ひそやかな匣
描写力アップを目指そう企画 http://ncode.syosetu.com/n9981du/
自作の参加作品を改変して、ラストまで書いたものです。
コンビニの袋がズボンにかすかに触れているところからも、冷気は遠慮なくやってくる。
両手をオーバーのポケットに突っ込み、転ばないように下だけを見て歩く。除雪された雪が道の両端にあって、狭い道路をさらに狭くしている。車が通るたびに足を止めて道を譲る。
「しくった……日本酒にすりゃよかった」
昨日の講義の終わり。帰り支度をしていたら、ナオトに声をかけられた。明日鍋にしないかという誘いにうかうかとのったけれど、初めて訪ねる奴の住まいは行き慣れていない住宅街。似たようなアパートやマンションが立ち並ぶ一角だ。
夕暮れどき、小雪の降る中をもう三十分ちかく缶ビールの入ったレジ袋をガサガサいわせて迷っている。見上げると、曇天の空がわずかに朱に染まり、上空を交差する電線におびただしいカラスが羽を休めている。
たのみの綱の電話はなぜかつながらず、昨日うわの空で聞いていたおぼろげな道順を思い出し思い出し、ようやくナオトのアパートを見つけた。アパートというよりは、メゾンとかそういう名前が似つかわしい外観だ。敷地には一戸当たり一台分と思われる駐車スペースがあって反対側の道路とはフェンスで仕切られている。駐車された車の中に見覚えのある中古のビーグルがある。
築浅だな。シミのないグレーと白の横縞の外壁、エアコンの室外機が壁面に上下二段でずらっと取りついている。
思わず舌打ちする。オレの住むアパートより上等じゃないか。でも、狭そうだよな……と悔し紛れにケチをつけて、階段を上がる。「階段をあがってすぐだから」とナオトは言っていた。
階段を上がり切ると、屋根付きの通路がまっすぐに続いていた。
「あがってすぐ、あがってすぐ……」
おれは一軒目の呼び鈴を押すと、ドアの前で背中を丸めイライラと足踏みした。早く開けて欲しい、もう体が冷え切ってる。
中で人が動く気配がして、重めの金属音とともにドアが開いた。
「遅せーよ!」
ドアに手をかけ鉄の扉を大きく開くと、甘い香りの湯気が顔にあたった。
はっとしてよく見ると、三和土には女物のロングブーツと華奢な靴。赤く塗られた爪先と白い足が視界に飛び込んできた。
「え?」
白く長い脚は膝上のハーフパンツをはいていた。頭からふわりとかぶったパウダーブルーのバスタオルで風呂上がりの濡れた髪を拭いていたのだろう。髪の先と長い睫に雫が光った。体からは甘い香りとともにうっすらと湯気があがっている。
口元をタオルで隠し、下がり気味の目をパチクリとあけて入り口でおれを見あげてたのは若い女性だった。
「あ、あ……!」
思わず半歩後ずさる。かきあわせたバスタオルから胸元がちらりと見えた。タンクトップの襟ぐりは胸の谷間の上側ギリギリ。自分でも気づいたのか、女性は素早くタオルを頭から外して上半身を覆った。
「どちらさまですか?」
固まったまま動けないおれに、戸惑うような視線を向けてきた彼女のふっくらとした口元には小さなほくろがあった。かたちのよい額に、濡れた前髪がかかる。背丈の割に、胸にボリュームがある。
冷たくなっていた頬が一気に熱くなり、鼓動が早くなる。
「ナオト、いや、山崎さんの部屋じゃ……」
「ちがいます」
整った顔から発せられた声は硬質の響きだった。なにか気になるのか、視線がさまよう。
小さな三和土の棚に男物のビジネスシューズがあるけど、あきらかに学生が履くものじゃない。開け放たれたドアからはキッチン奥の部屋まで見えたが、小さなテーブルの上にある読書灯が照らし出す空間は淡い色でまとめられた家具があるだけ。寝乱れたベッドが艶めかしくて、思わず息をのむ。
男物の靴は、女性一人暮らしの目くらましかもしれない。
あからさまに不審者に向けるような視線におれは胸が詰まった。
「す、すみません、これ、お詫び!!」
手にしていたレジ袋を彼女に半ば押し付けるようにして渡すと、彼女の肩からバスタオルが滑り落ちた。何か見てはいけないものを見たような気がして、いそいで扉を閉めた。
がちゃん……という音が重なって響き、隣のドアが開いた。
「なに騒いでんだよ」
ナオトが扉のすきまから顔を出して、半分腰を抜かして通路の手すりにもたれかかるおれに声をかけた。
「早く来いよ」
扉を見つめたまま放心しているおれに業を煮やしたのか、ナオトが部屋から出てきておれの腕を引っ張り上げた。
たった一枚、扉の向こうに彼女はいるのに。閉ざされた扉はまるで世界を分かつように立ちはだかる。ちからずくで開けたら、それこそ犯罪者だ。
連行されるようにナオトの部屋に入れられると、さっき見た彼女の部屋とは位置が反転したスペースにもう鍋の準備がしてあった。
「間違って隣の部屋へ行ったんだな」
ナオトはおれをテーブルの奥のほうに座らせると、入り口を背にして腰を下ろした。
「美人だったろう?」
「名前知ってるのか」
いいや、とナオトは鍋の蓋を取った。鶏肉の水炊きだ。肉の煮える匂いに急に腹が鳴る。こんなときに。さっきあれだけの美人を見て心を奪われた後で、まだ胸がドキドキしているのに。
「やめとけよ」
ひとより少し長めの顎を引いて、ナオトがおれを見た。なんで、という前にナオトが手を差し出した。
「土産は?」
「……わりい……お隣に置いてきた」
ため息をつくと、ナオトはキッチンへと引き返し、冷蔵庫からビールのロング缶を持ってきた。ナオトの部屋は片付いていた。玄関入って左手が風呂とトイレ。美人さんの部屋はその反対の間取りか。そういえば、部屋の壁際にベッドがあった。ナオトは壁を隔てて同じようにベッドを置いてあることになる。
「そんなに見てたら、壁に穴が開くって」
一人でさっさとビールを飲み始めたナオトに言われて、あわてて前を向く。
「学生かな……」
「チガウと思うけどさ、堅気の仕事をしているとは思えないなあ。しょっちゅう男の出入りがあるし」
あのビジネスシューズ、来客中だったのかな。でも、部屋には誰もいなかったし。……風呂場? 乱れたベッドが同時に思い出され、ずきんと胸が痛んだ。
「ここ、見かけほど防音よくなくてさ。昨夜も……」
ことばを切って天井を見たナオトにつられて上を向いて耳をすませる。と、がちゃんと、隣の部屋の扉が開閉する音と物音がわずかに聞こえてきた。誰か来た? 三人目? 三人で……!?
まいったよなあ、とナオトは頭をがしがしとかいてうつむく頬が赤くなっていた。思わずおれも同じように顔を伏せる。顔が体が熱くなるのが分かった。
「ま、食おう」
妙な沈黙のまま、二人して鍋をつついた。隣からはこれといった音は聞こえない。ただ考えすぎて、もやもやする。せっかくの肉の味もせず、ビールの酔いも回らない。
「今日、泊っていってもいいかな」
「帰れ」
もくもくと箸を動かし続けるナオトにあっさりと断られた。
「なにかわかったら、教えてく……教えてください。せめて、名前が知りたい。礼はする」
ナオトは、ふんっと鼻を鳴らした。こんどは忘れずにビールを持ってこよう。
帰る前に通った美人さんの部屋には灯りがともり、在室中のようだった。換気扇からわずかにあがる湯気見え、水が排水溝を流れる音がしていた。わざとゆっくり通り過ぎたけど、すぐに階段だ。一段一段下りながら、彼女のことを思った。
白い肌は湯上りのせいか、桃色に上気していた。触れたらきっと柔らかく、たよりなく感じるんだろう。小さな背丈もきっと抱きしめるのにはちょうど……そんなことばかり頭の中で一晩中、繰り返した。
「わかったぞー」
鍋の日から会う機会がなく、四日後に会ったナオトは目の下に隈を作っていた。
「名前か!」
ナオトは、ああと言いがてら大きなアクビをした。おれと違ってゲームもやらない奴なのに、珍しく徹夜か。
「教えてくれ」
意気込むおれにナオトはスマホを取り出して、なにやら指を動かしてからおれに見せた。ネットでよく見るニュースのサイトだった。
「これ?」
「まいった……ゆうべはこれで事情聴取」
長い顎が外れるかと思うような欠伸をして、ナオトは目をこすった。おれはスマホをナオトから渡されて読みこんだ。
「バラバラ殺人、って」
「隣の住人」
殺された!? あの人が。文字を追おうとしたが目が滑ってしまう。血の気がひいて頬が冷たくなった。
違う違う、とナオトはグラついたおれの肩を支えた。いちどスマホをとりあげ、ニュース動画をタップしてオレの手に戻した。
「あの日、おまえが帰ってから、隣からなんだか変な音が聞こえてきてたんだ。でも、いつもの事といえば、いつものことだし。でもそれが朝方まで続いてさ」
変な音?
ニュースを読み上げるスーツ姿の男性の右上に映像が流れている。ツートンカラーの外壁、見覚えのあるナオトのアパートだ。
「次の日、燃えるゴミの日だったからだろうな。袋をガサガサするような音が聞こえてたし、最初に見つかったのがごみ処理場だったって書いてあるし」
被害男性の写真はネクタイをきちんとしめた四十前後に見える男性だった。会社の中間管理職名が読み上げられた。続いて、加害者の男女。お姉さんは、ノースリーブの華やかなオレンジ色のドレスを着てほほ笑んでいた。もう一人の男性は、ホスト風。二人は職場が一緒だったとアナウンサーは読み上げた。
日頃からDVを受けていたお姉さんは、あの日彼氏を首を絞めて殺した。それから二股かけていた男性を呼び、ふたりで遺体を風呂場で損壊、そして遺棄。
あのとき、すんなりドアを開けてくれたのは、共犯者に連絡して来るのを待っていたからかもしれない。そうでなきゃ、風呂上がりの無防備な恰好のままドアを開けるはずがない。
あ、と思いだした。ずれたバスタオルの下、むき出しの肩には目立つ青あざがあった。あれは暴力の痕か。
「……あのさ、しばらくおまえの家に泊まらせてくれ」
もう引っ越すわ、とナオトは言った。
小さな再生動画画面から聞こえた彼女の名前は、可憐な花と同じだった。
本作は、『描写力アップを目指そう企画』用に書いたのものでした。
企画の課題は、
『男の子が、友達の部屋と間違えてピンポンしたら、中から綺麗な人が出てきて、一目ぼれした描写』でした。
なので、その部分だけやたらと長いです。
そしてそのときラストまで書かなかったのは、冗長すぎると思ったからでした。
今回、本来の路線であるホラー色を強めたいと少し手を加えました。
結果あまり怖くないという。
まだまだですm(__)m