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戦国おとぎ語り  作者: 独楽
序 蒼眼の月
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其の参


 その呼びかけに応じるように、どこからか、しゅたっと少女が現れました。

 この登場の仕方、格好いいのでわたしも真似したいのですが……なかなか上手くできません。なにぶん、体術が苦手なものでして。


「はい。お呼びでしょうか、止水さま」


 この子は小比奈といいます。

 両側に二つ結びにされた長い髪。小柄な体躯。

 格好は動きやすいように軽装で、今が冬だと忘れさせるような格好をしています。その風貌は巫女というより、遊女といった感じではありますが、これでも優秀な巫女なのです。

 歳はわたしの二つほど下でしたか。詳しくは、知りません。

 かくいうわたしも、実年齢は曖昧だったりしますし。

 小比奈は、千代女さまが『武芸がからっきしで、危機感知能力も残念極まりないあなたを、一人で京へ行かせるなど、カエルを湯につけるようなものです』と、道場を出るときに付けてくれたお供です。

 これは余談ではありますが、カエルは変温動物なので、自分で体温調整を行うことが出来ません。なので熱さ、寒さに極端に弱く、お湯につけると一発で死んじゃいます。

 酷い言われようだと、自分でも思っている次第ではありますが……実に的を得ていて、ぐうの音もでません。

 この京での旅路にも、幾度となくわたしを助けてくれた、頼もしき後輩。

 いなかったらやばかったかもしれません。

 ……っていうか、ぶっちゃけ死んでました。

 わたしは訊きます。


「この者たちは?」


 小比奈はちらっと横たわる亡骸を見、即答で、


「恐らくは、甲賀の忍びかと」

「……忍び? しかも甲賀、ですか」


 その言葉に、すごく嫌な予感がしました。


「……それはちょっと、まずいですねぇ」

「千代女さまがお怒りになられます。間違いなく」

「ですよねぇ……」


 千代女さま。

 望月千代女さまはわたしを拾ってくださった命の恩人で、わたしの師匠で、わたしの一番苦手な人でもあります。

 甲賀流忍者を構成する――甲賀五十三家の筆頭である上忍のお家柄“甲賀望月”の出身。その本家に当たる信濃豪族の望月氏当主、今は亡き望月盛時さまのお嫁さま。

 そんな千代女さまにこのことが知れたら、お正月どころではなくなってしまう――最悪、道場の巫女総出で、犯人捜しを命じられる――かも、しれません。

 こんな年の暮れに雪の中を駆け回るなど、とてもじゃないですがやってられない。不謹慎極まりないことですが、わたしの脳裏に隠ぺいという文字が浮かび上がりました。


「……いやいや、待て待て」


 しかし、よくよく考えてみると、こんな道場の近隣でこのような出来事が起こってしまえば、千代女さまに知れるのは時間の問題。このあたり一帯にも、少なからず眼は潜んでいるでしょうし、たとえ隠ぺいを計ろうが、どのみちいずれは知れてしまう……。

 その場合、その矛先は誰に向けられるのか?

 結論から言えば、わたしにおはちが回ってくる可能性は、極めて高い……。

 ああ……道場に戻りたくない理由がまた一つ。


「……ううっ」


 と。

 道端の生い茂る木々の奥から、どもるようなうめき声が聞こえました。

 咄嗟に小比奈がわたしの前に立ち、鞘に収まった小太刀の柄に手を掛け、臨戦態勢をとります。


「何者だ! 姿を見せろ!」


 しかし、小比奈の言葉に返答はありません。

 少しの静寂がその場を包みます。

 しばらくして小比奈は、


「……警告はしたぞ。止水さま、下がっていてください」


 そう言うと、腰刀の柄を握り、腰を落として抜刀の構えを取りました。

 敵が潜んでいるかもわからない茂みまで、約四メートル。敵がいるとすればさらにその奥、木々の裏という可能性もあります。

 当然ですが、刃が届く距離ではありません。

 通常、刀の間合いとは一足一刀。つまり、踏み込んで腕と刀の長さを足した距離が間合いになります。小比奈の持っている小太刀は、刃長が約六十センチの大脇差。小柄な彼女ですから、間合いはあって精々三メートルといったところでしょうか。

 三メートル。

 常人であれば。

 そう――それは常人の話であって、小比奈はその範疇にいません。

 事実。

 小比奈の間合いは八メートルをゆうに超えます。


「刀影流抜刀術、一ノ型――」

「わわっ! 待って小比奈!」


 わたしは構えられた小太刀の柄を押し下げ、あわてて前に出ました。


「止水さまッ!? なにをなさるので――あっ、お待ちください、止水さま!」


 小比奈の制止をよそに、横たわる骸を越えます。

 雪のかぶった茂みをかき分け、奥を覗き込むと、


「……っ!」


 そこには木に寄りかかり、うなだれるように座り伏せる男がいました。

 甲賀の忍びか――それともこの忍び三人を討ち捨てたものか――どちらにせよ、その男はもう助からないと、一目で分かるほどの深手を負っていました。

 肩から腰にかけて広がる刀傷。

 見る限り、どうやら一太刀受けたようです。

 ぱっくりと割れた肉、裂けた服からは、おびただしい量の血がとめどなく溢れ、その服を、雪を、赤く染めていました。


「……生きている……のでしょうか?」


 そうとは到底思えない傷ですが……。


「いやしかし、たしかに声が。止水さま、ここでお待ち下さい。小比奈が確かめてまいります」


 言って、小比奈は枯れた木々を搔き分け、男に歩み寄ります。


「……おい、大丈夫か?」


 ……うん。

 どこからどう見ても、大丈夫そうではありませんよね?

 小比奈の言葉に返答はありませんでした。

 すでに男の意識はないようです。


「……止水さま、返事がありません。ただの屍のようです」

「…………」


 小比奈はいったい何を確かめに行ったのでしょうか?

 わたしはいたたまれずに、駆け寄ります。

 近づいてみて、むっと湧くような血臭にわたしは思わず表情を歪めました。いったいどれほどの血を流せばこれほど……小比奈の言うようにもうすでに……、いや。

 構わずわたしは男の手を取ります。触れた手からは、おおよそ命の温かさを感じ取れないほど、冷たくなっていました。

 しかし、かすかではありますが脈が――それに、小さくひゅうひゅうと呼吸する音も聞き取れます。


「まだ息が!」

「しかし、止水さま。これはどう見ても、助かるとは……とても……」


 小比奈は目を伏せ、言葉を濁しました。


「ならば放っておけと? そんなことできません。……“傷を止めれば”……少なくとも、命は長らえるでしょう。その間に近くの村まで……いや、道場まで運べば」

「っ! いけません止水さま! その“眼”は千代女さまから使うなと固く禁じられて――」

「その禁よりも、命のほうが重く、そして尊い……と、小比奈はそうは思いませんか?」


 少なくとも、わたしはそう思っています。


「……それは、そうですが……」


 わたしのことを思って言ってくれている。その気持ちは痛いほどわかります。

 ですが……やはり命は尊く、儚いものです。天秤に掛けるまでもありません。それで一つの命が助かるのであれば、罰などいくらでも甘んじて受けましょう。

 そうして、わたしはしゃがみ込みました。

 静かに目を閉じゆっくりと一呼吸。

 深く息を吸い込み、そして静かに吐きました。


 ――開眼。


 わたしの“眼”に宿る力。

 それを開放し、男を見ます。

 傷は大きく、肩から斜めに入り、腰にまで。その傷口に視線をなぞらせると――やがて溢れ出、下へと流れる血は次第にその勢いをなくします。

 追って出てくる血はそれを押し上げるようにぷっくりと、まるで若葉に浮かぶ朝露のように傷口を覆い――表面だけ凍ったように、まるでそこだけ重力がかからないかように、血は垂れることを止めました。

 そして、流れ出ることを忘れた血はつややかに赤黒く凝固。

 完全に傷を覆うまで、わたしは瞬きもせず凝視し続けました。

 果たして男の傷は血で塞がれます。

 それを確認し、ふぅ、と一息。


「……こんなの応急処置にしかなりませんけど……」


 これでなんとか持ってくれるといいのですが……。とにかく、早くちゃんとした手当をしなければ!


「小比奈、事態は緊急を要しましゅ。いっこきゅもはやく――」

「えっ?」


 噛んでしまいました。

 この力を使うと、なんでか身体を上手く動かせなくなったりします。相当な体力を消費するからでしょうか……? その理由は、実のところわたし自身もよくわかっていません。

 甘い物を食べれば、すぐに回復するのですが……あいにく、手持ちは切れています。

 食べている場合でもありませんが。


「……止水さま、いまなんと?」 


 咳ばらい一つして言い直します。


「と、とにかく、一刻も早く、この者の手当をせねばなりません。村へ急ぎますよ」

「心得ました!」


 そう言って小比奈は、自分の身の丈を軽くこえる男の身体をひょいと肩に抱えました。


「さあ、止水さま。参りましょう」


 ……あれ、小比奈?

 そっちはわたしがいま来た道なのでは?


「あのー、小比奈? そっちは逆方向ですよ?」


 わたしがそう言うと、小比奈はしれっと、


「あっ、いえ、村への道はこちらで合っています。止水さまは、先ほどの分岐を間違われていましたので……」

「…………」

「…………」

「な、なんで教えてくれなかったのでしか!」

「えっ、いや、その……」


 小比奈は顔をおとし、照れるような、申し訳なさそうな表情でぼそっと言います。 


「……迷子になっている止水さまも、可愛いかな……と」

「迷子になるわたしを見て、面白可笑しく笑うつもりだったのでしか!」

「い、いえ! そのようなことは決して!」


 動揺した小比奈は肩に抱えた男を落としました。

 男は、「ぐえっ」と、うめき声をあげて地に転げます。


「少しでも長く、止水さまとの旅をと思い……申し訳ありません……」

「小比奈なんてもう知りません! わたしひとりで道場へ向かいます!」

「そんな、止水さまっ! そんなことおっしゃらずに!」


 わたしは、いまにも泣き出しそうな小比奈を前に踵を返し、外法箱を背負ってぷんすかと早足に来た道を戻ります。

 小比奈は三歩遅れて、わたしに謝りながらついてきます。


「……むぅ」


 これは単に道を間違えただけで、別に方向音痴だとか、そういうことではありません。

 間違いは誰にだってあるものです。

 ましてや、こんな峠道ならば分岐を間違うことなんて多々あって当然だと、わたしは思います。

 そう。

 たとえそれが――分岐が一つしかない、見通しの良い晴れた峠道だったとしても、です。

 わたしは自分がつけた足跡を踏みしめながら、早足で来た道を戻りました。



 そうして、四半刻(三十分)ほど、進んだ辺りでしょうか。

 必死にわたしの機嫌を取ろうとする小比奈が不意に、「あっ」と、声をあげます。


「……? どうかしましたか、小比奈」

「止水さま……」


 小比奈は青ざめた顔で言います。 


「……あの男を、忘れました」




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