◆ 弟と離れて、地学部に行ったら <晶>
清美の姉 晶視点です。
「今日お昼のお弁当地学部で食べるから……私の教室来ないでね」
清美はポカンとして一瞬黙った後、
「えっ……何で?」
と、戸惑ったように聞いて来た。
「……ちょっと約束したから」
まさか清美が教室に来る事について悩んでいて、その事について相談したいからだとは―――口が裂けても言えない。
いや、むしろ正直に本人に言った方が良いのかもしれないけれど……ショックを受けたように蒼褪めている清美の表情を見て……やはり口には出せない、そう思った。
「……」
「ごめんね。自分の教室で食べてくれる?」
申し訳なくなって手を合わせると、小さな声で「うん」と頷いてくれた。
** ** **
地学部の扉を開けると、先に来て椅子に座っていた安孫子がこちらを見た。
「ごめんね、突然」
「いえ、お気になさらず」
くふふ…と笑いながら答える2年生の地学部員、安孫子。
彼女は常に忍び笑いをしている。
安孫子はキラリと瞳を光らせて何か企んでいるような顔をしていた―――しかし、いつもこの表情なので、多分これが普通の表情なのだろうとも思う。
実は結構スタイルが良くて可愛いのに、演技がかった台詞や様子の妖しさによるオブラートが分厚過ぎて―――そういった事実に目が向かない。
お洒落に興味の無い私が言うのも何だが……非常に勿体無い女子である。
彼女は漫画や小説が大好きで、想像力が大変逞しい。天文が好きと言うより、星座に纏わるドロドロとした愛憎劇が大好物なのだそうだ。文芸部に所属したほうが良さそうだが、文才は皆無なので入部しなかったそうだ。
「ちょっと、相談したい事があって……」
安孫子は目を見開いた。
「森先輩が、自分にですか?」
意外そうに確認される。
確かに後輩だけでなく、同級生にも相談と言う行為をしたことが無い。王子のお姉さんや母さんには―――報告を兼ねた進路相談をした事はある。それ以外の問題についてほとんど、これまで私は自分の中で消化してきた。
私にとって1番親しい友人は王子なのだけど―――清美は何故か王子を敵視している。余計な警戒心だと思うけど、清美が良い感情を抱いていないのは事実だ。
だから清美の相談を王子にするのは、あまり気が進まなかった。それに同性の方が清美目当ての女子の話題を尋ね易いというのもあった。
「安孫子って、人間観察好きでしょ?人間関係の悩みとかに詳しいかなー……と思って」
「『人間関係』で悩んでいるんですか?……なんか珍しいですね。先輩ってあまり周囲の雑音、気にしてなさそうに見えますけど」
「そう?かなり気にする性質だよ。……って、食べながら話そうか。すぐ休み終わっちゃうもんね」
「はい」
私はここ最近清美がお昼ご飯を食べに3年の教室に通ってくる事、その所為で今まで私達が姉弟だと気付いて無かった人達(主に女子)から話し掛けられるようになったり、家に遊びに来たいとしつこく絡まれたりし始めたという事を順序立てて説明した。
人付き合いのストレスでなかなか勉強に集中できず、軽い不眠状態に陥っているので、何とかしたい―――と。
「どうしたら、良いと思う?」
もう遅いのかもしれないが……清美にクラスに通ってくるのを止めて貰えば少しは状況が改善されるのだろうか。しかし今朝の清美の愕然とした顔を思い浮かべると―――せっかく中学校で離れていた時間を取り戻そうと努力してくれている彼が気の毒に思えて、なかなかそう言いだすのは辛い。
「うーん。これだけ広まったら、もうお昼ご飯を一緒に食べるのを止めても意味ないかもしれませんね。ウチのクラスでも、ちょっと話題になってましたもん。森先輩の弟、人気ありますしね」
「え……2年生のクラスでも話題になってるの?」
清美の人気、ハンパ無い。
目立たない事で平穏に暮らしていた私の、残り少ない学校生活に影が差すような気がしてきて、私は溜息を吐いた。
「……清美が部活に行ったあと、清美目当ての女子に話し掛けられて勉強できなくて。話題も合わないし」
あまり清美のプライベートを切り売りする真似をするのも気が進まない。いろんな事を聞かれるけれど……本人に断わりなくどこまで話していいものか。私だったら、自分の私生活を知らない人に話されたら、それがどんな些細な事でも……あまり良い気持ちはしない。
「そのうち、お弁当食べてる2人のところに割り込んで来る人も出てくるかもしれませんね。でも森先輩そういうの、苦手そう」
「苦手です」
断言できる。
「場所替えたらどうですか?弟さんに一緒に食べるの断れないんだったら、人目の無いところに移動すれば良いのでは?それに体育館へのアクセスが悪い場所なら、弟さんも諦めて付いてこないかもしれませんよ」
思わずポンと拳で掌を叩いてしまった。
「そうだね。教室でお弁当食べるの、止めようかな。」
安孫子はモグモグと卵焼きを頬張ってにんまりした。やはり、何か企んでいるような顔はデフォルトなんだな、とぼんやり考えていると、
「合宿の時も迎えに来ていたし―――随分執着されているんですね」
と彼女はコロッケに箸を伸ばしながら、言った。
「過保護なんだよね」
「よっぽど、先輩の事……好きなんですね」
「んん?―――そうだね。すごく『シスコン』でしょ」
『ブラコン』の私が少し機嫌良く言うと、安孫子は不思議そうな顔をした。
弟自慢っぽいドヤ顔が不快感を与えたのだろうか。私は慌てて、表情を引き締めた。
「森先輩の弟って、髪の毛の色染めてるんですか?」
「染めてないよ。小さい頃から栗色なんだ。清美のお母さん、北欧の人だから」
「……弟さんコスプレとか興味ないですかね?合宿の時から思ってたんですけど……『銀河ソード烈伝』の聖耶にそっくりなんですけど」
お弁当箱を空にした安孫子は、蓋を締めた後急に身を乗り出してきた。
『銀河……何デン』?
『せいや』って……誰?
「誰に『そっくり』?」
安孫子は爽やかに笑った。わあ、企んでないような笑顔って初めて見た。彼女の瞳がキラキラし始めたのは気のせいだろうか。
「『銀河ソード烈伝』っていうアニメに出てくるヒーローの護衛騎士『聖耶』にそっくりなんです……!!それに、王子先輩がヒーローの『遙』に似ているんですよ~~。本編での2人はノーマルなんですけど、とっても強い絆で結ばれていて……ヒロインよりよっぽど惹かれあってるんですよね。だから『聖耶』×『遙』本が 沢山出てるんですけど、私としては絶対、逆カプです!『遙』×『聖耶』ですよー。女性と見紛うような『遙』が攻めで、銀河最強の騎士と言われる精悍な『聖耶』が実は受け……っ。『遙』に翻弄されて、赤面する『聖耶』が最高なんです!!だから王子先輩と森先輩の弟の事考えると、妄想が止まらないですよ!!垂涎ものですよ!いや、鼻血ものです……!……あ~2人で揃ってコスプレしてくんないかなぁ……」
突然訳の分からない単語を捲し立てる安孫子に唖然として、口を挟めないままただ見守る事しかできない。
なんだ、なんだ……え?コスプレ?
それに何で王子が突然、話題に出て来たの?
内容は全く分からないが、安孫子が妙に興奮している事は伝わった。
やばい……彼女は弟を、何か不穏な企みに引き入れようとしているのだろうか。
清美にアプローチしようとする女子生徒達をどうすれば良いか、安孫子に相談していたのに―――そんな女子達より……ずっと安孫子のほうが清美にとって危ない存在なような気がしてきた……。
詳細は分からないけど、多分そうだ。
安孫子の鼻息を見れば、想像が付く。
「あはは……何か良く分からないけど……コスプレはしないんじゃないかな?清美、部活忙しいし……」
私はそそくさと、空になった弁当箱を袋にしまった。
「あ、そろそろお昼休み終わるね。安孫子、ありがと。教室以外で食べること、提案してみる」
逃げるように立ち上がり、ドアを開けた。
しかし何故か目の前に壁が現れる。
「え?」
見上げるとドアのすぐ間際に―――清美が立っていた。
「……清美?!」
「……ねーちゃん……」
清美は今にもドアをノックしそうなカタチで固まっていた。
「どしたの?練習は?」
「……終わった」
何故か叱られた飼い犬のように、力の籠らない声で言う。
「あの……誰とご飯食べてたの?」
清美は恐る恐るゆっくりと……私の頭を越えて向こう側を覗き込んだ。
振り向くと安孫子がヒラヒラと手を振ってにんまりしていた。
「あっ……女子だったんだ……」
「安孫子『先輩』だよ」
「安孫子さん、姉がお世話になってます」
清美はペコリと頭を下げた。
下げた頭が戻った時、何故かすっごい爽やかな顔をしていた。
女子にはいつも、反射的にこんな笑顔を見せているのだろうか?―――これはモテるハズだ。
「どしたの?」
見上げて要件を尋ねると、清美はカリカリと頭を掻いて顔を朱くしていた。
「いや、王子と一緒かと思って心配で……」
「『王子先輩』でしょ。……なんかその言い方、王子に失礼じゃない?」
「うん、そうだね。でも、良かった」
良かった、良かったと繰り返す清美。
結局安孫子と一緒に私達は地学部の部室を後にした。
教室棟へ戻るべく旧校舎の廊下を歩いている時、隣を見ると安孫子が清美の背中を見ながら―――ニヤニヤしていた。
たぶん何か不穏な想像をしているのだろう。
……『銀河ナントカ』っていうアニメのヒーローの事でも考えているだろうか。
相談する相手を―――間違えたかなぁ……。
今まで清美に好意を寄せて来た女の子たちより、よっぽど危険な存在に清美を引き合せてしまったかもしれない。
清美、ゴメン。
先に謝っとく。
……心の中で。




