぼっちで死ぬのだと諦めかけていた。

 もしかしたら、時の止まった空間で永久に死ねない時を過ごすのかと恐怖した。


 ……もう止められなかった。


 困ったような顔をされているのは見えていたが……言葉が出ない。

 だらしなく涙と鼻水を垂らしながらえずき続ける。

 次から次へと込み上げてくる感情。

 それが安堵なのか、恐怖なのか、ぐちゃぐちゃと渦巻きながら溢れ出てくるせいで判断がつかない。

 出し切る以外に解決方法がなかった。


 数分……感情のままに泣き腫らし、恥ずかしい姿を晒した僕は、ふと、中島が言っていた事を思い出す。


 涙腺崩壊系の物語……タイトルはなんだったかな……はは……。


 中島は嘘つきではなかった。


 ひとしきり汚く泣きじゃくる僕を、お姉さんは静かに待ってくれていたようだ。

 これで顔を上げたら誰もいない……なんて落ちだったら笑えない。


「落ち着いた?」


 答え易いその問いは、僕がやらなきゃいけないことを思い出させる。

 僕は、お姉さんの手をつかむことはせず、自分の力で立ち上がり……そして、お姉さんに深々と頭を下げた。


「はい……すみません。ありがとうございます」


 どんなことよりもまず謝罪と感謝を伝えなければ始まらないだろう。

 お姉さんを長らく困らせてしまったが、ようやくまともに話しができそうだ。


「どうしてこんな所にいるの?」

「すみません。僕もどうしてここにいるのかわからないんです。気付いたらここにいました。

 四、五時間くらい前でしょうか。今までずっとあてもなく歩いていました」

「そう。これからどうするつもりだったの?」


 ……不思議だった。

 すんなりと受け入れられるような説明ではなかったはずだ。

 何を言ってるの? なんて、怪訝な顔をされてもおかしくはなかったのに、お姉さんは「そう」と、一言だけ……何も表情を変えずに次の質問に移っている。

 もしかしたら、面倒な事になりそうだな、と、敬遠されたのかもしれない。

 お姉さんは警察や、警備員って風には見えない。そういう突っ込んだ話をするつもりはないのだろう。


「……まずはここから出たいです。家に帰りたいと思います」

「おうちはどこ?」


 おうちはどこ……お姉さんの中では、僕は迷子ということになっているのだろうか?

 この歳で迷子と思われている状況に幾分か恥ずかしさがこみ上げてくる。

 まあ……まさしく迷子なのだが。ここは大人しく住所を伝えることにする。

 僕は泣いてばかりいる子猫ちゃんではないのだ、犬のお巡りさんを困らせてはいけない。


「埼玉県さいたま市ーー」

「んー……やっぱりか」


 お姉さんは居心地悪そうに笑うと、何か考え事をするかのように目をつぶり腕を組んで下を向く。

 今の会話で、何を悩んでいるのだろうか? まさか埼玉県を知らない年齢でもないだろう。何かこちらから話かけたほうが良いのだろうか?

 僕にはその沈黙がどんな意味なのかサッパリ分からなかった。

 おとなしくお姉さんの反応を待つことにする。


「よし。まずはここから出ましょう。それからゆっくりとお話ししましょうか」

「わかりました。よろしくお願いします」


「お願いします」と、言ってはみたものの、いったいどうするのだろうか?

 見渡しても地平線しか見えない。

 お姉さんも何か乗り物に乗ってきた様子はない。

 でも、もう何処でもいい。この草原を見ていたくない。

 留まって草食って生き長らえることは可能だろうが、それでなんになる。草食って寝るだけじゃ死んでるのか生きてるのかわかりゃしない。


 色々聞きたいことが山ほどあるが、要領を得ない質問は不快だろうと思い控えた……いや、そんな気を使ったもんじゃない。

 弱者の無様な感情が声を押し殺していた。この状況を変化させてしまう可能性が……ただ怖かったのだ。

 今は静かにお姉さんの言う通りにする。


 すると、お姉さんは空中に人差し指で八の字を二回ほど描いた。


 何してんだろ?


 そんな不可思議な仕草に、なぜか何かを期待していた。

 こんな気持ちになったのも、このあり得ない絶景と不思議な仕草をする美しい女性の姿が、映画のワンシーンを切り取ったみたいだったからだろう。

 何か凄いことが起こる……そんな期待を感じずにはいられなかった。

 そして、どこから現れたのか、一匹の蝶がひらひらとお姉さんの右手の甲に舞い降りる。


「飛行船の手配をお願いします。そして電報を青組へ、AA04C以上」


 蝶はそれを聞くと、ひらりと舞い上がり、お姉さんの頭の上あたりで消えた。


 お姉さんは上を見上げる。

 誘われるように視線を追う。


 ……しかし、そこには何もない。何もないはずだった空に……まるで転移でもしたかのような……いや違う。

 纏っていたであろう無数の蝶が一斉に舞い上がり、上から段々と飛行船を形作ってゆく。

 陽の光が蝶を照らし、光輝いているような錯覚に目を奪われると、その光は役目を終えるかのように、ゆっくりと舞い上がる蝶と共に消えた。


「……近いな」


 飛行船は100メートルも離れていないところに現れた。

 思ってたよりは小振で、低空を舐めるようにゆっくりとこちらへ向かって飛んでくる。

 飛行音が聞こえない。草の擦れる音より小さいのだろうか?


「さっ、乗りましょう!」


 お姉さんに促され飛行船に乗り込む。

 中はロープウェイのゴンドラのような作りだった。

 二人とも乗り込むと扉が閉まり、高級エレベーターのような浮遊感で上昇する。なかなかの速さだ。

 そして僕は、グングン上昇していく飛行船の窓から、苦しめ続けられた地平線を見下ろす。


 この草原はどこまで続いているんだろう?


 その疑問はすぐに答えが現れる。

 急にあたりが暗くなり、トンネルのような所に入った。飛行船が余裕で通れるくらいの大きな空間だった。

 ここに来てからというもの驚かされるばかりで、頭の中は疑問符でいっぱいだった。

 今すぐにでも、お姉さんを相手取り、一から十まで問い詰めたかった。


 でも、そんな余裕はない。

 もし、不用意な質問のせいで、今のこの状況が呆気なく崩れ去り、またさっきのような生命の危機的状況に陥るかもしれないと思うと何も質問することができなかった。


 それと、飛行船を消すことができる状況……まあ、これも理科不能だが……それより、隠れて僕の事を監視してたんじゃないか? なんて、助けてくれたお姉さんを疑っている。

 ただ……もし本当は監視していたとしても、なんらおかしいことはない。

 むしろそう考える方が自然だ。


 なんにせよ、今の僕にはどうすることもできない。

 それに、何かあれば何でもできた状況で、何もなかったことから、そこまで危惧しないで良いとは思う。

 ……そう、思うしかないだろう。







連載中小説


彼女が救った少年は黒い翼を持つ魔物でした


こちらもよろしくお願いいたします。


記 2018/10/19

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