3. ねーちゃんと、2人きりでお弁当を食べたい
ねーちゃんがこれからは中庭でお弁当を食べるという。
「体育館から遠くなるから、無理して付いて来なくても良いよ」
と言われたが、すぐに「一緒に食べたいから、行く!」と主張した。
ひょっとして俺と一緒に食べるのを避けるためにそういう提案をしたのだろうか?
不安になった俺の口調に必死さが滲んでいたのかもしれない。クスリと笑ってねーちゃんは「じゃあ、中庭集合ね」と優しく言ったのだった。
どうやら俺と一緒に食べることを想定した上で『都合が付かなかったら合わせなくても良い』という意味で言ってくれたらしい。ホッとすると同時に胸を塞いだ不安の毒リンゴがころりと口から飛び出た気がした。
あれ?これじゃ逆か?
俺が白雪姫で、ねーちゃんが王子様だ。
でも精神的な立ち位置はそうかもしれない。いつまでたっても守られる側でいたくないのにな……と少し悔しくなる。
「お」と、地崎が明るい顔で俺の顔を見た。
「顔色いいな。昨日の夕練もだけど、なんかいーことあった?」
ニヤリと笑って肩を叩く。
そんなに顔に出やすいのかな?
「うん……ありがとな。昨日昼練の後会いに行ったら、姉貴の弁当の相手2年生の女子だった。とりあえずホッととした」
「そっか。良かったな」
地崎は、ふんわりと優しく笑った。
うわー、コイツまじカッコイイ。
俺が女だったら、確実に惚れている。
俺はますます地崎をねーちゃんに近づけない事を誓った。
相変わらず、我ながら小さい男である。
「中庭で待ち合わせて食べる事になったんだ」
約束して待ち合わせって……なんか付き合っているみたいだな。
そう、思い付いて頬が熱くなる。
「ふーん?気分転換?」
「そういえば、何でだろ」
教室の方が俺がいなくなった後、勉強する時間を確保し易いはず。
偶々(たまたま)そういう気分になったのだろうか?受験勉強が煮詰まって来て外に出たくなったとか……?
でも苛々とした感じは、全くねーちゃんからは感じられ無かった。
「ちょっとそこ、サボらなーい!」
「うわっ」
ドスッと小さな拳が俺の腰骨にあたった。
鈍い痛みが走って、俺は顔を顰めた。振り向くと鴻池が、俺に一発お見舞いしている所だった。
……マジいってぇ。
「鴻池……痛い」
俺が眉間に皺を寄せて抗議すると、鴻池がニヤリと嗤った。
「サボっているほうが、悪い」
やっぱり、こいつ俺を苛めたいだけだな。
「へぇ、すいませんね」
逆らう時間が勿体無い。俺達はサッサと退散した。
この間地崎が鴻池が俺に気があるような事を言っていたけど―――絶対『侮ってる』の間違いだ。ストレス解消に殴ってるんじゃないの?
もしこれがアプローチだっていうんなら、方法絶対間違ってる。俺、Mっ気全く無いですから……!
** ** **
鐘が鳴ってすぐ、俺は中庭へ向かった。
空いているベンチに腰掛けてソワソワとねーちゃんを待つ。
しばらくするとストレートの長い黒髪をサラサラと靡かせて、小柄な女子が姿を現した。その存在を視界の端に捕えただけで、俺の胸はキュッと締め付けられる。
いつも近くにいるのに、学校という空間の中で少し離れた所から彼女を目にすると―――俺は中学に入学して初めて、学校でねーちゃんを見かけたあの頃にタイムスリップしたみたいな感覚に陥る。その時の感情にシンクロして……ドキドキしてしまう。
「早かったね」
他の奴らにとっては表情の変化は分からない程度の変化かもしれないが、俺にはねーちゃんがほんの少し眉尻を下げて柔らかい顔をしたのが判った。
「うん。あ、ここ座って」
俺はベンチをパッパッと、ほろった。ちなみに『ほろう』って言うのは北海道の方言で『払い落とす』動作の事を言う。そこにハンカチを出して引く。そこに座るようジェスチャーで示すと、一拍置いてからねーちゃんは吃驚した顔をして、掌で俺を制した。
「え!ハンカチいいよ。汚れるよ」
いや、汚れない。
むしろ、俺にとって価値は上がるだろう。
しかし俺の偏執的な性格をおおっぴらにして引かれたくないので、本心は口には出さない。
「タオルもあるから、大丈夫。もう出しちゃったし、座ってよ」
「ありがとう―――清美ってやっぱ『紳士』だなぁ。これはモテるのしょうがないね」
懐かしい『紳士』と言う評価。ちょっと嬉しい。
でも彼女の言う『モテる』っていう声音に、嫉妬の『し』の字も混じっておらず、まるで他人事のような言い方をされる事に少し不満を覚える。
「別に……」
むっつりと言ったけどねーちゃんは俺の軽い不機嫌に気付いて無いようで、さらりと話題を変えた。
「練習あるんでしょ、早く食べちゃいな」
「そうだった」
俺は慌てて包みを開いた。
短い逢瀬ではあるけれど、中庭のランチは大層楽しかった。
全然、会話無いけど。
けど机を挟んで向き合って食べるよりも、横に並んで座っているほうが断然近い!
でも教室で正面に座っていると、ねーちゃんがパクパク食べている姿をじっくり観察できたんだよな。それはそれでお得だったなあ。
そんな事を考えながら、俺は長年鍛えた早食い力でもって一気に弁当を平らげた。
ああ、楽しい時間が過ぎるのは早い。
弁当を袋にしまって、口を締めて立ち上がる。
ねーちゃんはモグモグ口を動かしつつ、座ったまま手を出した。
「?」
ごっくん、と飲み込んで。
「お弁当箱、私が持って帰るよ。早く洗っちゃいたいし」
「あ、ありがとう……」
ねーちゃん、優しい!
俺は密かに感動していた。誰かに今すぐ、自慢したい!
俺は内心嬉しさに飛び跳ねながら、何でも無い顔でねーちゃんに弁当箱を渡した。そうして手を振ってその場を早足で去った。また鴻池に殴られる口実を与える訳には行かない。しかしふと思い付いて校舎に入る手前で振り返ると、ねーちゃんは気付いてまたヒラヒラと手を振ってくれた。
わあ、気付いてくれた!
手を振る様子がすっごく可愛くて、またしてもキュッと心臓が縮むような感覚を覚える。
よぉしっ、練習の気力、湧いて来たぞぉ!
俺は胸を高鳴らせて、脳内でスキップを踏みながら体育館へと急いだ。
** ** **
その日からねーちゃんと俺は雨の日以外、3年の教室では無く中庭で弁当を食べるようになった。
理由は聞きそびれた。ねーちゃんの傍にいる事が嬉しくていつも聞くのを忘れるのだ。1分1秒でも近くにいる事を堪能したい。一緒に居る事を許容してくれるのだから、理由はどうでも良いかな……くらいに思い始めていた。
中庭に寄る事で、少し体育館に入るのが遅くなったかもしれない。
「最近、昼練入るの遅いよ」
鴻池がズンズン近寄ってくる。思わず脇腹を手でカバーして腰引き気味で距離を取ると、少し低くなった額をデコピンされた。
「いってぇ」
「なんで、一歩下がるのよ」
「殴るから」
「『殴るから』って……男でしょ、それぐらい何さ。か弱い女子の一撃くらい受け止めなさいよ」
男でも、痛いモノは痛い。
「鴻池、俺もデコピンして」
同じ1年生部員の田丸が、声を掛けて来た。
「田丸は、遅れて無いじゃん」
「鴻池に、早く会いたいからね~」
田丸は鴻池とカラオケに行きたがっていた。もしかして鴻池の事が好きなのだろうか?
少なくとも気に入ってはいるのだろう、会話を繋ぐのが上手くよく気軽に話し掛けている。俺は、軽口を叩く田丸の背を利用してサッと逃げ出した。
「あっ森!逃げるなっ」
鴻池が鋭い声で制止したが、俺は聞こえない振りをして、地崎に駆け寄り練習に混じった。
** ** **
翌日も俺は、幸せな甘ーいホワホワ気分で足取り軽く中庭へ向かった。
ちなみに中庭はデッキになっていて、ベンチの置かれている所は上靴のまま出られるようになっている。靴を替える必要が無いので、体育館へ向かう身としては 大変便利だ。きっとねーちゃんが気を使って場所を選んでくれたのだろう。そう想像すると嬉しくてクフフ…と一人笑いが漏れてしまう。
我ながら外から見たらすごく気持ち悪いだろう……と思う。
だが漏れてしまうものは、どうしようもない。運悪く俺を見かけた人には悪いけど。
俺はいつものように席でねーちゃんを待っていた。すると背中に人の気配を感じたので振り返る。そこに居たのは待ち人では無かった。
「いつもわざわざこんなトコで食べてるの?」
鴻池だった。
腕を組み、足を開いて仁王立ちしている。
こいつは気付くといつも仁王立ちしているな。威圧感ハンパないんだけど。
財布を手にしているから購買か食堂に向う途中なのだろう。廊下に立っている友達らしい女子に鴻池が手を振ると、彼女達は頷いて去って行った。
いや、置いてかないで連れて行ってくれ……。
俺は内心げっそりしながら、答えた。
「そうだけど……」
「3年の教室通ってるのかと思った」
「?」
「噂になってるよ。森がお姉さんと一緒にお昼食べてるって」
「へぇ」
「お姉さん、友達少ないタイプなんだって?だからって森を呼びつけるのってどうかと思う。寂しかったら自分で友達作りなってちゃんと言いなよ。森だって忙しいんだからさ―――ちょっと、甘やかし過ぎじゃない?」
鴻池は眉を寄せた。
君は正義感のカタマリなのか。
バスケ部のキャプテンか。それとも部員の見張り番なのか。
バスケ好きなのは分かる。バスケ部に貢献しようといろいろ頑張っているのも知ってる。だからこいつが小突いて来ても、強く突っぱねたり出来なかったんだ。
そうか、鴻池は誤解しているんだ。
ねーちゃんが俺の時間を拘束しているように見えたのか。そういえば以前鴻池の誘いを断る時、俺は照れくさくて自分がねーちゃんに誘われて仕方なく行くような事を言ってしまった事がある。まさか彼女がその設定をずっと覚えているとは思っていなかった。
「いや、そういうんじゃなくて……」
弁解しようとした。むしろ俺の希望にねーちゃんが合わせてくれているんだ。でもどんな言葉を選んだら良いか判断が着かず言葉が止まる。本人に告白もしていないうちに、俺がねーちゃんを好きだという事実が下手に学校内に広まっては困る。それに大して親しくない鴻池に俺の妄執をばらすつもりも無い―――俺の勝手な片思いなんだ。ねーちゃんを巻き込んで好奇の目に晒したくない。少なくとも、卒業までは。
何と言い訳して良いか迷っていると、待ちかねていた柔らかい声が俺の鼓膜を震わせた。
「清美?」
ねーちゃんが、弁当箱を持って現れた。
「ねーちゃん」
俺は咄嗟にハンカチをベンチに広げた。すっかり習慣になってしまい脊髄反射で動いてしまう。何故か鴻池がぎょっとして、ハンカチを凝視した。
「えっと、座っていいの?―――お話中だったら、お暇するけど」
わぁ!
俺は焦った。
せっかくの貴重な時間を減ってしまう!
「いーの、いーの。もう終わったから、座って!」
俺は慌てて叫んだ。ねーちゃんはちょっと戸惑ったように鴻池に会釈をして、定位置に腰を下ろした。
「森、ちょっと……」
いまだ立ち去ろうとしない鴻池に、ねーちゃんは遠慮して弁当を開けずにいる。俺は促すように自分の弁当を開いた。
「鴻池、もう遅れないようにするからいいだろ?話あるなら練習の時話そう。お前も遅れるぞ」
鴻池は何か言いたそうにしていたが、頷いてようやくその場を去った。去る直前、何故か数秒ねーちゃんをじっと見つめる。声も掛けずにジロジロ見るなんて失礼な奴だな、と俺は眉を顰めた。立ち去らせる為にもう一言話さなくちゃいけないかと口を開きかけたとき、彼女がやっと踵を返して立ち去ったのでホッとした。
……また殴られるのかな。
ちょっと、憂鬱な気分になる。
「大丈夫?」
ねーちゃんが心配気に俺を覗き込んだ。俺は笑って首を振った。
「大丈夫。昨日ちょっと昼練遅れたから注意されて。あいつマネージャーなんだけど、ちょっと厳しいんだ。でもパパッと準備すれば、大丈夫だから」
そう言うと、ねーちゃんが「ん?」っていう顔をした。
「あぁ。あの人が……『清美の事を好きなマネージャー』さん?」
はっ、そうだった。
以前ねーちゃんと一緒に帰る口実に、そのようなこっぱずかしい言い訳をした過去を思い出す。あっちにもこっちにも良い顔見せようとして、全部自分に返ってくるという……まさに因果応報。
「え……と、そうなんだけど……じゃなくて……」
まずい、なんて言えばいいんだ。
下手に頷いてまたねーちゃんに応援でもされたら―――困る。凹む。
それに俺を小突いてくる鴻池の態度の中に、依然俺は好意のようなものを見い出せずにいた。
そうだ。地崎は『鴻池は違うんじゃないか?明らかに森の事、かまい過ぎに見える』って言ってたけど―――あくまで推測だ。本人に直接確認した訳じゃ無いんだし。
確かに地崎に指摘されて改めて意識して見ると、鴻池が俺に関わる機会って結構多い。でもそのほとんどが、暴力を伴ったものだ。あれはただ単に反論しなさそうな俺を舐めきっているだけだ。そうに違いない、きっと。
俺はそこまで心の中で鴻池関連の情報を整理整頓してから、首を振った。
「あれ、勘違いだった。友達にそうじゃないかって言われたから……そうかなって、あの時は思ったんだ。でもこれまで何も言われて無いし―――よくよく考えると違うと思って。アイツには叩かれてばっかだから、そもそも男だと思われて無いと思う」
「叩かれるの……?」
ねーちゃんが、一気に心配そうな顔をする。
なので心配かけたくなくて、咄嗟に言い直した。
「いや、少し小突かれるくらいだから」
「……」
「大丈夫だって。俺、鍛えてるから」
ねーちゃんはニヤニヤ誤魔化す俺の顔を見つめて、真面目な顔で言った。
「心配だな。体は確かに鍛えているだろうけど。拗れる前に嫌な事は嫌だって言ったほうがいいよ。相手は清美が嫌がってるって気付いて無いのかも。……川喜多さんの時もそうだってでしょ?」
「……あれだけバンバン叩いていて、相手が痛がってないって思う訳ないと思うけど」
俺がつい苦々しく呟くと、ねーちゃんが目を丸くした。
「そんなに叩かれるの……?」
「ううん!ちょっと!ちょっとだよ。大丈夫……俺もう女子に虐められて凹むほど子供じゃないから」
ねーちゃんは心配そうにジッと俺を見据えた。
黒縁眼鏡の奥の大きな瞳に見つめられると―――嬉しいのに落ち着かなくなってくる。
「同じ部活でこれから長く付き合うんだよね?辛かったら、ちゃんと話し合った方が良いと思うよ。―――まぁ……人見知りで特定の人としか人付き合いしてない私が言っても説得力ないかもしれないけど」
ペロッと赤い舌を出して珍しくおどける彼女に、俺は釘付けになった。
うわ……凶悪だ。
凶悪なほど、可愛い……。
「……聞いてる?」
再び覗きこまれ頭に血が上った。咄嗟に手で顔を覆って目を背けた。
「聞いてる―――聞いてるよ。ねーちゃんの言う通りだ。うん。……あんまり辛かったら、鴻池にちゃんと、言う。それでいい?」
ねーちゃんは、コクリと頷いて食事を再開した。




