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21:森の奥の灯り

グリム童話「トゥルーデおばさん」を元にしております。

 雲の切れ間から、淡い月光が降り注ぐ。それを反射する雪と、分厚い氷に覆われた湖の上を、一陣の風が駆け抜けた。湖を取り囲む森をざわざわと、湖畔に立つログハウスの窓をガタガタと揺らし、やがて静かにおさまっていく。

 窓際の椅子に腰かけて編み物をしていたトルデリーゼは小さく息をつき、立ち上がった。そろそろ暖炉に薪を足さなければ、あっという間に寒くなるだろう。部屋の隅に置いていた薪を何本か胸に抱え、「ちょっと」と不満を口にした。

「もう歩けるでしょ、少しくらい手伝ってよ」

 長いセピア色の前髪から覗くガーネット色の瞳が鋭く煌めいた。睨んだ先には暖炉の前に置かれた安楽椅子があり、そこにクロムイエローの長い髪を持つ青年が座っていた。漂ってくる怒りを感じ取ったのか、振り返った彼はトルデリーゼに柔らかな笑みを向ける。

「まだ完全に治りきってないと思うんだよね。だから歩けない」

「嘘つき。昨日のお昼、普通に歩き回ってたじゃない」

 ばれてたか、と苦笑した青年は、若干よろめきながら立ち上がると、トルデリーゼが抱える薪を受け取り、暖炉に放り込んでいった。衰えかけていた炎は勢いを取り戻し、再び部屋を暖めていく。

 椅子に座りなおした青年は、自身の右脚に巻かれた包帯に手を伸ばし、解いていった。トルデリーゼは纏った黒いスカートが汚れないように気を付けながら床に座り込む。

「傷は、残ってないみたいね」

 言葉と共に、露わになった彼の脚に触れた。一週間前、彼は湖畔で倒れていた。どうやら動物に襲われたらしく右脚を負傷していたのだが、今は綺麗に治っている。

「トゥルーデの治療のおかげだよ」

「その呼び方、恥ずかしいから止めてって言ってるでしょ」

「可愛いからいいじゃないか」

 青年は真顔で言い放つ。どうやら本心で言っているらしい。それが分かるからこそ、余計に恥ずかしいのだ。トルデリーゼはつい顔を背けながら仏頂面で「それ返して」と手を伸ばした。

 おかしそうに笑った彼の手から、丁寧に丸められた包帯が渡される。

 ごつごつとした掌の感触に、青年が軍人か何かであろうことは感じていた。それ以外に分かっている事と言えば、「ハーラルト」という名前くらいだ。

「それじゃあ、そろそろ聞かせてもらえないかしら」

 ごほん、と咳払いをしてからハーラルトを見上げ、問い詰めるように目を細めた。

「どうしてあなたは湖畔で倒れていたの?」

「やっぱり、そう言うと思った」

 彼は諦めたように長く息を吐き、ぎし、と椅子にもたれ掛かる。

 初めから約束していたのだ。脚が完治した時に、事情を聞かせてくれると。

 トルデリーゼの無言の促しに負けたのか、ハーラルトは「まあ、約束だからね」と素直に口を開いた。

「この森の東西に国があるのは、さすがに……知ってるよね。僕は東の国出身でさ、軍人の家系だから成人と同時に入隊したんだけど」

「けど?」

「僕ってあまり体力が無くてさ。どちらかと言えば頭が回る方で」

 とんとん、と自分の側頭部を人差し指で叩き、彼は照れくさそうに笑う。自分で言うことかと呆れたが、ひとまず口は挟まずに続きを待つ。

「それで、最近西の国とちょっと争いになってさ。奇襲攻撃を仕掛けようって方針になったんだけど、進軍の最中に僕だけ取り残されちゃって、道にも迷ってね。どうすればいいのか困ってたら飛び出してきた獣に噛まれて、力尽きて目が覚めたら君の家で」

「ちょっと待って。進軍って、この森を通って行ったの?」

「え、うん。そうだけど」

 それがどうかした? そう首を傾げたハーラルトに対し、トルデリーゼの表情は険しい。

 トルデリーゼが一人で暮らすこの森には、数多の珍しい薬草が生えている。また動物も多く暮らしており、彼らの生活をむやみに脅かしてはならない、と数年前に両国間で取り決められた。それゆえ、森はどこの国にも属していない。

 そして森に立ち入ることが出来るのは、古くからこの地で侵入者の監視と自然の維持を担う一族の、選ばれたたった一人の者だけだった。もし侵入者や自然の破壊が認められた際は直ちに一族に報告し、森の貴重な自然の被害を最小限に抑えなければならない。

 今現在、それを担っているトルデリーゼとしては、そんなに多くもの侵入者を見逃したことが信じられなかった。

「大体、国で言われているはずでしょう。森に入ってはいけない、魔女がいるからって」

「教わったけどさ、迂回すると時間がかかる……え、魔女がいるの?」

「人が森に入らないために意図的に流した噂よ。私は薬学に詳しいから、時間さえあれば薬の精製の研究をしてるの。そうやって考えたら、ほら、魔女みたいでしょ?」

 まあそれはそれとして。トルデリーゼはもう一度咳払いをし、ハーラルトを睨みつけた。

「争いをするならどうぞご勝手に。ただしこの森に危害は加えないで。ここを出て軍に合流したらそう伝えなさい。さもなければ私の一族に連絡して、それなりの制裁を加えると思って頂戴」

「僕みたいなひよっこの言葉を上官が素直に聞いてくれるとは思えないけど、分かった」

 反論されるかもしれないと思っていたが、素直に頼みを聞いてくれて助かった。トルデリーゼが安心していると、「トゥルーデは強いね」と悲しげな呟きが聞こえた。

 いきなり何を言い出すのだろうか。訝しがっていると「たった一人でこの森を守っててさ」と悲しげな微笑みを向けられた。

「僕なんかまだまともに戦えないんだよ。兄さんたちや仲間にも馬鹿にされてさ。今だって君の厚意に甘えてるわけだし」

「家の目の前で死なれたら困るから助けただけよ」

「そうかもしれないけどさー」

 言っているうちに自信がなくなってきたのか、ハーラルトがそれ以上何かを言うことは無かった。ぱちぱちと燃える薪の音だけが部屋に満ち始め、トルデリーゼはぐっとスカートを掴む。

「私だって、別に強いわけじゃないわ」

 我慢しなきゃいけないのに。堪えなきゃいけないのに。その思いとは裏腹に、口からは言葉が漏れていく。

「一人でここで暮らして、本当は寂しくて仕方ない! 人が来ることなんてほぼないし、森の外とのやり取りは鳥に託した手紙だけ。次の代がここに来るまで、私は、ずっと、一人で」

 視界が滲み、声が震えた。零れた涙は頬を伝い、手の甲に落ちていく。

 誰にも漏らしたことのなかった不満や寂しさが、次々と吐き出されていく。ハーラルトはただ静かにそれを聞き、時々トルデリーゼの頭を撫でた。

 どれだけ泣いただろうか。何度か鼻をすすりながら彼を見上げると、優しく腕を引かれ、驚く間もなく抱き止められた。

 心地のいい感覚に、身を委ねてしまう。彼の肩に額を落とすと、腕の力が強くなった。

「明日には、ここを出て行くから」

 耳元で囁かれた低い声は、切なげだった。

 うん、とトルデリーゼは彼の背に腕を回し、何度も頷く。

「いつ来れるかは分からないけど、またここに来てもいいかな。恩返しがしたいんだ」

 やっぱり駄目? ハーラルトの瞳が様子を窺うように僅かに細められた。トルデリーゼは彼の頬を両手で包み込み、首を横に振る。

「いつまでも待つわ。一週間でも、一年でも、十年でも。あなたが私を忘れない限りはね」

「そっちこそ、僕の事忘れないでよ?」

 さらりと髪を撫でられ、くすぐったさについ身を引いてしまう。それを引き留める様に腕を掴まれ、顔を寄せ合い、どちらからともなく唇を重ねた。


 言葉通りハーラルトは翌日に森を出て行った。その去り際、

「僕はさ、湖畔に辿り着くまで、君の家から見えていた灯りを頼りにして歩いたんだ。だから、今度もそうやって来るよ」

 最後まで笑顔だったハーラルトの言葉に、胸の奥が熱くなった。

 トルデリーゼは部屋を埋め尽くすほどの薪と食料を用意した。彼がいつ戻ってくるか分からないのだから、灯りを絶やさないようにしなければ。いつでも出迎えることが出来るように外出も控えた。

 東と西の国での争いは大きな戦争に発展したという。森も各国に接している部分に被害を受けたが、彼が上官に伝えてくれたのだろう、森を突き進む兵は一人もいなかった。

 ――ハーラルトは、いつ戻ってくるのかな。

 どれだけ待ったのか、もう時間を数えることもしなくなった。気が付けば目も耳も利きづらくなり、立ち上がることもままならず、一日の大半を安楽椅子で過ごす事が多くなった。一族の決まりでは自分の体に限界が来たと感じた時、交代を求める文書を出す事になっている。だがここを離れるわけにはいかない。ハーラルトを出迎えなくては。その思いの強さから、それは出していないままだ。

 何度目かの冬を迎えたある日。暖炉に目を向ければ、火が衰えていた。

 このままでは、彼との約束を守ることが出来ない。けれど、もう立ち上がる事すら――。

 その時だった。

 扉が開く音と、何者かが家に上がり込んでくる音がした。ひょっとして、戻ってきてくれたのか。トルデリーゼはゆっくりと音がした方に首を動かす。

「あなたがトゥルーデおばさん?」

 聞こえてきた声に、聞き覚えはなかった。若々しく、鈴のような声だ。

 あなた、魔女なんですって? 噂で聞いたの。でも私は怖くないわ。

 何か喋っているようだが、早口過ぎてそれ以上は聞き取れなかった。騒がしいなと眉を顰め、彼でないのなら相手をする必要はないとトルデリーゼは暖炉に目を戻す。

 ああ、そうだ。暖炉に薪をくべなければ。

 床を踏み鳴らしながら近づいてきた声は、トルデリーゼの横に迫っていた。顔を覗き込んできたそれは、薪と同じ色をしているように見えた。

 ―――なんだ、こんな近くに薪があるじゃないか。

 トルデリーゼはそれに手を伸ばし、炎に向かって勢いよく突き飛ばした。

 燃え盛る炎の音に混じり、空気を切り裂くような絶叫が聞こえる。それを聞き届けながら、トルデリーゼはしわがれた、しかし僅かに弾んだ声と共に微笑んだ。

「お前、私のために光っておくれ」

※専門学校在学中の課題「童話を元にした作品」を加筆・修正したものです。

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