6.ねーちゃんの後輩と、お弁当を食べた
俺は迷った挙句、ねーちゃんに鴻池との衝突について話さなかった。
その日の夕方、ねーちゃんから鴻池の様子を聞かれたけど「大丈夫」とだけ答えた。
咄嗟に口から出てしまったが―――後から考えるとあの場にいたバスケ部員から巡り巡って話が伝わる可能性もあるし、鴻池が今日の事を広める可能性があるかもしれない。……あれは―――どう見ても『大丈夫』って状態じゃ無かったな……。
でも、俺には言えなかった。
ねーちゃんにお願いされていたのに、上手く対処出来なかったのは俺の責任だ。
だけどそれを言えば―――ねーちゃんが責任を感じてしまうような気がしたからだ。
俺としては、俺とねーちゃんの憩いの場に勝手に割り込んで来て頼みもしないのに仕切って、あまつさえねーちゃんに嫌味な態度をとる鴻池に―――断りを入れる必要なんて全く感じられ無かった。
俺の大事な人を無神経に傷つけようとする鴻池に腹が立ってしょうがなかったからだ。
しかしねーちゃんの言う事も、もっともな事だった。
だから事前には間に合わなかったが放課後練の後にでも、今後一緒に食べられないっていう事を断りだけでも鴻池に入れようと思っていた。
それなのに鴻池は知ったような口調で『お姉さん優先なんて、絶対良くないよ。森のためにならない』と断言したのだ。
俺はついカッとなって鴻池を睨み付けてしまった。すると鴻池は泣き出し、更にその場から逃げ出した。
地崎に言わせれば、まるでその様子が『痴話喧嘩』のように見えたという。
それはもともと俺に絡んで一緒にお昼ご飯を食べていた鴻池の行動が招いた誤解の所為でもあって。
中学校の時の岩崎を思い出させるような真綿のように外堀を埋めていく女の行動に、ぞわっと背筋が震えた。岩崎と違って、鴻池は意識的に俺を囲い込もうとしている訳では無い。でもなんか余計……性質が悪い気がする……。
俺には彼女の悪意しか感じられ無かったけど……後から後から溢れて来る彼女の涙を見て、鴻池が何を考えているのか……今度こそ本当に―――判らなくなってしまったんだ。
せめて、ねーちゃんが俺の事を好きでいてくれたら。
周囲でアレコレ揉めて誤解されたって―――耐えられるのになぁ。
** ** **
鴻池はもう中庭に来ないような気がした。
だけどあれ以来、俺達は地学部の部室で待ち合わせをして昼食を食べている。
弁当箱を開いたとき、部室の扉が開いた。
「安孫子」
ねーちゃんが、そこに立っている女子に声を掛けた。
すらっとした棒のような体形の女は長い髪をツインテールにして、お弁当箱を持ってニヤリと嗤っていた。
「ご一緒していいですか?」
「どーぞ。もちろん」
俺はペコリと頭を下げた。
「お邪魔しています」
「こちらこそ」
ニタァと安孫子さんは笑った。
一見可愛らしいともとれる容貌なのに―――何故か底知れない不気味さを宿した瞳に戦慄を覚える。蛇に睨まれたカエルの心境って、こんな感じだろうか。
「やっぱ、そっくりだねー」
「?……何にですか?」
「コスプレ、興味ある?」
「あ、安孫子っ……清美忙しいから、無理だからっ」
ねーちゃんが、慌てて安孫子さんを諌める。
しかし、話題の主旨がいまいち判らない。
コスプレ?ってあのコスプレのコト?アニメのキャラの服着るような。
「王子先輩のこと……どう思う?」
「安孫子っ駄目だって!清美、気にしないでいいからね」
ねーちゃんが、真っ赤になって遮った。
王子のコト?
少しモヤモヤする。
ねーちゃんが王子の話題で顔を染めているのが、気に入らない。
「そういえば森君ってバスケ部の美人マネージャーと付き合っているって噂で聞いたんだけど……本当?」
「安孫子、ちょっと……」
ねーちゃんが力なく非難の言葉を発した。もう幾度制止しても止まらない様子の後輩に、どう対応して良いか分からないようだ。
安孫子さんの話題の飛び方がすごい。
そして何でというかやっぱりというか、俺と鴻池の事って2年生まで噂になっていたのか―――とうんざりした気持ちになった。
「一緒にお昼ご飯食べているって話題になっていたよ。けど君、森先輩とずっと食べているんじゃなかったっけ?もしかして曜日で食べる女性を替えているのかなぁ?見た目優しそうに見えて、そういう鬼畜キャラっつーのも似合ってるけど」
何その設定。
呆気にとられて、声が出ない。
そんな俺を見て安孫子さんはクスクスと嬉しそうに言う。何故そんな最低男を想像して嬉しそうなのか―――理解に苦しむ。
俺は気を取り直すように頭を一度振ってから、答えた。
「姉とずっと一緒に食べていますよ。うちのマネージャーはそこに来て同じベンチで何日かパン食べてたってだけです。だからお昼は3人で食べていたっていうのが、実際にあった事なんですが」
安孫子さんはフム、と頷いた。
「……もしかして森先輩の存在が地味すぎて、皆の目に入らなかったのかな?」
「あ!そっか……なるほど」
ねーちゃんがポンと右手拳で左の掌を叩いた。
本人がそんな痛い理屈、同意しないでほしい。
もしかして3人で並んで食べていた所って―――俺と鴻池がセットに見られて、逆にねーちゃんが空いている席に座っている人って認識されていたって事?それともねーちゃんの存在自体……地味で目に付かなかったって事?鴻池は見た目が派手だから、確かに悪目立ちはするだろう。
安孫子さんは大きく頷いて、不敵に笑った。
「フフフ……お困りですか?森君……何だったらお力になりますよ」
「え?」
「ただしお助け1つに付き1着、着ていただきますけどね……勿論写真もあらゆる角度から撮らせていただきます」
怪盗のような悪人面で、ニヤリと嗤う安孫子さん。
ねーちゃんの顔が、何故かその様子を見て蒼褪めていった。
「き、清美……時間じゃない?部活遅れたら困るんでしょ?」
「あ、ああ」
スマホを見るとちょうど良い時刻だった。俺は弁当を袋にしまって席を立った。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
「フフフフ……」
手を振るねーちゃん。
と、不気味に笑う安孫子さん。
運動部にはいないタイプだ。
『1つ助けるごとに1着』着るって、どういう意味?
写真も撮るってどういう事?!
……『力になる』って言ってくれていたな。何よりねーちゃんが気を使わないで接している相手だし、悪気無しで親切(?)で言ってくれているのかもしれない。よくわからない対価を払わなければならないってのが、怖いけど。
まあでも。
きっと今後あの不気味な人に、俺が助けを求めるような事態にはならないと思うけど……。
安孫子さんの不気味な嗤いを思い出して、俺はぶるりと震えた。
俺はその時、想像もしなかった。
安孫子さんに―――本当に助けて貰う事になるなんて。




