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柳生無明剣  作者: MIROKU
8/9

8 血風吹く


 浅間山の猿狩りも日が近くなってきた。駿河城下は騒然としている。

 実りの秋を迎えて、農民達の不安も大きくなってきていた。相変わらず白猿の出没は止まず、作物を食い荒らしていく。

 農民達の怒りもついに爆発した。青竹を切って竹槍を作り白猿を襲い、浅間山へと追い返す。時には神獣だという事も忘れて殺してしまう。それでも白猿の数は一向に減らない。

 また駿河に流れてくる浪人の数はどんどん増えている。猿狩りに参加する為に、各地から食えない浪人が集まってきているのだ。猿狩りに参加すれば、僅かだが報酬にもありつける。その報酬目当てに浪人が集まり、城下は人に溢れていた。

「城下町は、すごい人ごみですよ 」

 城下の様子を見てきた佐助は帰ってくるなり霞に言った。忠長の愛妾・霞は蒼白な顔で佐助の話を聞いている。

「まるで戦が始まるみたいだ…… 大阪の時のようでした」

 佐助は心ここにあらずな表情である。過去を思い出しているのであった。豊臣と幸村が滅んだ大阪の陣を。

「もう、忠長様を止める事はできぬのか?」

 霞は今にも泣き出しそうな顔で佐助に聞いた。霞の顔に涙が流れた。

「戦などと、そんな恐ろしい事を…… あの優しかった忠長様が……」

 霞の涙に佐助は戸惑うばかりで、なんと言っていいのかわからない。

「戦は嫌じゃ…… 人を殺して、殺されて…… 父上もそうやって、戦に殺されたのじゃ……」

 佐助は黙って、泣きじゃくる霞を見つめるばかりであった。



 十兵衞は面作りの最後の仕上げに入っていた。表面を磨いて滑らかにし、更に黒漆を塗り――― 

 手先の器用な才蔵の助力も得て、十兵衞の心を隠す面は完成した。

(父上、左門……)

 十兵衞の脳裏には父・宗矩と弟・左門の姿が思い浮かんだ。だが、家族であっても敵なのだ。十兵衞は自分を召し抱えた忠長への義の為に、敢えて柳生を捨てる事を決意していた。

 その決意には非常な悲しみと寂しさが伴った。己の前途に一筋の光明すら見えぬ無明の闇に陥ったような深い孤独―――

 その無明の闇を断つ為に、十兵衞は決意を固めたのだ。

 忠長を守ると。

 そして面をつけるのだ。

 家族を斬る事に何のためらいもないと、嘘ぶく為の面を。

 悲しみを気取られぬようにする為に。



 夜半であった。遠くで野犬の吠える声が夜空にこだまする。

 霞の屋敷から少し離れた藪の中に、人影が動いていた。微かな風、とでも呼ぶべき程の手練れ達―――

 黒装束に身を包んだ裏柳生の刺客団であった。

(気取られるな)

(あの屋敷には三厳様もいらっしゃる、だが討ち取って構わぬという仰せだ)

(一真もおるはずだな?)

(かまわぬ、片腕を失っては隠密など勤まらぬ)

 藪の中で囁かれる声なき会話。霞達を亡き者にせんが為に、送り込まれた刺客団である。

 率いるのは柳影七傑の一人、伊藤仙二郎だ。三尺二寸(約九十六センチメートル)の太刀を小枝のように振り回し、人間を大根のように両断する豪の者である。暗殺の密事にも長けた裏柳生の遣い手である。

(……行くぞ)

 仙二郎の号令一下、藪の中から裏柳生の刺客団が姿を現した。仙二郎を入れて七人。霞の屋敷には才蔵や佐助、十兵衞や負傷中の一真を入れても十数人である。闇に乗じて討ち入れば勝てぬはずかないという布陣である。

(……む、待て)

 仙二郎は足を止めた。刺客団もつられて足を止める。不意に周囲に霧が発生していた。

 更に霧の中から次々と悲鳴が上がる。仙二郎には何が起きているのかわからない。夜空の月光も霧に遮られて、仙二郎の視界は白く霞んでいた。

「ギャ!」

 また一人、悲鳴が上がった。今ので六人目の悲鳴ではなかったか? という事は、残ったのは仙二郎一人である。

「す、姿を見せろ!」

 柳生の庄で修行に励み、数で十倍する敵にも臆する事なく立ち向かっていく裏柳生。その精鋭たる仙二郎が激しい動揺を示していた。

「ぬわあっ!」

 仙二郎は背に負った自慢の大刀を引き抜くと、霧を切り裂かんばかりに振り回した。無論、霧が斬れる訳はなかった。

 仙二郎は霧の正体がわかりかけてきた。これは何かの香のようであった。ねっとりと体にまとわりつくような不可思議な霧。微かな匂いすら漂っている。霧に見えるが、これは香の燃える煙であった。

「こっちじゃ」

 背後に老人の声を聞いて仙二郎は戦慄する。だが、それも一瞬である。

「うおおおっ!!」

 仙二郎は獣のような雄叫びを上げて、振り返りざまに横に薙いだ。空を裂く凄まじい一刀である。仙二郎の執念の一刀であった。

 だが、仙二郎の一刀は対手には届かなかった。

「惜しいのう」

 またもや背後に老人の声を聞いて仙二郎は振り返る。その仙二郎の喉を短槍の鋭い穂先が貫いた。仙二郎は瞬時に絶命した。

 ―――霧が晴れて夜空の月光が大地を照らした時、地には七人の死体が転がっていた。

 かつて大阪の陣で名を馳せた忍びの中に霧隠の異名を持つ忍びがいた。今は才蔵と名乗る老人である。裏柳生の刺客団七人は才蔵一人に全滅させられてしまった。

 いずこともなく現れた野犬の群れが、死体の側へと近づいていった。



 翌日―――

 霞は屋敷で右往左往するばかりであった。浅間山での猿狩りの期日が近い。それに不安を感じているのである。

「忠長様が心配じゃ……」

 呟く霞の表情に憂いがある。少女らしいはつらつさは消えて、顔に浮かぶのは愛する男をただただ案じて止まぬ女の心である。十兵衞は霞の変化に驚きながらも、力強く己の気持ちを吐き出した。

「霞殿……」

 十兵衞を見つめる霞は、今にも泣き出さんばかりである。

「忠長様の命…… 俺が魔の手から守ってやる!」

 十兵衞の言う魔の手とは、忠長暗殺を狙う柳生の者達の事だ。すでに十兵衞は、父であろうと弟であろうと、斬る覚悟を固めていた。

 自身の死すらも覚悟していた。それ以上に憂いの霞の表情を晴らしたい、そんな不可思議な感情がある。

 それは恋ではないだろう。だが十兵衞には死ぬには充分な理由であった。

「十兵衞、忠長様を、忠長様を……」

 ついには泣き出した霞をなだめながら、十兵衞は裏柳生の事を思った。忠長暗殺に向けて、次は何を画策しているのかと。



 木村助九郎の道場に人が続々と集まってきた。忠長暗殺の密命を総帥たる宗矩から受けて、馳せ参じた裏柳生の面々である。率いるのは左門友矩、補佐として助九郎がついている。

「何、仙次郎が討たれた?」

 部下の報告を聞き、友矩としては驚きを隠せない。仙次郎は裏柳生の誇る柳影七傑の一人である。

 並の人間には持ち上げる事すら難しい豪刀を振り回し、その剣の腕は友矩とて容易く打てる相手ではない。

 その仙次郎に六人の部下をつけて、十兵衞や霞達に夜襲をしかけさせたのは友矩である。その手練れ七人が、苦もなく討ち果たされるとは!

「敵もやるものですな」

 助九郎はのんきに呟いた。助九郎は宗矩に絶対的忠誠を誓っているが、十兵衞を敵とは見なしていない。この名剣士は今の状況を、心のどこかで楽しんでいる素振りすら感じられる。

「野犬に食われかけていた仙次郎らの遺体は回収いたしましたが……」

 友矩と助九郎を前にして、報告の裏柳生の者は青ざめた表情をしている。

「よい。仙次郎達は丁重に弔ってやれ。せめて安らかに眠らせよ。野犬になど掘り返されぬように」

 友矩の言に裏柳生の者は部屋を出ていく。友矩は美貌の顔に理解できかねる感情を浮かべて助九郎に振り返る。

「奴ら、それほど強いのか?」

 友矩には想像できかねるらしかった。その魔天の剣は宗矩すら凌ぐと評されても、十七歳なのだ。十兵衞と違って、修羅の日々を過ごした事のない友矩には、かつての大阪で武名を挙げた霧隠才蔵や猿飛佐助という存在がいまいち理解できかねた。

「何、それも次第にわかりましょう」

 助九郎は欠伸をした。友矩も言った相手が助九郎でなければ瞬時に無礼討ちにしたであろう。

「楓も帰ってこぬ、殺されたのか……」

 友矩の言う楓とは柳影七傑の一人で、くノ一である。体術も群を抜き、密命を帯びて土地に入れば、女としての房中術にも長けており、暗殺の他にも活躍の場を持つ女だ。

 楓が駿河に到着したその日に、友矩は忠長の元に密偵として楓を放っている。忠長の身辺を探り、可能であれば忠長を暗殺せよと。その楓が行方知れずになってしまってから、裏柳生の停滞が始まっているのだ。

「あの毒婦め!」

 脳裏に楓の毒々しくも妖しい美貌が浮かび友矩は苦々しく叫んだ。

「まあまあ」

 とは助九郎である。そういうのんきな態度が十兵衞と似通っている。友矩には面白くない。基本的な相性が悪いのだ。

「今日の内には風間伊助も到着しましょう」

 風間伊助も柳影七傑の一人で、主に東北地方で隠密の役に就いていた。



 風間伊助は道を急いでいた。

 日は暮れかけている。密命の早馬の命を受け、馬にて駿河へと急ぐ途中であった。山間の狭き道中を、馬を走らせ伊助は助九郎の道場を目指す。

 不意に馬の足が遅くなってきた。ついに馬は走る事をやめた。何かに怯えたように、息荒く周囲を見回している。

「何事だ?」

 伊助は馬上から周囲をうかがう。手綱を握らぬ右手が懐中に伸びた。伊助の手裏剣術は闇の中でも対手の気配を探り、必中させるほどである。その伊助の意識が、周囲の林の中に敵の気配を感じとったのだ。

「……そこだ!」

 伊助は叫んで手裏剣を林の中へと放った。貫通力と殺傷力に優れた棒手裏剣である。

 だが、林の中から飛来した白刃が伊助の手裏剣を弾き返した。鎖のついた鎌であった。

 続いて鎌は生き物のように伊助に襲いかかり、その首を切り落とした。

「はっはっはっ! これが柳生の精鋭か、他愛もない!」

 土蜘蛛の残虐な声が林の中にこだました。



 ついに浅間山の猿狩りの日がやってきた。

 動員された人数は二万人以上であったという。駿河の城下町は朝から騒がしく、浅間山の白猿達も何かを察して妙におとなしい。

 十兵衞は、空が暗い内に霞の屋敷を抜けていた。裏柳生で用いられる濃緑色の忍び装束に身を包み、背には愛刀・三池典太、腰には愛用の小太刀を帯びて、風のように大地を駆けた。

 ―――忠長様を救う!

 その一念が十兵衞を動かしていた。頭まで忍び装束に身を包んだ十兵衞は、忠長にも知られぬように暗殺者を迎え撃つ気構えであった。

 すでに十兵衞は命を捨てていた。

 明日を思う事はなかった。



 霞の屋敷では、主である霞が才蔵老人と佐助を伴い、屋敷を発つところであった。

「忠長様……!」

 旅装姿の霞は、編笠を上げて太陽を見た。憂いを帯びた瞳が妙に麗しい。

 愛する男の為に命を捨てる。

 そんな女の執念を感じさせる。

「姫様も見違えるようじゃ……」

 目頭を熱くして才蔵老人は語る。霞の亡父・真田幸村の面影を霞の美しい姿に垣間見たのかもしれない。

「本当に、綺麗になっちまって」

 佐助はどこか嬉しそうである。その佐助の傍らに、寄り添うように立つ旅装姿の女が一人。

「心配すんな、柳生のやつらは俺と才蔵様で相手してやる。お前は姫様を守ってくれ」

「はい……」

 神妙にうなずく女は柳影七傑の一人、楓である。駿河城での佐助との一戦で敗北して以来、佐助に従っていた。

 うなずく顔には妻のごとき従順の色が見える。佐助には女を従わせる何かがあるのだ。



 鉄砲の銃声が晴れた空に響いた。

 何百発という銃声である。その銃声に驚いた浅間山の白猿達は、悲鳴を上げて逃げまどう。

「ゆけー!」

 騎乗した武士の声に応じて、農民や浪人とおぼしき者達が浅間山に進撃していく。農民達は竹槍を手にして白猿を追い立て、突き殺していく。

 浪人達も手に手に刀や槍を振るって白猿を追い立てる。辺りは阿鼻叫喚の地獄と化していた。誰もが正気を失いかけていた。

 忠長は浅間山の麓に陣を構えて、勝敗の行方を見守っている。忠長は陣中に在って采配を振るう事はなかったが、陣中に逃げ込んできた白猿を弓や鉄砲で射殺していた。無言の圧迫感が陣中に満ち、家老の浅倉宣正などは顔が青ざめている。

「浅間山の白猿、一頭も逃すな。 殲滅せよ」

「ははっ!」

 忠長の殺気にも似た気配に家臣達は一人残らず従った。主の命は絶対であった。

 だが突如として不思議な空気が陣中に満ちた。忠長の陣前に一人の少女が現れたからだ。旅装姿の少女は家臣達の諫めも聞かずに忠長に歩み寄る。

「忠長様!」

 霞は叫んだ。

「……霞!」

 忠長も叫んだ。そして、駆けてきた霞を胸に抱きしめ、忠長はしばらく―――

 微かに泣いていた。



 不穏な影が集まりつつあった。

 忠長の陣の周辺―――

 その周囲の林の中に、黒装束の者達が真昼の悪夢のように現れ出たのである。

「ゆけ!」

 号令一下、黒い無数の影が忠長の本陣に斬り込んでいく。



 忠長の陣中は、突如発生した霧に満ちた。才蔵老人の霧隠の術である。

 その霧の中で裏柳生を相手に、才蔵と佐助が死闘を展開していた。

「お覚悟!」

 雄叫びを上げたのは裏柳生の柳影七傑、土屋半兵衛であった。前後の人の区別もつかぬ霧の中を、大刀を抜いて忠長に迫ろうとする。

「……こっちじゃ」

 半兵衛は背後に声を聞いて振り返った。その右目に短槍の穂先が突き刺さった。鋭い穂先は半兵衛の脳まで貫いて、後頭部に突き抜けていた。



 佐助は裏柳生の奇襲をいち早く察した。

 即座に陣幕の裏に忠長と霞を押しこみ、楓に二人の護衛を任せた。

 そして裏柳生に果敢に攻め込んでいく。同時に才蔵老人の霧隠の術によって、陣内に霧が満ちていった。

 裏柳生達は突如発生した霧に動揺した。前後も判別できかねる霧の中で、うかつに刀を振り回せば味方を斬る事になってしまう。

 佐助はその隙を突いて、裏柳生の一団に飛び込んだ。周囲には敵しかいない。

 佐助は跳躍した。跳躍しつつ一人の裏柳生に蹴りを放つ。黒頭巾の内から血を吐きながら裏柳生は吹っ飛んだ。

 佐助は手にした苦無で、一人の裏柳生の目を裂く。悲鳴を上げてのけ反った裏柳生を蹴り飛ばして、佐助は左右に握った苦無で次々と裏柳生を斬り捨てていく。

 猿飛の名の示す通り、軽快な身のこなしである。そして鎖を編み込んだ黒装束を容易く切り裂いて、裏柳生の者を絶命させていく。まるで魔術を見るかのような佐助の斬殺術である。

 霧が次第に晴れてきた。前後の者の顔くらいは判別ができるほどに。

 佐助の眼前には茫然自失となっていた黒装束が一人突っ立っていた。

「うわあ!」

 黒装束は刀を振り上げ佐助に打ち込んだ。死にもの狂いの一刀は佐助には通用しない。

 僅かに身を開いて佐助はその一刀をかわした。

「貴様、何者!?」

 黒装束の男は柳影七傑の一人、杉山三郎であった。

「猿飛佐助!」

 佐助は名乗ると同時に下方から手刀を突きだした。

 鋭い手刀が杉山の喉に突き刺さる。素手の手刀が杉山の喉を貫き絶命させた。

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