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戦国おとぎ語り  作者: 独楽
序 蒼眼の月
11/48

其の拾


「千代女さま……」


 狼狽える小比奈が、死にかけのひよこのような声でつぶやきます。


「どなた様か存じませんが、その子を放していただけますか?」


 状況を把握しているのか、それとも肝が据わっているのか――千代女さまは優しい口調のまま、小首をかしげて言いました。


「断る、と言ったら?」


 鎌之助の言葉に、まるで子供の駄々を見るように千代女さまは笑顔で返します。


「ふふ、そのようなことは、言わせません」


 そこに怒りや殺意などの感情は無く、あるのは埋もれ隠れた底知れぬ気迫。

 それを感じてか、鎌之助は臆するようにわたしを捕まえたまま一歩後ずさりました。


「……笑止。姿を見られた以上、お前も死んでもらう」

「あらあら、それは恐ろしい」


 そして千代女さまは、まるで嘲笑うかのように、


「お出来になるのでしたら――いかようでにも」


 しん、と。

 肌を刺すような静けさの中、千代女さまはじっと鎌之助を見据えます。

 その視線はじりじりと零度に近づき、相応するように場の空気も下がっていくような錯覚。声を出すことも出来ないほど張りつめた緊張の中、わたしは生唾を飲み、力強く加速する自分の鼓動を抑えつつ思考します。

 鎌之助から見れば、庭には自分と実力が拮抗した少女。

 そして目の前には得体の知れない女。

 この状況で鎌之助は人質であるわたしを殺すことは、まずできないでしょう。


「…………」


 ……いや、待って……人質?

 そもそも――人質を取る必要はあったのでしょうか?

 思い返してみれば、わたしを人質に取る前――わたしを襲ったときに生じた小比奈の隙に対し、鎌之助は“蹴り”を差し込んだわけですが……なぜ武器を使わなかったのか?

 蹴りで小比奈を制することが出来ると思ったのか、それとも突き出した忍刀以外に武器を持ち合わせていなかったのか……。

 否。

 忍びならば、それもこれほどの実力を持つ精鋭忍者ならば、それはありえない。

 だとすれば……なぜ?

 ……もしかして、鎌之助は最初からわたしたちを殺すつもりなどなかった?

 そんな考えを途切れさせるように、わたしを掴んでいた鎌之助の手はわたしを強く突き飛ばします。

 そして鎌之助は逃亡を計ろうとしました。

 しかし、


「――あなたに呪いをかけましょう」


 逃げ去ろうとする鎌之助に、千代女さまがそう一言。

 突き離されたわたしは足がもつれ、千代女さまの前に倒れ込みました。

 解放されたわたしを見、その目に光を取り戻した小比奈が鎌之助に向かい掛かろうとします――が、なぜか途中でその足を止めました。

 わたしは振り返り、その光景に息を飲みます。


 縁側にひれ伏し、腕をばたばたと振り回す――

 それは見るからに異常で、異様な光景。


 少しでも、わたしたちから――いや、千代女さまから遠ざかろうと、必死にもがく鎌之助の姿。その足は硬直し、まるで凍ってしまったかのように固まり、暴れる手と反して微動だにしません。それは鎌之助のものではないような、石や岩といった無機質で重たいものが足にまとわりついているような――そんな違和感を、見る者に与えます。

 這うように爪を立て、床を引っ掻き爪が剥がれてもなお、鎌之助は逃げようとその動作を延々と続け――悲鳴にも似た、怯え苦痛にもがくような――聞くに耐えない悲痛な叫び声をあげていました。


「あなたの足を縛りました」


 縛った、と千代女さまはそう言いました。

 もちろん鎌之助の足には縄も、鎖もついてはいません。

 千代女さまは一歩、鎌之助に歩み寄ります。


「あなたの腕も縛ります」


 その声と共に鎌之助の腕はあがくことを止め、ぱたりと力なく床に落ちました。 

 また一歩、一歩と、その足を運びます。


「……その生意気で耳障りな音を出す口も、縛りましょうか」


 口も縛られ、鎌之助は悲鳴を上げることを止めました。

 つまり、それは助けを求めることも、許しを乞うことも出来なくなったということ――


 ――呪詛じゅそ蛇眼呪縛じゃがんしばり

 わたしも、この目で見たのは初めてになります。

 相手に呪いをかけ、四肢の自由を奪う――言ってしまえば簡単に聞こえますが、これほど恐ろしいものもありません。

 この名の由来は、蛇に睨まれた蛙。

 ですが、実際にはわたしの“眼”のような瞳術や催眠術の類ではなく呪詛に組みし、数ある調伏(簡単にいうと呪い)のなかでも相当に難しい業。なおかつ、この種の呪術は修験者――つまり、悟りや霊験を得るため山籠りを行い、厳しい修行に耐えた者にしか扱えず、長年の修行とともに神道や陰陽道を極める必要もあります。

 わたしはこれでも、呪術は得意なほうではありますが、さすがにここまでの呪詛は扱えません。恐らくこれを扱える者は、この三千世界にも千代女さまをおいて他にはいないでしょう。


「さて。私の可愛い教え子を危険にさらし、不安がらせ、あまつさえ私の睡眠時間を奪った罪を――いったいどうやって償ってもらいましょうか?」


 ひれ伏す鎌之助の前に立ち、見降ろしながら千代女さまは言いました。

 さてさて、どうしたものか……と、頬に指を添え、ふと思いついたように、ぽんと手を叩きます。


「紗綾、佳代、小袖。おいでなさい」


 呼びかけに、さっと三人の少女が現れました。

 今回はふすまがないので、さきほどは見切れてしまっていた小袖もちゃんと見えました。

 ……というか、どこに潜んでいたのでしょう? いたのなら、助けてくれても良かったのに……いや、小比奈と鎌之助の凄まじい攻防に割って入れる者など、それこそ千代女さまくらいしかいません。無理に加勢に入っても邪魔になるか、それこそわたしのように人質になるのが関の山だったでしょう。


「御呼びでしょうか、千代女さま」

「あなたたちに呪術の練習台を差し上げましょう。朝まで修練にはげむこと。ただし、殺してはいけません、いいですね?」

「心得ました」


 彼女たちは声をそろえて、千代女さまの命令に応じました。

 わたしは腰が抜けて立つことも出来ず、縁側に座り込んだまま千代女さまを見上げます。優しく、凛々しい目がわたしを見降ろしていました。

 わたしたちの主――望月千代女さま。

 ふと、千代女さまはわたしではなくあさっての方向に目を向けます。つられてわたしも、そのほうへと目をやりました。

 見ているところは、道場の外……でしょうか?

 道場の周囲を囲む塀。その奥は、ぱらぱらと舞う雪に闇が広がっているだけでした。


「……?」


 はて、千代女さまは、いったいなにを見ていたのでしょう?

 視線を戻すと、目の前に千代女さまの手がありました。


「大丈夫ですか、氷月。帰って早々大変でしたね。……しかし、どうしてあなたはそう毎度毎度厄介事に巻き込まれるのでしょうか?」

「……あうぅ、それはわたしが教えて欲しいくらいです……」


 わたしは差し出された手を借り、立ち上がります。

 華奢なその手は温かく、わたしとさほど大きさも変わらないのですが、包み込むような安心感をわたしに与えてくれました。

 命の危機を脱したことを認識し、緊張と不安から解放された感情が、まるで泉のように溢れ出ます。忍びの教えで、人前で感情をあらわにすることは禁じられています。

 湧き出ようとするそれを抑えようと、必死と頑張りますが――やはり、わたしもまだまだ未熟者です。千代女さまはなにも言わず、わたしの頭を撫でてくれました。


「それでは、私は休むとします。氷月、小比奈、あなたたちもゆっくり休みなさい」


 千代女さまはそう言うと、踵を返し自分の部屋へと戻っていきました。

 わたちたちはそれを見送ります。

 しかし、数歩進んだあたりで足を止めました。

 わたしはおや、と思い、首をかしげます。千代女さまはくるっと振り向き、


「ちゃんと着替えてから休むように」


 そう付け加え、今度こそ自分の部屋へと戻っていきました。

 ハッとして自分の着物を見ると、左腕の裾と胸のあたりがずばっと破れていることに気がつきます。

 ……そういえば切られましたね、わたしの寝間着。

 これ気に入っていたのに……。ああ、それにお布団もか……。


「止水さま!」


 小比奈が駆け寄ってきました。

 わたしは小比奈から隠すように、無事だった寝間着の右腕の裾でごしごしと目をこすり、涙をぬぐいます。後輩にこんな姿は見せられません。

 そして振り返り小比奈を見ると、着物は雪に濡れ、ところどころ擦り切れていました。

 その姿が先ほどの死闘の激しさを物語っています。


「大丈夫ですよ、ありがとう小比奈。また助けられましたね。わたしが不甲斐無いばかりに、あなたを要らぬに危険にさらしてしまいました。ごめんなさい」

「そんな、止水さまが謝ることでは……」


 小比奈が言い終わる前に「きゃあー!」と甲高い声が聞こえました。

 わたしたちは驚いて、声のほうに振り向きます。

 三人の少女がきゃぴきゃぴと、なにやら楽しげに話していました。


「どうしましょう! 殿方ですよ! 私、こんな姿で恥ずかしい!」と紗綾。

「もう、うっさい紗綾! きゃあきゃあ騒がないで!」と佳代。

「……そ、そんなことより……呪術の練習を……」と好奇の目で鎌之助を見る小袖。その手にはすでに呪詛に使う道具がずらりと。


 ……どうやら、千代女さまがいなくなったことで、彼女たちの枷が外れたようです。

 あっけに取られるわたしたちを気に留める様子もありません。


「そうです! 呪術の練習です! 佳代、道具とか持ってます?」

「そんなぶっきらぼうに訊かれても困る。何を掛けるかにもよるでしょ」

「死なない程度のもの……」

「ああ、そうでしたね! じゃあ何にしましょうか」

「苦しめて癒して、それ繰り返すのは? 練習にはちょうどいいんじゃないかな」

「じゃあそれでいきましょう! とりあえず護摩壇に護摩木と――」

「あたし蛇の皮と百足、あとは蜥蜴の血なら持ってるよ」

「んー、それじゃちょっと足りませんね。私も猫頭の干物、白犬の頭蓋骨、雛人形、藁人形とか調伏に使うものなら少しは部屋に置いてありますけど……あともうひと押し欲しいところ」

「……犬の肝と牛の頭ある……。他にも……いっぱい……」

「おー、さっすが小袖。よく持ってるね。管理大丈夫? 臭いとかすごくない? ほっとくとくっさいよねー、あれ。んでも、そんだけありゃ十分だね。髪はこいつからむしり取ればいいから、あとは――」

「祈祷の供物ですね! 私、台所からお米とお酒取ってきます!」

「じゃあ、あたしは壇と木持ってくるかな」

「こ、小袖は……牛の頭……取ってくる……」


 嵐のように繰り広げられる会話。

 女三人寄れば姦しいとはよく言ったものです。さっきまで死闘を繰り広げていた場所とは思えないほど、ほわほわとした女性の社交場のような雰囲気になっていました。

 ……まあ、会話の内容はそれとはほど遠い気もしますけどね……。

 ほどなくして、式に必要な品を取りに向かい彼女たちはいなくなりました。この後どんなが運命がこの男を待ち受けているのか……わたしは知る由もありません。

 鎌瀬鎌之助……。

 いやはや、恐ろしい相手でした。


「なんか……ご愁傷さまです」


 わたしは呪詛で身動きが取れなくなった強敵の前で、静かに手を合わせて黙祷しました。


「……さて。わたしたちも休むとしますか」

「そう、ですね」


 小比奈はどこか浮かない顔をしていました。

 察するに、鎌之助にわたしを人質に取らせてしまったことを思っているのでしょう。

 それはわたし自身の責任なのですが……。しかし、小比奈はそんな子です。


「……あー……そういえばわたしのお布団、誰かさんにずたずたに切られてしまって、今夜寝る場所がないんですよねぇ。わたし」


 とげのある言い回しに、小比奈はうめきます。

 ついでに言いますと、戸も無くなってしまったので、わたしの部屋では寒くて寒くて、とてもじゃないですが一晩越せそうにありません。


「……ですので、今夜は小比奈のお部屋にお邪魔しようかと思うのですが……」

「なっ!」

「迷惑でしょうか?」

「そっ、そんなことはありません! 是非!」

「そうですか、それはよかった」


 そうして――わたしは着替えを済まし、小比奈の部屋へと向かいました。

 食べ損ねたお団子、まだ残ってると良いのですが……。



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