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24:秘境食堂

「どうぞ」

 こと、と目の前に置かれた皿に、ジオは緑黄色の目を細めて小さく唸った。

 精緻な模様が描かれた楕円形のそれには、何かしらの動物の脚を丸焼きにした肉が鎮座している。蹄がついているから鳥でないのは確実だ。こんがりと焼け目の上から瑠璃色のソースがかけられていたが、お世辞にも食欲をそそる色とは言えない。

「……ソースが無かったら美味しそうに見えたんだけどなあ」

 厨房で何かしらの料理を作っている店主や、皿洗いに勤しむ年若い店員に聞こえないよう、隣で呻くように言ったのはダリアだった。彼女の前にも、ジオと全く同じものが置かれている。

 仕方がない。出されたものを食べずにいるのは店にも食材にも失礼だ。横目で見やると、ダリアも意を決したのか、右手にナイフを握っていた。

 遡ること一週間前。ダリアの元に、友人から遣わされた使者がきた。彼から手渡された書簡には、「賢者に会いに行け」という旨と、その賢者がいるとされる場所の地図が記されていた。

 国内でも秘境と称される地は、強風と大雨で天候は常に大荒れだった。脚を踏み外せば眼下を流れる濁流へと真っ逆さまという断崖絶壁を越え、ひとまず書かれていた場所にやってきたのが数十分前のことだ。

「でも、なんでこんなところに店なんか、ねえ」食べる、とは決めたものの、まだ肉に手を出せないでいるダリアが呟いた。「もっと良い場所あったと思うのに」

 難所を乗り越えて、二人が辿り着いたのは〈食堂〉だった。

 岩を削ったのか、それとも風雨によって浸食されて出来た穴なのかは定かではない。木製の扉をくぐれば、腹の減る肉の焼けた匂いが迎え入れてくれた。松明が灯された店内には厨房を覗けるカウンター席が七つと、木製の四角いテーブルが五つ。二人がやってきた時にはすでにその大半が客で埋まっていた。

 ――まあ、ダリアには今も見えていないだろうが。

 ジオは肉に添えられている野菜を武骨な指で摘まんだ。毒々しい紫色に一瞬たじろいだが、躊躇いなく口に放り込む。しゃき、とした瑞々しい歯ごたえと、鼻に抜ける爽やかな香り。ほんのわずかに辛味を感じたが、味付けのための香辛料だろうか。

 なるほど、見た目ほど悪くない。むしろ好みの味だ。ジオが黙々と野菜を食べ進める隣で、ダリアはようやく肉にナイフを差し込んだ。その瞬間、肉汁が溢れ出るとともに食欲をそそる香ばしい匂いが二人の間に広がる。

「そういえば、フォークとかないのかな」ごく、と喉を鳴らしたダリアに問いかけられ、ジオは「なさそうだな」と首を振った。

「店主と店員は人間だろうが、客はそうじゃない。最低限の食器しかないのは、その客たちの文化に合わせているからか、それともただ単に不足しているかのどちらかだ」

「え、人間じゃないって」

「なんだ、気付いていなかったのか」

 美味しそうな肉を前にして頬を紅潮させていたダリアの顔が、さっと青くなった。

「別に怖がる存在がいるわけじゃない」ジオは野菜を摘まんでいた手を止め、ダリアが腰に提げているダガーを指した。「ここにいる客は皆、お前のダガーに宿っているような精霊というだけだ」

 どこにでもいて、どこにもいない。実体を持たず、常人の目には映らない存在――それが精霊だ。ダリアのダガーには諸々の経緯で水の精〈ウンディーネ〉が宿ったのだが、彼が意図して姿を見せない限り視認することは出来ない。

 そんな彼女と違い、ジオの目には店内で思い思いに食事を楽しむ精霊の姿が映っている。火の粉を纏う少年、水を操っておどけてみせる少女。土気色の顔に楽しそうな表情を浮かべた大男や、そよ風に乗って店内を舞う美女など、その姿は様々だ。

「じゃあ、なに。この店は精霊向けってこと?」

「やっぱりお前には見えてなかったのか」

「うん。――あ、このお肉美味しい! かりっとしてるし、ちょっと甘いし! あれ、中に……なんだろ、麦が入ってる? とろとろしてる」

 ダリアの言葉を受け、ジオも切り分けた肉をナイフの切っ先に刺し、口に運んでみた。味が不安だった瑠璃色のソースは、想像していたような強烈なものではなかった。優しく肉のうまみを引き立ててくれるような味がする。

「でも精霊って、食事とか必要なの?」

「どうだろうな。俺もそのあたりは詳しく知らん」

「帰ったら聞いてみよっか」

 ふと調理をしていた店主を見る。上から下まで純白で統一された衣服は、この店の制服なのだろう。店員も同じものを着ているが、店主の腰には黒いエプロンが巻かれていた。皺だらけの顔には立派な白髭を蓄え、それを時折揺らしながら楽しそうに仕事をこなしている。

 まさか、賢者というのは――ジオの視線に気づいたのか、店主は帽子を片手で押さえながら頭を下げた。

「でもトラズ、どうしてここに行けって言ったんだろ。ご飯食べに行って来いって訳じゃないよね」

 友人の名を呟きながら、ダリアは次から次へと肉を食べ進めていく。よほど気に入ったらしい。これは住処に戻ったら「同じものを作って!」と要求されるだろう。味を覚えておかなければ。

「お待たせしました。ただいま焼き上がったばかりのパンです。お召し上がりください」

 こと、と二人の前に丸い皿が置かれた。拳ほどの大きさのパンが二つ乗っており、どちらもこんがりとした良い匂いを漂わせているが、

「……これ、何か分かる? ジオ」

「……十中八九、脚だな」

 なんの、までは言わなかった。言う必要が無かったともいう。

 焼け目のついたパンには、十字型の裂け目が入っている。そこから飛び出していたのは、間違いなく鳥の脚だった。

 まさかこれは、脚を掴んで食べろとでも。

 それに色も怪しい。パンと言われると茶色く焼け目のついたものが一般的なのだが、提供されたものは、ダリアの瞳に似た群青色だ。ソース以上に食欲が失せる色をしている。

 何気なく他の客を見てみると、精霊たちの前にも同じようなパンが出されていた。美味しそうに食べ進めているところを見ると、彼らにとってはごくごく普通の料理なのかもしれない。あるいは足しげく通っているから慣れた、だ。

「お二人のことは聞いているよ」どう食べたものかと困惑する二人が愉快だったのか、店主の言葉は笑いを堪えるかのように震えていた。「悪いねえ。ここに店を構えて四十年。人間のお客なんて開店以来でね、人間向けの作り方を忘れてしまった」

 厨房から出てきた彼は、ダリアの隣に腰かける。第一印象としては矍鑠とした老人といった風だが、ダリアは何かしら感じ取ったのだろう。瞬きの合間に表情が引き締まった。

「あなたが、賢者、ですか」

 ダリアの問いに、「残念だがそうではない」と老人は首を振った。

「賢者と呼ばれているのは、あっちだよ」

 彼が皺だらけの指で示したのは、熱心に皿を洗う店員だった。

 え、と呆然とするダリアをよそに、老人は「すまないね」と笑う。

「世間では賢者でも、儂の店ではまだまだ新人。仕事が終わるまで待ってやってくれ」

 軽快に笑う老人につられたのか、何故かダリアまで笑い出す。その空気についていけないまま、ジオは脚の存在と見た目を一旦忘れてからパンを千切り、口に運んだ。

 ほのかに感じる塩気と、生地に練り込まれた鶏肉のうま味。噛んだ瞬間、ぷち、と音を立てたのは、丸ごと入れられていた小さな卵か。舌の上にとろけた黄身は、パンの塩気と絶妙に絡み合う。

「数十年前に、目を悪くしてね」老人は指を組み、少しずつ言葉を続けた。「ついに光さえ映らなくなったがね、その時に、精霊と出会った」

「なるほど。目を治してやるから上手い料理を提供しろ、とでも言われたのか」

「大まかに言えばそんなところだ。……聞いていた通り、恐ろしいほど察しがいいんだね、用心棒さんは」

 そうでもない、と皿の隣に置きっぱなしになっていたグラスに手を伸ばす。中に注がれている緑色の液体は、わずかにとろみを帯びている。一口だけ喉に流すと、酸味を感じるとともに何かが口内で弾ける音がした。

「気になっていたんですけど、どうしてこんな場所に店を? それに、なんで賢者がここで働いてるんでしょう」

「それはおいおいお話させていただくよ。――ああ、君。そろそろ食後のデザートを」

 店主の指示に、賢者だという店員は「はい!」と元気よく声を返す。

 想像でしかないが、見た目はともかく、味は絶品としか言いようがないこの店の味に彼は惚れこんだのだろう。そこで弟子入りを志願した。そんなところだろうか。

 店主と賢者の関係を取り留めもなく予想しながら、ジオは緑色の液体を飲み干した。


長編:「暗闇王女と〈死神〉の誓い」の余談みたいなものです。

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