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5.ねーちゃんに教育的指導


運良く空いていたソファ席に、俺達はおのおの同時に嵌り込んだ。そして座り心地良さにふぅっと息を吐くと、正面でねーちゃんがクスクス笑っている。


俺達の行動がシンクロしていたので、思わず可笑しくなってしまったらしい。

俺も釣られて、笑う。

ねーちゃんと一緒にいると、落ち着いてほっこりできる。

そしてご褒美みたいに不意に零れるねーちゃんの笑顔を見つけるだけで、俺は世界中が自分に味方しているような錯覚を覚えるんだ。


あー、幸せ~~。


念願の……寄り道デート……。

高校生になって、初の。


グフフフ。


ねーちゃんがシナモンロールとチョコレートチャンクスコーンを、味わいつつ食べ比べているのを眺めながら、俺は暫くの間ニヤニヤと幸せを噛み締めていた。




そしてふと、古い廊下の奥、地学部の部室の前で起きた出来事を思い出した。

緩んでいた頬が、自然と引き締まる。


「そういえば……今日の『おーじ』って奴、何?あれ、渾名あだな?」


ねーちゃんに親しい友人がいるなんて、これまで考えもしなかった。

しかも男。

これが不機嫌にならずにいられるだろうか。


きょとん…と、ねーちゃんは何を言われたのか認識できないように、一瞬黙って俺の顔を見つめた。やがて「ああ」と思い当たったように呟いた。


「苗字だよ。『王子 もとい』っていうの」


簡潔に応える。

そして、少し眉を顰めると、すっと真剣な面持ちになった。


「私と同じ3年生だから、先輩だよ?呼び捨てにしないでね。確かに―――王子様みたいな外見だけれどもね」


何か思い出したように、ふんわりと笑顔を浮かべる。

それを目の当たりにした俺は、身の内に焦燥感がじんわりと拡がるのを感じた。


何を考えて、そんなに柔らかい雰囲気になるんだ?

『王子』のこと……?

落ち着かない俺の心に追い打ちを掛けるように、ねーちゃんが言った。


「今日は夏休み合宿の準備をしてたの。ホラ、ウチ部員少ないから三年生が率先しないと」

「えっ合宿?……それって、泊まり?」


思わず、身を乗り出す。


「あいつも一緒?……王子のヤツ」

「部員だもん、当たり前でしょ」


ねーちゃんは少し呆れたように、言った。

そしてなんと、合宿は泊まりだという。

とは言っても星を観察するために山で過ごすだけだから、アイツと同じ屋根の下で何処かに宿泊するってワケではないのだけれど。


でも一晩、近いところで過ごす事には変わりない。

俺の体は嫉妬で、かあっと熱くなった。

ねーちゃんの合宿をひどく楽しみにしている様子にも、苛立ちが込み上げる。


「―――泊りなんて反対!行くの、止めなよ」


思わずソファから立ち上がってしまった。テーブルに手を付き、更に身を乗り出す。

ねーちゃんはそんな俺の激昂した様子に微かに瞠目したが、すっと目を細めて落ち着いた様子で諭す様に言った。


「部員4人しかいないのに、副部長の私が行かないなんてあり得ないよ。だいたい、うちって集合場所の学校まで歩いて10分ちょっとでしょ?危ない事なんてある訳無い―――学校からは観測場所の藻岩山まで先生の車で移動するし。もしどうしても帰り危なそうだったら、近い人に送ってもらうから大丈夫だよ」


『大丈夫』の理由に、ますます納得が行かない。

『近い人に送ってもらう』って言うけど、その相手が王子だとしたら―――それが一番大丈夫じゃないんだって!


「それって『おーじ』?」


ねーちゃんは少し考えて、応えた。


「まあ……王子になる、かな?」


呑気に小首を傾げるねーちゃんに更に、焦った。


「反対!アイツは、危ないって」


思わず、強い口調になる。


「え……はぁ?」


ねーちゃんは何か言いかけていた口元のまま、二の句が継げないようにポカンとした。


しかし、旗色が悪いまま話を終わらせるねーちゃんでは無い。

元々落ち着いた低音の響きを持つねーちゃんの声が、更に低くなる。


あ、ヤバイ。


こんな風に真剣に声を低くするねーちゃんに、勝てた試しがない。

長年の経験で、ビシビシ指摘され精神的に完膚無きまでに叩きのめされる事は身に染みて判っている。普段優しいのがデフォルトなだけに、俺は盛大にびびってしまい二の句が継げなくなるのが常だった。


しかし、俺も今では高校生だ。


体格だって大人と子供かってくらい、俺の方が勝っている!

いつまでもねーちゃんにやっつけられている、俺であると思わないで欲しい。




「清美だって、バスケ部の合宿行くでしょう?当然女子もいるよね、どこが違うのよ」




う……っ


心のHPがグッサリと、削られた。

痛いところを付かれて、ぐっと詰まる。

俺の顔に極限まで近づいた、鴻池の大きな目が思い出された。


「だってアイツと親しそうだから……」


怯んで苦しい言い訳を絞り出す俺に、更に容赦ない一手が繰り出される。


「王子は大事な友達なの。親しいのは当り前なの。長い付き合いで合宿だって観測だって何度も行ってる。今までだって王子は親切だった。酷い事なんかされた事ないよ」

「いや、その親切が問題……」


俺は思わず口籠ってしまう。


昼間会った王子は確かに、ねーちゃんに対してあくまで紳士的だった。

ねーちゃんが受けている印象は、ある意味正しいんだろう。


とは言え俺とねーちゃんでは状況が違う。

アクション起こすのが男子からと女子からでは、全く違って来るんだから。

ねーちゃんみたいな―――口は立つけど、非力な、細っこい、か弱げな……可憐な、抱きしめたら砕けちゃいそうな……女子が、男の力に抗える筈無い。

ねーちゃんはどんなに自分が可愛いくて、男にとって魅力的なのか判っていない。


頭も良くて知識も造詣も深いのに、肝心な人間と人間の事が実感できていない―――人間関係を避けているから、経験不足なんだ。


そう言えばねーちゃんが恋愛モノの小説とか映画を見ている処、見た事無いな。

女子同士の恋バナも、もしかしたら経験が無いのかもしれない。


だからなのか?男の衝動について、全く無頓着なのは。

人目の無い暗闇の中でねーちゃんの隣にいる男が、思わずどんな妄想を抱いてしまうかなんて―――、一欠片も想像すらしないのだろうか。




大きな俺の体は、立ち上がると非常に目立つらしい。

頭が少し冷えてくると、チラリチラリと俺等を盗み見る視線に気付かされた。

俺はソファに腰を下ろして冷静になるために、ふぅーっと腹式呼吸をした。


そうして暫し、黙考する。


口で説得しようとしても駄目だ。

ねーちゃんに男の情動について、ここで講義する訳にもいかない。

今のところねーちゃんは、王子を『友達』以上に認識していないようだ。だとしたら下手に王子を意識させるような知識を与える必要は無い。


この心配は、俺の嫉妬心が起こさせる杞憂なのかもしれない。

だけどひと気の無い早朝の帰り道、王子とねーちゃんを2人きりで歩かせるのは許容できない。


「じゃあ、迎えに行くよ」


ねーちゃんの目を真正面から見据え、強い口調ではっきりと言う。


「1人で帰れる。駄目なら送ってもらう」


ねーちゃんは小憎らしくも言い返す。

しかし、ここは引き下がれない。

俺はもう一段、強い口調で言った。


「早朝に遠回りしてもらうのって、結構大変でしょ。ウチは近いんだから、絶対迎えに行く。これは譲れないよ」


我ながら上手い言い訳がするりと出てくるもんだと、思う。

ねーちゃんの良心に訴えかける作戦。土壇場で譲れない部分だけ確保するよう、戦況をひっくり返した。

ねーちゃんは微かに呻いて小さく反論する。


「……子供じゃないのに」

「子供じゃないから、だよ」


『子供じゃない』から言っているのに。

ねーちゃんがおうじにとって、子供に見えるならこんな事は云わない。


これ以上議論を重ねるつもりは無い。

俺としては最大限譲歩したつもりだ。



カフェラテに口を付けて、俺は話を強引に終わらせた。



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