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7.ねーちゃんを迎えに



もの凄く早く、目が覚めた。


今日は部活があるから出来る事ならもう少し睡眠を取った方が良い。けれども目を閉じても、ちっとも眠気はやって来ない。諦めてパチリと瞼を上げ、出掛ける準備に取り掛かった。




顔を洗って歯を磨き、ジャージに着替えて自室の床に腰を下ろす。


手首、次に足首を回す。そしてゆっくりと手を添えて反らして伸ばした。

しゃがんだ状態で両足のアキレス腱を20秒ずつ、そのあと脹脛ふくらはぎが延びるよう、脚を伸ばしたまま爪先を手前に倒す。

それから頭の後ろに肘を持ち上げ肩へゆっくりと引き寄せ、二の腕の筋を十分に伸ばした。


腕をぐるぐると大きく回し肩関節のこわばりとほぐす。それから正座になり、そのまま背後に倒れ、ぺったりと床に仰向けになる―――太腿前面の筋肉がじりじりと伸ばされるのを感じる。


風呂への入り方と一緒で、心臓から遠い部分から徐々に解していくのだ。丹念に体の強張りをひとつひとつ取り去ってやる。

目覚めたばかりの固まった筋肉を張り付けたままでは、怪我をする。


鍛えているから乱暴に扱っても良いという訳では無い。むしろ毎日の鍛錬を続ける為に、自分の体の声を聴きながら丁寧に扱わなければならない。

怪我をすれば数週間から数ヵ月、確実に鍛錬の時間が削られるのだ。

鍛錬の時間が削られれば削られるだけ、試合相手ライバルとの実力差に繋がる。たったワンゴール差が勝ち負けを左右する事など、ザラだ。だから俺はストレッチひとつやるにしても、意識をきちんと集中する。


じんわりと汗を掻くと、頭がクリアになって来た。

俺は体を起こし、ジャージの上を羽織ると立ち上がった。




玄関を出ると街はまだ、夜の領分にあった。

戸建住宅が整然と並んでいる住宅街。人間の気配が全くしない舗装された道路に、街灯が色味の無い光を落としていた。

俺は改めて手首から足首、そして肩と腰、可動する関節を大きく回した。そしていつもランニングに使っている、月寒公園に向かって歩き出した。


公園の中央にある池の回りをゆっくりと走り出す。暫く進むと森の中の遊歩道に差し掛かった。いつものランニングコースは2周すれば1キロメートル強。これを10分のペースで走りきり膝を温め、次の2周は7分になるように速度を上げた。30分ほど走り続けていると、森の隙間から見える空に薄暮が拡がり始めた。


そろそろ時間か。


公園を出て、地学部の解散場所であるT高の校門を目指した。







** ** **







正面玄関の階段に腰を掛けて正門を見ていると、やがて黒いファミリーカーが横付けされて、スライドドアが開き中から数名が降りて来た。

俺は立ち上がり、円柱に凭れ掛かる。


一際ひときわ小さな人影を見つけて、詰めていた息を吐き出した。

ねーちゃんは王子らしき人影と何やら話し合い、他の部員達にペコリと頭を下げて俺の元に駆け寄って来た。


「迎えに来てくれて、ありがとう」


俺を見上げふわりと微笑んだその笑顔に、キュッと心臓が縮こまった気がして切なくなった。つられて俺も笑顔になる。

歩き出す前にねーちゃんが一度部員達の方を振り返る。こちらをじっと注視している人影達に、俺もペコリと頭を下げた。







「……楽しかった?」

「うん、走ってたの?」

「ちょっと早く着いちゃったから、月寒公園を少し」


合宿が余程楽しかったのか、ねーちゃんを見下ろすと微かに頬が紅潮している。

思っていたより素直に(楽しめて良かったな)と思う事ができた。


それは俺を見つけたねーちゃんが、すぐに駆け寄って来てくれたから。そしてとても嬉しそうに俺に微笑み掛けてくれたからだ。


こんな風に。


俺はもう何度となく彼女に救われているのだ。

ねーちゃんに笑顔を向けられる度、いつも俺は泣きたくなるくらいホッとするんだ。







薄明りの中並んで歩いていると、ねーちゃんが立ち止まる気配がして俺も足を止めた。


「今日もバスケの練習、あるんだよね」

「うん」

「こんな時間に起きて大丈夫?」

「……どうせ、眠れないし」

「え?……そうなの?何で眠れ―――」


気が緩んで滑らかになった舌から、つるっと本音が飛び出した。


戸惑ったようなねーちゃんの声。


タイミング良く横断歩道の信号がチカチカと瞬いた。俺は追求を逸らすように彼女の手を少し強く引き寄せる。


その手の柔らかさと小ささに、ドキリと胸が跳ねた。


ふにふにと白いそれは、まるでマシュマロみたいだ。

繋いだ手から伝わる気持ち良さにビリビリと脊髄が疼き、一瞬頭が真っ白になりそうだった。




邪な思いを振り切るように一度頭を振る。




彼女を半ば引き摺るようにして―――俺は強引に横断歩道に駆け出したのだった。



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