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戦国おとぎ語り  作者: 独楽
序 蒼眼の月
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其の拾肆


「むぅ……わたしこういうのって苦手なんですよ、小比奈も知っているでしょう。しかも男ですし、ましてや男ですし。気まずさ倍増ですよ」

「そんな、わがままおっしゃらずに、お留守番を任されたのは止水さまでしょう。後で叱られちゃいますよ」

「城主と言ってください。なんかお留守番って言われると威厳がないじゃないですか」

「威厳もなにも、城なんてどこにも……」

「なにか言いましたか、小比奈?」

「あー、じょーぬしさま。早く行ってきてください」

「もう……人ごとだと思って……」


 と、なにやら部屋を前に話す声が聞こえてきた。

 目の前にいる千代女は、なぜか呆れた風に眉間を押さえている。


「失礼します――ひゃあ! ち、千代女さまっ!?」


 戸が開き、現れた少女は千代女を見るなり驚愕した。

 それは見事な驚きっぷりだった。


「……やっときましたか。遅かったですね、氷月」

「い、いつお戻りになられたのですか? 戻られるのは明日のはずでは……」

「丁度先ほど。予定が早く片付いたので先に帰らせて頂きました。それよりなんですか、一時とはいえ道場を任された身で」

「いや、これはあの……桃源郷を渡っていたら、つい……」

「桃源郷?」


 人が見ている手前、叱りつけることもできないのか、千代女は苦虫を噛み潰したような顔で嘆息交じりに少女をにらむ。

 見立て気の弱そうな少女は、その険呑な目つきに縮こまってしまった。

 例えるなら――そう。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。

 そういえばもう一人、誰かいたようだったが……気がつけばその気配すらなくなっている。


「……後で仕置きですね」


 ぼそっと千代女がそう言うと、少女は止めを刺されたように顔面蒼白し、ただでさえ弱々しそうなその身体から魂が抜け出たように、生気を感じられなくなってしまった。

 仕置きは、たしかに辛い。

 女の社会にもこういうったことがあるのか、などと将監は関心しつつ、なんだか悪いことをしてしまったなと、思った。別段、将監は悪いことなんてまだなにもしていないはずなのだが。

 しかし、この氷月という巫女。千代女には劣るものの、これまた美女だ。 

 胸は――中の上といったところか。

 ……ふむ。まだまだ発展途上。七年後が楽しみだ、ということにしておこう。

 そう将監は一人重々しく頷く。


「あなたが俺を救ってくれた――」

「あっ、こ、これは申し遅れました。ししゅい氷月にござりましゅ……」


 えふん。

 と、少女は咳ばらい一つし、


「止水氷月に、ございます」


 畳に手を置き、盛大に噛んだ台詞を言い直して頭を下げた。

 どこか挙動不審というか、おどおどと緊張した面持ちのその少女。

 初対面の人間が苦手なのか、それとも男嫌いなのか――そう思案するが、ずばり両方であると、将監がそれを知ることになるのはもう少し先のことだ。加えて、馴れた人間に対してふてぶてしく、やや傲慢であることも同時に知ることになる。


「氷月殿か。いや、こたびは世話になった。謹んで御礼申し上げる」


 しかしながら、今現在においてそれを知らない将監は言葉の通り謹みを持って礼をした。

 止水氷月と同じように、頭を垂れて。

 将監のその律儀な姿を見て、


「あ、いや……そんなそんな……」


 と、氷月は照れ隠すようにうつむく。

 そして会話は途絶えた。

 訪れた沈黙。

 何ともいえない間が、その場を包んだ。

 将監もそう口数が多いほうではない。人見知りはしない質ではあるが――なにより、相手の情報が少な過ぎた。今、将監に分かっていることといえば、自分は武石峠で倒れ、氷月に助けられたこと。そしてこの場所が信濃の地であり、巫女道場であることくらいなのだ。

 無駄に口を回し探りを入れるより、今ある情報をもとに立ち振る舞いを考えたほうが危険は少なくて済む。ここに運ばれた状況を聞くに、口を軽くしても仕方のないことだし――それに将監にとって、ここはすでに敵地なのだ。

 いくら女といえど、ここで気を緩めることは出来ない。

 なにより、その程度で緩むような気であれば、将監は今こうして生きてはいない。


「…………」


 かたや氷月も口をつぐみ、うつむいたまま話そうとはしない。これは将監のように考えあってのことではなく、単にそういう性格なのだが。

 氷月といえば言わずもがな、人見知りが非常に激しい。

 彼女を深く知る人間に訊けば声を揃えてそう応えるだろう。そのことを知らない者から見れば、その物静かな佇まい、押せば壊れてしまいそうな可憐さは、どこかの国の姫だろうか気品溢れる人だ――と、思える……かも、しれない。

 しかし、実際にはそんな雰囲気をまとっているだけ、ということは今更言うまでもないことだろう。


「…………」


 そして千代女も、その口を動かそうとはしなかった。

 すでに彼女は目の前の男は敵である、と見ている。そう見ているだけに、千代女にとってもいまはけんの段階にあった。のんきな氷月が悪意の気配もなくそれとなく話を振り、気を許した将監の口が綻び、ふと情報を落とす――それが理想だった。

 敵を欺くはまず味方から。

 相当熟練した者でもない限り、それを行う上での“ぎこちなさ”を抗うことは出来ない。ましてや、相手は忍びなのだから尚更だ。だが、そんな策を教え、氷月が首尾よくそれを行えるとは千代女も思ってはいない。

 そういった意図もあり、千代女は何も知らない氷月が来るころを見計らってやってきたのだが……どうやらそれは、今の段階では期待薄のようだ。

 しかし、それでも核心には触れない。

 少なくとも、“私”はそれを振れない――と、千代女は考える。

 その問いは氷月が言ってこそ自然で、警戒されない当然のことだとも言えるし、それに何も知らないからこそ、踏み入れることもある。そんな思いを知ってか知らずか、少女、止水氷月は依然と小さくうつむいたままだ。頼りない教え子の姿を見、千代女は心の中で静かにため息を漏らすのだった。


 ――と、まあ、そんな結果。

 この間が生じた。

 何とも言えない、間が。

 流石にこの沈黙は辛いものがある。

 訊いてこないのであれば、自分からわざわざ話すこともないだろうと、将監はふと気にかかったことを少女に訪ねてみる。


「その眼……失礼だが、氷月殿は南蛮の者……か?」


 将監が気にかかったそれは、少女のその“眼”だった。

 千代女の眉が小さくぴくっと反応した。だが、それに気がつく者はいない。

 南蛮――長身で稀薄な髪色をした異国の言葉を話す、外の国の者。南蛮人。港町でよく見かけるが、その眼は日ノ本に暮らす人のそれとは違っていた。

 少女の眼。

 淡く蒼い一対の眼。

 南蛮人以外でそういった眼を持つ者は、将監の知る限り、そういない。

 ちなみに、『ボディ』という言葉もその港町で教えて貰ったものだ。あちらの国の者は、物を買うとき、「ハマチです、ハマチです」と魚の名を呼ぶことで有名だったりもする。

 氷月は視線を畳に向けたまま、


「……いえ、これは生れつきで。確かによく間違われますが……」


 と、そう答えた。

 伊賀、甲賀の生まれだろうか? と、忍びならばそう察する者もいるだろうが――将監はその里には行ったことがないし、知っている伊賀甲賀の忍びもそう多くはない。ここで詳しくは記述しないが、忍びの里――特に伊賀、甲賀の里では怪奇な目は勿論、常人には持ちえない異様な身体、多様な能力を持つ者も少なからずいる。この場でそのことを知っているのは、甲賀出の千代女くらいのものだ。


「そうか。これは相すまん」


 将監は深くは訊かなかった。

 この時、千代女は、忍びの出身であると思われたかもしれない、と危惧するが、実際には将監は違うことを思っていた。将監が“幼い頃、それに見覚えがある”と、思っていたなどとは、本人以外、誰にも想像も出来ないだろう。

 それからしばらく雑談し、あらかた話も終えて、


「それではこれで。どうか御安静に」


 と、千代女は氷月を引き連れ、出ていった。

 止水は核心に迫らなかった。将監も当たり障りのない情報しか口にしなかった。

 それでも千代女は良いと考える。

 警戒心を覚えさせるよりは後々やりやすいだろうし、何も知らない善良な民を演じ続け、教え子たちを使い、情報をゆっくりと抜いていけばいい。最悪の場合はなに構うことはない、そのときは殺してしまえばいい――と、そう考える。

 将監は彼女達を見送り、部屋に一人残された。

 ぐぅ、と、思い出したかのように腹の虫が鳴った。


「や、しまった。そういえば俺は空腹だった」


 なにか口に出来るものを頼めば良かった……。

 そう思ったが、命を助けられ、その上飯をせがむなどという厚かましいことは将監には出来ない。しかし、流石に耐えかねる空腹だったので、将監は枕元にあった御絞りに使われていたであろう桶の水を、一気に飲み干した。

 喉を通る水に命を吹きこまれたような気がした。

 そして、「ぶはぁ」と息付く。

 どうやら警戒はされていないらしい。しばらくは――鎌之助が来るまでの間はゆっくりとさせて貰おうか、と将監は布団に寝そべった。

 しかし、気にかかる……氷月という娘の、あの蒼い眼……。


「……水樹みずき姫……? いや、しかし彼女は……」


 将監は思いを遠い昔に回帰させ――そしてかぶりをふった。



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