逆ナンではない
地上1階に戻ると、フロアには誰一人もいなかった。
蛻の殻、まっさらな空間。
『あれ、どこ?どこいったの?』
杏は狼狽える。
『連行されたんじゃないか?』
傷の男はタバコに火をつけた。
『連行?なんで人質の私達が?』
『都合悪いんじゃないか?さっきの男も言ってただろ?』
傷の男は原発のことを言っているのだろうか。
『にしても横暴じゃないの?』
『そんなもんだ。ちなみに隠したいのは原発云々じゃない。』
煙を燻らせながら男は言った。
杏は無性に家に帰りたくなった。
『もうやだ。帰る。気持ち悪い。吐きたい。薬飲んで寝たい。』
『別に俺は止めてないよ。』
傷の男の笑顔が杏を逆なでる。
杏は一人無言で出口に向かう。
『何で帰るんだ?』
背後から傷の男の声。
『車!!』
杏は怒鳴った。
『帰りにお前は多分、交通違反を犯す。軽微な。なのにあら不思議気づいたら留置施設。
臭い飯。ピカピカの床とじめじめのベッド。』
気づいたら傷の男は隣まで来ていた。
『は?私は15からずーっと無事故無違反で通してるんですけど!』
杏はゴールドの免許証を男の眼前に見せつけた。
『そうか、この時代は15から免許取れんのか。』
『お爺ちゃんにはわからないでしょーけど!!』
『お爺ちゃんはひでえ。肉体的にはまだ23だぞ。お前は杏ちゃんて言うんだな!』
男は笑う。
『読みは“きょう”です!』
杏はまた怒鳴った。
『わりいわりい、杏。ちなみにさっき言った話はフィクションじゃない。政府の筋書き、ノンフィクションだ。事実そうやって別件で引っ張って拉致られて記憶改竄(改ざん)されたやつは仲間にもいる』
『、、、』
杏は黙る。黙るしかない。
杏の理解力では追い付かない話の転回だ。
『じゃあどうすればいーの?!あなたが私を家まで送ってよ!!』
『そうきた?』男は歯を見せて笑っている。
『やめときなよ、こないだは俺を乗せたタクシーが“不慮の事故”で大破した。運転手は即死。』
今となっては妙に真実味のあるはなしだから絶望的だ。
『じゃあどうするのよーー?』
杏はうずくまって両手で顔を覆った。
『ほとぼりが冷めるまで俺の職場に泊まれ』
俺がまるで独り言のように言った。
『え?』
『勘違いすんなよー。先に誘ったのはお前だから』
『誘っ、、、そうゆう意味じゃないわ!』