破滅への序章
その日、バークス公爵領――否、既にバークス公国というべきか――に集う者たちに苦渋の表情が浮かんでいた。
「神聖シャン・グリロ帝国にあったヴェルツレン家は爵位剥奪が決定しました。アットウェル家も爵位を伯爵から男爵へすると通達が……」
「陛下は何をお考えなのか?元々ゴドフリー様を疎んじたのは陛下だ」
「出る杭は打たれるということですよ」
この中で、たった一人冷静な男がいた。名はトーマス。元は神聖シャン・グリロ帝国のヴェルツレン公爵家次男にして、バークス公爵領においての功労者ともいえた。
「仕方ありません。我ら『エメラルドの瞳』を持つ者が回避するしかないのです」
「トーマス殿……」
「兄さん、もう既に戦争が始まっているんだよ?」
「クリス、だからこそこれ以上酷くならないように、そして『奴ら』の思うようにさせないためにもやるしかないんだ」
周囲の言葉をトーマスが否定する。
「セグレス、あれは?」
「何とか持ってこれた。……どうするつもりだ?」
「カーン帝国にある技術と組み合わせて宇宙を旅する『方舟』を創ろうと思っている」
「『宇宙移民計画』……か。とすると……」
「勿論、エルド・ラド国の知識もいる。密偵は放ってあるから、何とかなると思う。こうなってしまった以上、閣下をお止め出来なかった我らに責任はあるから。
幸いにも私は『記憶持ち』だ。だから、知識はある。それを活用しない手立てはない」
トーマスが産まれる以前、いわゆる前世の記憶を持っていた。それを知るのはヴェルツレン家一家と、アットウェル家の二人のみ。そして、幸いにも一部この世界よりも科学の進んだ世界で、科学者として生きていた実績があったのだ。
だからこそ、神聖シャン・グリロ帝国において宇宙開発が進んだともいえたのだ。
それであるにもかかわらず、無知とは恐ろしいものでゴドフリー=バークスごと帝国は疎んじたのだ。
ゴドフリーも、何とか堪えていたものの、結局のところ数年前に暗殺され、息子であるゴドフリー二世がバークス公爵領を世襲。その後カーン帝国よりとなり、技術の提供、そしてバークス公爵領を「バークス公国」と改め、独立宣言をしたのだ。
後の、「世界大戦の発端」であり、バークス公国が非難される理由となった。
「脳の提供は私がするよ。中枢の方舟に私の脳を取り出して配置する。そして、全てのコントロールをクリスとジェイムズでお願いする」
その言葉に、全員が絶句した。
「脳、の、提供?」
「そう。医学的に脳だけを取り出すのは難しいからね。特殊な液体に身体ごと入れる。そうすることによって、脳以外の身体が全て溶け出す。そうすると脳の機能が格段に上がる」
クリストファーの震えた声に、トーマスは当たり前のように返した。
そこに、特殊な電流を流すことによって、脳の老化は防がれ、信号のみをずっと送ることが出来るようになるのだ。
以前いた世界でも「神の領域だ」と反対意見も多かった方法である。
「成功する確率は?」
「七十パーセントと言いたいところだけど、こちらの科学力からすれば五十パーセントくらいじゃないかな?」
「それじゃあ、人体実験じゃないか!!」
「でも、しないよりはいい。何もせずに指を咥えていろと?」
クリストファーの言葉に、トーマスはあっさりと返した。何もしないで滅びを待つのはご免だ。
「私も、やります」
「マリー!」
トーマスの妻であるマリーが唐突に話しに入ってきた。
「あなたがするのに、私がしないわけにはいきません。確率が五十パーセントなら、どちらかが成功するでしょう。
上手くいけば二つ成功します。そうすれば多くの人間を救うことが出来るのですよ? 私たちの罪だとあなたは言いました。ならば、私も役にたちとうございます」
離縁を拒んでこちらにいる妻に、先手を越された。
私たちも、と言わんばかりの人間を制するため、妻に頭を垂れた。
「マリー、君にもお願いするよ。少しでも被害を少なくしよう。
ただ、私が終わった後にして欲しい。指示書を書いておくから。それに従ってマリーは私に処置して欲しいから」
「分かりました」
上手くいけば、マリーは巻き込まなくて済む。そんな打算がトーマスの中にあった。
「では行動を開始しよう。クリス、君に侯爵家の全権を渡す。それでこれ以上戦争が長引かず、他国が巻き込まれないよう、お願いする。ジェイムズ、君は何とか閣下を諌めてくれ」
「分かっています」
「僕は陛下を諌められる人物をあちらで探す。ヴェルツレン公爵家が取り潰しになったのがかなり手痛い」
セグレスの言葉にトーマスは苦笑した。
取り潰しになったことにより、ヴェルツレン家に関わる者たちはほとんどがバークス公爵領に亡命、もしくは密偵として各地に点在しているのだ。
あの愚かな陛下とゴドフリー二世を諌めるのは難しいだろう。互いが自分の利益だけを考えている。
せめてゴドフリーが生きていれば違ったはずだ。
カーン帝国もキース=アッカーという、軍宰相がいる限りバークス領を見逃さないはずだ。セルデ=アッカーと現在連絡が取れないのが手痛い。
全て悪い方向へと進んでいく。
自分の知識の全てをもってして、破滅は防がなくてはいけない。
絶対に「奴ら」の思うようにはさせないと、トーマスは誓った。