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戦国おとぎ語り  作者: 独楽
終幕
1/48

水無月 終焉ノ刻



 火焔に揺れる本能寺。

 それを背景に、二人の少女はじっと相対していた。

 黄昏が終わり――薄闇が訪れた空は、焼かれるような茜色にまた染まっている。

 その空を覆い尽くすものは星ではない。幾多の火矢――それが、あたかも星のように夜空に煌き、中空に留まっていた。


「…………」


 また、二つの影も動かない。

 境内は炎に包まれていた。

 主柱が焼け、いまにも崩れ落ちそうな本堂の奥には、腹を切り、床に伏したかつての覇君の姿があった。織田信長公だ。

 この場を満たしていた罵声、怒声、火炎の嘶き――そのすべてが動態を示すことはなく、辺りはしん、と静まり返っている。

 ……いや、違う。


 “静止しているのだ”。


 それは読んで字の如く。

 空から降り注ぐはずの火矢。

 崩れ落ちるはずの寺。 

 ある者は、跳ねられた首を宙に浮かせながら――またある者は、肩から腰へと半身を斬り落とされながら頭部を失った自分の身体を見つつ血飛沫を舞わせ――それが当然とばかりに、静かに景色の一風として彩っている。

 炎は揺らめくことを止め、焼ける本能寺はただ爛々と光を放ち、この場で死合っていた織田方、明智方衆そのすべてが――まるで時から忘れ去られたかのように、決して動こうとはしない。

 ただ、二人の少女を残し、ただ静かに止まっていた。

 かくて面妖な光景がそこにはあった。


「……これで三度目。勝ちの目が潰えた気分は、さて、どうかな? もうあの小娘も、慕っていた忍び崩れもいない。その身一つでいったいなにができるのかな。ねえ、姉さま」


 不敵な笑みを交え――黒衣、漆黒の眼を持つ少女は言う。

 相対するは、薄ら青く輝く一対の蒼眼。


「……黙れ……」


 と。

 押し殺したようにうなる少女。

 白装束に朱色の袴、背に弓を備えたその姿は巫女のそれであった。

 この少女の名を、止水氷月という。

 止水は帯に潜ませていた脇差を取り出し、鞘を走らせた。新月に照らされ、刃がきらりと光る。


「……その声で、その顔で、その身体で……わたしを、わたしを姉と呼ぶなッ!」


 あらん限りの殺気を放ち、叫ぶ。

 そこにかつて穏やかだった彼女の面影はない。

 止水は草履の底で土をにじり、すっと刃を立て正眼に構えた。それに応じるように、黒衣の少女は袖を揺らし手に持った鉄扇を開いて、口を覆った。


「お前を殺して、このおとぎ語りを終わらせる。覚悟しろ、無月むつきッ!」


 その言葉が開戦の合図だった。

 他一切の音もなく――切な物語は、こうして幕引きを始める。

 斬りかかる止水。

 地を蹴り、刀を振ると同時に剣戟音が鳴り響く。その刃を防ぐ鉄扇――火花散る鍔迫り合いから見える黒衣の少女――無月の目は、舌を舐めずる蛇のそれだ。

 にらみ合いも束の間、無月は空いた片手で腰に掛けた小太刀を抜こうとする。が、それを止水が見逃すはずはない。止水は髪を揺らし、身を捻る。右足で地を蹴り、押し放した無月めがけ切っ先を突き出した。


「甘い」


 鉄扇に軌道を反らされ、止水の刃は空を突く。

 無月は当然のように、がら空きになった止水の脇腹へと刃を突き立てる。だが、その切っ先が止水の巫女装束に触れるこは敵わない。

 切りつけようとする刹那、刃はぴたりと“停止”する――

 止水の蒼眼が、それをねめつけていたのだ。


「――……まったく、邪魔な眼だ」


 動態を失った無月の刃。片や、引き戻された止水の刃はくるりと反回転し、月光の尾を引く斬撃となって無月を薙ぎにかかる。


「流石、姉さま。……けれど、残念」


 いやらしく口角を吊り上げ、無月は笑った。

 その刃は間違いなく無月の身体を斬りつけたはずだった。しかし、止水は眉を寄せ、歯を軋ませる。指に伝うはずの応えはなく、刃は虚空を切ったからだ。

 それは闇か――はたまた幻か。

 無月のその姿は刃が通るなり蜃気楼のように歪み、霞すんで、やがて幽霊さながら止水の視界から消えた。

 忽然と、消え失せた。

 必至と影を追い、止水は首を廻す。


「……無月。それは……そのわざは……ッ!」


 そう狼狽えるも束の間、凍るような殺気に止水は身を翻す。

 差し込まれる鉄扇――仕込み刃――それは止水の顔を掠め、赤い血飛沫を舞わせる。止水は一転して距離を取り、紅を帯びた頬をぬぐいつつ、その影をねめつけた。


「さあて、誰のだろう? 当ててごらん、姉さま」


 無月、哄笑。


「……お前は……お前はいったいどれだけわたしから奪えば気が済むんだッ!」


 言って、止水はくないよろしく手に持つ脇差を無月へと投げつけた。

 そこでまた止水の眼が光る。

 視界前方――飛ぶ刃はその動きを止め、空間に停止。

 止水はそれを足場にし、弧を描くように宙へと跳ぶ。ひとつ、ふたつと、空中に止まる矢をまた踏み台に、止水は背負っていた弓を構え、矢を手に次々と射抜いていく――

 見よ、見よ、誰がこれを現実と思えようか?

 止水が放った矢――無月が避けるなり、矢は空間に止まっていき――それが徐々に逃げ場を奪い、やがて無月は矢の牢に囲われたではないか。


「……っ!」


 斬ろうも薙ごうも、その矢は微動だにしない。

 もはや身動きのとれない無月に、しかし止水はその手を緩めることはない。四方八方から矢を放ち――あれよあれよと数十の矢じりが無月を取り囲む。

 果たして止水が地に足を着けたときには、すでに勝敗は決しているように見えた。


「――さようなら、無月」


 宙に止まっていた矢が一斉に動き出す。

 思い出したかのように境内を焼く炎、斬り合う者たちがその動態を取り戻し始める。騒音の帰ってくる中、無月は踊るように矢を受け続け、やがて血泡を吐いて地へと伏せた。

 止水は動きだした周囲を気に留めることなく、注意深く無月の屍に歩み寄る。

 だが、


「……その程度で、本当に僕を殺せると思っていたのかな。姉さま」


 耳元で鳴る声。

 うぞぞ……と首筋におぞけのようなものを感じ、止水は反射的に跳躍する――が、それも遅い。


「――っあああ!」


 身体を突き抜ける痛みに、止水は喘いだ。無月の鉄扇が肩を貫いたのだ。

 肉を刺し、抜かれた刃から血飛沫が舞う。止水は片膝をつき、悲痛に歪んだ顔で無月を見上げる。

 その黒瞳は悦に濡れていた。


「……現実を拒むなら僕がその目を奪おう。言葉に胸を裂かれるなら、僕がその耳を奪おう。心傷つけるだけの口をつぐませ、その思考すらも奪い尽くしてあげよう。だから……僕と一緒に殺してあげるよ、姉さま」


 無月はゆっくりと小太刀を天にかざした。その目下にあるは依然と悶える止水の姿――刀を持つ腕は射抜かれ、それを防ぐ術もないように思える。

 万事休すか――いや、否。

 無月が凶刃を振り降ろそうとする刹那、銃声が鳴り響き、いままさに放たれんとする刀を弾いた。これには流石の無月も驚いたようで、その場から飛び退く。

 影を追うように銃撃がふたつ、みっつと。

 間髪入れず撃ち放たれるそれに無月は後退していき、そして空いた止水と無月との間に紅い流星が地へと降り立った。自らに鼓舞を打つように叫びつつ――その形は星ではなく人、それも少女だ。


「ごめん、遅れた」


 と、油断なく二つの銃口を無月へと向けつつ、その少女は言う。

 燃えるような赤髪をなびかせ、戦場に身を置くとは思えない軽装。

 この少女の名を火月。

 凛と輝く片方の眼は紅く――隻眼が黒衣の少女を見据えた。

 黒衣の少女は、やや呆れたように嘆息する。


「あーあ、邪魔が入っちゃったよ。君も案外しつこいね、雑賀の小雀が。……そういえば、君の兄さまは元気かな? 今頃、独り冥土で寂しがっているんじゃないかな。いい加減うっとおしいから、君も逝ったら?」


 不敵な笑みを浮かべて――そう。

 小柄な身体から発せられたとは思えない圧力、撫でるような挑発に、しかし隻眼の少女は乗らない。


「孫兄が寂しがってる? はっ、冗談にしちゃあ、ちっとも笑えないね。――氷ちゃん」


 その呼びかけに止水は頷き、目を閉じた。


「火月、あなたの封を解きましょう――『この声は我が声にあらじ、この息は神の御息』――」


 すっと目を開く。

 蒼眼を煌かせ、止水は刀に息を吹きかける。


「『まがものよ、禍者よ。これを縛る鎖を打ち砕く、これは封陣を打ち払う風の剣なり』――」


 片手で印を結び、そして切った。


「『怨敵降服、処現したまへ。ひと、ふ、み、よ――この声は人の声にあらじ、この言は神の言なり。我に従い従い尽くせ。されば枷を鎖を打ち砕き放たん。いつ、むう、な、や――解き放つは鬼神の御霊、されば嘲けよ、いまここに招かん。振るべ振るべゆらゆらふるべや、ふるべふるべゆらゆらと。吹き来る風は眠る魂振る禍つ神風。こ、たり――舞えよ、謳えよ。戯えたまへ、戯えたまへ――』……起きろ、“炎月”」

「…………」


 ゆらり、と。

 隻眼の少女は揺れる。

 見つめる黒一点に、尋常ならぬ殺気を込めながら。


「喰らえ」


 刹那。

 紅い閃光が瞬いた。

 見開く両眼――鈍く輝く赫眼は闇に尾を引き、神風が如く黒衣の少女へと駆け出す。


「――■■■■■■■■■■■■――――ッ! ■■■、■■■■■!!! ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――――――ッ!!!!!!」


 それは鬼の咆哮か。

 およそ人間の声帯から発せられたとは到底思えぬ奇声をかき鳴らし、赫眼の少女は無月へと瞬時に詰め寄る――そして、その腕を喰いちぎった。


「ぐっ!」


 歪む青白い頬、たららを踏む間もなく追撃。

 無月は必死と首を廻すが、その閃光を捕えることができない。鮮血を彩らせ、独楽のようにくるくると舞い血の華を咲かせていく。

 むべなるかな、その黒瞳で捉えられないのも無理はない。

 赫眼の少女――“炎月”の動きは、とても人間のそれとは思えないほど獣じみていた。いや、鬼のそれといったほうが適当か。四肢をめちゃくちゃに振り回し、一切の予備動作もなく、突進、反転、旋回し、抵抗の隙を間髪も与えず牙を剥く――その動きは型を持たないが故に予測のしようがなく、反撃はおろか防御すらも難しい。


「■■■、■■ッ!! ■■■、■■■■■■■■■■■■■■■――――――■■■ッ!! ■■■■■!!!!!!!!!」


 防ぐこと敵わぬその猛攻に、見るも無惨や、無月は瞬く間に傷だらけになっていく。


 爛々と輝く漆黒の眼。

 対なす蒼眼、赫眼。

 いま、一つの世が終わろうとしていた。


 これの起こりはいつからか――いや、少女らが生まれ落ちたその時には、すでに決まっていた運命なのかもしれない。

 偶然か、はたまた必然か。

 その身を削り、その命を散らし、なおも歩き続けることを科された悲しき宿命。呪いの如く纏わりつく因果の鎖は、逃れようとも決して少女らを離そうとはしない。


 これは御伽。

 乱世の闇に葬られた――儚き夢を描き、その時を生きた怪異なる眼を持つ少女たち。そのつれづれを慰めるために、いま語り相手となってもらおう。

 ともに謳えよ。

 ともに戯えよ。

 縷々として紐解くは、たまゆらの御伽語りなり。



 戦国おとぎ語り――いま、ここに開幕せん。





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