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9:降ってくるもの

長編「ぬいぐるみと約束」のキャラが出てきます。

 目の前に落ちてきたそれを理解するのに、どれだけの時間がかかっただろうか。

 スクールバッグを手に、横断歩道を渡り終えた真雪の目が何度も瞬く。

 ――これは、一体どういうこと?

 足元に落ちたそれに目を向け、睨みつけながら首を傾げる。真雪の周囲にいたサラリーマンや学生たちも同様に不思議そうな顔をし、足下に転がったそれと、晴れ上がった朝の空を交互に見ていた。

 真雪もしばらく立ち止まっていたが、目の前の最寄り駅から自分が乗るはずだった電車がホームを出て行った音で我に返った。

「もう……次の電車まで十五分もあるのに」

 まあどうせ今日は二学期の終業式だけだし、遅刻しても問題はないだろうけど。心のうちでぼやきながらそれに再び目を落とし、

「あっ、いたいた。おーい真雪ー!」

 聞き慣れた声に振り返った。

 長い前髪をオールバックにしてピンで止め、髪の色と同じような珊瑚色と紺青色が混じったマフラーを手に持った青年が、横断歩道を渡ってくる。「どうしたのエラン」と名前を呼びながら問いかけると、立ち止まった彼はマフラーを差し出してきた。

「今日は一段と冷えるから持って行った方がいいって、真雪の母ちゃんが言ってたからさ。届けに来た」

「あら、わざわざありがとう」

 礼を言いながらマフラーを受け取ろうと、右手を差し出す。

 その手に、こつん、と。

「え?」

「……まただわ」

 頭上から降ってきたと思しき深緑色のそれが、真雪の手に当たってコンクリートへと転がった。

 唐辛子をベル形に丸く膨らませたようなそれは、どこからどう見てもピーマンだった。

「え、え? これ今降ってきた?」

「さっきから時々降ってくるのよ。意味わかんないけど」

 受け取ったマフラーを首に巻きつけた真雪の前で、しゃがみ込んだエランはピーマンを拾い上げる。傷み一つなく、とても美味しそうに見える。

「人間界ってこんなの降るの?」

「馬鹿なこと言わないでよ。むしろこんな奇妙なこと、悪魔の世界でしか起こらないでしょ?」

「さすがに魔界でもそんなことはないかな。気色悪いじゃん」

 悪魔であるエランは、約一年前までは魔界で暮らしていたという。真雪はそこへ行ったことは無い――行けるのかすら定かではない――が、どうやら自分が思い描いていた魔界のイメージとは違うらしい。

 ここで立ち止まっていても時間の無駄だ。最寄り駅へと歩きながら、真雪とエランは地面に転々と転がったピーマンを眺める。

「家を出た時は何もなかったんだけどね、駅に近づくにつれてたくさん降ってくるようになったのよ」

「その時点で不思議だなとか思わなかったの、真雪は」

「疲れが見せる幻覚かと思って。ほら、私ピーマン好きだから、ストレスのせいでピーマンが食べたくなってるのかと」

「どんな幻覚だよ……」

 結局、どうやら他の人にも見えているために幻覚ではないと判明したのだが。

 その時、こつん、と頭に何かが当たった。どうせまたピーマンだろうと思いながら地面に落ちたそれを見て、

「……赤いわね」

「……赤ピーマン?」

 二人は同時に首を傾げた。

 今まで転がっていたものは全て深緑色のものだったが、今真雪の頭に当たったのは赤色をしていた。

「色の変化が付いたわね」

「いや、それよりもさ。なんでこれが降ってくるのかっていうことなんだけど、いてっ」

 エランの頭に当たって転がったそれは、今度は黄色かった。

 さっきから一体何なのか。カエルや魚が降ったという話なら聞いたことはあるが、ピーマンが降ったという話は知らない。

 なぜ降ってくるのかを考えながら最寄り駅の入り口にある階段を上り、改札口の手前に設けられた待合室に入り込む。そこから駅前の様子を眺めていると、一定の間をあけながらピーマンが降っている事に気が付いた。

「ぼとぼと落ちてくるわけじゃないのね。一個ずつって感じ」

「あんなものがぼとぼと降ってきたら嫌だよ俺は」

 んべ、と舌を出しながら不快感を露わにしたエランに、頷いて同意する。

 いつの間にか、噂を聞きつけてやって来たらしい人たちによって、駅前はごった返していた。

 ビニール袋を手にした主婦と思しき者たちはピーマンの争奪戦を始めており、その様子を携帯で撮影する者もいた。幼稚園に向かっている途中らしい子供はピーマンを拾おうとしていたが、母親に何やら怒られながらその場を去っていく。

 ピーマンが嫌いらしい人はあからさまに顔を顰め、極力視界に入れないように目を逸らしながら歩いていた。

「肉詰めピーマン食べたくなってきたわ」

「今日の晩ご飯のリクエスト? 母ちゃんに伝えておこうか」

「自分でメールするからいいわよ、別に」

 電車を待つ間にも、ピーマンは休むことなく降り続いていた。地面に落ちてもすぐに回収されるため、駅前がそれで埋め尽くされることは無い。

 やがて、踏切の音が聞こえてきた。いつの間にか次の電車が来る時間になっていたらしい。

「じゃ、行ってきます」

 エランに別れを告げながら待合室を出て、すぐそばにある改札口に向かった。

 スクールバッグの横にぶら下がっていたパスケースを引っ張り、取り出した定期券を改札機に滑り込ませる。

 改札を通り抜けると、通勤通学の時間帯なだけあって多くの人が集まっていた。そのうちの何人かが電話越しに「いや、まじだって。ピーマンが降っててさ」「ほんとほんと。ピーマンがいっぱいあるの。え? だから駅だって言ってるじゃん」と興奮気味に話していた。

 これは明日の朝刊にニュースとして載るんじゃないかと思いながら振り返る。改札機の向こうでは、エランが緩やかに手を振って見送っていた。

 ホームに入ってきた小豆色の車体が扉を開く。下車していく人と入れ替わりに「それじゃ、行ってきます」と口パクで伝えながら電車に乗り込み、扉の傍を陣取って手すりに背中を預けた。

「電車が発車します。閉まる扉にご注意ください」

 どこか古ぼけたアナウンスが流れ、ぷあー、と間の抜けた音が鳴る。空気の抜ける音が聞こえ、一拍遅れてから扉が動く音がした。

 それと同時に、

「えっ」

 ひゅん、と。

 左の耳元を何かが掠めた。

 ――まさか。

 真雪の耳元を通り過ぎたそれは、真っ直ぐに反対側の扉にぶつかり、ころころと床に転がった。乗客たちは発車間際に乗り込んできたそれに目を向け、ある者は携帯を取り出し、ある者は二度見をしていた。

 電車がゆっくりと動き出す。それに合わせゆらゆらと揺れるそれは、見まごうことなくピーマンだ。

 咄嗟に駅の改札口を振り返る。見えなくなりかけていたエランの目は、ぎょっとしたように駅前へと向けられていた。どうやらピーマンはエランの頬を掠めたらしく、彼の右手は何度も頬をさすっていた。

 どう考えても今の動きはおかしい。これではまるで。

 ――私を、追いかけてきてる? ……狙ってる?

 そんなまさか。どこからどう見てもただのピーマンなのに、そんなはずはない。

 言い聞かせるように脳内で何度も「そんなわけはない」と繰り返すが、現状からそう判断するしかなかった。

 真雪の傍には、悪魔という常人なら恐れる様な存在がいる。そんなものより、今は目の前で転がる得体の知れないピーマンの方が数倍恐ろしかった。

 停車駅で扉が開くたび、ピーマンは飛び込んできた。真雪の足元は、徐々にそれで埋め尽くされていく。

 ひょっとして、学校についてもこんな感じなのだろうか。そう考えただけで、背中が震える。

 好物が目の前にあるというのに、嫌な汗が頬を伝い、気色の悪い感覚がした。

※専門学校在学中の課題「なにかが降ってくる」を加筆・修正したものです。

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