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12.ねーちゃんと、招かれざる客



路上に残る雪は車が削った粉塵で、少し灰色がかっている。

北海道の冬は道路も生垣も真っ白に彩られ太陽の光が反射して眩しいくらいなのに、春が近くなると微妙に薄汚れてしまい憂鬱な気分になる。


俺はまだ入学式も経ていない高校に毎日のように通い、短い春休みをバスケの練習に捧げている。


……こんなハズじゃ、無かったのになあ。

春休みはねーちゃんを連れて、いろいろ遊びに行きたかった。

別に遠くじゃ無くていい。勉強のプレッシャーから解き放たれて、楽しい時間を一緒に過ごしたかっただけなのに。


練習直前の唯一の自由時間も、地学部の活動があるからとねーちゃんは俺を置いて行ってしまった。

「清美の受験勉強で、いろいろ断っていたからさ」と言われると弱い。そして見るからにウキウキ出かけられると、かなり凹む。

根掘り葉掘り聞き出すと、男子生徒もいるらしい。

「男と2人きりにならないでよ」とか「気を許さないよう、気を付けて」と言うと、部活仲間を悪く言うなんて!と、怒られた。

部活仲間でも何でも他の男を庇われるのは、胸が苦しい。

意識し過ぎと言えば、そうかもしれない。でもやっぱり面白く無い。







高校の部活は、格段に厳しかった。

中学の頃、俺は部員の中で一番ガタイの良い部員だった。けど高校のバスケ部では、俺は比較的長身と言える部類に入るだけの普通の選手。

まだ高1だからもっと伸びると思うけど―――身長だけじゃなく先輩達は筋肉の付き方が全然違った。

久し振りに人垣に埋もれる感覚を味わう……新鮮。




今日も1日中コートを駆けずり回って……疲れた。

ねーちゃんに癒してもらおう。そう思えるから何とか足を動かせる。そうしてヘトヘトになりながら家路を辿った。


鍵を開けて玄関に入る。

何故か見慣れない靴があった。スニーカーだ。大きさから言うとたぶん、女物。

忙しい両親は平日のこの時間には、当然家には居ない。

もしかしてねーちゃんの部活仲間だろうか?

人付き合いの極端に少ないねーちゃんが、家に人を呼ぶなんて俺の記憶にある限り初めての事だ。


「ただいまー」


俺は少し身構えて、人の気配のする居間の扉を開けた。




え?……何で?




俺は扉のレバーを掴んだまま固まってしまった。

相手も俺を認識して―――息を呑むのが伝わって来た。


「川喜多さん、紅茶にミルク入れる派?」


台所から、ひょっこりねーちゃんが顔を出した。


「あ、清美。おかえりー」


呑気な声。




どういう事?




俺がねーちゃんの顔を食い入るように見ると、彼女は肩を竦めて言った。


「清美も紅茶、飲む?」

「の、飲む……」

「じゃあ先に洗濯物とか、荷物置いて来て。川喜多さんにお菓子貰ったから、食べよー」


少し弾んだ声。




まさか……ねーちゃん……『女ボス』川喜多に、お菓子で懐柔されちゃったの?!




俺は混乱したまま自分の部屋に荷物を置きに行き、序でに着替えて洗濯物を両手に抱えた。脱衣所のドラム型の大きな洗濯機に汗だらけのシャツやらタオルやらと、洗濯籠にある他の洗濯物も放り込んで洗濯機を回した。

そこから直接、台所に戻る。


ねーちゃんはウキウキとチーズケーキを白い皿に盛りつけていた。

俺は少し屈みこんで、ねーちゃんの耳に顔を寄せる。居間には声が届かないようにボソボソと囁いた。


「ちょっと、ねーちゃん……!なんで川喜多がウチにいるのさ」

「ん?家の前でじっと立っているの見つけて。寒そうだったから……」


なんでこんな肝心な時に自慢の『人見知り』発揮しないで『仏心』発揮しているの?!


以前ねーちゃんは川喜多を、単に俺にチョコレートをくれた女子の1人だとしか認識していなかった。けれども岩崎の噂をねーちゃんの耳に入れたのが奴だと聞いた後に、俺は小5の時に俺を水溜りに付き飛ばした女子が川喜多なのだと、ねーちゃんに伝えたのだ。


「俺が川喜多のこと苦手なの、知っているよね?」


苦手って言うか、嫌い。そう、大っきらい。

ねーちゃんの前で過激な表現は避けるけれども。


「あれ、まだ苦手だった?」


キョトンと、首を傾げるねーちゃん。


「そんな大きな体して?もう高校生なのに」

「そんな事言ったって……」


眉を下げる俺の眉間に、ねーちゃんはブスっと人差し指を突き刺した。


「あのさ。苦手でも何でも雪の中に女の子、放置できないでしょ!『紳士』はそんな無体なこと言わないの!」


俺はグッと押し黙った。

それを言われると弱い。


ねーちゃんは俺の急所をよく把握していて、北斗七星にちなんだあの一子相伝の拳法の使い手のように確実に抉ってくる。昔のアニメに一時期嵌った俺の脳裏には、一撃で倒され爆発する悪役の惨状が思い浮かんだ。


「はい。じゃあケーキ持って行って。私、紅茶持って行くから」


お盆を託されてしぶしぶ台所を出る。




―――ただ単にケーキ目当てで、川喜多を招いたんじゃないの??




疑いの視線をジトリと向けたが、既にねーちゃんはいつもの無表情だった。それなのにホンワカした雰囲気が伝わっているのは―――やはり甘い物を供物として受け取ったからだろう。敵はねーちゃんの弱点を良く調べていやがるな。




まったく!……川喜多、今度は一体何を企んでいるんだ……!




心の中で悪態をつきながら、ソファの前の一枚板のテーブルにケーキとフォークを並べる。

並べ終わった後ダイニングテーブルの椅子へ逃げ出したかったのだが、ねーちゃんがぐいぐい押すので仕方なく、俺は川喜多に向かい合うソファに腰掛けた。

しかし正面は嫌だ。俺は往生際悪く、奴の斜め前の席に腰掛けた。

ねーちゃんは俺の隣、川喜多の正面に座った。


「いただきまーす!あ、お土産でいただいたもので悪いけど川喜多さんもどうぞ」


もぐもぐと口を動かし呑み込んでから、奴にケーキを勧めるねーちゃん。

俺は口を付けたく無くて、紅茶ばかり飲んでいた。


「清美も食べなー。美味しいよ」


何故か有無を言わさぬ圧力を感じ、仕方なく手を伸ばす。

しばらく誰も口を開かぬまま、カチカチと皿とフォークが遠慮がちに当たる音が響いた。


この組み合わせ―――果てしなく盛り上がらない。


人見知りのねーちゃん、川喜多と口も聞きたくない俺、俺を嫌っている川喜多……。







「あー美味しかった、ご馳走様」


ねーちゃんが、満足気に言った。そして、ちらりと俺達を見て言った。


「えっと、清美に話があるんだよね?私、部屋に下がったほうがいい?……それとも2人で清美の部屋に行く?」


俺は慌てた。


「な、何言ってるの、ねーちゃん!……ここでいいよ。あ、ちょっと、部屋戻らないで!ねーちゃんも一緒にここに居て!」

「え?だって……」


ねーちゃんは珍しく気を利かせようとしている。

そんな気遣い真実必要ないから!


「あの」


それまで俯いて言葉は発しなかった川喜多が顔を上げた。


「ここで、いいです。それと、森先輩も……居て下さい」

「え……」


ねーちゃんは、何となく嫌そうな顔をした。(ように見える。他人にはただの無表情に見えるだろうけれども)

そうだよね。そりゃ、そうだ。

レアチーズケーキもすっかり食べ終わったから、逃げたいよね?……人見知りだもんね。親しく無い人といるより、本読みたいよね……!


でも、俺も川喜多の意見に賛成!

だって、2人っきりにされたくない。


今でも彼女への得体の知れない警戒心は薄れていない。

何か罠を張って、俺を陥れようとしているのではないか?

もう腕力で負ける気はしないから、水溜りに突き飛ばしたりはできないだろうけど。

女はコワイ。岩崎みたいな遠回しの戦法もあるし、どんな手を使うか想像も付かないから。


「じゃあ、こうしよう。私はダイニングテーブルで本読んでる。集中し始めたら話は聞こえないし―――心配だったら、小声で話せばこの距離なら言葉聞き取れないと思うから」


なら、いいでしょ?

と、ねーちゃんは俺を見上げた。


俺は頷く。

川喜多も、同意した。







「……」


それからもう5分経った。

一体、川喜多は何がしたいのか。


恨み言……?それともまた岩崎とか、別の女子の告げ口?

俺のうちに上がって、何かしたかった……?

それともただ、まさかのまさかで……うちで紅茶飲みたかっただけ……?


俺は溜息を吐いて、口火を切った。


「あのさ。……俺に何の用?」


ビクッと肩を震わせた川喜多にまた溜息を吐く。

いやいや……困っているの、俺の方なんですけど。


「前もさ……陰でねーちゃんに俺の噂流したりして、何がしたいの?俺の事、気持ち悪くて気に食わないのは分かったからさ。……もう、構わないでくれない?関わらければいいじゃん。その方がずうっとお互い―――精神衛生上良くない?」


売り言葉に買い言葉と―――すぐ反論されるかと身構えていた。

たけど、川喜多は怒らなかった。

膝の上で重ねた両手をギュッと握って……顔を上げた。


「チョコのお返し……私だけくれなかったのは、なんで……?」


は?


チョコ?


俺はかなりポカンとしていたらしい。

川喜多はそれに気付いて、補足した。


「小学生のとき―――6年生のときバレンタインチョコ、リュックに入っていたでしょう?友達は皆お返しにクッキーを貰っていたのに、私だけ……お返し貰えなかった……」


俺は、記憶の底を探った。

正直もう……あの頃の記憶は曖昧だ。

どうやら俺の脳は、嫌な記憶を定着できないようなお目出度い仕組みになってしまったらしい。


「私のこと―――嫌い?」


そう尋ねる川喜多の台詞は少し震えて、弱々しかった。


あれ?

川喜多って、こんな奴だったっけ?


『女ボス』ってイメージがあった。

率先して俺を叩いたり突き飛ばしたり、からかったり―――って、嫌なこと……だんだん思い出してきたぞ。


それと同時に当時の怒りの炎が―――熾火おきびのようにチラチラと小さな舌を伸ばし始める感覚に襲われる。


無意識にチッと舌打ちする。

せっかくねーちゃんに癒してもらって、忘れていた負の感情なのに。




『私のこと、嫌い?』




嫌いだよ。

当たり前だろ。

今更、何言ってんだ。


吐き捨てるように、言いたいけど。


悪意を投げつけた後味の悪さを―――俺は知っている。

それは自分に返ってくる。呪い返しみたいに。苦い後悔と一緒に。


「……思い出した。チョコのお返し、確かに川喜多にだけ返さなかった……ねーちゃん達に作ってもらったクッキーは人数分あったけど」


しかし、それが何だと言うのだろう。

あれだけ俺に乱暴、暴言の限りを尽くしていて―――嫌われていないかも、と考えるほうがおかしいと思う。


「そう、なんだ。やっぱり私だけ貰えて無かったんだ。……周りの皆に煽られて森のことからかって私がほとんど実行犯だったから……嫌われてもしょうがないよね。でも煽っていた子達はクッキーを貰っていて、私だけそこから外されたのが―――不思議だったの」


いや、実行犯……煽られたって……実際やった事、人の所為にしたら駄目でしょう?

俺の鋭い非難の視線に気が付いたのか、川喜多は訂正した。


「『人に煽られた』とかって、関係ないよね。ごめん。お返し自分だけ貰えなくて―――初めて自分が嫌われているって、気付いたの。バカだよね……一緒に居た子も私にそう言って来たし」




えっ……鈍すぎない?




あれだけ暴力的に絡んでおいて『嫌われる』って、全く考え無かったって言うのか?

苛めてる側に、苛めてる意識が無いなんて。


「それで……もう同じ間違いしたく無くて、今度は森の役に立ちたくて……クラスの岩崎が、自分が森の彼女だっていう噂をじりじり広めているの見ていて……私、岩崎が表裏がある奴だって知っていたから……それにきっと、森が付き合っている彼女の事内緒にする性格じゃないって思って……嵌められてる、そう思ったの」


川喜多は机の上の紅茶を睨みながら、手を揉みあわせていた。

意外な彼女の言葉。また、騙してからかおうとでもしているのだろうか?


「なんでねーちゃんに言ったのさ。俺に直接言えばいいだろ?」

「……森先輩なら」


川喜多は言葉を切って、顔を上げた。


「森先輩なら、森にとって一番良いように対応してくれるって思ったの。私、森に嫌われてるだろうって感じてたから、直接言う勇気は……出なくって……」


それは、一部正解だ。


ねーちゃんは、俺の事を考えてくれた。

だけどねーちゃんの明後日の方向を向いた思い遣りで、俺は誤解されショックを受ける―――という、非常に残念な結末に終わったが。


しかし嫌がらせだとばかり思っていた、川喜多の行動が実は親切のつもりだったとは。

……かなり、迷惑なお節介ではあったが。


俺はボリボリと頭を掻いた。

彼女の言葉をどう捉えて良いか混乱してしまう。


「川喜多って―――俺の事―――『気持ち悪くて嫌い』なんでしょ?」

「え?……す…好きだよ?」

「えぇ?まさか……」

「バレンタイン・チョコ……あげたでしょう?」


予想もしない返事に、俺はまじまじと彼女の顔を覗き込む。

すると川喜多は、ボンっと顔を真っ赤にした。


いや、マジで俺はあのチョコ、俺を貶めるための罠か何かと考えていたから、吃驚した。


「森の事好きだって気付いたの、小6の終わりくらいだけど。今思うと周りの子たちも……森の事意識していてそれで私の事けしかけたのかもって思う。ライバルは少ない方がいいもんね、きっと」

「それは無い……と思うけど……」

「そう?でも、私はそう感じたよ。それで……あの時……森先輩が、森の事大事にしているのを見て……すぐには分からなかったけど―――後で、わかった。好きな人の事、照れてからかったり苛めたりしないで―――大事にして優しく接すれば、良かったんだって」

「……」

「だから、森に聞きたかったの。―――私の事、嫌いだよね?って。……好かれる努力をしていない人間は、相手に好かれないんだって……きちんと思い知りたかったの」




絶対Sの国の人だろうと確信していたのに、もしかして本当はMの国の人ですか……?

いまもしかして俺は、女子に告白されているんだと思う。

……でも、なんか。全然嬉しく無い。




川喜多の気持ちが悪意ばかりで無かったというのは、分かったけれど。

ちっとも、安心できない。

性質たちの悪いストーカーに、家に上がられたみたいな感覚。


それにこんな告白シーンに―――姉であり想いを寄せている相手でもあるねーちゃんが同席しているなんて。




シュールだ。




鷹村……。

これでも、俺『モテてる』って言えるのかな……?

例え『モテてる』としても―――全く浮かれる気持ち、湧き上がって来ないんだけど。







それから。

ねーちゃんが自分で焼いたクッキーを、ラッピングして川喜多に渡した。

ホワイトデーのお返しの代わりにどうぞ、だって。

川喜多は憑き物が落ちたような顔をして―――晴れ晴れと俺とねーちゃんに笑い掛けた。


俺は―――川喜多にこれだけは言っておかなければ、と思った。

ねーちゃんに聞かれたくなかったので、駅まで送って行くと言い訳する。

人通りの少ない地下鉄駅の一角で、俺は言った。


「ごめん。俺、好きな人がいるから。川喜多と付き合うとか、そういう事は考えられない」

「うん」


川喜多はあっさりと、頷いた。


うっすらと笑う彼女は悪魔のような女ボスの面影が薄れて、俺よりずっと線の細いどちらかというとか弱そうな普通の女の子だった。


魔王か、ボス猿のようだと思っていたのに。


見ないようにしていたトラウマが解けてしまうと、怖い物が無くなってしまう。




なんだ。

女子が苦手って思っていたけど。

なんてことは無い。

もう、なんてことは無いんだ。




可笑しくなって少し笑うと、川喜多は言った。


「森先輩を……大事にしてね」

「あ……うん」


見透かすように微笑まれて、少し動揺する。

川喜多は俺の気持ちを見通しているのかもしれない。


「ばいばい」


手を振る川喜多に、俺も控えめに手を振り返した。




彼女の本心を知っても。

それでもやっぱり、彼女に対する苦手意識は消えなくて。

友達程度の好意を抱く事も―――あり得ないのだけれど。


自分の物の見方と他人からの見え方は―――違うんだって事は、わかった。

そう思うと少し楽になる部分もあるんだな。




手を振りながら―――そう思った。



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