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12.ねーちゃんと、別々に登校した

コンコン。

ねーちゃんの部屋の扉をノックする。


「ねーちゃん……起きてる?」


返事が無い。


「入るよ」


『開けないで』


取っ手のレバーを下げようとしたところで、扉の中から声がした。


『後から行くから、今日は先に行って』


「……わかった」







** ** **







ねーちゃんはその日、いつもの時間に起きて来なかった。

でも学校には十分間に合う。何故ならいつも、彼女は俺の朝練の時間に合わせて早く家を出ているからだ。


昨日は後悔と罪悪感に苛まれて―――なかなか寝付けなかった。

目覚ましに起こされてなんとかランニングを終え、シャワーを浴びて居間に顔を出すと……人の気配がしなかった。


いつもねーちゃんが用意してくれる朝ご飯もお弁当も無く、俺は冷蔵庫から生卵と納豆を出して、冷凍ご飯をチンして適当に混ぜて朝食にした。




なんだろ、これって。

あ、そうだ。




奥さんが突然実家に帰ってしまった中年男性の朝。




そんな感じ。

すっごく空しい。


しかも自分が原因でこんな状況に陥っている事が明らかで。俺はこの気持ちを持て余してしまう―――何処にこのやるせない気持ちを向けて良いのか判らず、皮膚1枚で包まれた体の中はモヤモヤしてものではち切れそうだった。


とーちゃん、かーちゃんの朝は、俺達よりずっと遅い。


冷蔵庫にねーちゃんが入れたオカズと味噌汁を温め、2人はそれを平らげてから出勤する。お昼と夜はコンビニで買うか、外食をして済ましているようだ。早く帰ってくるという連絡がある時だけ―――俺達は人数分の夕食を用意する。それ以外は2人分だけ作って食べる。主にねーちゃんが作るけど、たまに俺が作る場合もある。といっても凝ったものは出来ないので、豆腐を入れて炒めるだけの麻婆豆腐とか、牛肉とピーマンを切ってレトルトパウチの中身と炒めればできる青椒肉絲とか、超簡単料理になってしまうが。


だから俺とねーちゃんがまた普通に話せるようになって以来、俺達はほぼ2人暮らしのような生活をしていた。




だからよけいに―――1人きりの朝食が身に染みた。







寂しく1人―――通学路を歩く。

初秋の涼しい朝の空気が、俺の頬を冷やした。




俺って……俺って、本当に阿呆だ……!

キレるにしても、あれは無いだろ―――100%、無い。


もう絶対、絶対、ねーちゃんに嫌われた!




そりゃ、一緒に歩きたく無いよね。―――あんなこと自分にした相手となんて。


ねーちゃんは、俺を信用してくれたのに。

『こわくない』って震えながら訴えてくれたのに。




嫉妬と置いて行かれるかもしれないっていう焦りで暴走した俺は、自分が積み上げてきた『弟』としての立場と信頼を、癇癪を起して積み木を崩してしまう子供みたいに―――バラバラにしてしまったんだ。


せっかくできた『家族』って絆も……自ら粉々に砕いてしまった。


ねーちゃんの瞳には―――いっぱい涙が溜まっていた。

瞳の奥にはうっすら俺に対する恐怖が沈んでいた―――ように見えた。




ねーちゃん、ゴメン。

後悔してもしきれないよ。




ねーちゃんの見開かれたつぶらな瞳は蛍光灯の光を受けて―――キラキラしていた。強がりを言いながらも小刻みに震える体は、抱き込むと思った以上に華奢で小さくて―――温かかった。


俺が咬みついた唇は、朱く腫れて。

長い時間を掛けて解した口付けの所為で、苦しそうに漏れる息が熱くて。

辛そうに眉根を寄せて頬を上気させた表情が―――ひどく悩ましかった。


その様子を見ていると、もっと追い詰めて泣かせたくなる衝動に駆られた。

もっと、もっと泣けば良いのにって―――仄暗い楽しさが胸に拡がった。


辛い目に合わせたくない、大事にしたいって確かに思っているのに。自分の手で、傷付いて乱れていく彼女を見ていると―――もっと辱めたくなって堪らなくなった。


ねーちゃんが、必死に耐えて震えている様子は。

正直、物凄く可愛くて―――




「今日は独りなんだな」


「ぅわぁ……!」




急に背後から声を掛けられ、口から心臓が飛び出した。


「どうしたんだ?ニヤニヤして。けっこう気持ち悪いぞ?」

「俺―――ニヤニヤしてた?」

「してた。すっごくやらしい顔してた」

「……」


俺は咄嗟に口元を手で隠した。

本当に、真正しんせいの阿呆ですいません。

思わず心の中でスライディング土下座した。


最初は確かに罪悪感で反省していたのに、昨日の行動を回想している内に―――いつの間にか頭の中がすっかり桃色一色だった。


だって、しょうがない。

ねーちゃんが、あんなに―――柔らかくって可愛らしくて―――エロ過ぎるのが、悪い。


―――いやいやいや!

違う違うっ!

そうじゃなくて―――!


ほんとーに、ただ、俺が馬鹿なだけです!

すいませんっっ!


油断すると理性を押しのけて本能がひょっこり顔を出し、頭の中で本音を呟いてしまう。


これって。




―――もしかして俺、全然反省してないのかもしれない……。




「なんか、良い事でもあったのか?」


地崎がサラリと尋ねる。俺はそれに重々しく答えた。


「……最悪な事ならあった」


俺がシュンとして呟くと、地崎は首を傾げた。


「俺今日きっと、全然だめだ」


ねーちゃんの事で頭がいっぱいで。


「大丈夫か……?っと、遅刻しちまう。時間だぞ、急げ」


背中をポンと促され、慌てて靴を履きかえる。


「お、おぅ……」


寝不足でふらつきながら力なく頷くと「ホントに大丈夫じゃなさそうだな」と、地崎は苦笑したのだった。







** ** **







朝練に鴻池は顔を出していたけど―――俺は話し掛けなかったし、向こうも話し掛けて来なかった。なんとなく意図的に鴻池が俺を避けているような気がする。いつもなら目線が合うシチュエーションで、彼女が明らかにそっぽを向いていたから。


まあ、話し掛けられても困るから、ちょうど良かった。


鷹村に、鴻池が勝手な言い分でねーちゃんに絡んでいたって聞いた時は腹が立った。けど、鴻池以上の無礼をねーちゃんに働いてしまった俺は―――とうに彼女に文句を言う資格を失っていた。


というかねーちゃんの事で頭がいっぱいで、時折鴻池の存在を忘れていたくらいだ。




(今朝、会えなかった―――嫌われたかもしれない)

(ねーちゃん、可愛かったな……)

(受験校を全て道外に変更したかも。ねーちゃんが家を出て行ったらどうしよう)

(今日のお昼ご飯は、いつもの地学部で食べるのかな。行ってもいいのか。行かない方がいいのか。全て無かったふりして、顔を出すべきだろうか?いっそ、学食行ったほうがいいのかな?)

(すっごくイイ匂いだったなー)

(日曜日、図書館に付いてくるなって言われたらどうしよう)

(あんな柔らかいものが、この世の中にあるんだな。感動……)




本日の俺の思考はかなり支離滅裂だった。

あっちこっちの方向に飛んでしまいまるで纏まらない。野球場で一斉に放たれる―――大量のジェット風船に似ていた。







あと1コマ授業を受ければ、昼休み―――という休み時間にスマホが鳴った。




『お弁当を作っていないので今日の昼休みは、地学部に来ないで下さい』




なんとも余所余所しい、簡潔な拒絶メールが届いた。

ショックで、サァッと血の気が引く。




出禁だ。




そして断られた事実より―――メールが敬語で締められていることの方に、深く傷ついた。


いや、俺に傷つく資格なんか、無いのだけれど……。


隣の席に座っている地崎が、いつの間にか俺の顔を覗き込んでいた。


「―――お前、ほんと大丈夫か?顔白いぞ」

「うん……大丈夫じゃない」

「ほら、もう少し昼休みだぞ。大好きな森先輩に会えるぞ~だから、元気出せ」

「……」


俺はお釈迦様みたいに半眼で姿勢を正した。

返事はできなかった。辛すぎて。


「……もしかして先輩と喧嘩でもしたのか?」


さすが地崎、察しが良い。


でも喧嘩じゃない。

喧嘩だったら―――良かったのに。


「喧嘩じゃない。けど……ちょっと気まずくなって。それで、昼断られた」

「あ、もしかしてそれで朝、独りだったのか」


コクリ。俺は無言でうなずいた。


「何があったんだ?もしかして―――いよいよ告白したのか?」


地崎の声は周囲に聞こえないよう、ひそめられていた。


「……地崎……気付いてたんだ……」

「ん、まあな。お前見てたら明らかだろ?ただの『シスコン』じゃないって言うのは」


そうだよな。

言わなくっても、分かるよな。

俺がねーちゃんの事好きだって。


なのに―――ねーちゃんは気付かなかった。


「で、どうなんだ?その様子だと―――もしかして振られたのか?」

「まだ振られては―――いないかな……」

「じゃあ、何でそんなに落ち込んでるんだ……?」


俺は机の模様を見ながら―――ポツリと呟いた。


「押し倒しちゃったんだ」

「お、おしっ?!……むぐ」


俺は素早く地崎の口を塞いだ。


「で、泣かせた」

「なっ……むぐぐ」


更に、地崎の口を完璧に封じ込める。


「……どうしたら良い?」


俺の声は情けないくらいかすれていた。


地崎が落ち着いたのを見て―――手を離す。


背の高い俺達はクラスの1番後ろの席が定位置になっていた。

2つ並んだ離れ小島の周りは―――ひと気が無い。……いつも、だいたい疲れて眠っているからね、2人とも。

いわばここはバスケ部員地崎と俺の公認仮眠場所。

クラスメイトと話したいときは―――席を立って自分から友達の輪に入っていけば良い。


地崎は声のトーンを落としてボソボソ言った。


「もしかして……最後までやっちまったのか?」

「いや。でも、キスして胸触った」

「む……?!―――って、えっと、それ『同意』?」

「いや、同意どころか一方的に。告白は―――したけど、触ってから言い訳みたいに思わず口から出ちゃった。けど、ちゃんと俺が言ったこと理解わかってくれているかどうか―――返事も聞いてないし、確認もしないで逃げちゃったから」

「まじかよ」

「……マジです」


沈黙が流れた。


「なんで、今更そんな極端な事になっちゃったの?」

「それは―――いろいろ事情があって……」


気の長い片思いを続けている俺が―――何故そんな風に最悪の方向にキレちゃったのか、地崎は疑問に思ったのだろう。


俺は目を伏せた。


これ以上話すと、鴻池の事もここで話さなきゃならない―――あまり教室でする話じゃない。

まあ『教室でしていい話題』というフィルターに掛けると、今交わした話題も完全にアウトだけど。


はぁ…と溜息を吐くと、地崎は何とも言えない目で俺を見ていた。


「―――わかった。なあ、今日一緒に帰ろうぜ。寄り道しよう」


地崎はニカッと笑った。


俺はきっと洗いざらい話しちゃうんだろうな、と予感したので、ファーストフードは避けようと思った。


衝立の向こうに鷹村と彼女がいるかも。

鷹村ならまだいい、それがもし鴻池とか王子とかだったら―――切腹モノだ。軽く死ねる。







ねーちゃんに、夕食はいらないとメールした。返事は無かった。


俺達は隣席の声を気にしなくて良いファミレスで話をした。

やはり俺は―――洗いざらい地崎に話してしまった。


もしかして、怒るかも……いや怒って欲しい。と思いながらトツトツと告白した。

けれども軽蔑したり激昂したり、興味津々で追究したり……といった態度を地崎は取らなかった。

これで、ホントに同じ高1?とまたしても疑問に思う。


解決策はまるで浮かばないものの―――お蔭で気持ちがちょっと落ち着いた。




だけどこの時、俺は自分の気持ちを優先せずに―――すぐに帰宅するべきだったのかもしれない。


家に帰ると、そこは真っ暗だった。

自分の部屋の机の上に、白い封筒がおいてあって中に手紙が入っていた。




『清美へ  しばらく友達の家に泊まります。心配しないでください。母さんと父さんにはメールで連絡済みです。冷凍ご飯とオカズを作り置きしたので、適当に食べて下さい。  晶』





その日―――ねーちゃんが家出した。



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