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戦国おとぎ語り  作者: 独楽
序 蒼眼の月
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蒼眼の巫女 其の壱 開幕の詩


 愛する人よ。

 果てなく乱れる世に、

 あなた想う命も消えようとしています。



 愛する人よ。

 露のようにはかなく消えゆくなら、

 その御霊を抱いて、私は逝きたいのです。



 だから、愛する人よ。

 この想いが消えぬうちに、

 どうか私を殺して、死んでください。




 *




 冬の渓谷沿い。

 山肌は白く染まり、寒さもいよいよ厳しくなってきました。

 信州をかける数多くの山々が連なるここは、日ノ本の屋根とも呼ばれたりします。

 ただっ広い真っ白な高原――美ヶ原を越えて、白い雪をかぶった背の高い木々が姿を見せ始めると、待っているのは、くねくね道が延々と続く武石峠。

 並ぶ木々の隙間から吹いてくる風。

 しんしんと降り続ける雪。

 それらに若干の敵意を覚えつつ、わたしはかじかんだ手をさすり、首を縮こませながら黙々とそこを歩いていました。


「…………」


 太陽は厚い雲に隠れ、天気はあいにくの雪……というか、もろに雪。

 晴れのち雪――とかそんな少しの優しさも見せることもなく、それこそ嫌気が差すほどに峠はずっと雪景色でした。


「もう……こんなはずじゃ……なかったのに……」


 ぶつくさと小言を零しつつ、わたしはまっさらな雪道に足跡を残していきます。

 振り返ると、つけたはずの軌跡は降り積もる雪に埋もれて、すでに消えかかっていました。この場に立ちすくんでしまえば程なく雪だるまになれることでしょう。

 この時期の峠道は寒いし、だるいし、危ないし……。訪れて良いことなんて探すほうが難しいくらいです。

 できることならわたしも、こんなところを歩きたくなんてない。

 しかし、そうも言ってられない事情もありまして……。


「……東山道を行き、そろそろ笠取峠かな? などと思っていたら、なぜか美ヶ原に出てしまい……引き返すこともせず突き進んだ結果、こうなってしまいました……とさ」


 ぽつりと独白するわたし。

 ……なんか、虚しい。

 道を間違えた覚えなどないのですけれどねぇ……。


「うぅ……、寒い。なんで、こんなに、寒くなる必要があるのでしょうか……。だから冬はきらいです」


 吐いた息、ぼやいた言葉は、びゅうびゅうと唸る吹雪にかき消されます。草履は雪に濡れ、水を吸った白足袋は氷のように重く。その冷たさからくる痛みも、いつからか感覚が麻痺して感じなくなり、かわりに今回の長旅でムチを打ち続けた関節が、この寒さに悲鳴を上げはじめます。

 板のように凍りつく巫女装束の上から羽織った袢纏はんてん。頭に被った笠と、首から下げた大げさな数珠には雪まじりにつららが張っていました。邪魔だったので道中三回ほどへし折ってあげたのですが、またいつの間にか出来ている始末……。

 わたしの身体も凍りつきそうです。


「おもち食べたい……甘酒飲みたい……お風呂入りたい……笠取の茶屋、行きたかったなあ……」


 寒さに身を震わしながら呪文のように願望を駄々漏らしていると、目の前にさっと小さな影が通り過ぎました。

 あっと声を漏らし、視線でそれを追います。

 それは小さく、だいたい二十センチくらいでしょうか。

 見るからに暖かそうな、茶色いもふもふの毛を身にまとった愛らしい姿をした小動物――つまりは野兎です。


「ていや!」


 この期を逃すまいと、わたしは数珠についていたつららをへし折り、茂みへと逃げる野兎めがけ投げつけます。

 すると、雪をかぶった茂みからもふもふとした野兎がこてんと転げ落ちてきます。つららは見事に野兎の脳天に直撃したようです。


「やったっ!」


 思わず、手をぎゅっと握りしめ、喜びを表現。

 ……一応、念のために言っておきますが、申し訳ない気持ちもありました。……ありましたよ?

 けれど、寒さには勝てないのです。現実は厳しいのです。


「……あぁ、ぬくぬく……あったかい」


 気絶した野兎を胸に抱き、もふもふなお腹に手を差し入れて温まります。久しぶりに温かささに包まれたような――手先だけ一足早く春を迎えたような――そんな気がしました。

 わたしにも毛皮があればいいのになぁ……、などと現実逃避しつつ、わたしは道の端の木陰によります。


「ん、よっこいせっと」


 片腕に野兎を大切に抱きつつ、空いてる片手で背負っていた荷物、紺色の風呂敷に包まれた外法箱を置き、わたしは腰を下ろします。

 吹雪が止むことを切に願い、少しだけ休憩をとることにしました。



 そうしてしばらく温まっていると、手にぴくぴくっと細かい感覚が伝わります。

 ……おや?

 思うと同時に、意識を取り戻した湯たんぽ――もとい野兎が、わたしの腕の中で暴れまわりました。


「ひゃあ! ちょ、ちょっと待って……わかった、わかったから!」


 がぶり。


「痛ーっ! もう! とって食べたりしないのに、ひどいっ!」


 窮鼠猫噛む。

 この場合は、窮兎人噛むでしょうか。

 生命の危機を感じた野兎はわたしの指をひとかじり。

 たまらず、暴れる野兎の首根っこをひょいとつまんで地面において(投げて)あげます。


「ありがとう。おかげで温まりました」


 そうお礼を言いきる前に、野兎は逃げ去ってしまいました。

 その逃げっぷり、まさに脱兎の如く。

 野兎が離れ、先ほどまで温かかった手と胸にちょっぴりと肌寒さを感じます。しかし、おかげで手の感覚はだいぶ戻りました。……少なくとも痛覚は。

 噛まれた人差し指を口にくわえ、辺りを見回します。

 雪もだいぶおさまり、厚い雲の合間から差し込む温かい陽日。眩しく光る峠の白い雪面に目を細めつつ、眠たまなこをくしくし。

 そしてまぶたを開くと――そこには冬空に輝く、信州の広大な山々が。晴れ渡った、とは決して言えない天候ではありますが、その峠から見える風景はまさに圧巻の一言。


「わあ……」


 思わず、感嘆の息を漏らしてしまいます。

 ぱらぱらと風に舞い踊る雪に光が反射し、それはまるで春の清流の煌きような――まるで夜空に散らばる星のような――そんな幻想的で神秘的な風景が広がっていました。

 見降ろす下界は、空気の層がまるで海のように蒼く、囲まれた山々から映るそれは、さながら天上の湖のようです。


「わ、わ、すごい! 泳げちゃいそう! いったいどういう現象なのでしょうか、これ」


 しばらくその景色を眺め、はしゃいでいると――ふと、寒さと身体の疲労を忘れていることに気がつきます。


「……ありゃ?」


 案外、わたしの身体も単純ですね。

 気が向いたら美ヶ原に足を運んでみるのも、そう悪くはないかもしれません。

 わたしはよっこいしょと、重い腰を上げ、立ち上がります。


「よし!」


 威勢よくぱんっと両手を叩き、また峠道を歩きはじめました。



 ――天正九年、十二月も末――

 もうすぐ正月を迎える、終わることなき戦乱の世――



 この地に戻るのは久しぶりです。

 戻る機会も、それは無くはなかったのですが……ここ数カ月は任された用事――いや、任務と言ったほうが適当かな?

 まあ、ともあれ。

 その任務で京のほうへと出向いていたので、帰郷を後回し後回しにした結果、いつの間にか二年という月日が経ってしまっていました。

 できることなら寒さが増すこの季節に信州になど帰ってきたくはなかったのですが……、千代女さまが、『氷月、今年の正月くらいは帰ってきなさい。帰ってこなかったから仕置きますよ?』とか言うので、仕方なく。

 ……これはなかば、脅迫に近いですよね。

 仕置きとか、覚えが多すぎてどれのことだかさっぱり。加えて、覚えている仕置きのほぼすべてが残忍極まりないものばかりという……。流石のわたしも、それだけは回避しなければなりません。 

 しかし、お正月にはおもちがいっぱい食べられますし、運が良ければ五平餅やぜんざいにもありつけるかもしれません。ですので、まあ、そこは相殺としておきますか。

 とにかく。

 この峠をこえれば道場はもうすぐです。

 信州の冬は厳しいにもほどがありますよ、まったく。



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