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柳生無明剣  作者: MIROKU
1/9

1 駿河へ

 夜空には満月が輝いていた。

「身ぐるみ脱いで置いていけ!」

 夜空の月光の下で、浪人達が一人の武士を囲んでいた。浪人の数は十人を越える。この付近に出没する浪人くずれの盗賊団である。

「……」

 編笠を被った武士は怯えた風でもない。そして浪人の欲求に従う素振りもない。

「聞こえねえのか?」

 浪人の一人が刀を抜いた。それにつられて他の浪人達も刀を抜く。盗みを働く浪人は珍しい事ではなかった。

 すでに戦のない泰平の世の中だ。日本各地で大名が次々と改易され諸国に浪人があふれていた。その数は全国で十六万人とも言われる。大名の改易を実行するのは三代将軍家光の懐刀、柳生宗矩だった。

「やむをえぬか」

 武士は静かにつぶやいた。そして腰の刀を鞘ごと抜いた。

 浪人達が騒いだ。武士の刀は夜目にも拵えが立派で、高価な一品だと一目でわかったからだ。

「観念したか、さあ、よこせ」

 一人の浪人が刀を右手に提げたまま武士に近づいた。

 武士は右手に鞘を握って浪人の前に差し出した。

 次の瞬間、武士は左手で刀を抜いていた。

「うわ!」

 武士に近づいていた浪人が悲鳴を上げた。その顔に斜めに線が走った。

 一瞬の後、その線から鮮血が噴出した。浪人は武士の一刀に顔を斬られて絶命していた。

 他の浪人が体勢を整える間もなく武士は刀を振るう。

 横に薙いだ一閃が浪人の首を裂く。

 その勢いを制しながら、武士は頭上に刀を振り上げた。

 そして打ち下ろす。真一文字に打ちこんだ一刀が、浪人の額から股間まで縦に切り裂いた。

 二人の浪人が鮮血と共に地に倒れる。数秒の間に二人の浪人が斬り捨てられたのだ。武士は只者ではなかった。

「な、なんだこいつは!」

 浪人が叫ぶ。武士は腰の脇差を右手で抜き次の浪人に斬りかかる。

 脇差の刃が浪人の目を裂いた。絶叫が夜空に響く。

 残った浪人達を前にして武士は二刀を構えた。その気迫に浪人達は息を呑む。

 編笠からのぞく顔の右目には眼帯がかけられていた。

 武士の名前は柳生三厳、通称は十兵衛という。全国の諸大名に恐れられる柳生宗矩の嫡男であった。



   *****



 寛永六年(一六二九)、駿河の城下町は騒然としていた。駿河は現・三代将軍、徳川家光の弟・忠長の治める地である。

 浪人が徒党を組み、古寺にこもっている。その数は七人。人質を取って、身代金を欲求しているというのだ。

「人質の中には、商人もいるんだとよ」

 さほど大きくもない古寺の入り口で、野次馬達が声をたてる。

「子供もいるらしいぜ……」

 門から寺の様子をのぞきながら、町人風の男が呟く。

「ああ……」

 絶望的な表情を浮かべて、若い女が溜め息をついた。

「……」

 後からやってきた編傘をかぶった武士が、野次馬達に混じって、無言で門内を眺めていた。

 と、その時、寺の入り口から浪人が一人飛び出してきた。左脇には泣き叫ぶ子供を抱えている。

「まだ金は用意できんのか!」

 毛むくじゃらの髭面の浪人が叫ぶ。その浪人が抱えている子供を見て、若い女が叫ぶ。どうやら母親らしい。

 更にもう一人の浪人が出てきた。商人風の男を引き連れ、蹴り飛ばす。蹴られた商人は悲鳴を上げて、境内の上に転がった。

「た、助けてくれ!」

 殴られたのか、腫れ上がった顔を朱にして、商人が叫んだ。

「助けてくれたら、お金を差し上げます! ですから……」

 商人が、野次馬達を見て回しながら必死に叫んだ。しかし、野次馬達は誰もが、黙って見ているだけだ。所詮は、物珍しさに見物しているだけなのだ。

「……うう!」

 若い母親が絶叫した。涙が止まらない。込み上げた涙は、口元を押さえた手から流れ落ちていく。

「……」

 その時、野次馬の群れの後ろから編傘の武士が一歩前に出た。不思議な事に、武士が動いた瞬間、野次馬の群れが割れた。

 割れた野次馬の群れの中を、武士が一人、寺の境内に踏み込んでいく。腰に大小の刀を差してはいるが、抜く気配も見せずに、子供を抱えた浪人に歩み寄っていく。

「な、なんだ貴様あっ!」

 浪人は吠えた。その右手が、左腰に伸びようとした。左脇に子供を抱えても、刀は左腰に差していたらしい。

 武士は歩みを止めなかった。瞬間、白刃が空を裂いた。武士は歩みを止めず、刀を抜くと同時に斬りつけたのである。

 武士の逆袈裟の一閃は、浪人の右手首を切断した。斬られた浪人の手首が、宙に飛んだ。

「ギャ!」

 手首を斬られた浪人が悲鳴を上げて、屈み込んだ。抱えていた子供を離し、左手で右手首を押さえつけるが、出血は止まらない。放り出された子供は惚けた顔で尻餅ついて、動けなくなっていた。

 武士は歩みを止めない。怯えて動けない商人の脇を進みながら、その商人を蹴り飛ばした浪人に向かう。

「……無用な殺生は好まぬ」

 武士は静かにそう言った。その歩みは止まる素振りもない。右手には刀を握りしめたままである。

「立ち去れ、ならば見逃す」

 武士の言葉に浪人が後ろを向いて走り出した。そのまま浪人は寺の中に駆け込んでいった。

 武士は子供と商人を背にして仁王立ちになった。編傘からのぞく視線は、寺の入口に注がれていた。やがて、寺の中から、ぞろぞろと浪人達が出てきた。先程、寺に駆け込んだ浪人を先頭に。

「あ、あいつだ!」

 浪人が武士を指さして叫ぶ。その後ろで、五人の浪人が手に手に得物を握って殺気立つ。

 手首を斬られた浪人は左手首を押さえて、蒼白な顔でうめいている。

 武士は左手で脇差しを抜いた。刀を右手に、左手に脇差しを提げる。一見隙だらけの構えに見えるが、武士の体には気力が満ち、一分の怯えもない。

 編傘からのぞく武士の顔は、右目に眼帯をかけた精悍な若者だ。

 武士の名は柳生三厳、通称は十兵衛。

 この年、幕府大目付となり但馬守を名乗った、柳生宗矩の嫡男である。



 城下で曲者を討ち取った事が評判になり、十兵衞は忠長に召し出されて謁見した。互いに初対面ではない。十兵衞は十三歳の時に家光の小姓として仕えている。互いに何度か顔を合わせてはいるが、特に話し込んだ覚えもない。自然、二人の話題は江戸城の事ばかりとなった。もっとも、十兵衞も二十歳の時から西国へ旅立っており、最近の事はよくわからないのだが。

「……ふむ、ところで城下の浪人、いかにして討ち取った?」

 十兵衞が久々に会う忠長は、落ち着きと穏やかさを失ってはいなかったが、この時ばかりは妙な眼光を放った。

「……思い出すだけで、心胆が震える思いがしまする」

 十兵衞の方は、問われてすぐに、七人の浪人と斬り結んだ事を思い出して、忠長の眼光の異常さには気付かない。



 二本の刀を振るって、十兵衞は浪人達と斬り結ぶ。

 十兵衞は右手の刀の峰を返した。そして刀を横に薙いだ。その一閃が、浪人の構えた刀をへし折った。折れた刀身が宙をクルクル飛ぶ。刀を折られた浪人は、力が抜けたか、ヘタヘタと尻餅をついた。

 今や寺の境内は不思議な静けさに満ちていた。門の側から斬り合いを見つめている野次馬も、もはや無言で斬り合いを見つめている。

 七人いた浪人は、一人が手首を切り落とされて、動けない。一人は鎖を断たれた鎖鎌を握りしめて、茫然自失に立ちすくんでいる。更に一人は、柄頭で額を殴られ卒倒していた。十兵衞の一刀に着物の帯を切断された浪人も、刀を構えたまま動けない。

 後の浪人は、すでに悲鳴を上げて逃げ出していた。寺の門から逃げていったが、野次馬は誰も追おうとしなかった。

 残った浪人は、十兵衞の前に立つ一人であった。長槍を手にしている。その全身からほとばしる殺気は、二刀を提げた十兵衞に向けられていた。

「……若造」

 浪人の声は静かな怒りに満ちている。

「よくも邪魔をしてくれたな……!」

 浪人が槍を構えた。そして頭上に旋回させた。空を裂く刃音が、聞く者を心胆寒からしめる。

 十兵衞は静かに二刀を提げた。心に恐れも怯えもない。

 勝負は一瞬で決まる。

 浪人が槍を構えた。その切っ先は十兵衞の心臓に向かって突きつけられていた。

 場に満ちる殺気に動じた風でもなく、十兵衞はゆっくりと足を踏み出した。一歩、また一歩と。

「……キエー!」

 浪人が雄叫びを発すると同時に突いてきた。

 十兵衞は左手の脇差しで、槍の穂先を横に払った。鉄の打たれる鈍い音が響く。

 十兵衞は右手を振り上げた。そして一直線に打ち下ろす。片手で振った刀の切っ先が浪人の顔を縦に割る。浪人は顔を切り裂かれ、傷口から鮮血を噴出させながら、立ったまま絶命していた。

 ……十兵衞は刀の血糊を拭い鞘に納めると、寺の境内から去った。門の側まで来てから、境内を振り返ると、若い母親が子供を抱き締めて泣いているのが見えた。

 それに背を向け、十兵衞は寺を後にした。野次馬達が十兵衞を惚けた顔で見ていたが、特に関心もなかった。



 十兵衞の話に聞き入っていた忠長がようやく息をついた。

「……見事じゃ、十兵衞!」

 忠長は子供のように喜色を満面に浮かべた。そういう表情が、駿河五十五万石の太守に相応しくないように、十兵衞には思えた。まるで子供ではないか。しかし、十兵衞は悪い気はしなかった。

「どうじゃ、余に仕えぬか。十兵衞のような剛の者、我が臣下に欲しい」

 続く忠長の言葉が十兵衞の心に響く。十兵衞の頭が、その申し出を拒否していた。十兵衞は父・宗矩の命に従い、各地の大名の動静を探るのが使命である。

 だが、十兵衞の心は、その申し出にときめいていた。士は己を知る者の為に死す、の言葉が示す通りである。過酷にして孤独な十兵衞の隠密行を理解してくれる者はいなかった。父宗矩がそうであるのだから。十兵衞は所詮、宗矩の手駒でしかなかった。親子の情すらないのだ。

「……慎んでお仕えしましょう」

 十兵衞は深々と頭を垂れた。自分でも意外な言葉が口から飛び出した。

 顔を上げて見入った忠長の顔は、なるほど、諸大名に愛された名君の器を感じさせる、晴れやかな顔である。


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