13.ねーちゃんと、俺
駅から戻ると、何だか良い匂いがする。
……ハンバーグだ!
わーい、わーい、やったー!
俺はねーちゃんの作ったハンバーグが大好物なのだ。
子供舌と言われようとこれだけは譲れない。
「たっだいまー」
「おかえりー」
ケーキは食べたけど既に消化済みだ。毎日体を動かしているから、全然足りない。
俺はうきうき逸る心に身を任せて、すぐキッチンへと向かった。
コンロの前に立つねーちゃんの上から覗き込むと、ガラス製のフライパンの蓋の下でハンバーグが美味しそうな焼き色をアピールしている。
もうそろそろ焼き上がりそう。
俺はいそいそとダイニングテーブルに、箸や牛乳を入れたコップを出し始めた。
「ご飯、よそっていい?」
「ん」
俺は茶碗にご飯を、お椀に味噌汁をよそってテーブルへ持っていく。
すぐにハンバーグがふっくらと焼き上がり、ねーちゃんがフライパンの蓋が開くと芳醇な香りが一気に舞い上がった。
前もって彩りの良い野菜を配置した白い皿に、ジューシーなハンバーグがフライ返しで移された。大きい方が俺のハンバーグ。小さいのがねーちゃんの。
「「いただきまーす」」
2人で手を合わせて、食べ始める。
最近やっと取り戻した日常。毎日嬉しさに俺の胸は震える。
この幸せな時間があるから―――毎日頑張れるんだ。
箸を入れると、ハンバーグの中からじゅわっと肉汁が染みだした。口に運ぶと熱い肉汁に絡まれたひき肉がホロリと崩れて……旨味が口いっぱいに広がる。
「ん~~、うまいっ」
「ん、上出来だね」
その後は2人で、無心に平らげた。
幸せ~
俺が背もたれに寄り掛かって余韻を楽しんでいると、ねーちゃんが番茶を入れてくれた。
「本当にハンバーグ、好きだよね」
「うん!大好きだよ。毎日ハンバーグでもいい」
俺はキリッとした顔で言った。
内容が内容なので全く格好良くないけれど。本気だから真面目に言ってしまう。
そんな俺を、ねーちゃんはテーブルに肘をついて顎を掌で支えてじっと見ていた。
珍しい事もあるものだ。
……なんだか恥ずかしくなってきたな。
いつもねーちゃんを無遠慮にジロジロ見ているのに、いざ自分が見られるとなると落ち着かなくなってソワソワしてしまう。
「……何?ご飯粒でも……付いている?」
「ううん。こんなに大きくなったのに食べ物の好みは変わらないんだな~と思って」
「まー、そうだね」
何と返して良いか分からないので適当に相槌を打って、お茶を口に含んだ。
「それで、川喜多さんと付き合う事になったの?」
―――ぶふぉっ。
「うわぁ、大丈夫?」
ねーちゃんがすかさずティッシュを寄越した。
「ごふっ……だ、だいじょうぶ……。な…何、言ってるの!付き合う訳ないだろ!」
「え?だって……さっき2人きりになりたくて『送る』って言ったのでしょ?だから話が纏まったのかと……随分機嫌も良かったから、てっきり」
「……機嫌が良かったのは、ハンバーグの匂いがしたから!」
「え、単純……」
「男は単純な生き物なの!」
はー……びっくりした。
察しが良いんだか、悪いんだか。
「俺、川喜多のこと苦手だって何度も言ってるよね……」
「でも―――今日いろいろ誤解が解けて心の距離が一気に近づいたり……」
「……しないって!!」
ねーちゃんはコロンと首を傾げた。
ところで女の子が首を傾げる仕草って、超絶可愛いよね……。
一瞬言い争っている事も忘れて、ねーちゃんの仕草を注視してしまう。
「川喜多さん、そんな悪い子じゃ無かったでしょ?」
はっ、一瞬トリップしてしまった。
俺はプルプルッと首を振って我に返った。
「少なくとも魔王やボス猿とかとは違うって言うのは―――分かった。でもそんだけ。これまで近寄るのも嫌だったのに、いきなり付き合うなんて無いって」
ねーちゃんは今度は逆方向に、コテンと首を傾げた。
おおぅ……か、可愛すぎる……。
ボキャブラリーが少なくて、ごめんなさい。
「岩崎さんみたいな可愛いタイプもダメで、川喜多さんみたいなしっかりタイプもダメなの?チョコいっぱい貰っているけどその子たちもダメなんだよね?―――もしかして、清美って……」
ねーちゃんは顔を強張らせた。
といっても、いつも表情に乏しいので僅かに眉が寄ったくらいだが。
「清美、それはちょっと……障害が大き過ぎるんじゃない?」
え?―――え?!
『障害が大きい』って、それって。
ねーちゃん、俺の気持ち……もしかして、気付いたの?!
ま、まさかね。
だけど、障害が大きいからって言っても……。
「……で、でも……どうしても、諦められないんだけど……」
ねーちゃんの黒いつぶらな瞳が俺を、ひたっと見据えた。
その所為で縫いつけられたように、俺は身動きが出来ない。
「本気なの……?」
擦れた声で聞かれる。
俺はゴクリと唾を呑み込んだ。
こ、これは、もしかして……もしかしなくても……俺の気持ちを試しているのか?
「……本気だよ。例えどんなに障害が大きくたって、世間体が悪くたって―――好きなものは好きなんだ。諦めるなんて無理だよ」
ねーちゃんは、どうなの?
俺の気持ちを、覚悟を聞いて……どう思う?
世間体が悪かったら……障害が大き過ぎたら『姉弟で、付き合う』って事、考える価値も無い……?
「……そう」
ねーちゃんは切な気に瞼を伏せた。
心無しか長い睫毛の先が……微かに震えている。
俺は息を詰めて彼女の次の言葉を待った。
それは数秒だった。
だけど俺には、長い、長い時間だった。
「清美の覚悟……伝わったよ」
ねーちゃんは顔を上げて俺を見た。
その真剣な黒曜石の瞳から、目が離せない。
……え?本当に……?
「私も、清美が本気なら……」
心臓がバクバクと物凄い血液量を全身に送り始めた。
体が熱い。
顔なんて、真っ赤だろう。
「ねーちゃん……俺……」
俺はテーブルに向かい合わせに座るねーちゃんの手を取った。
「……応援するよ!」
「そう、応援ありがとう―――って、え?!」
ねーちゃんは動揺する俺の手を、逆にしっかり握り締めた。
「同性しか愛せないっていう事を諦めずに貫くのは―――正直障害も多いし、大変だと思う」
な、なに……ど、同性……?
「でも悪い事しているわけじゃ無い。……清美の言う通りだよ。自分の気持ちを騙して無理に諦めるなんてできないよね」
「え……そ……」
そ、そんなワケ……
「相手は……やっぱり鷹村君なの?もしかして……高坂君?!……大丈夫!すっごく2人、似合ってるよ……!」
「ち……違う!!」
俺は悲鳴を上げた。
ねーちゃんは、キョトンと首を傾げた。
だ……だからそれ、可愛すぎるから……っ!
「……違うの?」
そして思案するように更に首を捻った。
「……ま、まさか、唐沢君?!それは、駄目だよ!唐沢君には弓香ちゃんが……」
それなら、高坂先輩のほうが……って。
じゃなくて。
どうして、そうなる!
「―――だから、違うって!!」
それから―――誤解を解くのに30分ほど時間を要した。
** ** **
「……じゃ、どうして駄目なの?」
と聞かれて「好きな人、いるから」と言うと、同性愛の話題で力尽きたのか「ふーん、どんな人?」と感心薄く問われ「可愛い人」と言うと、またねーちゃんは「ふーん」と言って。
それ以上、特に追求されずに終わった。
その夜、俺は枕を濡らした。
自分が全く、恋愛対象に見られていない。
それを、実感した夜だった……。
第2章『俺の回想』最終話です。
次話から最終章『俺の奮闘』に移行します。




