6.夏休みにねーちゃんと(4)
その年は異常気象なのか、例年サッパリとした暑さで通り過ぎる筈の札幌の夏がジットリと湿気を含んでいた。
クッキリと緑に切り取られた青空に向けて、セミ達がヒステリックに喚きたて短い一生を謳歌している。俺もセミと一緒に1週間と言わず3日間で果ててしまうかと思った。それだけ夏休みの練習が有意義だったと言える。
今夏の全道大会の成績を3位で終わらせ、俺達は全国大会への切符を逃した。
全国大会に向けて力を注ぐ事は叶わなくなったが、10月後半には新人戦、11月後半には1年生大会がある。それから唐沢先輩の勧めで、全道大会直後に行われた札幌選抜のセレクションに参加した。選考はこのテストの結果に加えて、新人戦と1年生大会の結果も考慮されるようだからまだまだ気は抜けない。強化選手に選ばれれば―――1月から土日はずっとそちらの練習に時間を割く事になるだろう。
唐沢先輩達3年生は中体連を最後に部活を引退し受験勉強に専念する事になった。厳しい扱きは辛かったけど、頼りになる先輩達が退いてしまった状態にまだ気持ちが慣れずにいる。準優勝できていたら―――もう少し一緒にコートを走り回る事ができたのに……そう思うと自分の不甲斐なさや実力不足が、より一層身に染みてくる。もっと頑張らなくちゃ、そう思った。
夏休み練習後のある日、俺は帰り道に鷹村を誘ってファーストフード店に入った。
全国を逃した後の沈痛な雰囲気の中で、3年生の不在を寂しく思いながらも―――俺はずっと、もう一つ別の悩み事に気を取られていた。似た環境にある鷹村なら、もしかして俺の悩みに突破口を与えてくれるかもしれないと考えたのだ。
「あの、さ」
「んー?」
俺はバニラスムージーをストローで掻き回して、言い淀んだ。練習の疲れからか、鷹村は気怠げな半眼でガラスの向こうの通路を歩く家族連れを見ていた。
「鷹村って、上に姉ちゃんいるよな」
「おう。『アネ』って言うより『オニ』って感じだけどな」
『アネ』と『オニ』って、文字数しか合ってない。全然、発音違うよね。もしかして鷹村もおおざっぱなO型なのか?
「高校生だっけ?どんな感じ?」
「……森」
「ん?」
「お前、年上好きなのか?俺の姉貴だけは止めとけ。お前が自ら不幸になるのを、黙って見過ごせない」
真剣な表情で心配する鷹村の勘違いに、俺は顔を朱くした。
「なっ、違うって。そうじゃなくて―――ウチの姉貴の事で気になる事があって……同じような環境の鷹村がどうやって乗り越えたのか聞きたくてさ」
「……どういうこと?」
鷹村はチョコレート味のスムージーを飲みながらテーブルに肘を付き、下から俺の目を覗き込んだ。
「言ってみ?」
俺は意を決して、口を開いた。
「最近、姉貴が薄着で困ってるんだ」
「暑いからだろ?」
鷹村に俺の懊悩は、伝わらなかった。
「目のやり場に、困るだろ……」
彼は何かを思い出すように遠い目をした。
しかし、そこに全く熱は灯っていない。
「そりゃ、パンツ一丁でうろうろされたら、いい加減うんざりするけどな」
「パンツ一丁?!」
俺は逆上して思わず、声を高くしてしまった。
周囲の視線が刺さるのを感じて、俺は声を意識して低くした。
「いや、『パンツ一丁』は流石に無いけど……タンクトップとショートパンツで、近くを歩かれたり隣に座られたりすると―――落ち着かなくて困るよな?」
同意を得たくて訴えたが、相手の琴線には全く引っ掛からないようだ。
「なんだ。別にそれぐらい、普通じゃない?水着より隠れる部分、多くね?」
なんだ、この伝わらなさは……。
俺は薄い格好で家の中を無防備に歩くねーちゃんに、どうやって注意を促すか悩んでいた。弟歴16年の、姉を持つ弟として先輩の鷹村なら、俺にスマートな方法を教えてくれると期待していたのだ。
「え、だって肩とか丸出しなんだよ?足も太腿まで出しちゃってるし……恥ずかしくない?」
「全然」
ズズズっとスムージーを吸い込んで、鷹村は半眼で俺を見つめた。どうやら呆れているようだ。
「お前が、何を言いたいのか、全く分からん」
「そんな薄着の姉貴に近寄られたら……ドキドキしない?」
「しない。キモい、ウザい、とは思うけど」
ええ!!
どうやら鷹村は仙人のようだ。
鬱陶しいと思うだけらしい。
どうしたらこのモヤモヤ感が伝わるだろうかと唸り、結局俺は最近のねーちゃんに関するトラブルについても話してみる事にした。街に出るとすぐにナンパされ、それに気が付かない彼女に非常にストレスを抱えてしまう事も。
鷹村は暫くスムージーをストローで掻き回していたが、俺の話が一段落した所で顔を上げてジィッと穴が開くくらい見つめて来た。そして不意に確信を持った口調で言った。
「わかった」
「え?何が?」
「お前、森先輩の事、好きなんだ」
「そりゃ、好きだけど……やっぱ、俺って重度の『シスコン』なのかな……?」
薄々感づいてたけど……やはり俺の姉好きは度が過ぎているのだろうか?
なんか『シスコン』って残念な響きがして、受け入れがたいんだけど。
「……それ『シスコン』って言わないよ。だいたい血縁関係無いんでしょ。暮らし始めたのも3年前だし」
「俺……『シスコン』じゃ無い?」
鷹村は、大きく頷いた。
「お前が言う『困った』って、どう考えても姉に対する愚痴じゃないよ。警戒心の無い彼女に苛立ってる、男の愚痴だ」
「は?」
「だって俺、姉貴がマッパで抱き着いきても起たないと思う」
「ええ!?」
俺が驚くのを見て、鷹村が小さく「起つのか……」と呟いた。
いや起つも起たないも、ねーちゃんが裸だったら……と考えるだけで、鼻血が出そうなんですけど。俺は想像しそうになって、思考を別の所へ彷徨わせようと必死に自分に抵抗した。
「まあウチは極端かもしれないけど、姉弟ってそんなモンだぞ」
「そんなモン……なのか……?」
俺は呆然として、黙り込んだ。
え?そうなの?
俺、ねーちゃんの事……姉としてじゃ無く、女の人として好きなのか……?
そういった方向から物事を見た事が無かったので、俺は戸惑った。
しかし心臓の奥の方から妙にしっくりくる感触が拡がって来る。
「もしかして―――『初恋』か?」
鷹村が俺の抱えるモヤモヤした気持ちに、名前を与えた。
俺はどうやら……恋をしているらしい。
俺を弟としか見ていない、姉に。
「あー……そうかも」
もしかすると、あの時から?
雨の中で助け起こしてくれ、俺のちっぽけなプライドを包み込むように呼び覚ましてくれたあの日から?
それとも初めて出会った時から?だから俺は抵抗なくすんなりと、この家族のカタチに馴染んだのだろうか?
急にぽかぽかしてきた。
体も顔も耳も無性に熱い。きっと俺の顔は……ユデダコの様になっているに違いない。
そんな俺を生温かい目で見ていた、鷹村がふと思い出したように言った。
「お前、岩崎の事どうするの?」
「え?岩崎?」
ヒュウッと温度が下がり、頭が冷静になった。
また『岩崎』?もしかして鷹村もあの噂を知っているのか?
「岩崎が何か関係あるのか?」
「お前、付き合ってるんじゃないの?岩崎と」
「まさか……!」
うんざりした表情の俺を一瞥して、鷹村は溜息を吐いた。
「だよな」
「?……そうだよ。近くにいるから、分かるだろ?いつ俺が岩崎と付き合う時間があるんだよ。だいたいほとんど話もしてないのに」
「……だよな」
鷹村は眉を顰めて、髪を掻いた。前髪からキリッとした厳しい眉が覗く。俺は鷹村のこの凛々しい眉が結構気に入っている。
「おかしいと思ったんだよな。俺の目の前で付き合ってる素振り全然見せないのに、噂だけはしっかりあってさ。あんまり女関係聞くのも野暮かと思って放って置いたの、拙かったかな」
「俺もついこの間、姉貴から聞いたばかりなんだ。俺と岩崎が付き合ってるって噂があるって―――でも何でそんな噂、広まったんだろう?俺達全然接点ないぜ。部活動以外」
鷹村が、うーん……と腕組みして唸った。
「なんか、岩崎の様子も変なんだよな。噂を否定しないっていうか……肯定してるような雰囲気がある気がする。俺アイツとクラス一緒なんだけど、他の女子が岩崎とお前の付き合いの事で囃し立てて……岩崎、全然否定しないんだよ。積極的に肯定しないけどニコニコしててやんわり認めてるような感じで対応してるんだ。だから俺も半信半疑って感じで受け止めててさ。付き合ってるとしても部活にそういうの持ち込みたくないんだろうな―――くらいに思っていたワケ」
「そんとき俺に聞いてくれれば……」
「……だよなあ、スマン」
しかし考えたくないが、噂の出所はもしかすると。
鷹村は溜息を吐いて、俺が口に出せない結論を代弁してくれた。
「噂の出所は、岩崎本人……なのかな」
「うん。それしか考えられないよね……。普通誤解だったら否定するよね……あー、どうしよう?噂が消えるまで待つしか無いのかな。今まで俺の方に話が漏れて来なかったのに、いきなり俺が『岩崎と付き合ってないから!』って言って回っても怪し過ぎるよね?」
「……完全に外堀、埋められちゃってるな。女って、やっぱコエー…!うちの鬼姉で懲りてるのに俺は見た目に騙されたよ。清楚そうなのに策士なんだもんなー」
「何で『俺』なんだよー」
俺は悲鳴を上げた。
何で『俺』を陥れるんだ。ほとんどお互いの中身も知らない癖に。
ホント、勘弁してほしい。自分の事さえままならない『初恋』も認識できない程の幼稚な男の何処がいいんだ。
「んー……何か紳士っぽくて、イケメンだから?」
鷹村がなんとか理由を捻り出してくれた。
「鷹村の方が、カッコイイよ!……俺なんて転校したての時、女子の川喜多に苛められてたんだぜ。バスケ以外能が無い、ヘタレなのに……」
「まあ、ね。姉貴馬鹿にされて先輩殴りそうになるくらい、短気だし?」
鷹村が可笑しそうに、肩を揺らした。
「おまけにその姉貴は―――俺が岩崎と付き合ってるっていう噂信じ切って、岩崎に『彼にいつもお世話になってます』って言われて『弟の初カノはいい人だ!』って喜んでたんだぜ。ホント、ヒデーよ」
鷹村はいよいよ堪え切れなくなって、噴き出した。
笑ってくれ。
俺も笑い飛ばしたいよ。
自分が残念過ぎて……。
** ** **
老獪ともいえる手練れの岩崎に、俺が直接話をするのは危険過ぎる。
かといってこのままにしておくのも、アリジゴクを想起させて非常に怖い。
という事で唐沢先輩と鷹村立ち会いの元、駒沢先輩に相談させていただいた。だって困った事があったら、相談しろって言ってくれたし……。今回の件は直接、駒沢先輩が心配してる『ねーちゃん』に関係ない事かもしれないけど。
ところが駒沢先輩はちょっとミーハーな所があるのか、面白そうに俺の相談に乗ってくれた。やはりああいう手合いに俺が真っ向勝負を仕掛けても―――返り討ちに遭うか、悪ければそれを逆手に取られて更に外堀を埋められるかもしれないと、脅すように忠告された。先ずは鷹村と駒沢先輩が別々に彼女に話をして本心を確かめ、できれば噂を撤回するようお願いしてみてくれる、という事になった。
「もしかすると彼女が『森君と仲良くなりたい』って願望をつい周囲に漏らしちゃって……誤解されて引くに引けなくなっちゃった―――ていう可能性も無きにしも在らずだしね。性善説で考えると」
結果として鷹村が俺の友人代表という立場で真摯に掛け合っても、駒沢先輩が優しい姉の立場で宥めたり賺したりしても、岩崎は空とぼけてニコニコ躱すだけだったという。もうこれは確信犯に違いない、と認定されるに至った。
その後、この件をどうやって納めたかと言うと。
悩んだ末に、鷹村の鬼姉に出張を依頼する事になった。
練習試合に応援に来てもらい、何となく付き合ってる風に皆の前で公然とイチャイチャして貰ったのだ。
俺等を見る岩崎の冷たい目が―――すっごく怖かった。
岩崎に騙されていたらしい周りの女子の目も冷気を帯びていた……。そもそも岩崎と付き合っているって噂の方が誤解なのにっ……。
以来岩崎の暗躍も鳴りを潜め俺の周囲にも平穏が戻って来たのだが―――何故かというかやはりというか『岩崎と付き合っていた森が年上の色香に惑わされ、鷹村の姉に乗り換えた』という噂が実しやかに広まってしまった。そして岩崎が悲劇のヒロインよろしく部活を退部し―――また何故か川喜多を始めとするそのほかの情報提供者に、鷹村姉の件について注進を受けたねーちゃんに「今度こそ、初カノ?」と喜ばれてしまい、誤解を解くのに一苦労したのは、未だに苦い思い出である。
更に俺は、現在フリーと言う鷹村姉に気に入られてしまい「遊びでいいから」と押し倒されそうになった。剥かれそうになったが必死で逃げて「好きな人がいるんです!!ごめんなさい!!」と土下座し続けたら、最後には呆れて興味を失ってくれた……。
その後、鬼姉様には高級菓子折りを進呈して事なきを得た。
あー、疲れた……。
ねーちゃんが、振り向いてくれる保証も無いのに。
そして自覚したばかりの恋心を、ねーちゃんに告白する度胸も無いのに。
―――俺の身辺整理だけが、着々と進んでいる。




