8.ねーちゃんとの距離(1)
※男の子同士の話が下品です。下ネタが苦手な方は回避願います!
ねーちゃんの顔が、まともに見れない。
顔を見ると夢の中の彼女が重なる。その日から俺はねーちゃんと目を合わせないよう、必死になった。
自覚してしまった恋心。
それだけなら、まだしも。
俺は今まで目を逸らしていた、自分の欲望に気が付いてしまった。
両親が深夜まで帰って来ないあの家で、2人きりになるのはいつもの事なのだけれど。
……自分の中に不意に湧きあがってしまう衝動を抑える事ができるのか―――正直自信が無い。
どんな風に俺が夢の中で彼女に触れ、彼女がそれに雄弁に反応したか。熱い肌の温度と吐息、意識が飛んでしまいそうになるほどの快感……夢の中で体験したそれを現実で試してみたいという欲望を消し去る事は難しい。
これまで見て来た資料と、それを補う想像力によって俺の脳が作り上げた幻想が、本物とどう違うのか確かめたい。
一滴も表に表さないよう打ち消そうとすれば打ち消そうとするほど―――俺の身勝手な渇望は膨らみ続ける。
そこに、相手の気持ちは介在しない。
しなくても……構わない。―――本音ではそう思い詰めそうになっている。
誰よりも大事な人なのに。
そんな事をしてしまったら、彼女の俺に対する信頼も愛情も―――全てを俺は失ってしまうだろう。大事な家族の関係だって崩壊してしまう。
やっと手にした優しい居場所を、滅茶苦茶に叩き壊す事になる。
その恐怖心だけで必死に、体の中の飢えた獣と闘っていた。
だから、もう耐えられなかった。
―――彼女を目に入れないようにしなければ。
** ** **
土曜日も日曜日も、俺は夕食の時間になるまで家に寄り付かなかった。
体育館のジムやコートで汗を流し、そのまま友達の家に行って遊んだ。時には夕飯もご馳走になる。そんな時はねーちゃんが俺の分も作らないよう、早めにメールで連絡を入れた。
平日は部活でドロドロになるまで練習しシャワーを浴びて洗濯機を回す。夕食は無言で掻き込むと洗濯物を干してから2階の自室に籠った。
最近は食事はねーちゃんが、洗濯は帰ってから俺が―――と言うような役割分担が定着している。部屋干しになるが汗だくのジャージはすぐに洗いたいからちょうど良い。リネン類やカーテンなどその他の物は土日にねーちゃんが洗っているようだ。
ちょっと前までは。
夕食の後お茶を入れて貰って、2人で並んでテレビなんか見ていた。
自室に上がろうとしてちらりとソファを見ると、楽しそうに笑う姉弟の記憶が蘇ってしまい胸が痛んだ。
早朝に起き出し、ストレッチとランニングの後またシャワーを浴びる。ねーちゃんがタイマーをセットしてくれている炊飯器からラップの上に敷いた海苔にご飯を落とし、巨大な適当お握りを3個作って家を出る。放課後練の前に食べる軽食用だ。そしてすぐに鞄を持って家を出る。
……そうすれば彼女と朝、顔を合わせずに済む。
学年が違うし空き時間は部活動一色なので、ねーちゃんと接触する機会は無い。
ただ時折―――廊下の向こうを通る小柄な背中を見つけて時間が止まってしまう。授業中に窓の下をみると、トラックの一番最後尾をポテポテと走る姿を必ずと言っていいほど目が見つけてしまう。
そして俺は―――部活に打ち込むことで、淋しさをひたすら凌いでいた。
「最近鬼気迫る感じだな、お前」
さすがに俺の様子がおかしい事に気が付いた鷹村が、ノルマのダッシュコート5往復に自主的に2往復を追加して肩で息をしている俺に話しかけた。限界に近い処まで自分を追い込み、肩で息をして話もできない様子の俺をジィッと覗き込んでいる。
整わない息をなんとか納め―――顔を上げて鷹村を見た。
「ハァ、ハァ……うん?ハァー……そう、……見える……?」
「自棄になってるように、見える。……なんかあった?『ねーちゃん』と」
直球がドスンと俺の鳩尾に決まった。ガクッと俺の肩が落ちるのを見て鷹村は肯定の返事と受け取ったようだ。俺の情けない姿に眉を顰め、あからさまに溜息を吐いて見せた。
** ** **
上手く話せず時折黙り込んでしまう俺の話を、鷹村は黙って聞いていた。周りに聞かれちゃヤバい話が多すぎるので、今話をしているのは鷹村の部屋だ。早々にねーちゃんに夕飯はいらないとメールで連絡をした。
粗方説明を終えると、鷹村は腕を組んで「う~ん」と唸った。
「おまえさぁ……『ねーちゃん』大好きなのは十分過ぎるほど、分かったけど……森先輩と……どうなりたいの?」
「どうって……」
「付き合いたいの?」
「え!つ…付き合う?って……姉貴を彼女にしたいかってコト?」
鷹村は頷く。
「そんなこと……考えた事もない」
「じゃあ、ただヤリたいだけ?だったら誰か別の奴にお願いしたら?……いるだろ?ほら、岩崎……はちょっとおススメしないけど、お前のファンとか。それとも前言撤回して、ウチの姉貴に筆卸しして貰うか?」
俺はカッとして声を荒げた。
「ヤリたいだけって、そんな……!」
しかし図星を付かれたような後ろめたい気もして、自然と声が小さくなる。
「『誰か別の奴』って……そんな風に考えられないよ……」
鷹村は呆れたように、溜息を吐いた。
「お前の話聞いてると明らかに欲求不満って感じに聞こえるけど。いっそ他でやっちゃって発散すれば―――姉貴襲っちゃうかも……なんて心配も無くなるじゃないか?単純にそう思うんだけど」
乱暴な提案だが、鷹村の言う事は理に適っているような気もする。
でも。
「……ねーちゃん以外と、ヤリたくない」
俺は貝に閉じこもるように、視線を落とした。
鷹村は頭の中を整理するようにちょっと口を噤んで、やがて徐に口を開いた。
「……でも実際は今、姉弟なワケだしさ。どうしようも無いよね」
「……」
俺は何と応えて良いか判らなかった。
自分の感情をどうとらえて良いのか、そしてどう考えて何をすべきなのか―――判らないまま、ただねーちゃんから逃げている。本当にどうしたら良いのか判らないんだ。でも今の状態が続くのは良く無いって―――それだけは何となく分かる。
「確か義姉弟は結婚できるって聞いた事あるよ。だからもしお前のねーちゃんが、お前を男として見てくれるんなら―――いろいろ障害があっても、血が繋がってないんだし解決できるとは思うけど―――でもさ……逆にそこまで考えてないと手、出せない相手だよね」
結婚……?俺とねーちゃんが?
「お前中1の今から―――結婚とか考えられる?」
結婚したら―――ねーちゃんが誰かに獲られるかもって心配しなくて良い。ずっと傍にいられるんだ。
ねーちゃん相手に邪な気持ちで触っても―――誰にも責められない。
ボンヤリと都合の良い考えを思い描く俺の横っ面を張り倒すように、鷹村が立派な眉を寄せて険しい表情で俺を睨んだ。
「お前の『ねーちゃん』大好き病は分かったけど―――それって重度の『シスコン』の範囲じゃないって自分に確実に言い切れるか?安易に付き合ったり……ましてやセックスなんかしちゃった後に『あ、これ家族に対する執着心で恋愛じゃ無かった』って気付いたら、どうする気だ?―――この先ずっと別れたり出来ない間柄なんだから、慎重にならないと」
鷹村の指摘する事は、全くその通りだ。
俺も―――そう思う。
「まだ俺達15だよな。結婚するとしても普通後5年以上は掛かるだろ?―――見ている限りお前が今、森先輩の事女の人として好きだって事は分かる。けどそんなに切羽詰まっちゃってちゃ上手く行くものも行かない気がするぞ?……俺は一回他の子に目を向けてみたら良いと思うけどな―――まあ岩崎みたいな腹黒い女子もいるけど、まともな好い子も結構周りにいると思うよ。お前さ、姉貴ばっかり見て周りの女子とか全然目に入れてないだろ?ちょっと目線を変えてみたら?」
全くの正論なので、ぐうの音もでない。
相変わらず鷹村は男前だ。
一方俺は―――残念過ぎる。
俺はねーちゃんが好きだ。女の人として。
それはもう疑いようも無い事実だ。
だけど付き合うとか……結婚とか……そんな所まで、まるで考えが及んでいなかった。ただ触れたいし、誰にも渡したくない。誰かのものになるねーちゃんなんて―――見たくない。ずっと一緒に居たいと思う。それだけ。
でもその欲求のままに例えば彼女に『付き合って欲しい』と言って―――断られたら。
ましてやうっかり欲望を爆発させて、ねーちゃんに不埒な真似をしてしまったら。
俺達はこの先―――どうやって家族として暮らして行けばいいのだろう?
よしんば気持ちが通じあったとして。例えば結婚を約束ができる仲になれたとして。
俺に絆されてうっかりOKしたねーちゃんが、この先大学や就職先で本当に好きな人ができないなんて言いきれない。
年下で頼りない……部活しか能の無い……自信の欠片も無い俺なんかより、ずっと頼りになる大人の男性に出会って「やっぱり弟を男の人として見れない」と振られたら。
その後誰かに寄り添う彼女を―――家族として祝福する事はできるのだろうか。
若しくは、俺に同情して彼女が自分の恋を諦めたとしたら―――。
悩めば悩むほどわからなくなる。
鷹村ならきっと―――悩まないだろう。告白するか、諦めて他に行くか、どちらかズバッと決めて即行動に移すんだろうな。
はーっと深く息を吐いて、俺は頭を抱えた。
「……俺もう、分かんないよ……」
「……」
鷹村は項垂れる俺を見て、慰めるように背中を叩いた。
そうして暫くそのまま、俺に落ち込む時間をくれた。そのうち窓の外が暗くなって、階下から声が掛かったので夕飯のカレーを一緒にご馳走になった。
俺達は無言で、黙々と食事に集中したのだった。
再び部屋に戻った時、鷹村はポツリと言った。
「……俺も、分からん」
「ん?」
「恋愛の事はよく分からんけど―――少なくともお前が、適当に違う女と付き合えない融通の利かない奴だって事は知ってる。……変なコト、嗾けて悪かったな」
珍しく鷹村が神妙な表情で、俺を見た。
「いや……鷹村の言う通りだと、思う。俺は姉貴の事になると―――本当に周りが見えなくなっちゃうから」
すると鷹村はケロリと即答し、頷いた。
「うん。それは、そう思う」
ちょっと謙遜も含めたつもりだったので―――ズバリと言われると複雑な気持ちだ。
微妙な面持ちで黙り込む俺の正面に陣取り、唐突に鷹村は両肩にバシン!と手を置いた。
……ちょっと痛い。
「でも他の女に逃げるより―――バスケに逃げるほうがお前には合ってる」
ニヤリと、笑う鷹村。
「姉貴を避けまくるってのはあんまり褒められる事では無いと思うけど―――どうせ距離を置くならトコトン部活に嵌って序でに上手くなって、北海道大会優勝して―――今度こそ全中行って、唐沢先輩達を喜ばせようぜ……!」
ああ、コイツってやっぱり、カッコイイ。
ヘタレな俺と違って。
俺は同意するように、力無く口角を上げる。
たぶん俺達の代のキャプテンは鷹村になるんだろうな。俺はその時、そう確信した。




